星降るベランダ

めざせ、アルプスの空気、体内ツェルマット
クロネコチャンは月に~夜空には人の運命の数だけ星がまたたいている

007の島

2009-08-27 | 劇空間
島から帰ってきて十日たった。やはりこれを書かないと夏が終わらない。
宿舎のチェックインは、フランス人カップルの次で、私たちの次はドイツ人の家族連れだった。ホテルのレストランでも夕食は半数以上が外国人。いつのまにかここは、海外に知名度の高い日本のリゾート地になっていたのだ。
島の美術館は、劇空間に近いものだった。

そう、そこは007の映画を撮るに適した場所。
シリアスな映画ではなく、明らかにありえない、非日常的な作り物であることが前提に成立する活劇がふさわしい。もちろん、ショーン・コネリーのジェームズ・ボンドで。
(以下フィクション)

ここは悪の組織スペクターの地下要塞がある島。ボンドはその島にやって来た。

日本色濃い島の旧家。家の中の暗さにボンドの目が慣れぬまま板の間に腰をおろした瞬間、宮島達男の「時の海’98」の数字が点滅する水の中から、錐のようなものがボンドめがけて飛び出す。

中国産太湖石の並ぶ不思議な庭で、ボンドが美女と一緒にジャグジーバス(蔡國強の「文化大混浴」)に入って楽しんでいる。なんて無防備なんだ。それを浜辺の穴の開いた白い船尾(大竹伸朗「シップヤード・ワークス)の穴から双眼鏡で覗く男。

ホテルの廊下、視線を感じたボンドが振り向くと、廊下の隅に輪郭のはっきりしない金属片の男の像(アントニー・ゴームリーの「サプリメントⅣ」)が立っていた。細い手首が今にも音をたててボンドの首に向かってきそうだ。

朝、ボンドが、地下要塞に向かう上り道の左側。モネのジヴェルニーの庭に模した蓮の池と見事な草花の咲き誇る庭のベンチでは、松葉杖を横に老人がのんびりと居眠りしている。でも実は刺客。池の蓮と柳の枝のアップ。突然揺れる枝と水面。

ボンドは島の美術館を彷徨う。世界制覇をめざす陰謀がここの展示の中に隠されているからだ。
地下への長いスロープを下りていく。下の壁にはアクリルガラスの中に砂でつくった世界の国旗が並ぶ(柳幸典の「ザ・ワールド・フラッグ・アント・ファーム」)。砂の中をはう蟻のクローズアップ。

微笑むボンドの視線の先には、大きな丸い大理石(安田侃「天秘」)の上に寝そべる2匹の猫がいた。雄のアメショーがお腹を上に寝そべって青空を見ている。そのそばには「あんた誰よ?」とボンドに鋭いビームを送っている美しい白い牝猫。(特別出演:「アメショっす」の銀チャンとラムちゃん)

島の美術館のテラスにある、世界の海の水平線写真(杉本博司の「タイム・エクスポーズド」)が並ぶ空間では、謎の美女がボンドに近づく。壁の隙間から見える浜辺の岩壁に設置された何かの反射光に、ボンドは気付く。

「CRY AND DIE」「CRY AND LIVE」「SMILE AND DIE(笑って死ね)」「SMILE AND LIVE(笑って生きろ)」と五十個の動詞に「DIE」と「LIVE」が続く文字が次々と点滅するブルース・ナウマンの「100生きて死ね」の吹き抜け空間で、突然敵が襲いかかる。飛びかかるその瞬間、文字盤の文字全部がバッバッアと一斉について辺りはショッキングな明るさになる。

ボンドはたどり着いた。不思議な光が涌いてくる壁の前に。(ジェームズ・タレル「オープン・フィールド」)ボンドが光の中に一歩踏み出すと、壁と見えたものが消え、そこは光に満たされた、光の中に心が溶けていくような空間だった。光の中に美女の顔が見えたと思った瞬間、ボンドは敵に捕縛された。

映画のクライマックスは、ウォルター・デ・マリアの「タイム/タイムレス/ノー・タイム」をご神体のように祭る神殿のような空間。
           (~写真は地中美術館パンフレットより)

黒い巨大な球の鎮座する白い空間の階段でボンドがスペクターの団員達と乱闘する。団員達の服装は、上下白のパンツスーツに斜め掛けしたポシェットという新興宗教信者のような今のスタッフの制服そのままでOK。

ついに悪の組織スペクターの首領登場。神殿の白い空間、黒い巨大な花崗岩の球の向こう、空から自然光の降り注ぐガラスの真下に立つ白装束の首領(この美術館を設計した人のイメージ)。

このステージでの負けを悟った首領は、ポケットのスイッチを押した。すると、球体であるにもかかわらず今まで不動のご神体だった黒い球が、突然動き出し、階段をボンドの方に向かって転げ落ちていく。その間に球の下に隠されていた、ヘリポートに繋がる秘密の通路から首領は脱出し、日本各地にある彼の設計した要塞に向かって飛び立った。

ミッションを終えた水着姿のボンドが、美女と一緒に黄色い南瓜のある突堤から、美しい瀬戸内海に飛び込む。
流れるテーマソング 
  ♪タンタカタンタン タンタカタンタン タンタカタンタン、
   ヒュヒュー ヒュヒュヒュー♪

ところで、今回のボンドのミッションは何だったのだろう?
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砂に描いた○

2009-08-25 | 持ち帰り展覧会
♪On a day like today We passed the time away
 Writing love letters in the sand ♪
        ~「Love Letters In The Sand」パット・ブーン

こんな曲を思い出すような映像を、美術館で見た。
~田中敦子のパフォーマンス記録映像「Round on sand」(1968)
淡路島の五色浜で、波打ち寄せる砂浜の砂の上に、裸足の田中敦子さんが、ピッケルの先で○を描いていく。どんどん○を描いて繋いでいく。誰もいない浜辺の左端から右端まで延々○を描いていく。服装から、夏の終わりの今頃かしら。

芦屋市立美術博物館で「The Collection 2」が始まった。
Part1あしやのびじゅつー入門編と、Part2芦屋1960年代:特集幻の田中敦子

     

吉原治良は、魚の時代→シュールレアリズムな時代→初期抽象画の時代→鳥と人の時代→線的抽象画の時代→アンフォルメルの時代→○の時代と作風の変化が、代表的な作品で紹介されていた。彼の白地に黒丸の作品は、書のように白の上に黒の線を単純にひいたのではない、白と黒の境目をよく見ると白が黒の上に重なっている。
画家が「これで完成」と思った瞬間と、同じ気分でこの絵を見てみたいと、いつも吉原の○の作品の前では思う。
 
 
  ↑芦屋市立美術博物館の「あしやのアーティスト」カード:裏に作家紹介文(無料)

今回一番インパクトがあるのが、田中敦子さんだ。
具体時代の、カラフルな多くの○と線の絵は、兵庫県立美術館や芦屋市立美術博物館で、今までにも何度か見たことがある。
その度に、私は元気をもらった気がする。
今回は、1965年具体を退会直後の作品から、1987年の赤い濃淡の「Work`87H」までの10点。個人蔵のものが多い。
        
 

↑1966年の「Spring1966」は、上下のない絵、直径2M位の円形の作品である。係の人がモーターのスイッチを押すと本当に古式ゆかしき音をたてて、左回りにゆっくり回転する。回る作品をじっと真正面から見ていると○の色が輝き出し、少し斜めから見ると○を繋ぐ線がくっきり浮き上がってくる。
彼女の輝く○と線の絵は、1956年発表の200個の多彩な電球・管球を組み合わせて点滅する光の服=電気服の、電球とコードから着想したものであるが、その○と線は決して単純ではない。無限の組み合わせ・繋がりの表現を生み出す。

具体時代の大きな画面は平たい○が多い。しかし、今回の70年代初頭の作品では、彼女の○は互いが重なり密着し、線で繋がるというより、線に絡まれている。
大きな○と、直径が20分の1の小さな○とがひしめき合う。
自ら動き始めた○は、1987年の赤い濃淡の「Work`87H」では、奥行きのある空間で大きな力で引っ張り合う力を感じる作品になっている。

田中敦子さんの○は、輝く存在というだけでなく、動く存在をあらわすものだったのだ。
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この島は…

2009-08-19 | 散歩計
島では、ガンガンに陽射しを浴びていても、そのうちどこかから、心地良い風が吹いてくる。
       
         

ベンチに座ったこの人はさっきからずっと同じページを読んでいる。…この島の新聞は石でできている。
    (ニキ・ド・サンファール「腰掛」1989)


うゎ、トンボを目で追ってたら、15㎝もある大きな蛾を見つけてしまった。
              ほとんど動かないけど本物

変な形の石が立ち並ぶ不思議空間にはジャグジーバスが…。
(蔡國強「文化大混浴」1998)


急勾配のモノレール。…乗ったら思わず押してしまった発車スイッチ。どこへ上っていくのだろう…ジェットコースター並の傾斜。
        

この島には、ヘリポートの秘密基地や地下要塞のような建物がある。
        

当然、最新式のレーダーも完備している。サンダーバードの島?

   (ジョージ・リッキー「三枚の正方形」 1972ー82 「ベリスタイルⅤ」1963ー95)

この島を訪れる人はなぜか、みな、このカボチャと友達になるのだった。
      (草間弥生「南瓜」1994ー2005)

夕暮れになると、海に浮かぶ三角島に向かって人は座る。
               
  
   寝転がって天の川を探した。
   ここは、私が訪れた20個目の島。日本にはまだ6832個の島がある。
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狩人

2009-08-11 | 劇空間
織り姫と彦星のように、一年に一度7月に会える、劇工房綺想舎人魚亭。
尼崎ピッコロ小ホールでの第61回公演は、清水邦夫原作「狩人~わが夢に見た青春の友」~構成演出:小林千代詞。
今回の人魚亭のパンフは、無数の人々の墓標が並ぶ暗いものだ。
満州で敗戦直後飢えや寒さで亡くなった18万人、悲惨な引き上げ体験を経てかろうじて命長らえ戦後を生き抜き、今やその人生を終わりつつある、かつて難民だった人々に対するレクイエムのような芝居だった。       
    
        

昭和十年代の東北地方。村役場の兵事係の仕事は徴兵候補者リストをつくることだ。しかし大陸に渡ったのは、兵隊だけではなかった。
満州の植民地支配と、国内農村の疲弊による社会矛盾の解決策として、国策として五百万人の農民を送り出す満蒙開拓団政策が実施されていたのだった。
戦争が激しくなると開拓団の希望者は少なくなり、山村部の村には、国から割り当ての形で「王道楽土」の宣伝活動が行われた。その結果敗戦の直前まで、満蒙への入植は続いたという。

人魚亭の芝居は、「王道楽土」を夢見て、武装開拓団として満州に行ったものの、耐えられず逃げ出してきて、精神異常者のふりをしている川島健(乙羽野庵)をとりまく人々の話。
健が慕う小学校の恩師はるじ先生(萩ゆき)だけはすぐに彼の嘘を見破る。はるじ先生は女ながら村一番の狩人。
はるじ先生の一人息子哲夫(志摩馨)と、健の弟三吉(寒川雅彦)に召集令状がくる。
徴兵されたのに、出頭期日を過ぎてもイヌワシを射止めるまでは、出頭しない狩人の哲夫。
山狩りをしようとする村人に、村一番の狩人である母親のはるじ先生は、私がひとりでやる、と銃をとる。

国家に狩られる獲物ではなく、イヌワシを追う狩人として生きたかったであろう哲夫。

戦争をする国家は国民を兵士として狩り出す。次々順番に。

今回の芝居を見た後、私は、兵庫県立美術館でみた一枚の絵を思い出した。
昭和12年(1937)日中戦争が始まった年に描かれた、阿部合成の「見送る人々」である。

                 

駅のホームで出征兵士を見送る人々を描いた群衆画。
この絵に兵士は描かれていない。しかし人々の視線の先には中国戦線に向かう兵士がいる。前には旗振る子ども達、その後ろには次の徴兵は自分かもしれない大人の男達、そしてどうしても泣き顔になる女達や年老いた者。
一人こちらを見つめる青ざめた男は画家自身だ。「次は俺だ」と、出征兵士の目で群衆を見ているのかもしれない。
見落としそうだが、右上には、戦地に向かった兵隊のその後ともいうべき、
雪原をソリであちらの世界に遠ざかっていく兵士の姿が、小さく寂しく描かれている。
絵の全体からワーッと激しい音が出てきて、耳を塞ぎたくなる、そして音が消えた後、不安が満ちてくる絵である。

阿部合成には反戦という主張はなかったが、人々の真実を描いたためか、この不安感に気付いた権力と戦時下のマスコミによって、反戦画家のレッテルを貼られ、画家は孤立する。やがて徴兵された画家は、戦線で一兵卒として戦い、8年後はシベリアに抑留された。この絵は自らの未来を予言した絵になった。

私の世代のすぐ前の世代は、それぞれの戦争体験を抱えた人達だ。やがて彼らはいなくなる。「見送る人々」は昭和の絵として展示され続けなければならない。
「見送る人々」の時代、女達には参政権はなかった。彼女達の多くは、「仕方ないわ」と諦めて、状況が良くなることを、ただ祈り続けることしかできなかったのかもしれない。

この国が、民を狩る国になってはならない。
祈ること以外のことができる間に、やることがあるはず。
もうすぐ終戦から64年。総選挙も近い。
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ムサシ

2009-08-06 | 劇空間
中学時代、木曜日の夜、彼のパックインミュージックを聴くために、一週間の時間割を組んで暮らしていた。
その頃の私が一番会いたかった人、でも会うのが怖かった人の声が聞こえてくるラジオを、じっとみつめていたりしたものだった。
リクエスト葉書は、普通の曲ではなかなか読んでくれないので、いろいろ考えた。
やっと読んでくれた葉書はビリー・ヴォーン・オーケストラの「♪浪路はるかに」だった。
きっと季節は夏だったのだろう。私の名前を彼が口にしたその瞬間の喜び、を今でも覚えている。

昨日、彼の「慶長17年4月、空はぬけるような青さであった。小次郎は待った。しかしムサシはまだ来なかった。」という声が頭の中に蘇った。
    
    ♪ムサシ~ムサシ~♪ (マカロニウェスタン調)

修さんの「ムサシ」では、勝負の後、磯に倒れた小次郎がむっくり起きあがり、「メシでも食いに行くか」と、二人は肩を並べて去って行く。
井上ひさしさんも、このフォークルの曲、聴いたことがあるのだろうか。

     井上ひさし作、蜷川幸雄演出の舞台「ムサシ」

春に、予約抽選で2度はずれ、電話も繋がらず、観にいけなかったこの芝居を、WOWOWの録画で観ることができた。

藤原竜也=ムサシと小栗旬=佐々木小次郎。
この時期、もうこれ以上は望みません、というキャスト。永久保存番である。

組んずほぐれつの五人六脚の最中もずっと、セリフは続く。
役者の体力知力創造力のすべてでなせる一期一会の瞬間が続く。

白石加代子さんの口から出てくる言葉にはどうして引き込まれていくのだろう。
彼女のどんな些細な言葉でもいつしか聞き耳たてて聴いてしまう。
デビューからこの人と同じ場で自分を存在させてきた藤原君は凄い役者に育ってきた。彼の声はゾクゾクする。
「18番」といって気を失う小栗小次郎もいい。
二人の若者のまさに舞台が巌流島。

~空を一条の雲が流れていく。櫓の音が水面にひびく。
水の色も空の色も底知れず死んだごとく青かった。
この大自然の中で私は一体何をしようというのか。ムサシはそう思った。

  ♪ムサシ~♪    (作詞作曲:北山修)
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