芦屋市立美術博物館のひとつの時代が終わりつつある。
今日は今年度最後の学芸員さんによる企画展の最終日。
第1展示室の「小出楢重を歩く~1920年代 大阪・神戸・芦屋」は、小出楢重の絵と文章をもとに、彼が生きた時代にワープできる、絵画の展覧会という枠を超えた展覧会だった。
これはもう一度、小出楢重の随筆集を完読してから辿ってみよう。
第2展示室の「芦屋の鉄道・JRの巻(のルとルあそブ)」~鉄道は、電車は、なぜ人の心をひきつけるのだろう?世の移り変わりを定点観測のように見ることができる。いつの世にも存在する動くものへの憧れ。ここじゃないどこかへ自分を運ぶものとの刹那の一体感。宮部みゆきの「小暮写眞館」に出てくる三雲高校鉄道愛好会の愛すべき鉄ちゃん達を思い出す。
どちらも、狭い美術博物館の空間から、いつのまにか思いが、違う時代・空間へ飛び出していくような展覧会だった。
そして、なんといっても、今年度の通年企画展示の、「具体」ギャラリーである。
2Fの小フロアーには、貴重な野外美術展や舞台・制作風景の映像が流れ、
年間5期に分けて、毎回のテーマにあった具体作家の3作品を展示しているのだ。
そばのガラスケースの中には、その作品発表当時の展覧会パンフレットなどの資料を添えている。
第1期(4/17~6/20)の 「でこぼこ」では、吉原治良・前川強・村上三郎の作品
第2期(7/3~8/29)の「とろりとろり」では、白髪一雄・元永定正・嶋本昭三の作品
第3期(9/18~12/5)は「びっしり」では、正延正俊・向井修二・上前智祐の作品
第4期(12/18~2/20)は{つやつやぴかぴか」では、山崎つる子・吉原通雄・鷲見康夫の作品
20世紀半ば、芦屋で生まれた前衛美術運動「具体」=具体美術協会。
ギャラリーの作品を、学芸員さんがわかりやすく紹介しているパンフレットには、こう書かれている。
~「具体」という言葉には、自分が考えたこと、感じたこと、表現したいことを、他の人に眼に見えるかたちで、つまり「具体的に」提示することを目指そうという気持ちが込められています。そのとき大事なのは、「人のまねをしない」ことだとリーダーの吉原はメンバーに助言し続けました。なぜなら自分の考えや感覚は、人によって微妙に異なるので、これまで成されてきた表現の手法・形式に従うだけでは、各自の細かな違いまではじゅうぶん「具体的に」提示できないからです。このように「具体」では、既成の表現から積極的にはみ出ることが奨励されました。~
そして、具体の作家が、それぞれ独自の素材を選び、自分が編み出した手法で作品をつくっていることを、ひとつひとつの作品について、わかりやすく解説してくれる。
「とろりとろり」の回では、
~白髪一雄は、床に置いたキャンパスの上に絵具の塊をおき、それを足で勢いよく伸ばします。飛沫の跡や絵具の盛り上がりを見ると、どれほど強く早く足を動かしたかがわかります。元永定正も床にキャンパスを置いて制作しますが、油絵具よりも粘りが少ない塗料を使い、キャンパスそのものを少し斜めにしてゆっくりと絵具を移動させます。水のしみが重なったようなかたちは、液体が静かに広がったことを示しています。そして嶋本昭三は、絵具をつめたガラスの瓶を、立てかけたキャンバスめがけて投げつけ破裂させます。絵具は元永と同じような塗料ですが、雨のように幾筋にも分かれた垂直線の連なりは、元永の場合よりも素早く、絵具がキャンバス表面を流れたことを明らかにしています。~
表現の違いを、感覚だけでなく、言葉で納得したい。具体の作品は、制作段階自体が作品の生命みたいなところがあり、制作方法を知って追体験することで、伝わるエネルギーや力が倍増することがある。そんなツボをぐっと押さえた、解説なのだ。
さ~て、最後の5期のテーマは何だろう?「ぐるぐる」?などと、楽しく想像してみる。
作家としては、今井祝雄・小野田實・金山明・菅野聖子・聴濤襄治・喜谷繁暉・田中敦子・堀尾貞治・松谷武判・ヨシダミノルなどがまだ登場していない…。
このシリーズ企画は、ずっと来年も続けてほしいと、思っていた。
できたら具体作品全部を、と。
「学芸員全員退職」という昨日の驚愕のニュースに、あらためて、指定管理制への移行という事実の厳しさに気付いた自分は、愚かな市民である。
芦屋市立美術博物館の「所蔵品目録(1989to1997)」を眺めながら、春からは、この中身を知らない学芸員による美術博物館になるんだと、どうなるのだと、まるで、美術品を寄託した人のように、心配している。
(追記3/3)
予想的中!!
第5期(2/26~3/6)のテーマは、「ぐるぐる」で、名坂有子・吉田稔郎・小野田實の作品が出ていた。
開催中の芦屋市造形教育展に来ていた元気な女の子達が、小野田實の、無数の○からなるオレンジ系の明るい世界が無限に広がるようで、中心を求めているような作品の前に集まり、「何個ある?」って○を数えようとして諦める、を繰り返していた。私は、彼女達の心とどこかで繋がった気がした。
今日は今年度最後の学芸員さんによる企画展の最終日。
第1展示室の「小出楢重を歩く~1920年代 大阪・神戸・芦屋」は、小出楢重の絵と文章をもとに、彼が生きた時代にワープできる、絵画の展覧会という枠を超えた展覧会だった。
これはもう一度、小出楢重の随筆集を完読してから辿ってみよう。
第2展示室の「芦屋の鉄道・JRの巻(のルとルあそブ)」~鉄道は、電車は、なぜ人の心をひきつけるのだろう?世の移り変わりを定点観測のように見ることができる。いつの世にも存在する動くものへの憧れ。ここじゃないどこかへ自分を運ぶものとの刹那の一体感。宮部みゆきの「小暮写眞館」に出てくる三雲高校鉄道愛好会の愛すべき鉄ちゃん達を思い出す。
どちらも、狭い美術博物館の空間から、いつのまにか思いが、違う時代・空間へ飛び出していくような展覧会だった。
そして、なんといっても、今年度の通年企画展示の、「具体」ギャラリーである。
2Fの小フロアーには、貴重な野外美術展や舞台・制作風景の映像が流れ、
年間5期に分けて、毎回のテーマにあった具体作家の3作品を展示しているのだ。
そばのガラスケースの中には、その作品発表当時の展覧会パンフレットなどの資料を添えている。
第1期(4/17~6/20)の 「でこぼこ」では、吉原治良・前川強・村上三郎の作品
第2期(7/3~8/29)の「とろりとろり」では、白髪一雄・元永定正・嶋本昭三の作品
第3期(9/18~12/5)は「びっしり」では、正延正俊・向井修二・上前智祐の作品
第4期(12/18~2/20)は{つやつやぴかぴか」では、山崎つる子・吉原通雄・鷲見康夫の作品
20世紀半ば、芦屋で生まれた前衛美術運動「具体」=具体美術協会。
ギャラリーの作品を、学芸員さんがわかりやすく紹介しているパンフレットには、こう書かれている。
~「具体」という言葉には、自分が考えたこと、感じたこと、表現したいことを、他の人に眼に見えるかたちで、つまり「具体的に」提示することを目指そうという気持ちが込められています。そのとき大事なのは、「人のまねをしない」ことだとリーダーの吉原はメンバーに助言し続けました。なぜなら自分の考えや感覚は、人によって微妙に異なるので、これまで成されてきた表現の手法・形式に従うだけでは、各自の細かな違いまではじゅうぶん「具体的に」提示できないからです。このように「具体」では、既成の表現から積極的にはみ出ることが奨励されました。~
そして、具体の作家が、それぞれ独自の素材を選び、自分が編み出した手法で作品をつくっていることを、ひとつひとつの作品について、わかりやすく解説してくれる。
「とろりとろり」の回では、
~白髪一雄は、床に置いたキャンパスの上に絵具の塊をおき、それを足で勢いよく伸ばします。飛沫の跡や絵具の盛り上がりを見ると、どれほど強く早く足を動かしたかがわかります。元永定正も床にキャンパスを置いて制作しますが、油絵具よりも粘りが少ない塗料を使い、キャンパスそのものを少し斜めにしてゆっくりと絵具を移動させます。水のしみが重なったようなかたちは、液体が静かに広がったことを示しています。そして嶋本昭三は、絵具をつめたガラスの瓶を、立てかけたキャンバスめがけて投げつけ破裂させます。絵具は元永と同じような塗料ですが、雨のように幾筋にも分かれた垂直線の連なりは、元永の場合よりも素早く、絵具がキャンバス表面を流れたことを明らかにしています。~
表現の違いを、感覚だけでなく、言葉で納得したい。具体の作品は、制作段階自体が作品の生命みたいなところがあり、制作方法を知って追体験することで、伝わるエネルギーや力が倍増することがある。そんなツボをぐっと押さえた、解説なのだ。
さ~て、最後の5期のテーマは何だろう?「ぐるぐる」?などと、楽しく想像してみる。
作家としては、今井祝雄・小野田實・金山明・菅野聖子・聴濤襄治・喜谷繁暉・田中敦子・堀尾貞治・松谷武判・ヨシダミノルなどがまだ登場していない…。
このシリーズ企画は、ずっと来年も続けてほしいと、思っていた。
できたら具体作品全部を、と。
「学芸員全員退職」という昨日の驚愕のニュースに、あらためて、指定管理制への移行という事実の厳しさに気付いた自分は、愚かな市民である。
芦屋市立美術博物館の「所蔵品目録(1989to1997)」を眺めながら、春からは、この中身を知らない学芸員による美術博物館になるんだと、どうなるのだと、まるで、美術品を寄託した人のように、心配している。
(追記3/3)
予想的中!!
第5期(2/26~3/6)のテーマは、「ぐるぐる」で、名坂有子・吉田稔郎・小野田實の作品が出ていた。
開催中の芦屋市造形教育展に来ていた元気な女の子達が、小野田實の、無数の○からなるオレンジ系の明るい世界が無限に広がるようで、中心を求めているような作品の前に集まり、「何個ある?」って○を数えようとして諦める、を繰り返していた。私は、彼女達の心とどこかで繋がった気がした。