星降るベランダ

めざせ、アルプスの空気、体内ツェルマット
クロネコチャンは月に~夜空には人の運命の数だけ星がまたたいている

なでしこほまれ

2011-07-18 | 五七五
朝3時に目覚ましかけて、ぼーっと見始めたのに、
6時頃からは、立ったままチァーガールと化してしまった。
そして、  
金色の花吹雪舞う中で、一緒に涙流していた。

決勝戦で澤選手が万歩計付けていたら、いったい何歩になったのだろう。
2時間走り続けるマラソン選手と同じくらいの歩数かしら?
もし私に近々生まれる孫がいたら、男の子でも女の子でも、「ほまれ」ちゃんと名付けたい。

3・11以降、初めて爽やかな気持ちにしてくれた彼女たちに、ありがとう。
阪神淡路大震災の年、イチローのオリックス神戸が優勝したことを思い出す。
あの頃電車のホームの風景の中に、ユニフォームと同じ紺色を見つけると、意味無く嬉しかった。


なでしこの足が大地を駆けめぐり金色吹雪列島に舞う
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ラーメンズ的日常(14)キタノザウルス

2011-07-09 | ラーメンズ的日常
*以下はフィクションです。

妻:今年も会えなかったね。
夫:7日は一日中ずっと雨が降ってた。
妻:織姫さんと、彦星さん、他の日は何してるんだろ?
夫:そりゃー、一生懸命、機織ったり、牛飼いしたりしてるんじゃないか。
  確か、二人一緒にいるといちゃいちゃして働かないから、別れさせられたはずだよ。
妻:星の名前で言えば、こと座のベガと、わし座のアルタイルだったかしら。
  星の一生の長さからいえば、一年なんて、短いわね。
  人の一生なんて、星の一瞬の瞬(またた)きだわ。
夫:さっき、TVで、星の一生を人間の一生に合わせて計算したら、
  星が1年に一回会うのは、人間の1日に5000回会う事と同じ頻度だって言ってたよ。
妻:エー!!一日に5000回、って、
  1時間に200回以上、ということは、一分間に3回以上会うことになるの?
夫:よく飽きないよね。会いたいと思う前にもう会ってる。
妻:ずっと一緒と同じじゃない。
夫:いや、違う。別れるから、会えるんだ。
妻:嬉しい、悲しい、をずっと繰り返してるのね。
  別れる時は、もうこれで会えないかもしれないって、そのたびに思うのかしら?
夫:星にだって、いつか終わりはくるはずだからね。
妻:七夕こそ、「愛の日」だわ。バレンタイン・デーよりずっとロマンチックよ。
夫:夏はチョコレートが溶ける。
妻:う~ん、星の形…金平糖よ。
  七夕には、二人で金平糖。舌の上で角っこが何個あるか、数えるの。
夫:僕は、断然、チョコの方が好きだ。
妻:七夕金平糖(たなばたこんぺいとう)、いいと思うけどなぁ。
  そう言えば、あの娘(こ)、どうしてるかしら?
  背中に米俵しょって、ず~と、彼を待ち続けている「キタノザウルス」
夫:彼女は宇宙の暦で生きているのかもしれないなぁ。
妻:あの娘(こ)に、七夕の笹持たせてあげたいなー。
夫:今年は、短冊に、何書くんだ?
妻:決まってるじゃない。
  ~福島の原発がどうかおさまりますように!~
 
       

*以下はノンフィクション(?)

背中の米俵、麦わら帽子、前で合わせた手が、とても可愛いこの像は、大阪の北新地駅前地下通路に、恋人達の待ち合わせのスポットに、とJR東西線が開通した1997年設置されたらしい。作者の佐藤邦雄さんのHPに、この娘がここにいる理由が載っていた。

<キタノザウルス伝説>
それはそれは遠い、ジュラ期よりもっと遠い昔、地球にとびっきり美しいキタノと呼ばれる娘怪獣がいました。ある日、彼女は恋人との待ち合わせのため、米俵のリュックを背負い大阪北野の浜にやって来たのです。しかし、約束の彼がなかなか現われません。いまか、いまか・・と待つうちにすっかり首がながーくなってしまい、とうとうそのまま眠ってしまいました。
ところが、1997年6月23日、誰かが眠っている彼女の足をくすぐると「コチョバイ・・」と言いながら永い永~い眠りから覚めました。さあ、約束の彼は来るのでしょうか


2回ほど前を通ったけれど、待ち合わせ人の気配なく、大阪とは思えないくらいあたりはひっそりと静かな空気に満たされていた。きっとここで待ったら、恋人はいつまでも来ない気がするのかもしれない。宇宙暦で生きてはいない、女の子達は、いくら可愛くても、キタノザウルスにはなりたくないのだ。

キタノザウルスに、新しい七夕伝説をつくってあげよう。
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田村先生

2011-07-01 | 私の星々
先日、TV画面に自分の姿が映り、声が流れた。
声はまだ若いけれど、ずんぐりとした丸まった背中、笑った顔はくしゃくしゃだった。
思えば、動く自分の全体像なんて、ちゃんと見たことがない。
自分はこんな人だったんだと、他人のような目で見ながら、妙に納得してしまった。

歳をとったんだねー。せめて、姿勢正しく生きようよ。
そして、見てるかもしれないなぁ、と、突然、田村先生のことを、思いだしたのだった。

中学校の時、担任の先生が盲腸で入院していた週の学活の時間、
担任の代わりにやってきたのは、理科の田村先生だった。
私は今までに彼以上の太い眉毛の人に出会っていない。
田村先生は、その眉毛からは想像できない授業をした。
「しあわせって何だと思う?」と、突然みんなに問うたのだ。
教室を歩きながら、一人一人、指さしてあてていった。
私の番になった時、私はしどろもどろに
「放課後、自転車で学校から帰る時、夕日がきれいで、コスモスの群れが咲いている畦道のそばを通っていて、風にコスモスが揺れているなぁ、と感じた時は、しあわせだなぁ、と思います」というような事を答えた。
すると、私に向かってまっすぐに歩いてきた田村先生は、大きな黒いギラギラした眼差しで私を見据え、人差し指を私の顔の真ん前に突き出して言った。

  「あんたはしあわせになる!

これは、16年間の学生生活を通じて、先生達から言われた言葉の中で、他が霞んでしまうくらい、印象深い言葉だった。
もしかしたら、その時から今までずっと、自分を支えてくれている言葉かもしれない。
こんな言葉を、鍾馗さんのように眉毛の太い大人に言われた少女は、幸せになるしかないではないか。

「幸せになる」ということではなくて、正確には「幸せを感じる人になる」という意味の言葉だったんだと、気づいてはいる。

少女は、いつも幸せを感じるわけでもなく、いろいろ考えると、眠れない夜があったりする年齢になった。
子供のいない自分に何が残せるんだろう、なんて思うこともある。
そうだ、いつか機会があったら、田村先生からもらった言葉を、誰かに伝えよう。
これから人生を始める人に、「あなたはしあわせになる」って。
とりあえず、これを読んでくれた人に…

    「 あなたはしあわせになる! 」
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