ブルカを着るアフガニスタンのニュースに出てくる女性達を見て、自分はイスラム世界に生まれなくて良かったと、思った。それは着るというより、着せられているという感じが強いからだ。目すら網目に覆われた囚われ人のような彼女達は、あの中で身体を伸ばすことができるのだろうかとさえ、思う。
一昨年の夏、初めての海外旅行で訪れたウィーンの宿は、3日間泊まるので電車の便利がいい、リンク(環状道路)に面するラディソンホテルにした。ガイドブックには、宮殿を改造したホテル、アラブの富豪も泊まると書いてある。でもそれにしては値段が安い。その謎は行ってすぐに解けた。アラブの富豪が泊まる時は、大勢の召使いも連れている。私達の部屋は、そうしたお供の人の家族が泊まっている部屋の階だった。彼らの部屋のドアの前には、強烈な匂いのする使用後の器が出されていた。豪華客船の3等キャビン。
ウィーンの夕暮れ時、街のシーフードの店で食事をしていると、私達の隣の席に黒ずくめの女性の一団がやってきた。子供を抱いた若い母親を中心に、親族らしき女性たち5人。幼い男の子は普通の子供服、それ以外の女性達は、みんな目の周り以外を黒衣で覆ったチャドルに黒い長衣姿。迫力があった。思わず見てしまう。彼女達の黒い瞳は美しい、エネルギーを放出してるような強い視線、派手な金の腕輪に輝く指輪。ここまでは想像通りだった。アラビア語らしき言葉の響き…そのしゃべること、食べること…私達と同じだった。そのうちに一番若い15歳くらいの美少女の口から♪マドンナという音に近い音が聞こえてきた。(サラ・ブライトマンならともかく)ムスリムがマドンナとは有り得ない。と、改めて見ると、彼女だけは私達と同じようにキョロキョロと周りを見ている。情緒が他の女性達と明らかに違う。もしかしたら、彼女の黒衣の下は超ミニスカートで、刺青などしていて、どこかでパッと脱いでマドンナみたいに踊り出すのかもしれないなぁ、などと想像してしまった。
ウィーンからザルツブルクに向かう列車には、私のトランクの6倍くらいある大きな古いトランクを4つ持ったムスリムの5人家族(父母息子)が乗っていた。(ドイツに移住するトルコ系の家族かな?言葉が聞こえなかったからわからない、いや聞こえててもわからない)彼らを見て、今自分が乗っているのはヨーロッパを東から西に横切る国際列車なんだ、アジアとヨーロッパは地続きなのだ、と実感した。母親は紫色の柄物衣装にオレンジスカーフとカラフルだ。緊張感はない。80年前のケマル・アタチュルクの近代化政策は、トルコの女性を黒から解放した。
昨日、私の生活圏で、すなわち普段行くスーパーの100円ショップで、初めて黒チャドルの女性達を見かけた。目だけでなく顔全体を出しているから、全身黒でもウィーンの時のような強いインパクトはない。若いお母さんはベビーカーを押していた。同じ格好のお祖母さんらしき人と一緒に、髪留めの七色ゴムを籠に入れていた。彼らはアジアを、西から東に向かってやってきたんだなぁ。
しかし、問題は七色ゴムの使い道である。あの黒いチャドルの中の髪はどうなっているんだろう?アラレちゃんのように二つに分けてゴムで留めるのだろうか、やわらちゃんのように前髪も留めてたりして…。やっぱり、子供用かな。
チャドルを身につけた女性達…どうして今更こんなことに興味をもつかといえば、最近、師岡カリーマ・エルサムニーさんの「恋するアラブ人」(白水社)という素晴らしいエッセイ集を読んだからだ。そして、自分が今までどんなにイスラム社会を知らなかったことかと反省したからである。
一昨年の夏、初めての海外旅行で訪れたウィーンの宿は、3日間泊まるので電車の便利がいい、リンク(環状道路)に面するラディソンホテルにした。ガイドブックには、宮殿を改造したホテル、アラブの富豪も泊まると書いてある。でもそれにしては値段が安い。その謎は行ってすぐに解けた。アラブの富豪が泊まる時は、大勢の召使いも連れている。私達の部屋は、そうしたお供の人の家族が泊まっている部屋の階だった。彼らの部屋のドアの前には、強烈な匂いのする使用後の器が出されていた。豪華客船の3等キャビン。
ウィーンの夕暮れ時、街のシーフードの店で食事をしていると、私達の隣の席に黒ずくめの女性の一団がやってきた。子供を抱いた若い母親を中心に、親族らしき女性たち5人。幼い男の子は普通の子供服、それ以外の女性達は、みんな目の周り以外を黒衣で覆ったチャドルに黒い長衣姿。迫力があった。思わず見てしまう。彼女達の黒い瞳は美しい、エネルギーを放出してるような強い視線、派手な金の腕輪に輝く指輪。ここまでは想像通りだった。アラビア語らしき言葉の響き…そのしゃべること、食べること…私達と同じだった。そのうちに一番若い15歳くらいの美少女の口から♪マドンナという音に近い音が聞こえてきた。(サラ・ブライトマンならともかく)ムスリムがマドンナとは有り得ない。と、改めて見ると、彼女だけは私達と同じようにキョロキョロと周りを見ている。情緒が他の女性達と明らかに違う。もしかしたら、彼女の黒衣の下は超ミニスカートで、刺青などしていて、どこかでパッと脱いでマドンナみたいに踊り出すのかもしれないなぁ、などと想像してしまった。
ウィーンからザルツブルクに向かう列車には、私のトランクの6倍くらいある大きな古いトランクを4つ持ったムスリムの5人家族(父母息子)が乗っていた。(ドイツに移住するトルコ系の家族かな?言葉が聞こえなかったからわからない、いや聞こえててもわからない)彼らを見て、今自分が乗っているのはヨーロッパを東から西に横切る国際列車なんだ、アジアとヨーロッパは地続きなのだ、と実感した。母親は紫色の柄物衣装にオレンジスカーフとカラフルだ。緊張感はない。80年前のケマル・アタチュルクの近代化政策は、トルコの女性を黒から解放した。
昨日、私の生活圏で、すなわち普段行くスーパーの100円ショップで、初めて黒チャドルの女性達を見かけた。目だけでなく顔全体を出しているから、全身黒でもウィーンの時のような強いインパクトはない。若いお母さんはベビーカーを押していた。同じ格好のお祖母さんらしき人と一緒に、髪留めの七色ゴムを籠に入れていた。彼らはアジアを、西から東に向かってやってきたんだなぁ。
しかし、問題は七色ゴムの使い道である。あの黒いチャドルの中の髪はどうなっているんだろう?アラレちゃんのように二つに分けてゴムで留めるのだろうか、やわらちゃんのように前髪も留めてたりして…。やっぱり、子供用かな。
チャドルを身につけた女性達…どうして今更こんなことに興味をもつかといえば、最近、師岡カリーマ・エルサムニーさんの「恋するアラブ人」(白水社)という素晴らしいエッセイ集を読んだからだ。そして、自分が今までどんなにイスラム社会を知らなかったことかと反省したからである。