星降るベランダ

めざせ、アルプスの空気、体内ツェルマット
クロネコチャンは月に~夜空には人の運命の数だけ星がまたたいている

緑の箱

2009-04-25 | 五七五
毎日伸びている。風景が緑っぽく変わっていく。
建物はやがて緑に覆われる。    
      
       

       美術館 息するものに変貌する


美術館の屋上から、南には海、北には山が、すぐそこに見える。

 

海と山の間で、緑の狭間に生きている。

360度の風景の中に立つと、人は自分が世界の中心にいると感じる。
それを、四角く切り取る写真。風景画。

兵庫県立美術館コレクション展のテーマは「風景画に親しむ」だ。
なぜ画家は、自分をとりまく世界から、この部分を切り取ったのだろう。
人が描かれていない絵は、画家と、画家を取り巻く世界との静かな対話の時間を塗り込んでいるような気がする。



                 


さあ、中に入ろう。
でも、美術館から出てきたら、緑に出口がふさがれているかもしれない。

      走る蔦追いかけられて箱の中
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美術館の日

2009-04-20 | 持ち帰り展覧会
「ピカソとクレーの生きた時代展」に行ったら、「美術館の日」だった。
神戸の文化復興のシンボルとして、脇浜の神戸製鋼跡地に、兵庫県立美術館が開館したのが2002年4月。
それを記念して毎年4月に行われている「美術館の日」イベント。
今年は両日通ってしまった。
18日はサグラダファミリア聖堂主任彫刻家の外尾悦郎氏の講演会。
19日は中原佑介館長による講演会。
新学期なので、学習意欲が沸き上がる。(ちょっと言ってみたかっただけです)

子供達に混じって、スタンプラリーにも参加。
美術館の彫刻のスタンプを、広い館内をうろうろしながら探して、ペッタン。

            

よーし、6個揃った。ゴールの美術情報センターに行ったら、嬉しい絵葉書のプレゼント。
迷わず、これを選んだ。

      

3Fの特別展、パウル・クレーは別格として、今回の持ち帰りはこの絵。
フランツ・マルク(1880~1916)の「3匹の猫」(1913)
3匹のどの猫さんにも、クロネコチャンの面影がある。
画面斜めに気持ちよさそうに伸びするネコさんにも、色っぽい赤いネコさんにも。
獲物を狙うトラ猫さんにも。

猫好きの画家だろうと思ったが、どうやら人間より動物の方が好きな人だったらしい。
~「私を取り巻く罪深い人間は、私の真の感情を呼びさますことはなかった。しかし、動物に生まれつき備わる生に対する感覚は、私のなかにあったすべての良きものを引き出した。」(フランツ・マルク)

ドイツ表現主義、「青騎士」メンバーの彼は第一次世界大戦中、ヴェルダンで戦死した。
激しい色使いで描かれた、純真な動物達の絵を私達に残して。   
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応援花

2009-04-13 | 五七五
それは突然のことだった。
朝つくった桜ご飯弁当(ご飯に桜の塩漬けを混ぜただけ)を持って、母と一緒に近くの公園でお花見をしていた時のこと。

       

「あのベンチの人、荷物置いてどこへいったのかしら?」なんて言ってたら、
水筒のお茶を飲んでいた母が、トコトコと滑り台の方に歩いて行って、上り始めたのだ。
「えっ!」
そして、上から「いきますよー」と言ったなり、ツーっと滑り下りたのである。
滑り台の下で、しばらくそのまま座って「あー、最後びっくりしたわー」などと言う。
私の方がびっくりしましたって。(もうすぐ貴方は80歳ですよ)
滑り台は、七十年ぶりだそうである。
しかたないなぁ、娘も後に続いて、○十年ぶりに滑り下りた。
「ツーっ」
昔より体重が増えているので加速度がつき、着地した時の衝撃は予想していたより大きかった。
母のいう最後のびっくりとは、これのことだと納得。 

     滑り台ピンクに染まった母若し 

滑り下りた時の母のテンションは、こんな感じに跳ね上がっていたのかしら。
春のお魚みたいに。 

      
      
若い漕ぎ手達を、キャナルパークの向こう岸の桜が応援していた。

            

               春に咲く桜の花は応援花       
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桜の花を数えたら

2009-04-08 | 散歩計
人は一生にどれだけの数の桜の花を見るのだろう。

今までは、あと何回、桜の花をみることだろう、
なんてこの季節になるたびに、思っていたけど、もうやめにする。
だってあまりに簡単な数字のくせに、わからないのだもの。
それなら、どうせわからないのなら、今年からは、
どれだけの桜の花を見るんだろう、と何億万個の桜を数えることにした。

例えば、晴れた月曜日の一日だけで、私は何個の桜を目にしたことだろう。

まだ木というには幼い若木の、初々しい桜、から始まって…

         

近くの公園の満開の桜、電車沿線の桜、バスの窓から見える山々の所々の幽かなピンク色、
すろっぴーのそばの早、散り始めた桜
                

四国の線路の側ではいつも菜の花と一緒に咲いてる桜

沿線の田園風景のどこかには必ず淡いピンク色が入ってくる。
…乗り換え駅の一本桜

   

この日の目的地
車椅子を押しながら見上げた桜
                

 遍路道の桜
                       
たった一日で何億個もの桜の花を見た。
でも、この日の私は、桜よりバス停のそばに咲いていた矢車草の青さの方が心に残った。こちらの方が、自分に近いと思った。
             
                 
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2本どり

2009-04-08 | 五七五
クロスステッチをやってみようと思ったのは、父の病室の壁がさみしそうだったからだった。
下手でもいいから、何か作ろうかな、と思った。できたら、月代わりで。
4月~細い足の小鳥は、果たして飛べるのだろうか、この子は何処に向かうのだろうか。

       

仕上げに足のバックステッチをしようとしたら針が通らないほどガチガチに糸が詰まってしまっていた。
結局とても細い足の鳥さんになってしまった。

初めて買った「キット」に入っているラベンダー色の糸が足りなくなった時点で気付くべきだった。
あの時「やっぱり外国のものはこういうことがあるんだわ」などと文句言いながら、手芸屋さんにAnchorというメーカーの刺繍糸を探しに行って、やっと仕上がった。
あの時気付くべきだったのだ。「2本どり」の正しい意味に。

針が通りにくくなった時点で、おかしいなと、気付くべきだったのだ。
普通、こんな事にはならないはずだと。

そもそも、新しいことをする時は、初心者用キットというものから、始めるべきであったのだ。
それにはきっと、丁寧な図解がのっていて、「2本どり」の意味が書いてあったと思う。

私は、母の本棚にあった本をみて始めてしまった。
刺繍針の穴が、他の針に比べてあまりに大きいせいだったからかもしれない。
最初に針に2本の糸を通してクロスしたら、そのクルンとした厚みが可愛く見えたからかもしれない。
その量感が、これこそクロスステッチだわ、などと誤解してしまったのだ。

昨日、4作目の花のカレンダーを作っていた時に、またもやバックステッチの針が通らなくなり、無理していたら、遂に針が折れた。
その時やっと、「何かがおかしい」と気がついた。(遅い!)
優雅な刺繍を、こんな力技で、チカラワザで、行うはずがないと、心底思った。

「2本どり」というのは、もしかしたら、針に通す糸を2本とるという意味ではなく、作品そのものが、2本の糸であることではないのか?
という、恐ろしくも当たり前のことに、やっと気付いたのだった。

本を見ると、中には3本どりで、と書いてある作品があって、私は自分の間違いをやっとここで確信した。
つまり、今までずっと2本どりで仕上げるべきものを、私は倍の太さの4本どりで作っていたのである。

というわけで、これが4本どり最後の作品。う~ん、まだ何か間違っている気がする。

          

          倍ほどの何かが詰まった四角布

          白い地に時間綴りの跡残す
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