星降るベランダ

めざせ、アルプスの空気、体内ツェルマット
クロネコチャンは月に~夜空には人の運命の数だけ星がまたたいている

SHUNSUKE 17

2012-11-18 | 持ち帰り展覧会
寝る前に明日の天気を見ておこうとPCを開いたら、タカ派合流のニュースが目に入って、眠れなくなった。恐れていたことが起こっていく不安。3・11の後、ずっと続いている不安感が、ぐんと増していく。
関西文化の日の昨日、美術館のガイドツァーに参加して館内のキーワードを探し、終わった展覧会のファイルやメモ帳・絵はがきがたくさん入った袋もらって嬉々としていた自分が遠い過去のものになっていく。
ふと、どこに向かうかわからぬ時代に、すっくと立っていた竣介君を思い出した。

島根県立美術館「松本竣介展」で観たそれは、周囲がどんな状況であっても、絵=芸術というものを尊敬する心みたいなものを感じる凛とした絵だった。

        「立てる像」1942

松本竣介(1912~48)は、戦時下の東京で、どんな気持ちで絵を描いていたのだろう。
友が皆徴兵されて行く中、聴覚を失っている彼は、東京に残った。
彼が描く都会は、大きな建物を背景に、人物達が重なりあう。

             「街にて」1940

この夏東京に行った時、風景は固定して、そこをすれ違いながらそれぞれの方向に向かって通り過ぎていく群衆をみて、「松本竣介の絵だ」と思った。
彼にとって、街は音のない世界であったはずなのに、それらの絵からは雑音が聞こえてくる。時には空気の固まりとなって。
彼の耳には、音は波ではなく、風圧として届いていたのかもしれない。

青い都会風景はだんだん曇った暗い空になる。建物の側の道をシルエットのような男が向こうにむかって歩いていく。野良犬とリヤカー。

     「風景」1942…「立てる像」と同じ道

      「並木道」1943頃   


やがて風景から人物が消える。人物が消えた建物の絵は、なぜこれはここに建っているんだ?と問いかけたくなるような存在だ。

代表作「立てる像」の、左下の木の杭に貼られた白い紙にM・SHUNSUKEというサインがある。その下の17という赤い数字は何だろう。17才で画家を志し花巻から上京したことを指すのだろうか。1942年、30才の時に描いた絵だけれど、自分の立ち位置を決めた瞬間を描いたのかもしれない。

        

彼が、「国家のために筆を執れ」という軍人の発言に対して、「生きている画家」という文章を雑誌『みづゑ』1941年4月号に発表したのは、時代背景からして命がけの行為であったと思う。戦地に行かない自分の戦いを自覚していたのかもしれない。

~今、沈黙することは賢い、けれど今ただ沈黙することが凡てに於て正しい、のではないと信じる。……一切の芸術家としての表現行為は、その作者の腹の底まで染み込んだ、肉体化されたもののみに限り、それ以外は表現不可能といふ厳然とした事実を度外視することはできないのである。~

コメント (2)
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