星降るベランダ

めざせ、アルプスの空気、体内ツェルマット
クロネコチャンは月に~夜空には人の運命の数だけ星がまたたいている

年輪

2014-12-29 | NO SMOKING
 「バームクーヘンは薄く切った方が美味しい」


ついその場のノリで生まれた言葉が、真実になることがある。
かつて体育祭の後の打ち上げホームルームに、担任の先生が、ユーハイムのバームクーヘントゥルムを3本持ってきて、ナイフで切って生徒達と分け合って食べた。全員に、薄いのと厚いのと2枚ずつ。その時、誰かが言った「薄い方が美味しい」と。負け惜しみのようなその言葉に皆が笑った。でもそれは本当だった。あれから長い時が経ったけど、それ以来ずっと、本当にバームクーヘンは薄く切った方が美味しいと感じる。楽しいあの時間中に、集団催眠にかかったのかもしれない。

10月に芦屋市立美術博物館で、谷川俊太郎さんの「朗読とお話」会があった。83才の谷川さんは、子ども達のために、「いちねんせい」(和田誠絵 小学館 1988)所収の、楽しい詩を朗読して下さった。「どんなとき、詩が生まれるのですか?」という質問にこんな答えが返ってきた。

「人生は年輪のようなものだと思う。
 中心に幼い自分を抱えている。時々それが噴出することがある。」

年輪を重ねるように年をとっていく、というのは、よく聞く言葉。でも、今まで、考えたことなかった。「年輪」も「コレステロール」とかと同様に、ある一定の年齢になって初めて、考える言葉なのかもしれない。そして、谷川さんの言葉に「あれ?」とひっかかるものがあった。私はなぜかこれまでずっと、樹木は、木の中の部分の方が新しいのだと思っていたのだ。

年輪について調べてみると、確かに外側が新しい。
~樹木は、外側の樹皮との境目に形成層があって、形成層は細胞分裂を起こしながら内側に木質部を生産し、外側に樹皮を生産する。生命体として樹木をみた場合、活発に細胞増殖を行っているのは主に形成層であり、木質部と樹皮の多くは死んだ細胞から出来ている。~(山形大学農学部のサイトより)

ならば、バームクーヘンの作り方と同じだ。生地をつけた芯を、火のそばで回しながら、焼き目をつけ、また生地をつけて焼き、外側に次々新しい層を作っていく。

「人生は年輪のようなもの」というのは、過去が積み重なって今の自分ができているけれど、生命体として常に細胞増殖を行っている存在であるということ。外から見えるのは、今の自分だけど、常に真ん中には幼い自分が存在していて、詩人や絵描きさんは、時々、真ん中の幼い自分が飛び出してきて作品を作ったりするのだ。

私も2013年の外側に、2014年のわっこが重なった。意識せずとも幹は確実に太くなっていく。
…そしていつか、枯れる。

樹の足は大地に向かい手は空に自ら古い樹皮破る
    
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クール・スポット

2012-07-05 | NO SMOKING
いつのまにか、七夕の季節。
図書館のエントランスには笹に短冊が舞っていた。そして、その向こうの壁に、外の暑さなんて吹き飛んでしまうような、素晴らしい絵が2枚。

            

  井上よう子「GALLARIE in Denmark」

           井上よう子「雨のコペンハーゲン」


この青い傘、私の忘れ物のような気がする。(コペンハーゲン行ったことないけど)
傘をここにおいたまま、思わず雨の中、何かを追いかけてしまった少女。
そして、部屋の中で、駆けだした少女のことを心配して外の広場を眺めている母親。これも私のような気がする。
広場に雨は降り続いて、長い時間が経っても、少女は帰ってこない。
井上よう子さんの絵には、画面に人物が登場しない。なのに、今までここにいた誰か、そしてそんな風景をいつまでも忘れずに大切に心に抱いている誰かがいることが、伝わってくる。
ステキな青色は、心の中にしみてくる。



芦屋市立図書館の天井には、大きな新宮晋さんの作品がある。時々静かにゆったりと回っているのに、みんな本を探すのに夢中でその存在に気がついていない。白い天井から何本もぶら下がっている細長い照明器具は、隣接する美術博物館と同じ。緩い壁のカーブも同じ。同じ時期に同じ設計者が建てたのね。

テーブル席のある中庭には、木村敏さんの彫刻「かたぐるま」。時々、雀が、女の子の頭に停まっている。今日は、茶色い虫が停まっていた。



「原発稼働待望世論」をつくるための作戦としか思えない、関西電力の「計画停電」のお知らせ葉書が届いた。待望なんか断じてしていない。
「この夏はエアコンを昼間はつけない、涼しい公共の場所ですごしましょう。」
と思ったのは私だけではないらしい。図書館は夏休みでもないのに、平日満席状態だった。
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ダヤンの奇跡

2011-12-27 | NO SMOKING
10年以上使い続けた定期券カード入れ。   
手あかで汚れ、透明部分が破損して出し入れに支障をきたすようになった。新しいのに変えなければと思い始めてから半年以上経つ。私がこれほどまでにこのボロボロになった定期入れに執着するには理由がある。これはとても幸運な定期入れなのだ。
なにしろ、5回紛失したにもかかわらず、毎回善意の方のおかげで私の手元に戻ってきたのである。自分が社会と、心優しい人々とつながっていることを感じる宝物。

1回目は阪神タクシーの車内に置き忘れた。タクシー会社に電話したら、拾得物として保管されていて、私はお菓子の詰め合わせを持って海に近い本社まで行ってきた。
2回目は阪急バスの中で拾った方が交番に届けて下さり、交番まで取りに行った。
3回目は駅のホームで、「落としましたよ」と追いかけて渡して下さった方がいた。「ありがとうございました」の言葉だけのお礼だった。
4回目は阪神電車の中に落とした。改札に申し出ると、5分前に同じ改札を通った老夫婦が届けて下さっていた。お礼の電話をした時、「素敵なお名前ですね」と思いもかけぬ言葉をいただいた。
5回目はスーパーの駐車場で落とした。私が落とした事に気づかぬうちに、我が家の留守電に、警察からの「拾得物を預かっています」という伝言が入っていた。「なぜ電話番号がわかったのか?」と問う私に「COOPさんのカードから生協に問い合わせました。」との答え。警察署内に取りに行った時はさすがにドキドキした。拾ってくださったのはすぐ近所の方だった。

いつも、中に入っていたクレジットカードも一万円札も病院の診察券も図書館カードも無事に帰ってきた。
紛失の度に、私は自分の愚かさを自覚し、反省した。
でもそれ以上に、人を信じることができる、幸せを感じてきた。

この話をすると、たいていの人が、「なんて幸運なの!」という反応ではなく、「何故あなたはそんなに大切なものをたびたび落とすのか?」とそっちに反応する。「奇跡に近い!」と言ったのは夫くらいだ。(ごめんね、誕生日忘れてて)

とにかく、今日新しい定期入れを買った。
今度こそなくさぬように、落ち着いた常日頃の行動を心がけよう。
「ダヤン、ありがとう!そしてお疲れ様でした。」

私のために、これを拾って届けるという労を尽くして下さった方々、ありがとうございました。
もしあなたが年末ジャンボ宝くじを買っていたなら、一等が当たりますように、心から祈っています。
そしてこれから私の新しい定期入れを拾ってくださるかもしれない方にも、
幸多き新年が訪れますように!
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とことこリンリン

2010-03-16 | NO SMOKING
いつのまにか、時代が移っていることに気がつくには、視覚的なきっかけがある。

もう、学校での頭髪指導は、できない時代になったんだわ、
と感じたのは、ある朝TVをつけたら、NHKの若い男性アナウンサーが茶髪だったのを見た時だった。

制服の上着の裾から、白いシャツがはみ出ているのが、不良の格好ではなく、世界的に若い子のファッションなんだと、確認したのは、ハリー・ポッター映画の第三作を見た時だった。

そして、先日若い友人の女子出産祝を求めてデパートのKIDSコーナーに行った時、日本が本当に格差社会になっていると感じた。
可愛いーと駆け寄った8歳児のノースリーブの夏服ワンピースには18900円の値札がついていた。おそらくワンシーズンしか着れない服が。買う人がいるからこの値段をつけている。特別な時にしか買わないものだから、まぁしょうがないか、とつい買ってしまうのだろうか。でも明らかに普段着よ、これ。

初めて歩く靴をと思ったけど、祝ってくれる人に囲まれた彼女には、それは特別な人に買ってもらったほうがいいような気がする。もっと軽い玩具でもと思ったら、

こんなものがあった。「とことこリンリン♪」
      
                      

「とことこリンリン」とは、ハイハイし始めた赤ちゃんの足首につける鈴。
店員さんによると、音がするから赤ちゃんは喜んでハイハイするし、お母さんはその音で赤ちゃんが動き出したのを知ることができる、のだという。
本当かしら?とも思ったけど、これにした。
ピンクのこんな恥ずかしいほど、可愛いものを買うことなんて、初めてのような気がする。

あれ以来、街中で、ロッカーぽいファッションで、腰に鍵束をつけてジャラジャラと歩いている若者を見かけるたびに思うのだった。
     「あー、とことこリンリンつけてる」
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丸型ポスト

2009-12-03 | NO SMOKING
メールが繋がってから、手紙を、ハガキを出す機会が少なくなった。
絵葉書やレターセットは、増え続けるばかり。
62円切手の買い置き、どうしましょう。18円切手ってあるのかしら。

さっき、一通の手紙を、このポストから投函した。
いつものように「どうか無事届きますように」とつぶやきながら。

                   

単なる赤い容器なんだけど、「どこか遙か遠くの街につながっている」感は、新しい四角いポストより、このレトロな丸型ポストの方が強い。
もっと言えば、「どこか違う時代にもつながっている」感さえする。
投函したものは明らかに未来の時に届くわけだけど、過去の時間に届く場合だってあるかもしれない、なんて思った人がつくった映画が「イルマーレ」だったのね。

芦屋市内にはポストが89個あって、そのうち19個が、まだこのレトロな丸型。
一見可愛い、赤い鉄製のポストは、地震にも耐えた強者揃い。

3年前行ったスイスのユングフラウヨッホ(標高3454m)にも、驚くべきことに、この丸型ポストがあった。ユンググラウヨッホ局と、富士山5合目郵便局(標高2305m)とが姉妹郵便局関係にあって、ポストを交換したらしい。ここから母宛の絵葉書を投函した。

(これではユングフラウ・ヨッホだとわからない。旅慣れぬ人のカメラワーク)

ポストから出して袋に入れる人、袋から出してスタンプを押す人、袋を車で山から空港まで運ぶ人、飛行機に積み込む人、(スイス→日本)袋を飛行機から降ろす人、郵便局で宛先を分類する人、車で芦屋郵便局に運ぶ人、母宅の郵便箱に配達する人
…一枚のハガキを届ける為には少なくともこれだけの人の手を経ている。その過程に関わる人々が、確実な仕事をしなければ届かないのだ。人に対する信頼関係がないと成立しない。

メールが直接届くのと比べたら、どれだけ雇用を創り出していることか、とやっぱりメールより手紙の方がいいなぁ、なんて思っていたら、先程の手紙に書き忘れたことがあったのに気がついた。ポストに投函する瞬間、すごく思いっきりのようなものが必要なのは、これがあるからだわ。

さぁ、12月、そろそろ年賀状の準備をしましょうか。  
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母の自由研究

2009-07-05 | NO SMOKING
母 「この辺りは、歩道の真ん中に白線をひいて外側に自転車マーク描いてあるけど、
   自転車に乗ってる人のほとんどがそんな線関係なくビュンビュン走るから、危なくてしょうがない。」

私 「特にあの、傘をハンドルに固定している自転車は危ないわね。
   傘が自分の肩幅の倍くらいあることを忘れてぎりぎりの所を通ろうとするの。
   昨日すれ違う時、傘の端が私の頭に突き刺さりそうになったわ。
   しかも雨傘じゃないの、晴天下の日傘よ。」

などと、話していた翌日のことだった。

梅雨の時期には珍しく、風が心地良く吹くベランダで、母は、娘の頭をかすった危険な傘付き自転車が、どれくらい走っているのか、歩道を観察していた。
晴れたり曇ったりしていた10時~15時の、気が向いた時だけ数えたらしい。
新聞折り込み広告紙の裏に「正」の字を書いて。

その結果、母の目にとまった自転車に乗った大人の女性100人のうち…

     帽子も傘もなし    37人
     帽子をかぶる     56人
     日傘を手に持つ     5人
     日傘をハンドルに固定  2人    だったという。
 
紙の隅っこに「若い子は帽子をかぶらない」「子供連れの母親は必ず帽子をかぶる」「傘差しはゆっくり走る」「鳥みたいなヘルメット」というメモ書きもある。
まるで、小学生の夏休み自由研究みたいだけど、面白い。

この母のデータによると、30代以上になると、女性は必ずといっていいほど、帽子か傘で紫外線が直接顔に当たることを防止しようとしている。
なぜだろう。年を重ねると太陽光線を怖れるようになるのはなぜだろう。
美白という言葉の大量流布=紫外線によるシミに対する警戒感、もあるが、
若い子は、ヘヤースタイルの乱れを気にして帽子などかぶらない。
それが帽子をかぶるようになるきっかけは、子育て期に、外に出る時は子供といっしょに帽子をかぶることではないか、それが習慣として身に付いていくのではないか、それがお肌の曲がり角時期とちょうど重なっている。
~などと、数字を見ながら二人で話した。

それにしても、雨ではなく、紫外線を避けるために、自転車に乗って傘をさす、というのは、
「私交通事故より紫外線の方が怖いんです」という非常に利己的な心理状態を示している。
そんな人が、100人中7人の割合で、街中を走っている。(あくまで母のデータによるが)

母「自転車で日傘はあぶないし、かっこ悪いわ。」

(結論)晴れた日は、帽子を被って颯爽と自転車に乗りましょう。
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休校中

2009-05-20 | NO SMOKING
さぁ女の子達、一列に並びましょう。
先頭のあなた、あなたの後ろはあなたのお母さん、その後ろはそのお母さん…
何人くらいたどったら、ラスコーの洞窟壁画を描いた時代の女の子にいたるのかしら?

兵庫県立美術館館長の中原佑介さんの「ヒトはなぜ絵を描くのか」(フィルムアート社2001年刊)に、人の平均寿命を40歳としてラスコー洞窟壁画の描かれた1万7千年前の祖先まで何代か数えてみるという会話があった。でも男性でたどるのは無理があるような気がする(ラスコーの壁画を描いたのは女性かもしれないし)。
命が繋がるというのは、女性が子供を生んできたということだから、平均20歳で出産と考えて、何代前か、計算した方が正しいと思う。
こうしてたどると、私の850人くらい前の祖先が、ラスコー洞窟壁画の時代に生きていたことになる。わずか850人でたどりつけるのだ。
頭の中で850人並べてみると、あらためて、いつの時代にも私の祖先は生きていたということに、感動する。(ちなみに卑弥呼の時代だと、90人くらい前)

地震戦乱飢饉疫病、いかなる危機的状況下でも、女性は子供を産んだ。
どんなに疫病の流行った時代にも、子供を産んだ女性がいたおかげで、私たちはここに存在している。疫病が流行るたび、強い遺伝子を持つ者が生き残ったのだろうか。

ただ今、芦屋市内の学校は、新型インフルエンザ感染防止対策のため、一週間の休校中。
市内には、子供達だけでなく、大人もできるだけ出かけないほうが良い、との雰囲気が漂っている。
美術館も、図書館も、プールも休館。
元気な小中高校生は、家の中でどうしているのだろう?

今朝早く、ゴミを出しに行くと、バスケの半パンランニングのユニフォームを着てゴミ出しにきた近所の中学生に出会った。
ゴミ置き場には、同じユニフォームをきた二人の中学生が待っていた。
「おはよー」と挨拶した彼女たちは、すぐにランニングに出かけていった。
健康な運動部員である彼女達は、朝早く、そっと集まって朝錬しているのだ。
そっと、のはずなのに、ついユニフォームを着ているところが面白い。
ラスコーのクロマニヨン人から850代目の強い遺伝子を持つ彼女達が、朝の街を駆けていく。
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文字文字くん

2009-02-06 | NO SMOKING
毎年、年の初めには、今年こそ美しい文字を書くように心がけようと思っているが、年賀状の返事を書いてる時点で初心をすでに忘れてしまっている。

夫に「くずし字」が読めない」と言ったら、
「自分だって凄いくずし字なのに。君の書いたメモは推理しないと読めない」
と言われた。私の直接的な意志伝達手段は機能的にランクが低いのだ。
そういえば、自分の書いたものでも、何についての記載事かわからないと、判読できないことがある。
それも、たまにある、のではなく、過去の手帳では4分の一くらいの確立だ。
なんと無駄の多い生き方をしていることだろう。
ともかく、このブログが手書きだったら、きっと誰も読んでくれないのは確実だし、自分さえ読めないことになる。

「くずし字の知識と読みかた」(駒井鵞静著、東京美術、1988)によると、

活字体は、文字の正座です。読みやすい文字、楷書は、直線的な線で構成するので、決して楽な作業ではありません。…正座している人に向かって「どうぞお楽に」というのは、膝をくずして楽な姿勢でお座りください、ということです。楽に、自由に書くことが「くずし字」の本来の姿勢。難しく書くことではなく、行書草書は、書きやすさを目的として生まれた書体です。」
とある。

書く時点で楽をしようとするのは、私と同じだ。
書き記すという行為は、後で読むことを目的とするのではないのか。
いや違う。
その時、書くこと自体を楽しんでいることもあるのだ。

初めてローマ字の筆記体を習った時、やたらと、好きな子の名前を綴った記憶がある。
あれは、新しい表現手段を習得した喜びだったのに違いない。
美しい言葉を美しい文字で綴る究極のナルシズムの世界。

学生時代、エジプトに留学していた知人にアラビア語で名前を書いてもらったことがある。
私の名前は、ブタの鼻のような記号になって、少し悲しかった。
その点、縦書きの漢字で書いた自分の名前はとても美しいと、自分で思う。

美術館の書は、書くことを楽しんで書いているから、惹かれるのだ。
書かれたものの動きをとめず、自分が書くつもりでたどってみよう。
正しいくずし方を習得すれば、古い書も解読できるはず。
やってみよう。

さて、この本によると、漢字のくずし方の基本原則は25あるという。

まずは、その一「左方が省略される」
なるほど、フムフム、…おお!その結果は、なんと、

 「しんにゅう」と「えんにゅう」は、ほぼ同じになる
 「サンズイ」「ニンベン」「ギョウニンベン」「ゴンベン」「アシヘン」も同じになる

一字だけでは見分け方はありません。前後関係から判読するほか方法はないのです。

そう、道は遠いことがわかった。でも、道はそこにある。

できることなら、トンパ文字のように、楽しもう。

       ~王超鷹さんのポストカードより
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10代の自分から

2008-11-15 | NO SMOKING
筑紫さんが亡くなった。追悼番組をみた。
癌告知後の笑っていない彼の映像の、正面を向いていない時の目の表情が、
同じ病の身近な人と似ていて、涙が止まらなかった。

学生時代「朝日ジャーナル」で、世界を知った。
筑紫さんは、今はこんな時代だと、教えてくれる信用できる大人だった。
憲法を守ろうと、マスメディアで、ちゃんと正面切って語る人が、どんどん消えていく。
終わらせてはいけないものが、この社会にはある。

若い頃は、何かに出会うたびに新たな座標軸が自分の中で生まれた。
それは、あの人ならこんなことしないだろう、とか
あの人ならこちらを選ぶだろう、などという単純な模倣であったりもした。
だから、何かに出会うたびに、ころころ変わっていく自分が、
はっきりとした自らの考えを持たない、とても頼りない存在にも感じていた。

仕事をしていた時、「あなたははっきりとものを言うから」と、言われた時は、意外だった。
いつのまにか、自分でひいていたライン。
これだけは譲れないと、追い込まれた時だけ、それは見えるような気がした。
それ以外は、論理的思考より、頼りない感性で、判断する、という生き方をしてきたと思う。
それで乗り切ってこれたのは、よほど自分は幸運だったのだ。
生活を守るためのぎりぎりの闘いをしなくて済んできたし、
社会の圧力で身近な人達を失うことなくきたという幸運。
でも、それはいつまでも続くわけがないという、怖れのような不安がいつも自分にはある。

たまに、自分の中での浄化作用として働く座標軸がある。
こんなことしてる私を母が知ったら、悲しむだろうな、とか
こんなことしてる自分をあの子達が知ったら、失望するだろうな、とか。
最近では、10代の自分が今の私を見たら、という座標軸を意識し始めた。

小さい文字が見えにくくなって、新聞を丁寧に読まなくなっている。
醜いものを見たくない。触れたくないものには触れないでおこう。
とでもいう生活態度に落ち込んでいるのだ。

「ベトナム戦争に反対しないのは、賛成してるということなんだ。」
と、悟った10代の自分が、ここにいたら、今の政治をただ傍観しているだけの自分をみて、きっと怒るだろう。
彼女の声が聞こえてくる。

「間違えていることを、間違えていると、どうして言わないんですか」

「税金の使い方、間違えています。
 一人1万2千円、て中学生のお年玉ですか。
 その予算、どうか出産費用無料化に回して下さい。
 戦争もしていないのに、
 女性が安心して子供を産めない国になっているのは、
 長く生きている大人の責任です。」
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聖地に入る

2008-11-06 | NO SMOKING
私には、憧れの歌がある。

♪いーつのことだか 思い出してごらん
 あんなこと こんなこと あーったでしょ
    
「思い出のアルバム」という幼稚園の卒業式の歌。
この歌を大きな声で歌う我が子を見て、よくぞここまで育ったものだと、
じーんとする、そんな母親になりたかった。

夏に行った「ダーウィン展」で、自分は生物の種としての義務を果たせなかったんだと、久しぶりにこの問題で落ち込んだ。
惑星移住計画が実現した時、きっと私は宇宙船には、乗る資格がない。
…北見のハッカ飴をやけ食いするくらいに、不幸になった。

でも、女王バチになれなくても、せめて、
次世代にエールを送ることのできる、働きバチにはなりたい。
飛び立つ宇宙船に向かって、大きく笑顔で手をふりたい。

先日、幼稚園という聖地に入った。
○十年前、自分がさくら組だった頃以来の憧れの地。
ここは明るい未来につながる聖地であってほしい。
清めのお砂場がある。ウサギさんのびっくり眼が見ている。
ワークショップのお手伝い。
お行儀のよい子が多い。中には自分の順番を守れない男の子や、
少しのことで泣き出す女の子もいる。
でも、みんな、何かしたい、やりたい、
前に進みたい、という気持ちでいっぱいなのが伝わってくる。
園児達がガムテープでロープにくっつけた色紙やスコップやお皿が
曇り空に、無事に舞い上がった。歓声が上がる。
同じ空を見ていても、みんながみんな、同じ方向を見ていない様子が楽しい。
帰り際、たくさんの小さな可愛い手と握手した。
膝は痛くなったが、心と身体はずいぶん軽くなる聖地だった。

園児たちは、一日ごとに育っていく。
今日の幸せが、彼らの体内に蓄積されて、明日の彼らをつくる。
小さき人達、幸せいっぱい詰め込んで、大きくな~れ。

      

フェンスの外側では、新しく黒人大統領が選出された。
「Change has come!」
…あなたが、世界を良き方向に変えることができますように。

さあ、私も何かを変えることができるかしら。
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Pちゃんの命

2008-11-04 | NO SMOKING
日本には菜食主義者って何人ぐらいいるのだろう。少なくても私の人生では、直接にはまだ一人しか接したことがない。塩分も砂糖もできるだけ摂らないその人は、この世で一番甘くて美味しいものは、茹でたニンジンだと私に教えてくれた。その時から私にとっても、ニンジンは、いつか最後の砦となるような、特別に大切な食べ物になった。お馬さんが大好きな理由がわかったような気がした。

シネリーブルで、「ブタがいた教室」(監督:前田哲)を観た。

                    

ある日、6年2組担任の星先生(妻夫木聡)は、子ども達に笑顔で言った。
「自分たちでブタを育てて大きくなったら食べよう」と。先生が抱いた子ブタはとても可愛い。
     
6年2組の26人は、校庭に小屋をつくり、ブタにはPちゃんと名付けた。エサと凄い匂いの糞の世話をした。Pちゃんの絵を描いた。Pちゃんとサッカーをした。夏休みには、好物のトマトを持ってきた。冬が近づくとPちゃんのマフラーを編んだ。
…そうして、Pちゃんは大きくなった。やがて近づく卒業、別れの時。

            

Pちゃんをどうするか?食べる?食べない?
それは、食肉センターに送るか、生かせる方法を探すか?の選択だった。

この子ども達の、真剣な、話し合いの場面が、本当に感動的だった。
役者である子ども達には、結末のない台本が渡されていて、
自分たちで、本当のディベートを行っている。

星先生は自分の意見を言わない。
あくまで子ども達に考えて話し合って決めることを要求する。
先生も、子供も辛い時間だ。
でも、考えなければ、自分たちで決めなければ。
自分たちで、ブタを育てた責任をとらなければ、という気持ちが溢れた場面だった。
この映画の成否を決する一回限りの迫力シーン、になっていた。

子ども達は一生懸命「食べない」理由を、「食べる」理由を、考えて、言葉にする。その場の話し合いの流れの中で、沸き上がる涙や、ふと漏らす一言。
「農家の人だって平気じゃないと思う」「食べるのと殺すのは違う」

…こういう場合、もし大人26人なら、もっと意見が出るだろうか。
いや、「もう、最初から決まっていたことなんだから」とか、「しょうがないんじゃない」とか、自分で決めるという責任を回避する人がきっと出るような気がする。
映画では子ども達も先生も逃げなかった。

私はどうか。
観た後のアンケートで、私は「食べない」に投票した。
Pちゃんと名付けた時点で、あのブタさんは、食べる対象ではなくなってしまったのだ。

でも、私はずっと今まで、Pちゃん達を食べて生きてきた。
自分の身体の一部は他の生き物の命でできている。
正直に言うと、私は鶏の皮・骨の付いているものが、調理できない。
鶏は想像できるからだ。首の骨を砕いて羽根をむしる作業を。
ブタや牛はどうか。肉片から、食肉センターの中を想像することに、ブレーキかけている。トレーの中には生きていた証しの血が滴っているのに。
勝手なのだ。自分が生きていくために、かつて生きていたものを食べているのに。
自分が殺したのではない、誰かが殺してくれたから、平気で食べている。
それらが当然食べるものとして、目の前にあるから、食べることができる。

せめて、他の生き物の命と自分が繋がっていることを、
そして、誰かのおかげで、自ら手を下さずに、食べ物を手にしていることを、
忘れないように、残さず食べよう。
そして、今や低タンパクのドクター指示が出てるので、できるだけ、野菜中心の食生活に変えていこう。

女の子が先生に聞いた。「命の長さを誰が決めるの?」
…普段は忘れ、ずっと心のどこかに持ち続けて、
 答がないのはわかっているけど、切実な時に思い出す問。
  
          
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キンモクセイ

2008-10-06 | NO SMOKING
今朝、窓を開けたら、どこからか、キンモクセイの香りが漂ってきた。
雨上がりの今日は、2期制の単位制高校の秋の入学式。
校長先生は「桜の花満開の下、君たちを迎え…」とではなく、
「キンモクセイの香る秋空の下、君たちを迎え…」と挨拶したのだろうか。
それもいい、ピンク色ではなく金色の香りが祝っている。

先週、茶碗・箸・医者・椅子…身の回りのあらゆるもので、詰め碁をし始めた父には、病院の庭で丸くなっている犬さんも、碁石に見えるのだろうか。

       

     「いいな、おまえ(犬)は」という普段の彼の声を真似してみる。

 ~秋 どこかで石英のぶつかる音がする~

誰の詩だったのか忘れたけれど、頭の中で何かがぶつかっているのかもしれない。
澄んだ空気の中か、澱んだ空気の中か、黒白の碁石がぶつかっている。

戦時下の旧制中学の入学式は、どんな風だったのだろう。
28年後、私も父と同じ学校(高校)に入学した。
その日、母が、黒絵羽織にチューリップの柄の帯をしめていたこと以外、
覚えていない。新入生挨拶なんかしたというのだけれど…
長い時を経た後、自分が何を覚えているのか、自分にもわからないのだ。
桜の花やチューリップの花を見るたびに、気付かないけど、その時の幸福感は、自分の内部で自然に沸き上がっているのだろうか。

将来、自分が「せんもう」状態になった時は、何を怖れるのだろう。
何を大切にするのだろう。
そんな時でも自分が守ろうとするものは何だろう。
父にとっての囲碁は、私にとっては何だろう。

私にとって、キンモクセイは、自動販売機のホットココアを友達と飲んでいたキャンパスの幸せな青春時代を思い出す幸せな香り。
今日入学式を迎えた新入生にとって、キンモクセイの香りがいい思い出に繋がりますように。
そして
父にとって、キンモクセイの香りが幸せな記憶と結びついていますように
                             …祈る秋。
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フィッシュカツ

2008-08-14 | NO SMOKING
徳島の田舎で育った私は、子供の頃、頻繁に食卓に上った豆腐とそうめんが嫌いだった。
スーパーなどなかった田舎で売られていた豆腐は、キャッチボールができるほど固いものだった。父の好物だったため、ほぼ毎日食卓に上ったが、私は表面の木綿のチェックの地模様を見ていると食べる物ではないような気がしてくるのだった。
絹ごし豆腐に出会ったのは、大学時代県外に出て自炊を始めた時だった。豆腐がこんなに美味しいものだと初めて知った。今、麻婆豆腐を作るときでも、私は木綿豆腐は使わない。

夏の昼ご飯としてほぼ毎日のように登場した半田そうめんは、全国的に言うと、ほぼひやむぎに相当する太さで、中に数本入っているピンクや緑を食べてしまうと、すぐに食べる意気込みを失った。
大学時代に母から送られるありがたい荷物には時々半田そうめんが入っていた。おすそわけした友人は、これを焼きそばのように調理した。そうめんの太さではないと認定されたのだ。そして、彼女がそうめんはこれだと作ってくれた「揖保の糸」の繊細さに驚いた。これは、別世界のものだと思った。
その時から現在に至るまで、夏の昼の主食は「揖保の糸」である。

このように、田舎育ちの私は、徳島の田舎生まれの食べ物に背を向けて、生きてきたのだけれど、何処にいても、これだけは、絶対なくてはならない故郷の味がある。
それは「すだち」。田舎の家にはこの木があって、もうすぐ収穫の時期だ。
あらゆるものにかける。味噌汁の苦手な私もこれを絞ると完食できる。

そして、「フィッシュカツ」である。
高校時代、お弁当のおかずによく入っていた。
カレー風味のピリリとした後味の厚さ5ミリくらいの練り物に衣をつけて揚げた、カツというには、余りにも嘘っぽい、安いお惣菜である。
なくてはならないというのではないが、徳島を離れたら、売っていなかった。県外では作られていない、実にローカルな食べ物だったのだ。少し恋しくなった。
だから、徳島に帰るたびに、高速鳴門のバス案内所の横のコンビニで売られている「小松島カツ」を、お弁当のおかず用に買って帰る。ついでに、エビ竹輪も。

夫のお弁当を作って2年、最近は作るのが楽しくなった。

 
    フィッシュカツ入ってます         
      
 

 
                            フィッシュカツ入ってます 

~「信じられない」って言ってたTさん、私、本当に毎日愛妻弁当作ってるでしょ。 
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思い出した言葉

2008-07-18 | NO SMOKING
「生きてますか~?」と友人から電話があった。
そういえば、もう3週間もブログを更新していない。
久しぶりにアクセス解析というのを開くと、このサボりブログに、
なんと、毎日50人くらいの方が、訪れて下さっていた。
すみません、暑さ厳しき折に、無駄足踏ませて。

情報発信するわけでもなく、自分が残しておきたいことを書くという極めて個人的な、いわば思い出ブログなので、更新しなければというプレッシャーはない。
ブログを始める時、気の滅入ることは無し、フレッシュな気分で、肯定的で、楽しいことを書こうと、決めた。どうやらそれが、Around 50 の切実な現実の生活の中で、少し高いハードルになってきたのかもしれない。
楽しいことが見つからないわけではないけれど、言葉にすると、どんどん自分を追い込みそうな予感がずっとこのところしていた。
しかし、そんな今日、突然、思い出した言葉があった。

もう、遠い記憶になりつつあるけれど、
「しあわせ探しの上手な人になろう」と、
「継続は力なり」
これを自分の座右の銘にしようとしていた時代があった。

「しあわせ探しの上手な人になろう」は私の言葉。とても儚そうで一見乙女チックで、ささやかそうだけど、実は大きな視野と異なる視点という、力わざを必要とする。

「継続は力なり」は、ベーコンの言葉と言うより、イチローさんの言葉という印象が強い。イチローさんはまだ、頑張っている。ということは、この言葉も力強く生きている。

    イチロー若い!

彼はどんどん自分でハードルを高くしていくけど、体力のない私は少しハードルを低くする。越えられるからハードルだ。壁をつくってはいけない。
壁があると、向こうが見えないし、風を通さない。

今日突然、この二つの言葉を思い出したのは、ある人との会話がきっかけだった。

昨日ついに、マンションの改修工事のタワーと覆いが、北側も完全撤去された。
これで日中も、全開して風が通る。吹けよ、シンパラム♪
ただ、問題が一つ。
工事の前は、確か無事だった北側のエアコンの排水ホースが粉々になっていた。
写真を撮って、本部テントに行き、工事責任者を探す。
仕事の現場では、地位の高い人ほど、外部の人に対して腰が低い。
あの人だ、と狙いをつけて話しかけた。ピンポン!彼が現場監督だった。
「劣化してる所を作業員が動かして破損したのでしょう。明日伺います。」という返事をもらったが、10分後「大きな仕事が終わりましたから」と、彼がやってきた。「エアコン使えないまま、申し訳ありませんでした」と言って、ついでに、ヒビの入っていたエアコン穴周りもささっと粘土で新しく固めてくれた。
手際のいい作業を見ながら、「工事中、地震も台風もこなくて良かったですね。」と言ったら「おかげさまで、無事故で順調に進んできました。」と陽に焼けた顔の現場監督がニッコリと笑った。
交換修理が終わった後、私の口から「ありがとうございました。あと少しですね、頑張って下さい。」と励ましの言葉が自然に出てきた。また、現場監督の笑顔が返ってきた。

久しぶりに、自分が他人を励ますことができたという小さな喜びが、まだまだ、Around 50 の日常生活の中でも、できることは無限にあるという、大げさな感動に結びつき、突然「しあわせ探しの上手な人になろう」という言葉を思いだしたのだ。

ついでに、「継続は力なり」という言葉も思い出した。
私の場合、何の力かわからないけど、とりあえず、イチローさんが引退するまで、ブログを続けてみようかな、なんて思ったりしている。
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古本市で出会ったものは

2008-04-03 | NO SMOKING
夫は古本市があると、宝の山に向かうように意気揚々と、出かける。
「冷たい雨ね…」と、妻は傘を差してとぼとぼついていく。
そこにはかなりの温度差があった。でもやはり行ってみるもの。

神戸サンボーホールの「ひょうご大古本市」
~古本市なのに、美しいソプラノが、場内に流れてる。
どうやらミニコンサートが開かれているらしい。

♪深川和美さんの「音楽の玉手箱」
会場の隅っこで、パイプ椅子並べた飾らないコンサートだ。
各地で童謡サロンを開いているという彼女は、とてもキュートで、素敵な歌声。
彼女の背景の窓ガラスの向こうには雨の中歩道橋を傘さして歩く人々の姿が小さく見える。
ギターの田村君(彼女がそうよんでいた)とのパワフルで楽しいコンビ。

…突然、静かになった。
ところどころセロテープで補強した長い型紙を、手回しオルゴールに差し込んで、自分でそっと回しながら深川さんが歌い始めた。

♪ わたしの頬は ぬれやすい  わたしの頬が さむいときあの日あなたが かいたのは なんの文字だか しらないがそこはいまでも いたむまま 

        (『 霧と話した』 鎌田忠良作詞 中田喜直作曲)

手回しオルゴール…それは、霧の中の哀しい恋物語にふさわしい伴奏だった。

その後、もの凄く懐かしい、ほぼ忘れかけてたベトナム反戦歌、
そして、古本市に流れる曲として、こんなふさわしい歌はない、
という気がするこの曲を彼女は歌った。

   ♪『死んだ男の残したものは』(谷川俊太郎作詞、武満徹作曲)
       
1.死んだ男の残したものは ひとりの妻とひとりの子ども
  他には何も残さなかった 墓石ひとつ残さなかった

2.死んだ女の残したものは しおれた花とひとりの子ども
  他には何も残さなかった 着もの一枚残さなかった

3.死んだ子どもの残したものは ねじれた脚と乾いた涙
  他には何も残さなかった   思い出ひとつ残さなかった

4.死んだ兵士の残したものは こわれた銃とゆがんだ地球
  他には何も残せなかった  平和ひとつ残せなかった

5.死んだかれらの残したものは 生きてるわたし生きてるあなた
  他には誰も残っていない   他には誰も残っていない

6.死んだ歴史の残したものは 輝く今日とまた来るあした
  他には何も残っていない  他には何も残っていない


古本市で、私は谷川俊太郎さんの詩集「空に小鳥がいなくなった日」を見つけた。
1974年、谷川さん43才の頃の詩集。
  
      『朝』

  また朝が来てぼくは生きていた 夜の間の夢をすっかり忘れてぼくは見た
  柿の木の裸の枝が風にゆれ 首輪のない犬が陽だまりに寝そべってるのを

  百年前ぼくはここにいなかった 百年後ぼくはここにいないだろう
  あたり前な所のようでいて 地上はきっと思いがけない場所なんだ

  いつだったか子宮の中で ぼくは小さな小さな卵だった
  それから小さな小さな魚になって それから小さな小さな鳥になって

  それからやっとぼくは人間になった 十ヶ月を何千億年もかかって生きて
 そんなこともぼくら復習しなきゃ 今まで予習ばっかりしすぎたから

  今朝一滴の水の透きとおった冷たさが ぼくに人間とは何かを教える
  魚たちと鳥たちとそして ぼくを殺すかもしれぬけものとすら
  その水をわかちあいたい


表題作『空に小鳥がいなくなった日』は次の言葉で終わる。
  
  空に小鳥がいなくなった日 空は静かに涙した
  ヒトは知らずに歌いつづけた

空に小鳥がいなくなった地上のどこかは存在する。過去にも現在でも。
花が、緑が無くなった地上のどこかでも生きようとするヒトは存在する。

雨があがって、公園の満開の桜の下に遊ぶ子ども達を見ながら、
小鳥鳴き桜咲く春が、彼らの未来にも毎年訪れますようにと、つい祈ってしまう。
  
      

谷川さんは、空に小鳥がいなくなった日でも、詩を作り続けるだろう。
古本市で詩人の歌に出会った私は、なぜか満開の桜の木の下で、
百年前の桜の木の下にも自分はいたような、
百年後の桜の木の下にも自分はいるような気が、する。
コメント (4)
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