幸いにも非常ベルを押したことはない。きっと想像以上の音なのだろう。
芦屋市立美術博物館の1階で、田中敦子の「ベル」を押した。キャプションにあるように、30秒押し続けるには、少し勇気がいる。
「ジ~ン」か「リ~ン」の中間の非常ベルのような、けたたましい音が、階段を駆け上っていく。そして駆け下りてくる。移動しているのは音だけだろうか?
つながっていく20個のベルの響き、途中で二重になるような、折り返し点だろうか?
手を離すと得られる静寂。押す前と何かが変わったのだろうか?ふと空間を見回してみたりする。
後に「GUTAI(具体美術協会)」で、電気服や、○と線の平面作品を発表活躍する前の田中敦子が、確かに「さあ、何かが始まるよー」と告げている。壁に貼った折り目にしみのにじむ黄色い布はまるで闘いにエールを送った後の旗のようだ。
1952~57年、戦後現代美術の黎明期、絵画・彫刻・工芸・書・いけばなと、様々な方面から新しい造形を求める作家達が集まって、現代美術懇談会を43回開いた。その結果ジャンルを超えた展覧会が5回開かれた。今回の展覧会は、それに参加した作家のその時期の作品を集めたもの。
2階の第1室の空間が素晴らしい。作品一つ一つは、もし別の場所でバラバラに展示されていたら、感動しないかもしれない。でも、この空間では、壁の平面作品21点と、等間隔をおいてアクリルケースに展示された8点の立体作品が、互いにコラボして、力強く、ここでしか出せない力を放っている。図録の写真ではほとんど伝わらない展覧会という場の力を感じる。
植木茂の寄り添う恋人達のような、二本の鉄の立体。視線をのばすと向こうの林康夫の黒い塊の作品もカップルに見える。この同じ角度でないと、そうは見えない。
2次元で3次元を表現したい山崎隆夫や中村真の平面作品は、壁から飛び出してきそう。飛び出したら、林康夫の「作品(弧)」になった。
熊倉順吉の「凝固する炎」が、解体して壁に張り付いたら、須田剋太の「不協雑音」になる。
堀内正和のエッシャーのだまし絵を立体にしたような洗練されたシャープな面と線の作品は、森田子龍ら前衛書家の力強い墨の作品を背景に、美しい形が冴える。
中西美和の小さな塀のような立体の穴は、背景の江口草玄の墨の踊りと仲良し。
離れてみると黒い線の隙間から、心を浄化するような「青色」の気配がス~と立ち上ってくる津高和一の油彩作品。その黒く太い線は、その前の林康夫や植木茂の黒い立体と呼応している。
アルミの一枚板をくり抜いて一部反転させた、影山光義の「顔」。なんて可愛いのだろう。ブラックジャックとピノコみたい。
第2室は、入り口の、嶋本昭三の1954の作品が素晴らしい。新聞紙の上に塗料を塗った作品。この切なさは何だろう。白赤グレー、まるで紅葉狩りのように、今が見頃という微妙な色合いが、とても素敵。
~ゲンビ展図録より
後にカラフルな絵の具を詰めたビンをたたきつけた激しい色調の作品を多く制作する嶋本にしては、珍しい白を基調にした作品。今までにこの作品は三度ほど見ている。でも、今回ほど叙情性を感じる作品に見えたことはない。左からの光が、4カ所地図のような形に欠け落ちた部分の奥に、美しい影をつくっている。表面の盛り上がりは、今にも剥がれ落ちそう。この作品の前では絶対にくしゃみしてはダメ。大胆につくった作品なのに、画面の繊細さ・脆さ・切なさ・複雑さに、胸がキュ~ンとなる。図録の写真と比べると、さっと見ただけで三カ所で剥落が進んでいるような気がする。間近に見られるのはきっと今回で最後かな?次回は、きっとアクリルの箱入りになっている。
およそ60年前の作品達だけど、新しい元気のでる「ゲンビ」展でした。