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星降るベランダ

めざせ、アルプスの空気、体内ツェルマット
クロネコチャンは月に~夜空には人の運命の数だけ星がまたたいている

甲斐バンドを聴きながら

2014-09-29 | ダンス日和
~最近は三ヶ月に1回くらいしかアップしてないのに、毎日訪れて下さる方がいます。情報を発信するわけでもない、こんなつぶやきブログを読んで下さる方がいるということに、驚きと感謝。本当にありがとうございます。もうすぐラミーチョコの季節、少し頑張ってみます。

      
        ~建設後すぐに解体されたアポロチョコハウス



♪今が過去になる前に俺たち走りだそう♪ ~「HERO」甲斐バンド

最近、今がすぐに過去になるような気がする。
残したい今が、自分にあるのか?
このブログを始めたのが、2006年の秋、もう8年が経った。
久しぶりに過去の記事を読むと、確かに、その時の自分に出会う。
その時にしか、書けない言葉がそこにある。
誰かに読んでもらうためでもない、今の自分が、未来の自分に向けて書いている。

何かに出会い、それが自分だけの何かと結びつく、そんな今を残したいと思う。
なんて、固く思っていたら、みんないつのまにか遠い過去になってしまう。
とりあえず…

☆昨日のわがまちクリーン作戦で、ライオンのぬいぐるみ左手に持って、右手で草を抜いてたウタ君のキュートな髪型が、どうして忘れられないのか?

☆プロヴァンスのお土産の石鹸にドーンと蝉がのっているのはなぜだろう?

☆海老茶筅髷・笹紅に始まる私の浮世絵ブーム、箱根の旅→高田郁→古川柳→次は?

☆ヤマガミさんの、鉛筆で描いた新宿の風景に映像が重なり、月が出てきた途端、涙ぐみそうになったのはどうしてだろう?

☆吉原治良の1960年の作品の、白い部分が国会を取りまく群衆に見えたのは、私だけだろうか?

☆「わたしたちのひと足ひと足は水底までさし込む月の光を、細かくきらきらと星のように散らすのでした。」のような絵はないかしら?

☆秋の夜ないてる虫たちは、昼間、青空の下で眠っているのだろうか?

☆山頂の青空が突然噴煙で真っ暗になった瞬間…何ができるだろう…


今、心に浮かぶこんな疑問を追っていくことから、走り出せないまでも、一歩足を動かせるかもしれない。


♪おまえの愛の灯は まだ燃えているかい♪ ~「安奈」甲斐バンド

      かすかに、でも、確かに。
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海を渡る蝶

2012-02-16 | ダンス日和
てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った
       (安西冬衛「春」)という詩があるけれど、
蝶は、一匹でも一羽でもなく、一頭と数えるのね。

ずっと前から、蝶になる夢を見たいと思っていた。
荘子の「胡蝶の夢」のように、
目覚めた時、もしかしたら蝶の自分が
今、人間になった夢をみているのではないかと、思えるような夢。

2012年明けてすぐ、こんなニュースに胸が躍った。
「和歌山県から飛び立ったチョウが、約2500㎞ 離れた香港で捕らえられた。10月10日から12月31日まで83日間の旅。翅(はね)を広げると10センチのアサギマダラは、秋に南下し春に北上する。」

凄い!
一日の移動30㎞。海の上で何を食べて?どこで翅(はね)を休めるの?そして何のために?同じチョウがまた戻ってきたりするの?
 
まてよ、アサギマダラってどこかで聞いたことがある。あれだわ!
『雨の物語~日本最多雨 大台ヶ原の四季』(2008・11・10放送)
~、「ポッチョーン」というウォータークラウンの映像と降りしきる雨
「日本人は古くから雨とともに生きてきました」という武内陶子アナのナレーションで始まるNHKハイビジョン特集の傑作。何度も繰り返し見ている我が家のHD保存期間最長番組。
その中で、雨の最も降る夏、ブナの木の「大きな葉っぱの下でじっとしているチョウがいます。アサギマダラです。雨が降っている間決してここを動こうとしません。」という映像があったのだ。
夏、羽が濡れることを避けるアサギマダラが、秋になると、嵐がくるかもしれない海の上を飛んでいくなんて、思いもしなかった。

       (写真と文・佐藤英治、山と渓谷社、2006年刊)

この本を読んでも、「なんのために長距離を移動するのか?この疑問は、(マーキング)調査が始まった当初から今になっても解決されていない最大の謎なのです。」とある。

「モンシロチョウのように上下にゆれながら「ヒラヒラ」羽ばたいて飛ぶのではなく、アサギマダラは、ほとんど羽ばたかず、風にゆられるように「フワーリ、フワリ」と優雅に舞ったり、翅をV字型にとじたまま、目的地まで一直線に滑空したり、まるで、上から糸でつるしたオモチャの飛行機のように、同じ場所をクルクル旋回したりと、さまざまな飛び方を見せてくれます。もちろん、モンシロチョウのように「ヒラヒラ」羽ばたくこともありますが、浅葱(あさぎ)色の美しい翅が陽光をあびながら飛ぶさまには、心をうばわれます。」

なんと自由でステキな蝶だこと。ふわ~り、ふわり。

私は、海峡を渡る蝶をみる夢ではなく、
アサギマダラになって海峡を渡る夢を見たい。

波にのまれそうになったり、鳥に襲われたり、仲間が次々消えていくのを見るかもしれない。
何のために飛んでいるのか、どこに向かって飛んでいるのか、
きっとわからない。
でも、海は、キラキラ輝いていて
風と一体となって、飛んでいくの。
 ~ふわ~り、ふわり~~ふわ~り、ふわり~
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カーヴィーなわたし

2011-03-04 | ダンス日和
   人は失ってから、それが大切だったことに気づく。
   
        
           アレキサンダー・アーキペンコ「空間にあるトルソ」1936年

最近気づいたことがある。私は三人以上と話す時、空間で浮かんでしまうことを言う癖があるらしい。
潜在意識では「え?なになに」と続けばいいなと願っているのかもしれない。
時々、浮いたまま自分一人で追いかけてしまうこともある。

兵庫県立美術館で、同世代の友人達といっしょにこのトルソを見た時私は言った。
   …「逆カーヴもありうるわね」
この言葉は、しばらく、空間に浮かんでいた。
そして、後からじわ~と、自分の言葉に傷ついた。きっと友人達も傷つけた。

モナリザと自分の顔を比べたりはしないのに、どうしてこのトルソは、自分と重ねてしまうのだろう。
それは、きっと、このカーヴィーラインがとてもとても好きであるだけでなく、かつては…と、自己妄想の記憶の中の探し場があるからだと思う。

この日、兵庫県立美術館のコレクション展Ⅲには、小出楢重の「裸婦」1930 の水彩画も出ていた。
自らを自虐的に「骨人」とよんだ画家が、思い切りカーヴィーボディを描いている。
彼もこのラインがとても好きだったに違いない。
 
~今の処、何といっても私が思う存分の勝手気ままを遠慮なく振る舞い得る場所はただ一枚のカンヴァスの上の仕事だけである、ここでは万事をあきらめる必要がない。私の欲望のありだけをつくす事が許されているのだといっていいと思う。~「小出楢重随筆集」芦屋風景より

カンヴァスの上での自由を得られない私は、未来に探し場を求めるという妄想・幻想を抱いて、樫木裕実先生のDVDについていくしかない。
 
「これを20年前からやっておけばよかったわ」と言った私に、
「70才になってもそう言うね」と母が言った。

汗と共に、小さな声が、空間にひらひら舞う。
  
      ♪あきらめないで~ 
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迷子のサリー

2009-09-17 | ダンス日和
サリーは自分は飛べなくなった魔女だと思っている。 

サリーは痩せたら飛べるかも知れないと思った。
1年間シナモンドーナツもパイナップルジュースも我慢した。

サリーは近所の保育所のバザーで羽根を見つけた時、この羽根をつけたら飛べるかもしれないと思った。
それ以来ずっと羽根をつけている。

サリーは風が吹けばスカートがふくらんで、空に舞い上がれるかもしれないと思った。
毎月、新しい形のスカートを自分で縫った。


サリーは飛ぶというのは天から引っ張られることかもしれないと、モデルさんのように歩いてみた。
毎日壁に踵と背中と頭をつけて、丸まった身体を真っ直ぐに伸ばした。

サリーはサラ・ブライトマンの歌を聴いていて、一瞬自分が宙に浮いたような気がした。
歌を歌ったら飛べるかもしれないと思った。
サリーが歌ったら、チョウチョがやってきて「へたっぴー」とからかうのだった。
サリーは、ふわふわ飛んでるチョウチョと仲良しになったら一緒にとべるかもしれないと思った。

サリーは、誰よりも早く歩いていると、そのうち飛べるかもしれないと思った。
素敵な紫の靴を履いた。
でも、その靴の先は、歩こうとすると、後ろに向いてしまうのだった。
その靴は、自分の歩きたい方向には、どうしても進めない靴だった。

だれかサリーに教えてあげて、
…いつ飛ぶのか、決めるのは、あなた自身なのよって。 

(去年のルミナリエの夜買った小さな人形の足はなぜか反対に向いている。
 まるで、魔法をかけられた王女様。
 でも、サリーという名前をつけたら、普通の女の子になった。)                     
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健気組

2009-01-05 | ダンス日和
年賀状に結婚の知らせが4通。めでたさの2乗。
新しく始まった人生、幸せも2乗になりますように。
来年の年賀状、子供だけの写真ではなく、一年後の自分たちの笑顔もみたいなぁ。
いつまでも、二人で楽しいダンスを踊りましょう。

           (やっと完成)

新年早々、針と糸を手に持ってクロスステッチなどしている。
いつ頃からだろう。
自分の前世は、パリ・オートクチュールのお針子さんであったと
思うようになったのは。
針を持つあの健気な感じが文句なく好き。

           (私の干支はどれでしょう?)

そう、2009年のテーマは「健気(けなげ)に生きる」

亀田の柿の種の小袋の裏に「けなげ組」の会員のつぶやきが載っている。
会員には「やせたら使ってもらえるベルト(の穴)」「田舎の信号」「雑の字」「消しゴム」「時計の秒針」「ピアノの両端の鍵盤」などがいて、これを読んでいると、世の中は、愛おしい物で満ちているような気持ちになる。
この時代、これは貴重なことだ。
花が咲いているというのは、水をやっている人がいるということ。
道路に落ち葉やゴミが落ちてないのは、誰かが掃除してるということ。
人の社会は、健気な人の活動で成り立っている、という
小学校の社会科の基本のようなことを、今更ながら確認する年の始め。

     
     汗をかく肩こらぬよう腕回す 

     やってみるそれだけのこと健気組

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6月の「ラブストーリー」

2008-06-27 | ダンス日和
ホタルは人間暦6月のある日、ロマンチックな夜を迎える。
3年前、伊吹山のホタル達と共に過ごした夜があった。
数千匹のゲンジボタルの生涯最良の日に立ち会ったのだ。
久しぶりの夜の暗闇の中、足音をたてないようにそーっとそーっと、ホタルの生息する川辺に歩いていった。
いたー、いました。ポワ~ンポワ~ンと闇の中で光っている。
やがてその辺りのポワ~ンポワ~ンのリズムが、まるで誰かが号令かけてるみたいに揃ってきた。(ホタルには同調性という習性があるらしい)

っと、突然、その場にさしてきた強い光、急速に近付いて大きくなっていく。
ホタルのロマンチックな世界が消えた。
それは川の堤防の上の道を走る一台の自転車の前方ライトだった。
たった一台の自転車の灯りが、自然界の闇の世界を消してしまう。
人の営みが、自然界に挑戦するものであることを、まざまざと感じた瞬間だった。

熱を発しない冷光の明るさでは、ホタルをしのぐ光をまだ人類は発明していないという。
そういえば蛍光灯ってホタルの光って書くのね。
ホタルに憧れた人が、発光ダイオードの研究をしているのかもしれない。

糸魚川静岡構造線を境に、日本のホタルの種類は変わるという。
ポワ~ンの間隔が、東は5秒、西は2秒間隔。
関西のホタルはせっかちなのだ。韓国のホタルはどっちだろう。

ホタルの里の売店で買った、このライトは、もちろん関西バージョンだった。

              
 

これを点ける時、私には、韓国映画「ラブストーリー(原題:クラシック)」のテーマソングが聞こえてくる。
クァク・ジェヨン監督が「猟奇的な彼女」の次に撮った作品。
ラストのホタルの光舞うシーンにもこの曲が流れていた。
この映画には、忘れられないシーンがたくさんあるけど、
雨のシーンが特にいい。雨が人の心に降る。時に優しく、時に激しく。
中でも一番好きなシーンは、ジヘ(ソン・イェジン)が、彼の思いを知って雨の中手に傘を持ったままヒールで大学構内を走っていくシーン。
ずぶ濡れの、彼女の輝く笑顔。
監督はこのシーンが撮りたくてこの映画作ったんじゃないかと思うほど、素晴らしい。

今より10㎏身軽だった21才の私もヒールを履いてずぶ濡れで広島の街中を走ったことがある。
最初は走った方が濡れる確率が少ないと判断するほどの小降りだった。
途中でジャンジャン雨が降ってきて、もう上から下までびしょぬれ。
途中から何も身につけていない裸で走っているような不思議な開放感があった。

下宿の玄関に着いて、庭先の雨に濡れる紫陽花にふと目がいった時、
「紫陽花と同じだね」と言ったら、一緒に走った友達が「カエルだよ」と言った。

雨の中 傘をささずに走りたい時がある。
ホタルのように、互いを求めて光っていたい時がある。
…6月の「ラブストーリー」
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DIN DON

2007-11-09 | ダンス日和
観た映画がつまらなかったら、どうする?
期待してたのに、心退いていく映画だったらどうする?
う~ん、もっと楽しいこと探しましょう。

腹がたつわけでもない、あえて言えば、観なかったことにでもしようと思う映画なんて、珍しい。画面の彼を見てほとんど心が動かなかった。そのことにショックを受けている。もう彼からこんなに離れているということなのか?デビュー当時のサラサラヘヤーの「ナップン・ナムジャ」にはいまだ心躍るのに。「サンドゥ」には胸ズキューンなのに。

シネカノンで映画を観た後、何かを失った気分でハーバーランドを淋しく歩いた。

キャナル・ガーデンのボールマシーン「DIN DON」のボールが、今日も同じ澄んだ音を立てて転がっている。
ジョージ・ローズさんの作った大きなピタゴラスィッチ。

                    

一緒に観た友人の、「こんな感じの映画だったね」と言う言葉で、少し、元気になった。
…でもやはりDINDON>>>今みた映画。

    転がらぬ ファンタジー玉 サイボーグ 

阪急のレストランの窓から見える、モザイクの可愛い建物は、1915年建造の貨物船入港監視台。万国旗が揺れる。

                 



    曇り空 カモメ振り向く 万国旗
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あーたーらしい朝がきた♪

2007-07-24 | ダンス日和
夏休みである。早起きゼミが鳴いている。
今朝はお弁当作った後、近くの公園のラジオ体操に行ってきた。

                       
♪新しい朝が来た 希望の朝だ
 喜びに胸を開け 大空あおげ
 ラジオの声に 健(すこ)やかな胸を
 この香る風に 開けよ
 それ 一 二 三    (「ラジオ体操の歌」藤浦洸作詞・藤山一郎作曲)

公園の四方から、わらわらと子ども達が集まってくる。
100人くらいの早起きさん、大人も20人くらい混ざる。
ベンチにつながれた元気なワンちゃん3匹…体操する気ムンムン。
さすがにネコはいないけど、近くの草むらで背伸びしてるに違いない。

こっちを向いた4人の女の子、体操リーダー。6年生かな?
ラジオからの「おはようございまーす」に
大声で「おはようございます」って応えたの、わたしだけだったのはなぜ?
ここは、元気よく挨拶しようって、いわれなかった?
ふ~む、大人のリーダーがいないのかしら?

久しぶりだけど、身体が覚えてるわ。
ぐるっと身体を回す時は、コマ送りのようにきしむけど。

体操の後、先ほどのリーダーさんが、カードに印を押してくれた。

                      
もう、なんか、完全夏休み気分。
どうする、この自由感。
カードの印をおしてない日々の数字がキラキラしてる。
子供の頃、甲子園の決勝戦が終わる頃までは、毎年幸せな日々が続いたなぁ。
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体育の時間

2007-06-28 | ダンス日和
50分間、DVDをみながら、ワン・ツー・スリー・フォー・ファイヴ・シックス・セヴン・エイトと声だけは頑張って出し、最後に「VICTORY!」と叫ぶ私は、本当に凡人だと思う。

「♪男のいのち 強さなり 女の道は 優しさよ
 力を合わせ この郷に 文化の華を咲かせなむ♪」

私の出身高校の校歌である。今にして思えば、男女平等の点で問題があるこの歌詞は、10年位前に全国紙でも取り上げられ、現在ではこの3番は削除されている。
この歌を青春期に繰り返し歌った私の中には、何年経っても、この1行目の歌詞が摺り込まれて残っている。(やはり国家のために潔く死んでいくことを名誉とするような歌を学校で習ってはいけない。)

そんな高校では、体育の時間、男子は柔・剣道を選択できたのに、女子には選択の余地なく、古い武道場で不思議な授業を受けていた。担当は、元国体の陸上選手で、中距離記録を持っていたこともある、O先生という小柄な年配の、役行者のようにフットワークの軽い女の先生。彼女は学校の裏にある寮に陸上部の女子生徒3名と一緒に住んでいた。彼女たちはキビキビといつも伏し目がちで、O先生の黒子、いや役行者の弟子のような存在だった。

毎時間、生徒が武道場の床をきつく絞った雑巾で拭き終わってから先生が登場して授業が始まる。体育の授業といっても、身体を動かすのは体操と腹筋運動だけで、ほとんどはO先生によるお説教…言葉遣い・戸の開閉・掃除の仕方・電話のかけ方・バスの乗り方の心得、時には卒業生からの感謝の手紙を読み上げることもあった。(母によると、これは昔の女学校の作法という時間に相当するらしい。)

私のクラスは特進理系だったので、男女比=3:1で女子の数が少ないから輪番制の体育当番が早く回ってくる。その上、O先生は、「特進クラスの女子は生意気だ」という固い偏見を持っていたので、1時間中のほとんどが、もう何回も繰り返されてきた教訓とやや偏った価値観に基づく説教である。…そのうち、私たちは体育座りのままウトウトする。当然また、話を聞く時は人の目を見なさいと説教が加わる。当番になった日は最悪、授業前から集中砲火を浴びるので、朝からめちゃくちゃ緊張した。

O先生の授業で、体操以外には、創作ダンスというのがあった。身体の硬い私はこれが苦手だった。(後ろにそらそうとして、バタンと後ろに倒れてしまったことがある。)剣道の男子がうらやましかった。後に看護師になったクンちゃんという、素晴らしく身体が柔軟で優雅に踊る同級生が、O先生のお気に入りだった。O先生の扱い方のコツをつかんだ私たちは、心優しいクンちゃんをいつも表に出して、1分でも早く、今日の授業が終わるのを待っていた。

でも、不思議なのだ。
ビリーズ・ブートキャンプをやってると、まざまざとO先生の顔が浮かんで来るのだ。まるで彼女の授業をうけてるみたいな50分なのである。高校時代の他の先生の顔も声もほとんど忘れているのに…。あの頃今の私くらいの年齢であったと思われるO先生の軽いフットワークにはあらためて尊敬の念を抱く。

先生が今でもお元気なら、きっとワン・ツー・スリーって、どこかでやっているような気がする。口癖だった一日腹筋200回は、絶対やり続けているはず。

O先生…あの頃は無礼な生徒ですみませんでした。そして、ありがとうございました。先生から教わった戸の閉め方はずっと実践してきました。この年になって、私は、あなたへの憧れを強く抱いています。「GOOD JOB!」
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パレードを追いかけて

2007-05-05 | ダンス日和
私の手に残る匂い、クロネコチャンならいくつかぎ分けられただろう。
触ったのは…チンパンジー、白馬、ミニチュアホース、リスザル、ベニコンゴウインコ。                  

ここのところ毎年、ゴールデンウィークの晴れた日に行く所は決まっている。双子パンダが見られる遊園地。…そう、白浜のアドベンチャーワールドだ。駅で求めた割引入場券(大人3800円→3600円)。昨年より入場券が値上げされてる。でもまぁ、養わなければならないパンダの家族も増えたことだし、仕方ないわねぇ。

今日の動きは、
パンダ→イルカショー→ソフトクリーム→パンダ→観覧車→ふれあい広場→パンダバーガーの昼食→動物パレード→アシカショー→ソフトクリーム→ペンギンパレード→お土産
(さすがに、5回目となると、要領がいい)

 

9時開園、パンダ舎にはアッという間に長い列。朝から梅梅母さんは、真面目にマイペース子育てしてる。えらいねぇ。元気そうで良かった。彼女の双子パンダの可愛いこと。明浜君は梅梅母さんそばにぴったりくっついて、時々見えなくなったりするけど、愛浜ちゃんは一人で、とっことっこ、ぺたん、ふ~んふ~ん、ぺたん、くらいのリズムで、壁沿いにこっちに歩み寄ってくる。最初から大勢の人に見られる生活圏で生きてるたくましさがこの子にはある。次来る時には、もう外でころころと遊んでることでしょう。

屋外の兄さん双子、隆浜と秋浜は、すっかり茶色パンダになっていた。元気な証拠。相変わらず高いところが好きな隆浜は、遊具のてっぺんで、秋浜は岩の上で、時々寝返り打ちながら寝ている。
トップアイドルの期間が短かった幸浜ちゃんは背中丸めて笹をせっせと食べてる。まだ抱っこできそうな大きさ、お腹はまだ白い。梅梅母さんに似て真面目そうなパンダだ。
良浜ちゃんはいつきても寝ている、お腹に永明の赤ちゃんがいるらしい。頑張ってお母さんになるのよー。
8匹家族の長、永明父さんの姿が見えなかったけど、壁の向こうで笹食べてるのかしら。

サファリ号の列がどんどん長くなっていく。太陽がガンガン照ってきた。
大きな観覧車の上からは、サファリランドが一望できる。クマさんが二頭、チョコンと道路にぬいぐるみ座りして、お話している(ように見える)のが見える。太平洋も見えた。気持ちがいい。駐車場は満杯、いったい何台くらい停まっているのだろう。

ふれあい広場のガラス部屋の1歳半のチンパンジーの女の子。8歳くらいのほっぺの赤い坊主頭の人間の男の子とすごく仲良くなって、彼が移動すると、ガラス越しに、バスタオル持って追っかけてくる。彼女はパレードの時にはセーラー服で登場した。
                       
他にもパレードには、駱駝さん、白馬、ヒョウの子供、ミニホース、リスザルを背中に乗せたレトリバー犬、大きなベニコンゴウインコが参加。みんな健気にお勤めを果たしてる。エライ!

 
        

      パレードは幸せ運ぶ大人にも

 
            
久しぶりの使い捨てカメラ使用。サイバーショットが壊れたの、エ~ン。


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ミモザの花咲く頃

2007-03-20 | ダンス日和
            

私が自分で自分の髪を洗い始めた頃、使っていたのは

「南フランスに咲くというミモザの花の香りの花王フェザーシャンプー」

だった。白いキャップの黄色い容器。リンスには、洗面器のお湯にキャップ一杯を溶いて何度か髪にかける、と容器の後ろに書いてあった頃のこと。

とにかく、その香りを私は好きだった。髪を洗うたびに、
「ミモザってどんな花かな?ミモザの花咲く南フランスにいつか行きたいなぁ」
と思っていた。

先週、いつもの道と違う道を歩いて駅に向かう途中で、電線の上まで伸びてユサユサ揺れてる大きな黄色い花をつけた木を発見。
ミモザだーっ!

今日は、豪華絢爛ミモザの木に寄り道をして、プールへ行った。
TVでは、連日シンクロの映像が流れている。
マーメイドになった女の子達の必死の戦い。
足の親指の先までビビッと届く神経、見てるだけで足がつりそうになる。
私の身体は、放っておいても浮くけど、潜れない。

マーメイド目指して泳ぐミズスマシ
ミズスマシ目指して浮かぶマーメイド
気がつけば夕日きらきら水の中
ミモザには枯れる気配がありません
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百万石を独り占め

2007-03-13 | ダンス日和
ゆく冬を惜しむかのように、吹雪を求めて、北陸へ旅立った。
いやいや、早春の温泉ツアーのつもりが、なんと今年の冬一番の雪、という日にたまたま当たってしまったのだった。

琵琶湖の西を走るはずのJR特急列車サンダーバード号に乗車するなり、「強風のため、琵琶湖の東へ迂回し、30分遅れます」との車内放送。2時間後には列車が止まる。原因がわからないまま止まっている列車に乗っているのってとても不安。しばらくして「前を行く普通列車がいぶりはし駅とあわづ駅間で停車していて、現在原因を調べています」という、ドキドキする放送が入る。おまけに窓の外はいつのまにか、吹雪いてきた。金沢にはいったいいつ着くのだろう…

…こんな始まりの旅には、すごいおまけがついた。3月の低気圧とJTBの湯煙パスポートと、山代温泉のキャンバス周遊券が、偶然生み出したおまけとは…
…なんと、「ホテル百万石の大浴場・露天風呂・レストラン貸し切り!」という、豪勢な体験だったのだ。

前夜、友人と私は、吹きすさぶ雪とみぞれの中、ホテル「瑠璃光」の露天風呂に入った。屋外に出て露天の湯船にたどり着く5歩くらいにも、悲壮な決意を要する寒さだった。でも、いや、だからこそ、お湯の温かさが身にしみた。湯煙がすごいスピードで水面を走っていく。頭髪の水滴が冷たい霧のように顔に降る。でもお湯は温かい。…この凍える露天風呂は凄く気に入った。
翌日、山代温泉名所周遊キャンバスに乗った私達には、さしたる目的はなくどこで降りるか決めていなかった。だから1つめのバス停九谷美陶園で降りた後、またキャンバスに乗って2つめの桔梗が丘で降りた。そこにたまたまあったのが、山代温泉で一番大きなホテル「百万石」。そういえば登録旅館には無料で入浴できますよという湯巡りパスポートがJTBには付いていた。空も晴れてきた。美しい庭園見ながら露天風呂に入りましょう、とホテルに入っていった。

旅館ホテルの12時前というのは、ちょうど泊まり客の狭間に当たる。フロントでは、ホテルの従業員さん達が打ち合わせをしている。フロアの広い空間に、お客さんらしき人は誰もいなかった。さすが一流旅館、ただの入浴客にも丁寧に応対してくれる。浴場の準備がまだ10分くらいかかるという。「じゃあ、館内ゆっくり見ながら行きます」と、探検を始めた。おー、横にも縦にも広いロビー、数十のテーブルが並ぶ。吹き抜けが豪快。しかもパンフレットの写真のように視界には誰もいない。
瑠璃光の3倍くらいある大きな売店、ここでもキャッシャーを整備している売り子さん以外、私達だけ。買う気もなく漂っていると、目に入った。「え?何故にこんな所にピ君(RAIN)が?」~ぼくのPOWER!ゲルマニウム!ぼくのFASHION!ゲルマシルバーコレクション!~こんな出会いはしたくなかった。私、首に数珠ぶら下げて走る男子マラソン選手嫌いなんだから。

さあ、気を取り直して歩く、なにせ広い…大浴場「千代の湯」に着いた。世話係の方が入り口にいるだけで、シーンとしている。本日一番乗り!と威勢よく入っていった。外は武家屋敷風の塀はあるけど庭の空間が広く、明るい、湯船も大きい!泳げるわー!武家屋敷のお庭で入ってる気分の露天風呂も、天候のせいか、お湯の温度は前夜よりずっと高い。とにかく貸し切り、もう、我が家のお風呂状態なのだ。

湯巡りパスポートには、各自持参とあるフェイスタオルも、無料で貸してもらったし、せめて食事はこのホテルでしてあげようと、食事処を探す。誰にも会わないまま、探索は別館に続く。ランチメニューの黒板をみつけ、九谷焼の陶板が、店前にも店内にもはめ込まれた欧風創作料理レストランKOTOJIに入る。美しい日本庭園が一番よく見える席に案内された。前菜・スープ・スパゲティ・デザート・コーヒーを美味しくいただき、丁寧なサービスで、1500円。値段とともに満足度は、ここ半年間で最高の食事だった。でもここでも客は私達だけ。さすがに、だんだんありえないことが起こってるような気がしてきた。

…お昼12時の温泉旅館ホテルは、穴場的時間空間。
でも、防犯カメラに映る私達を不審者としてずっと追っている目があったかもしれないなぁ。大丈夫、お風呂で泳いだり、お食事した以外は、お祭り広場の千体人形の格好を真似したり、レンタル浴衣のお気に入りを選んだり、つるし雛の垂れ飾りや、北出不二雄ギャラリーを鑑賞し、陶板焼の山々の中に六甲山を見つけて「わー」なんて言ってただけですから。
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2号線サイクリング

2007-02-01 | ダンス日和
この肩の凝りは、昨日自転車にほんの3時間ほど乗ったせいかしら…

1月だというのにぽかぽかと暖かい。
こんな休日は、ディートリヒ号でお出かけしたい。
六甲に住む友人と、私が、同時に自宅を自転車で出発し、
2号線に出て、東西から劇的な出会いを果たし、
出会い所の近くで昼ご飯を食べる、という楽しい計画をたてた。

10時半出発。思ったより風が冷たい。
それでも陽の当たるところは眩しいくらい明るく暖かい。
7分で2号線に出た。30分くらい走る。建物の影が多い。
気がつけば、甲南コープリビング。地図上でほぼ、中間地点である。
そろそろ出会うかな?と思ってたら携帯がかかる。
え?え?東神戸センター前? なんと、いつのまにかすれ違ってる。
互いに元来た道を戻った。
おー、またまたすれ違うところだった。そんな格好してるから…
二人とも毛糸帽子にヤッケという、普段とは違う格好だったのだ。

人間は互いを認識するために、どれだけの情報を入力しているのだろう。
水泳教室で出会う方と、ボランティアの会合で一緒になったことがある。
表情から、どこかで見たことある人だと思ったけど、なかなか思い出せない。
お互い声を聞いて思い出した。
「あっらー、服を着てるから、わからなかったわー」

2号線沿いはラーメン街道、うーん、ラーメンねぇ。
塩分控えてるので、本山駅近くに移動して、初めての豆腐料理屋さんでランチ。
この友人と行くと、必ず美味しい店に行き当たる。
ザルツブルクでも、ウィーンでもそうだった。

お豆腐は美味しかったけど、今回の計画は失敗かな?
なぜなら、建物の影になる2号線の歩道は自転車で走っても面白くないのだ。
風を顔に受けながら、日焼けを気にして走る臨港線のほうが楽しい。

帰りは、南側の脇道を、ゆらゆらと東進。
神戸市東灘区…知らない町並みなのに、私の目は、震災後に建った建物と、震災前からある建物を、自然に振り分けている。
                      

個人的に、ずっと探していた神社も見つかった。
いや、探していたのか、避けていたのかわからない。
…とにかく、ここで祈ることで、あることが私の中で終わった、と思う。
いや、始まったのかな。
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チゴイネルワイゼン

2007-01-17 | ダンス日和
 by G・クレフ「ペル・メル」(G-CLEFデビュー作「Pell Mell」1989)2曲め

昔昔、ワンピースのぽっかり出たおなかの真ん中にベルトをしている養護の先生を見て、「あれはここがかつてのウエストであるということを示すウエストマークベルトなのよ。」などと、友人に偉そうに言っていた高校生がいたらしい。

○十年後、彼女は、そんな自分を悔やんでいる。今そのときの報いがきているに違いないからだ。あの時あんなこと言ったから、こんなことになるんだ、ごめんなさい。ごめんなさい。
傲慢な若い娘は、年をとって少しだけ謙虚になった。
今、彼女は、かろうじて前から見たときだけ残るウエストのくびれを維持しようと、あがいている。

だから彼女は、G・クレフの「チゴイネルワイゼン」が、スピーカーから聞こえてくると、突然、タンゴを踊り出したりする。
(踊っていると本人は思っているらしい)
とにかくこれには、クロネコチャンだって、目を覚ますはず。

次の曲「チャルダッシュ」に至っては、狂ったようにエアーギターならぬエアーヴァイオリンを弾き始めている。
(本人はなりきりジプシー娘らしい)。
クロネコチャンは逃げ出すかもしれない。

かっこいいGークレフは、いつのまにか解散して、
情熱的な「ペル・メル」は、廃盤になっていた。
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初泳ぎ

2007-01-09 | ダンス日和
年明けて一番寒い日…(何せ、マフラー嫌いな旦那様がネックウォーマーしていったくらいだもの)…泳いできた。いや正しくは、温水プールで浮かんできた。

水面に水平になって、全身を伸ばすのがとても気持ちいい。
足をばたばたもせず、ただひたすら、すーっと水中で手をのばし足を伸ばす。
自分がとても長くなって別の生物になったように感じる瞬間が好きだ。

水中で、お魚になったついでに、熊川哲也さんにもなってみる。
ただ歩くウォーキングではなく、水中で蹴って片足を前にぐーっと伸ばして、後になった足を後に伸ばすだけなんだけど、胸はって手もバランスよくつけるとなりきりバレリーナ(あくまで気分だけの問題だけど)。調子に乗って、今日みたいに人が少ない時は、何往復もやってしまう。

結局クロールは25Mを一回だけしか泳がなかったけど、水遊びは楽しい。
プールの受付横に、年賀のイノシシ君がいたけど、イノシシ君は泳げるのだろうか?

干支にイノシシ年があるのは日本だけで、本来は、豚年である。
という朝日新聞の記事を、イノシシ年生まれの女の子が読んだら、ショックうけるだろうなと、思う。暦としての干支が、日本に伝わった時、日本では豚を飼ってはおらず、野生のイノシシしかいなかったのだ。
中国・韓国では豚は金運を運ぶので、その年は出産ラッシュになるらしい、と言ったら、少しは立ち直れるだろうか。
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