いつのまにか、時代が移っていることに気がつくには、視覚的なきっかけがある。
もう、学校での頭髪指導は、できない時代になったんだわ、
と感じたのは、ある朝TVをつけたら、NHKの若い男性アナウンサーが茶髪だったのを見た時だった。
制服の上着の裾から、白いシャツがはみ出ているのが、不良の格好ではなく、世界的に若い子のファッションなんだと、確認したのは、ハリー・ポッター映画の第三作を見た時だった。
そして、先日若い友人の女子出産祝を求めてデパートのKIDSコーナーに行った時、日本が本当に格差社会になっていると感じた。
可愛いーと駆け寄った8歳児のノースリーブの夏服ワンピースには18900円の値札がついていた。おそらくワンシーズンしか着れない服が。買う人がいるからこの値段をつけている。特別な時にしか買わないものだから、まぁしょうがないか、とつい買ってしまうのだろうか。でも明らかに普段着よ、これ。
初めて歩く靴をと思ったけど、祝ってくれる人に囲まれた彼女には、それは特別な人に買ってもらったほうがいいような気がする。もっと軽い玩具でもと思ったら、
こんなものがあった。「とことこリンリン♪」
「とことこリンリン」とは、ハイハイし始めた赤ちゃんの足首につける鈴。
店員さんによると、音がするから赤ちゃんは喜んでハイハイするし、お母さんはその音で赤ちゃんが動き出したのを知ることができる、のだという。
本当かしら?とも思ったけど、これにした。
ピンクのこんな恥ずかしいほど、可愛いものを買うことなんて、初めてのような気がする。
あれ以来、街中で、ロッカーぽいファッションで、腰に鍵束をつけてジャラジャラと歩いている若者を見かけるたびに思うのだった。
「あー、とことこリンリンつけてる」
もう、学校での頭髪指導は、できない時代になったんだわ、
と感じたのは、ある朝TVをつけたら、NHKの若い男性アナウンサーが茶髪だったのを見た時だった。
制服の上着の裾から、白いシャツがはみ出ているのが、不良の格好ではなく、世界的に若い子のファッションなんだと、確認したのは、ハリー・ポッター映画の第三作を見た時だった。
そして、先日若い友人の女子出産祝を求めてデパートのKIDSコーナーに行った時、日本が本当に格差社会になっていると感じた。
可愛いーと駆け寄った8歳児のノースリーブの夏服ワンピースには18900円の値札がついていた。おそらくワンシーズンしか着れない服が。買う人がいるからこの値段をつけている。特別な時にしか買わないものだから、まぁしょうがないか、とつい買ってしまうのだろうか。でも明らかに普段着よ、これ。
初めて歩く靴をと思ったけど、祝ってくれる人に囲まれた彼女には、それは特別な人に買ってもらったほうがいいような気がする。もっと軽い玩具でもと思ったら、
こんなものがあった。「とことこリンリン♪」
「とことこリンリン」とは、ハイハイし始めた赤ちゃんの足首につける鈴。
店員さんによると、音がするから赤ちゃんは喜んでハイハイするし、お母さんはその音で赤ちゃんが動き出したのを知ることができる、のだという。
本当かしら?とも思ったけど、これにした。
ピンクのこんな恥ずかしいほど、可愛いものを買うことなんて、初めてのような気がする。
あれ以来、街中で、ロッカーぽいファッションで、腰に鍵束をつけてジャラジャラと歩いている若者を見かけるたびに思うのだった。
「あー、とことこリンリンつけてる」
私は1974年の春から夏にかけて阪神魚崎に住んでいたことがあります。
一度は住みたいと思っていたので、寮のある工場勤務の仕事を見つけて、住み込んだのです。
時々、三宮へ映画を観に行きました。
今はもう多分なくなった「阪急文化」という3本立て何百円という安い映画館でした。
阪神に乗って向かう途中、車窓から見た六甲のきれいだったこと。
この街に来てよかったと思う瞬間でした。
神戸の生活は、前に住んでいた処の友達から「新しい仕事を手伝ってくれ」との頼みで、突然終わりを迎えることになります。
ブックマークの一覧の中で、「yoko`s scne」の「e」が一つ抜けています。
甲山はあっても、六甲山という山はなく、六甲というのは六甲山系という意味だと知ったのは、17年前にこの街に引っ越した時のことでした。
一夜で全部読んでいただいたなんてびっくりです。
文中に一部、私がイタズラコメント防止のために、勝手に設けたコメントコードにひっかかる用語(コメント欄からも検索されることがあります)があったので、今回は保留にさせていただきます。人生初めてのコメントなのに、ごめんなさい。
もう1回だけおつきあいください。
17年前に来られたということは阪神大震災を体験されたんですね。
当時、私は京都の九条通りに住んでいました。
古い木造のアパートで私は仕事から帰ってきたところでした。
台所で湯を沸かそうとした時です。
最初静かな揺れからいきなりものすごい揺れに変わりました。
アパートが倒れると思い、急いで外へ飛び出したほどです。
都市ガスは震度3くらいで遮断されますので、水道の水を飲みながらテレビを観ていました。
ここは震度5でしたが、テレビは神戸の惨状を映していました。
かつて住んでいたあたりもかなり被害を受けたはずです。
好日山荘に勤めていた友人の消息を少し後で電話で確認しました。
幸い彼は怪我もなく元気な様子でした。
私はその時京都新聞社の輸送部門で働いておりました。東から大阪・神戸方面へ入るのは北回りしかありませんでした。
つまり京都の五条通から9号線です。
それから2ヶ月ほどは京都市内からトラックで渋滞して大変でした。
ラジオ関西で谷五郎さんが毎日のように町の情報をしゃべっていましたね。
実は彼の音楽の大ファンです。
京都でやった彼のライブは2度も見に行きました。
今は実家の滋賀県に住んでいます。
被災地で過ごしていても、自分のことでせいいっぱいだったあの頃、きっともっと知らないことがたくさんあるのだと思います。