星降るベランダ

めざせ、アルプスの空気、体内ツェルマット
クロネコチャンは月に~夜空には人の運命の数だけ星がまたたいている

「無音の伝言ーKIZUNA-」

2006-11-25 | 劇空間
兵庫県立芸術文化センターの2F入り口には、ブールデルの「嵐の中のベートーヴェン像」がある。ホールに入ったら、そこにも彼はいた。君はいつも苦悩してるねぇ。
震災前王子動物園前に建っていた兵庫県立近代美術館の常設コーナーで、彼はロダンの小さな「接吻」という情熱的なカップルを、斜め上から、じっと見下ろしながら、嵐に耐えていた。耳が聴こえなくなるということがどういうことか、さして想像できないまま、ベートーヴェンの人生はきっとこんなんだったんだなぁ、嵐は外にも、彼の中にも吹いてるんだ、とその時思った。

近畿高校総合文化祭で、奈良県立ろう学校高等部の演劇部創作の「無言の伝言ーKIZUNA-」を観た。字幕付きの上演である。廃校になったろう学校を、遙と恵、淳に涼に拓の5人の卒業生が訪れる。遙と恵のわだかまりがとけていく展開。パントマイムが上手い。最初にあるダンスシーンはちゃんと音楽にあっていた。きっと凄い集中力を必要とするのだろう。ときおり聞こえる恵ちゃんの喉からもれる声がせつなく心をとらえる。途中から字幕は見ないで彼らの表情を追ってしまった。

手話は相手に伝えたいんだという気持ちと、あなたのいいたいことちゃんと受け止めるから、という気持ちがないと成立しない言葉である。

私は10年くらい前に、耳の聴こえない若いカップルの結婚披露宴に招かれた。それは今までに参加した披露宴の中で、最も感動的なものだった。
新婦は、大きな瞳が輝いてるよく笑う頑張り屋さんだ。普通高校で3年間、手話のできない私の口元をいつも真剣に見つめていた。時々嵐が彼女の中で吹いてるかもしれないと思うこともあった。彼女のおかげで未熟な私が、正確にはっきりと話すことを自分に課すことで随分成長したと思う。
披露宴会場には2人の手話通訳ボランティアの方がいて、スピーチをする私の言葉が、次々に手話に訳されていく。笑いが広がるシーンもあって正確に通訳されてることがわかった。みんなの集中が伝わってくる。嬉しかった。ここにいる人たちはみんな全員、心から二人の結婚を祝ってるんだって実感できた披露宴だった。
お母さんになった彼女の双子の娘達は、この春元気に小学生になった。

淳くんは、プロの役者を目指しているらしい。大丈夫、君の夢を追いかけて。
耳が聴こえなくなったベートーヴェンだから、あのような曲を作れたんだ。
きっと君にしかできないことがある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「太陽の箱」

2006-11-24 | 劇空間
兵庫県立芸術文化センター中ホールで、近畿高等学校総合文化祭が開かれている。
ドキドキわくわく感を味わおうと思ったら、高校演劇は最高。
特に生徒脚本の作品は、何が出てくるか、楽しみ。
演技力のつたないものでもそれなりの楽しみ方があって、最後までどう展開するか、はらはらしドキドキしながら観れるのだ。頑張れーってどうしても気合いが入る。

しかし、近畿大会である。地区予選を勝ち抜き、県大会を勝ち抜いて、稽古不足であっても、ここにくるまでに、2回は、大舞台を経験した強者が集まっているのだ。特に今回は、兵庫県立芸術文化センターという、素晴らしいホールの大舞台である。

その大舞台のトップバッターとして、登場したのは、兵庫県立西宮今津高校演劇部の「太陽の箱」。~高校生の枠を超えた華麗な舞台であった。高校3年生の春山昌紀君の作・演出・主演である。

冒頭から、オペラの楽曲にあわせて白塗り・白装束の舞。音楽も舞台装置もいい。中央には赤い太陽、その赤さと紙で作ったと思われる白い衣装のコントラストが相乗効果を上げている。時折、黒子の操る蝶々が舞う。

時は南北朝末期、太陽の箱とは三種の神器を示す。春山君が演じるのは、悩める南朝の帝。偽りの北朝に三種の神器を渡すまいと画策する内侍役の加藤綾香さんはセリフも立ち居振る舞いも宝塚級である。帝が神ではなく人間であり、太陽の箱の中には何も入っていないことになれば、日本の歴史は成り立たない、という立場の、三島由紀夫も登場。最後に春山君は蝶々を愛するヒロヒトさんも演じる。「あ、そう」なのだ。

演劇界での「春山ワールド」の誕生に立ち会った気がする。次は入場料払って見に行きますよ。

近畿大会は次の舞台を準備する幕間に、今演じた部の紹介がある。会場内からの質問に応える楽しい演出である。白塗りの化粧には1時間近くかけたという。とにかくお疲れさ~んでした。素晴らしい舞台だったよー。
ロビーの彼らは最高の笑顔だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子猫をお願い

2006-11-23 | ネコの映画・ドラマ
監督チョン・ジェウン 2001年
出演:キジトラ白の子猫
   ペ・ドゥナ、イ・ヨウォン、オク・ジヨン、イ・ウンシル、イ・ウンジュ

無名の女性監督が撮った映画で、同じ年の「猟奇的な彼女」を抑えて韓国の女性達が1位に選んだという。「猟奇的な彼女」はその年のBest1の映画であった私としては、これは絶対観なくてはいけない。

今まで韓国ドラマには出てこないなぁ、韓国にはいないのかしらと不思議に思っていた待望のネコちゃんが、思いっきり可愛い姿で登場する。子猫を胸に抱くときの少女の掌の温もりと心の寂しさが伝わってくる。テヒ(ペ・ドゥナ)の目がいい。

~居場所は与えられるようなものではない。
 居場所が欲しければ自らの手でつくりだすしかないのだ。~

高校を卒業後、それぞれ自分の居場所を求める女の子の物語だ。これを観ながら私は、今より10キロ軽かった20歳の頃の自分を、思い出していた。

20歳の夏休み、アルバイトの長引いた私は、周りの友人達が帰省した下宿に一人残っていた。田舎に帰るの面倒だなぁなどと思いながら、父母の顔を思い浮かべているうちに、突然、父も母も絶対的にそこに存在しているものではないことに気づいた。

それまでの私が、彼らの存在への疑いを持ったのは、夢の中でだけ。
それは、大きな駅で母と違う列車に乗ってしまい「禁じられた遊び」のラストシーンのように雑踏の中で母を呼んでいる自分の声で目覚めるという夢と、
学校から家に帰ったら、庭で水撒きしてる父とそばで草取りしていた母が、「あなたは誰?」と私を全く知らない子供として迎えた夢。
…どちらも、涙で目が覚めた。幸せな子供だったのだ。

20歳の夏、下宿のベッドの上で、父母が、私の父母になる前にも生きていて、25年前には20歳の頃の父や母がいたという事実に、なぜだか初めて気がついた。
母は、神戸の空襲で焼け出されなかったら、四国の農村で生まれた父には出会わなかっただろう。私が生まれた可能性より、生まれなかった可能性の方が、ずっとずっと大きかったのだ。

私を捨てて母が出て行った可能性だってあったことや、これからも二人は自分の人生を選ぶ権利があることや、いろんなことを考えているうちに、私は自分の居場所は自分でこれから見つけていくしかないことを悟ったような気がする。
その時、自分は孤独だと感じ、そして自由だと思った。

「子猫をお願い」の中の彼女達は、自分の居場所を一生懸命求めている。
ラスト・シーン、旅立つテヒとジヨン…孤独と自由を手に入れた20歳の顔は、緊張して不安だけど、輝いている。
あの頃私もこんな顔をしていたのだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「猫を食べちゃう本!?」

2006-11-19 | ネコの本
星野みなみ著 (双葉社)1994年

「料理なんて毎日作ったら旦那はそれがあたりまえだと思って
 感謝なんかしなくなるの。
 たまに作ると、すごい凄いと感謝されるのよ。」
なんて、うそぶいてた不良主婦の私だけど、
たまに、これ食べてもらいたいなぁと思うことがある。
それこそ、た~んまにだけど。

この本に出てくる「おいニャリずし」、
向こう向いてチョコンと座るのは
甘辛くたいたあぶらげに身を包んだお稲荷ネコさん、

首にはかんぴょうのおリボン、つけてる。
この座り姿の可愛いこと。
それになんといっても、美味しそうなのだ

忍耐強い旦那様、
いつか、お弁当箱開けてこれが出て来る日を楽しみにしていて下さい。
いつかね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ティファニーで朝食を

2006-11-17 | ネコの映画・ドラマ
監督ブレイク・エドワーズ  1961年
出演 名前のないネコ(ただキャットと呼ばれている、茶色のタビー)
   オードリー・ヘップバーン、 ジョージ・ペパード

朝の静かな5番街、ティファニーの豪華なショーウィンドウの前でイブニングドレス姿でパンを食べる、という最初のシーンで、ホリーにノックアウトされる。
しかし、存在感からいうと、相手役のポールをはるかに上回っているのが、ホリーの飼ってる「名もないネコ」さん。
そう、実はこのネコさん見たさに何度も観る映画なんです。

まずは、「誰か来てるよー」って寝ているホリーを、背中モミモミで起こす登場シーンが可愛いの。
騒がしいパーティーでは、客の肩の上を自由に渡り歩く。しっぽがいい。
ホリーが冷蔵庫を開けると、必ずどこかから現れる…気紛れなホリーのそばでは好機を逃しちゃダメだって自覚してるのね。
ポールが窓から侵入しそうになると、ベッドの上から激しく威嚇します。
無理して赤いセーター編んでるホリーを、壁のバイソンの頭の上から見下ろす時は、冷たい視線のような気が…。
そして、なんと言っても、びしょぬれ演技のラストシーンが素晴らしい。

大好きなニューヨークを捨てる決意をしたホリーは、
タクシーのドアを開けてネコを雨降る街に放してしまう。
…突然不幸のどん底に堕ちたネコさん、冷たい雨に濡れ、情けなく震えてる。

でも結局、ホリーは降りしきる雨の中、名前のないネコを必死に探すの。名前はこんな時必要です。この時ネコさんは失いそうになったホリーの愛の象徴。

(いない、どこかにいってしまった。私は大切なものを失ってしまった…)ってホリーが泣きそうになったその時…「ニャーオーン」

ラストは、もうこのネコちゃんなしには成立しないキスシーン。
ムギュッていう音が聞こえてきそう。
「苦しいけど幸せかなぁ?」ってこっち向くネコさん
…あなたなしには成立しなかった映画だわ。

それにしても♪ムーン・リバー はなんて美しい曲なんだろう。
  ♪ただよう二人 世界をみようと 胸を弾ませて 
   共に追う 遙かな虹 その河のほとりに立つ 幼い思い出の友
   ムーンリバー 心の夢

ただし、滑稽に戯画化された日本人の管理人…この映画見るたびに悲しくなる。60年代のアメリカ人の日本人感が現れているなぁ。謙さん、ガンバレ!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「しましまのおひげちゃん」

2006-11-16 | ネコの本
                           

   詩:サムイル・マルシャーク  絵:ウラジーミル・レーベジェフ
  「幻のロシア絵本」復刻シリーズ4 (@museum) 2004年 

芦屋市立美術博物館で2年前開催された「幻のロシア絵本」展のおまけ、が売店に残っていた。発音さえもわからない言葉で書かれた本だけど、あまりにもその表紙の仔猫さんが可愛かったので連れて帰ってしまった。12ページの紙芝居のような絵本である。

図書館で探したら、童心社の「おひげのとらねこちゃん」という訳本があった。
幼い女の子が、まだ名前もつけてない仔猫の世話をする。仔猫は気ままでなかなか女の子の思うとおりにはいかない。
仔猫をショールにつつんで外に出た女の子にみんなが聞くの。
抱っこしてるのだあれ?…わたしの赤ちゃんよ。
どうしてこのこのほっぺはねずみ色なの?…ずっと顔を洗ってないの。
どうしてこのこはけむくじゃらでおひげが生えてるの?…ずっとひげをそってないの。
そのとき、仔猫がぱっと飛び出した。
…やがてお馬鹿さんの仔猫も賢くなって、女の子も1年生になりました。
というお話。

1920年代、誕生したばかりの社会主義国ソ連で、詩人達は、子供達に希望を語った。超一級の詩人と画家がタッグを組んで、未来を夢見ていた。すなわち、子ども達のための絵本をつくっていた。

マルシャークといえば、ミュージカル「森は生きている」の彼である。
中身は忘れたけど小さい頃出会ったこの「森は生きている」というフレーズは、強烈なインパクトがあって、なにか自分を勇気づけた言葉であった。

1930年代、資本主義国がまさに恐慌をきたした頃、希望の国のはずのソ連で、詩人達の絶望が始まる。
「子供たちよ、灯台のようであれ!闇に苦しむ人々のため光で進路を照らすんだ」と『夜の海を照らす孤独な灯台』で書いたウラジーミル・マヤコフスキーはピストル自殺をする。

希望の国ではなくなったソ連。
でもこの絵本の表紙を眺めてると、こんな仔猫を抱いた少女が、どんな時代にも、ロシアにはずっといることが伝わってくる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

11月のあおい空

2006-11-09 | 私の星々
こんなに晴れた秋の日にS君は灰になった。
1985年6月23日に生まれた彼は、
2006年11月6日「翔けていってしまいました」(お父さんの言葉)

21歳、クロネコチャンより短い人生。
その内の16~18歳の彼と、私は1週間に3度くらい顔を合わせていた。
袖口のボタンを自分で止められない、シャイな、言葉を選ぶ高校生だった。
会わなかったこの3年間で彼に何があったのか?

お葬式の後、駐車場で、さっきまで涙を流していた彼の大学の同級生達が、
あおい空を見上げて笑っていた。彼らは生きてる。
S君は、彼らと何を話し、何を話さなかったのか?

…わからないまま、今日、彼を見送った。

韓国ドラマ「勝手にしやがれ」で、
脳腫瘍のできたボクスは、俺は生きたいという。

「死ぬってことは、世界を捨てるってことでしょ。
 生きるっていうのは、世界を変えることなんです。」


S君は短い人生で自分がやったことに絶望したのか
やれなかったことに絶望したのか
後者だとしたら、私は彼と過ごした時間に
何にも彼に伝えてなかったことになる。

11月の青い空に3年前の君の笑顔が吸い込まれていく…
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする