2016リオデジャネイロ・オリンピックが終わった。1964東京オリンピックの時は開会式を見ながら世界地図で国名を確認し、国旗を覚えようとした。百均ショップのなかった当時の小学生は、運動会の度に万国旗を描かなければならなかった。もちろん日本が一番簡単だった。21個も星のあるブラジルは大変だった(現在27個)。東京の時は参加国・地域は93だったけど、リオでは213、と倍以上に増えている。チェコスロバキアという国も、今はチェコとスロバキアになっている。
オリンピックの後、市川昆監督の映画『東京オリンピック』が、全国の小学校を回って上映された。単なる記録映画ではない。脚本には谷川俊太郎も参加している。映画のヒロインは、チェコスロバキアの女子体操個人金メダリストのベラ・チャスラフスカ(1942~)。彼女の平均台の上のV字バランスは美しかった。床の上ならできるもんね、と少女達は真似をした。(あの頃はできたもん!)
1968年、彼女は「プラハの春」とよばれた民主化運動への支持を表明して「二千語宣言」に署名したため、同年8月のワルシャワ条約機構軍の侵攻後、身を隠す。なんとか出国した秋のメキシコオリンピックでは、ソ連の選手との熾烈な戦いを経て、彼女は個人総合で金メダル、女子体操の6種目すべてでメダルを獲得した。その後も彼女は「二千語宣言」への署名撤回を拒否し続けたので、国内では困難な状況にあったらしい。が、そんなことは知らずに私は大人になった。
彼女に再会したのは、1989年、チェコスロバキアのビロード革命を伝えるTVのライブ映像だった。群衆の歓声の中、広場のバルコニーに懐かしい彼女が登場した。V字バランスが蘇って胸が熱くなった。
チャスラフスカに次いで、大学時代に私が知ったチェコ人は、カレル・チャペック(1890~1938)。『山椒魚戦争』1936という創元推理文庫で、ナチスの台頭を風刺したSF作家として彼を知った。ロボットというのは、チェコ語の<ロボタ(仕事・労働)>から、チャペックがつくった「人造人間」という意味の造語である。痛烈な社会風刺で、未来を予言するSF作家だった。
その後『長い長いお医者さんの話』1931(岩波少年文庫)『園芸家12ヶ月』1929(中公文庫)というユーモア溢れる挿絵の、不思議に面白い本が私の本棚に加わり、彼が常に様々な分野への発信源であることを知った。的確な線で挿絵を描いたのは、カレルの兄、ヨゼフ・チャペック(1987~1945)。1939年チェコにナチスが侵攻する前にカレルは病死し、兄ヨゼフは強制収容所で亡くなっている。
この夏の芦屋市立美術博物館の「チェコ絵本をめぐる旅」展には、カレル・チャペックの『ダーシェンカ、あるいは仔犬の生活』も登場。『長い長いお医者さんの話』の中の「郵便屋さんの話」の原画が登場している。85年前の原画には、白い修正液も塗られていて、私の持ってる1976年の岩波少年文庫の茶色くなった紙面より、はるかに鮮明な絵だった。
~岩波少年文庫『長い長いお医者さんの話』より
…郵便局に宛名のない手紙が投函された、手紙にどれだけ愛が詰まっているかわかる郵便局の妖精によると、それはボブからメアリへの最高の愛が込められたプロポーズの手紙、郵便屋さんは国中歩き回ってメアリを探す。1年と1日が経った時、悲しい顔の運転手に出会った…
挿絵のマイルストーンが31から880になっていることに今回、原画を見て気がついた。ヨゼフ兄さんの表現は細かい。
展覧会に出品されているチェコの絵本作家は12名で、女性はグヴィエタ・パツオフスカー、ミハエラ・クコヴィチョヴァー、アルジュビェタ・スカーローヴァー、エヴァ・ヴォルフォヴァー、マリエ・シュテファンフォヴァーの5人。
この内、赤い色遣いが印象的なグヴィエタ・パツオフスカーは、知っていた。
『子どものカラー・オペラ』
『赤い雨』
~「ちひろと世界の絵本作家たち」展で求めたポスト・カード
今回は彼女の絵本数点と自分の展覧会のポスターが6点出ている。ポスターがいい。日曜日のないカレンダー、繋がりそうで繋がらない円など、微妙な線の途切れや図形の傾きが絶妙。赤と黒という強い色でピシッと決めている。
ところで、彼女以外は、姓の方が全員語尾がヴァーで終わっている。調べたら、チェコでは、女性の姓は、父の、結婚したら夫の姓の後ろに「ova」がつくという。「ova」の元の意味は、「~のもの」。つい『更級日記』の作者が菅原孝標女なのを思い出してしまう。
チェコ語では、男性女性によって、動詞も形容詞も変化するから、男性か女性かわからないと、会話がしにくくなるらしい。チェコの新聞記事に載る浅田真央ちゃんは、「MAO ASADOVA」(アサドヴァー)だった。
チェコでオリンピックがあったらどうなるのだろう?
あっ、グヴィエタ・パツオフスカーもベラ・チャスラフスカーも、カーで終わっている。ということは、ダーシェンカも女の子ですね。(細かい事はとばして)
会場のメッセージボードには、可愛い絵がたくさん貼られていた。
オリンピックの後、市川昆監督の映画『東京オリンピック』が、全国の小学校を回って上映された。単なる記録映画ではない。脚本には谷川俊太郎も参加している。映画のヒロインは、チェコスロバキアの女子体操個人金メダリストのベラ・チャスラフスカ(1942~)。彼女の平均台の上のV字バランスは美しかった。床の上ならできるもんね、と少女達は真似をした。(あの頃はできたもん!)
1968年、彼女は「プラハの春」とよばれた民主化運動への支持を表明して「二千語宣言」に署名したため、同年8月のワルシャワ条約機構軍の侵攻後、身を隠す。なんとか出国した秋のメキシコオリンピックでは、ソ連の選手との熾烈な戦いを経て、彼女は個人総合で金メダル、女子体操の6種目すべてでメダルを獲得した。その後も彼女は「二千語宣言」への署名撤回を拒否し続けたので、国内では困難な状況にあったらしい。が、そんなことは知らずに私は大人になった。
彼女に再会したのは、1989年、チェコスロバキアのビロード革命を伝えるTVのライブ映像だった。群衆の歓声の中、広場のバルコニーに懐かしい彼女が登場した。V字バランスが蘇って胸が熱くなった。
チャスラフスカに次いで、大学時代に私が知ったチェコ人は、カレル・チャペック(1890~1938)。『山椒魚戦争』1936という創元推理文庫で、ナチスの台頭を風刺したSF作家として彼を知った。ロボットというのは、チェコ語の<ロボタ(仕事・労働)>から、チャペックがつくった「人造人間」という意味の造語である。痛烈な社会風刺で、未来を予言するSF作家だった。
その後『長い長いお医者さんの話』1931(岩波少年文庫)『園芸家12ヶ月』1929(中公文庫)というユーモア溢れる挿絵の、不思議に面白い本が私の本棚に加わり、彼が常に様々な分野への発信源であることを知った。的確な線で挿絵を描いたのは、カレルの兄、ヨゼフ・チャペック(1987~1945)。1939年チェコにナチスが侵攻する前にカレルは病死し、兄ヨゼフは強制収容所で亡くなっている。
この夏の芦屋市立美術博物館の「チェコ絵本をめぐる旅」展には、カレル・チャペックの『ダーシェンカ、あるいは仔犬の生活』も登場。『長い長いお医者さんの話』の中の「郵便屋さんの話」の原画が登場している。85年前の原画には、白い修正液も塗られていて、私の持ってる1976年の岩波少年文庫の茶色くなった紙面より、はるかに鮮明な絵だった。
~岩波少年文庫『長い長いお医者さんの話』より
…郵便局に宛名のない手紙が投函された、手紙にどれだけ愛が詰まっているかわかる郵便局の妖精によると、それはボブからメアリへの最高の愛が込められたプロポーズの手紙、郵便屋さんは国中歩き回ってメアリを探す。1年と1日が経った時、悲しい顔の運転手に出会った…
挿絵のマイルストーンが31から880になっていることに今回、原画を見て気がついた。ヨゼフ兄さんの表現は細かい。
展覧会に出品されているチェコの絵本作家は12名で、女性はグヴィエタ・パツオフスカー、ミハエラ・クコヴィチョヴァー、アルジュビェタ・スカーローヴァー、エヴァ・ヴォルフォヴァー、マリエ・シュテファンフォヴァーの5人。
この内、赤い色遣いが印象的なグヴィエタ・パツオフスカーは、知っていた。
『子どものカラー・オペラ』
『赤い雨』
~「ちひろと世界の絵本作家たち」展で求めたポスト・カード
今回は彼女の絵本数点と自分の展覧会のポスターが6点出ている。ポスターがいい。日曜日のないカレンダー、繋がりそうで繋がらない円など、微妙な線の途切れや図形の傾きが絶妙。赤と黒という強い色でピシッと決めている。
ところで、彼女以外は、姓の方が全員語尾がヴァーで終わっている。調べたら、チェコでは、女性の姓は、父の、結婚したら夫の姓の後ろに「ova」がつくという。「ova」の元の意味は、「~のもの」。つい『更級日記』の作者が菅原孝標女なのを思い出してしまう。
チェコ語では、男性女性によって、動詞も形容詞も変化するから、男性か女性かわからないと、会話がしにくくなるらしい。チェコの新聞記事に載る浅田真央ちゃんは、「MAO ASADOVA」(アサドヴァー)だった。
チェコでオリンピックがあったらどうなるのだろう?
あっ、グヴィエタ・パツオフスカーもベラ・チャスラフスカーも、カーで終わっている。ということは、ダーシェンカも女の子ですね。(細かい事はとばして)
会場のメッセージボードには、可愛い絵がたくさん貼られていた。