さよならだけが人生ならば また来る春はなんだろう ~寺山修司
どうして私は毎年お花見するのかしら?桜の写真を撮るのかしら?
春になると、日本中どこにでも咲いているのに、いそいそ出かける。
咲いてることに驚いたように写真を撮る。
ほぼ去年と同じ場所でも写真を撮る。
毎年「わ~、綺麗」と、感動した瞬間、その花と出会った自分の時を残したいと思う。
そして、誰かに伝えたい。「綺麗でしょう」と。
たぶん、こんなにきれいな桜を見てる自分がいることを伝えたいのだ。
ぼーっと桜色の世界を歩ける「平和」がここにあることを確認したいのだ。
そう思ったのは私だけではない。
今年、私のスマホには、友からそんな桜の写真が集まった。
~鳥取城のお堀桜、福岡城址の桜、桜守公園の笹部桜、河口湖畔の富士桜、平安神宮の枝垂桜、奈良の又兵衛桜、猪名川沿いの桜、清荒神の淡墨桜、結弦羽神社の桜、尼崎の河津桜、花のみち宝塚乙女桜、盆栽の旭山桜、夙川の桜、近くの公園の桜
今年の最後の桜は、国立文楽劇場の「義経千本桜」~舞台一面満開の桜。太夫も三味線方も桜色の裃を身に着けて、桐竹勘十郎さんの白狐忠信が、舞台せましと満開吉野桜の世界を駆け巡る。人間国宝がとっても楽しそうに演じてる。
劇場の幕が閉じた時、自分が今年見た桜が、もう一度咲いて、潔く散った気がした。
桜の季節になると思い出す箱がある。
昔々まだ小学校にあがる前持ってた、花咲爺さんの絵がかいてある、濃いピンク色の三段重ねの木製弁当箱(「遊山箱=ゆさんばこ」という徳島独自の文化だと最近知った)。
これを思い出すたびスキップしたくなる。正確にはスキップしてる幼い私が目に浮かぶ。きっと自分のものだという強い所有欲・満足感に目覚めた対象物だったに違いない。
2021年の春、母の車椅子押して近くの公園でお花見しながら、
「花咲爺さんのお弁当箱はどこへいったの?」とか話してた時の写真がある。
(なんでこんなに母さん笑っているんだろう。)
2009年の春、徳島の遍路道で車椅子の父とお花見をした時の写真もある。
(もうあまり会話はできなかったけど、父さん手を振ってるみたい。)
母・父にとって最後の春を、車椅子押して、いっしょに桜の下で過ごせた思い出は私の宝物。
ほら、あの時の花吹雪が目に入る。
~タンタンタンまた来る春にあえるならきっとお花見するでしょう
どうして私は毎年お花見するのかしら?桜の写真を撮るのかしら?
春になると、日本中どこにでも咲いているのに、いそいそ出かける。
咲いてることに驚いたように写真を撮る。
ほぼ去年と同じ場所でも写真を撮る。
毎年「わ~、綺麗」と、感動した瞬間、その花と出会った自分の時を残したいと思う。
そして、誰かに伝えたい。「綺麗でしょう」と。
たぶん、こんなにきれいな桜を見てる自分がいることを伝えたいのだ。
ぼーっと桜色の世界を歩ける「平和」がここにあることを確認したいのだ。
そう思ったのは私だけではない。
今年、私のスマホには、友からそんな桜の写真が集まった。
~鳥取城のお堀桜、福岡城址の桜、桜守公園の笹部桜、河口湖畔の富士桜、平安神宮の枝垂桜、奈良の又兵衛桜、猪名川沿いの桜、清荒神の淡墨桜、結弦羽神社の桜、尼崎の河津桜、花のみち宝塚乙女桜、盆栽の旭山桜、夙川の桜、近くの公園の桜
今年の最後の桜は、国立文楽劇場の「義経千本桜」~舞台一面満開の桜。太夫も三味線方も桜色の裃を身に着けて、桐竹勘十郎さんの白狐忠信が、舞台せましと満開吉野桜の世界を駆け巡る。人間国宝がとっても楽しそうに演じてる。
劇場の幕が閉じた時、自分が今年見た桜が、もう一度咲いて、潔く散った気がした。
桜の季節になると思い出す箱がある。
昔々まだ小学校にあがる前持ってた、花咲爺さんの絵がかいてある、濃いピンク色の三段重ねの木製弁当箱(「遊山箱=ゆさんばこ」という徳島独自の文化だと最近知った)。
これを思い出すたびスキップしたくなる。正確にはスキップしてる幼い私が目に浮かぶ。きっと自分のものだという強い所有欲・満足感に目覚めた対象物だったに違いない。
2021年の春、母の車椅子押して近くの公園でお花見しながら、
「花咲爺さんのお弁当箱はどこへいったの?」とか話してた時の写真がある。
(なんでこんなに母さん笑っているんだろう。)
2009年の春、徳島の遍路道で車椅子の父とお花見をした時の写真もある。
(もうあまり会話はできなかったけど、父さん手を振ってるみたい。)
母・父にとって最後の春を、車椅子押して、いっしょに桜の下で過ごせた思い出は私の宝物。
ほら、あの時の花吹雪が目に入る。
~タンタンタンまた来る春にあえるならきっとお花見するでしょう