星降るベランダ

めざせ、アルプスの空気、体内ツェルマット
クロネコチャンは月に~夜空には人の運命の数だけ星がまたたいている

また来る春にあえるなら

2022-04-22 | 散歩計
さよならだけが人生ならば また来る春はなんだろう  ~寺山修司

どうして私は毎年お花見するのかしら?桜の写真を撮るのかしら?
春になると、日本中どこにでも咲いているのに、いそいそ出かける。
咲いてることに驚いたように写真を撮る。
ほぼ去年と同じ場所でも写真を撮る。
毎年「わ~、綺麗」と、感動した瞬間、その花と出会った自分の時を残したいと思う。

そして、誰かに伝えたい。「綺麗でしょう」と。
たぶん、こんなにきれいな桜を見てる自分がいることを伝えたいのだ。
ぼーっと桜色の世界を歩ける「平和」がここにあることを確認したいのだ。
そう思ったのは私だけではない。

今年、私のスマホには、友からそんな桜の写真が集まった。
~鳥取城のお堀桜、福岡城址の桜、桜守公園の笹部桜、河口湖畔の富士桜、平安神宮の枝垂桜、奈良の又兵衛桜、猪名川沿いの桜、清荒神の淡墨桜、結弦羽神社の桜、尼崎の河津桜、花のみち宝塚乙女桜、盆栽の旭山桜、夙川の桜、近くの公園の桜

   

今年の最後の桜は、国立文楽劇場の「義経千本桜」~舞台一面満開の桜。太夫も三味線方も桜色の裃を身に着けて、桐竹勘十郎さんの白狐忠信が、舞台せましと満開吉野桜の世界を駆け巡る。人間国宝がとっても楽しそうに演じてる。
劇場の幕が閉じた時、自分が今年見た桜が、もう一度咲いて、潔く散った気がした。

   

桜の季節になると思い出す箱がある。
昔々まだ小学校にあがる前持ってた、花咲爺さんの絵がかいてある、濃いピンク色の三段重ねの木製弁当箱(「遊山箱=ゆさんばこ」という徳島独自の文化だと最近知った)。
これを思い出すたびスキップしたくなる。正確にはスキップしてる幼い私が目に浮かぶ。きっと自分のものだという強い所有欲・満足感に目覚めた対象物だったに違いない。

2021年の春、母の車椅子押して近くの公園でお花見しながら、
「花咲爺さんのお弁当箱はどこへいったの?」とか話してた時の写真がある。
(なんでこんなに母さん笑っているんだろう。)

2009年の春、徳島の遍路道で車椅子の父とお花見をした時の写真もある。
(もうあまり会話はできなかったけど、父さん手を振ってるみたい。)

母・父にとって最後の春を、車椅子押して、いっしょに桜の下で過ごせた思い出は私の宝物。
ほら、あの時の花吹雪が目に入る。

~タンタンタンまた来る春にあえるならきっとお花見するでしょう
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撮ることは所有欲?

2021-07-29 | 散歩計
熱い夏、帽子を被ると視線はどうしても下の方に向かう。
      

ここに敷かれた石たちはどこからやってきたのだろう?
などと思いながら、海辺の遊歩道を歩いていたら……
見ーつけた!

      

君は、まるで、メロスをひたすら待っている石工セリヌンティウス?
迷わず、スマホのシャッターを押した。
まだ他に誰かみつかるかしら?
でも引き返すには暑すぎる。
翌日曇り空だったので、もう一度、ゆっくり下を向いて歩いた。
いました。いました。

ダフニスとクロエ
     

目を閉じ瞑想する人、または 大きな目の古代エジプト人
     

シラノ・ド・ベルジュラック、または バセットハウンド
     

東方の四賢人、または 私が頑張らなくちゃと思ってるお母さんと家族
     

どこかの詐欺師
     

そして、ついに、観音様にも出合ってしまった。
     

写真は近代社会に「所有欲の拡張」をもたらした。  by鷹野隆大
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女の子の午後

2021-06-24 | 散歩計
あの二人は、さっきからいったい何をしているのだろう?
声は聞こえない距離から、かれこれ15分くらい彼女たちを見ている。

 

どうやら持ち上げることのできない重たい石を西から東へ、移動しようとしているらしい。
手で押したりひっぱったり。やがて寝そべって足で石を押す。
砂まみれになりながら、石と格闘している。
何のために?いや目的なんてどうでもいい。
全力を出せば石が動いた、そのことにはしゃいでいる。

ただそれだけのことだけど、いつまでも見ていたい映画のような風景だ。
ワンちゃんと同じ、全力で遊んでいる。
なんだかじ~んとしてきた。
……私もやってみたい。

だれと? 
ここは、ワイワイ言いながら一緒に汗を流す同性のお友達でしょ。

二人をぼーっと見ながら、小学校・中学校・高校・大学時代の友人たちの顔を次々思いだして、誰なら一緒に、浜辺で石運び一緒にやってくれるかしら?なんて思っていた。
でも、膝通・腰痛の心配のない人はもういないかもしれない。
おばさん二人でやってたら、見ていた誰かが心配して、手伝いに駆けつけてくるかもしれない。

先日遠くから久しぶりに会いに来てくれた学生時代の友達は、体力あるから、美術館いかずに、ここであんなこと一緒にしたかったな。

なんて、思っていたら…

気が付くと、石は自転車を置いているヤシの木陰まで運ばれていた。
彼女たちは、紙袋から出したストローのついた紙コップを二つ、石の上に置いた。
置いた瞬間に、石は午後のティー・タイムのテーブルになった。
女の子って素敵!!
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この木なんの樹?

2020-07-28 | 散歩計
兵庫県立美術館から帰る時は、必ず灘浜脇浜線の信号を渡る。
信号の向こうには、芦屋市立美術博物館と同じ坂倉建築研究所が設計した渚中学校があり、道路の先には、遠く近く六甲の山並が見える。信号を渡ったら、あの細い木のそばを通る。
あれ?今日は、視界に赤いものがちらちらとしている。漠然と白い花だったような、と今年の春の美術館の空白期間に思いを馳せながら信号が変わるのを待っていた。

              

そこには、奇怪なものが成っていた。
さっき見たコレクション展の延長線にある作り物のような赤い実。

         

そう、重いブロンズの風船球を持つ木製の少女と同じくらい、可愛くて不思議な存在。

          ~淀井敏夫『放つ』1969

重力に逆らって飛んでいきそうな少女の風船に似たこの赤い実には、決して触れてはいけない。




      PS:この木の名前は、コブシ(辛夷)でした
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街角の仙女

2019-02-25 | 散歩計


          
      
      A-Labの美しいコンクリート壁の前には、さっきから
      
     水仙のあなたが水仙であるようにわたしはわたしで存在していたい

      な~んて思っている人が立っています。 
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夢だったかもしれない

2018-08-02 | 散歩計
昨日、気温36度の真昼、帽子を被ってサングラスして、臨港線をディートリヒ号で走っていた。
サングラス越しの世界は、暑苦しいセピア色の世界。顔が熱いなぁ。
「ぼーっといきてんじゃねぇよ!」というチコちゃんの言葉を思い出しながら
ぼーっと自転車を漕いでいた。

図書館の駐車場横の角で、顔にタオルかけた男性が真っ直ぐ上を向いて寝ていた。顔の上にだけ桜の木の葉の影がちらちら揺れている。
(影も無いところでは、暑いのになぁ。)とぼーっと通り過ぎて、3秒後ふと我に返る。
もしかしてあれは倒れているのではないかしら?普通は影に入るでしょう。いや炎天下地べたに寝ないでしょう。

引き返しておそるおそる「大丈夫ですか?」と声をかける。

「大丈夫ですよ。影で休んでいるんです。」と返事があった。30代の男性の声だった。

「でも顔以外、陽が、がんがんあたってますよ。お水飲んで日陰に入られた方がいいですよ。」と言ってその場を離れた。

作業服着て腰に用具ベルトつけていたから電気工事の方が昼休みに横になっていただけだったのだろう。炎天下働いている人はたくさんいる。ご苦労様です。

おせっかいなオバサンだったかなとも思ったけど、声かけてよかった。声聞かなかったら、きっとずっと気になって眠れなかっただろう。

今朝、ディートリヒ号の後輪がパンクしていた。炎天下、自転車屋さんまで、押していったら定休日だった。また押して帰ってきた。サングラス越しに見る世界は暗くて悲しい風景だった。自宅まで50メートルのところで、なんと左足に履いたサンダルの前の部分が底から抜けた。手に取るとサンダルは完全に崩壊している。しかたないので片足裸足でうちまで帰った。
これはもう、今日はどこへも出かけるな!という私の守護神のお告げとしか思えない。

エアコンの効いた部屋でPAPICOを食べていると、昨日今日の出来事は、みんな夢の中の出来事のような気がする。
炎天下、サングラスをかけたら人は夢をみる.

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跳ね橋

2016-10-20 | 散歩計
青空のせいにしよう。参加したいイベントが3つ重なり、優先順位に迷っていた秋晴れの土曜日。朝、ベランダに出て深呼吸した夫が、「浜に行こうか?」と言った。
その一言で、急に予定が3つとも頭から消えた。青空にスーっと消えた。

御前浜を歩く。静かである。いつもの土曜日には、家族連れでいっぱいで、子ども達の声がまっている浜辺に人がいない。そう、今日は近隣小学校の運動会の日なのだ。
30年くらい前にこの近くに住んでいた頃は、晴れた休日はこの浜辺によく来た。懐かしい階段は当時のまま。堤防の向こうからこの階段で浜辺に降りていた。青い眼をした元気なシベリアンハスキーの男の子に出会ったのもここ。
  

浜の樹木が大きく育っていて、潮風を受けながらお弁当を広げるのにちょうどいい場所になっている。あの頃の子ども達の子ども達が木登りするシーンを想像してみる。
               

勝海舟の頃建った砲台は、大きくなってはいないけど、前より元気そうな気がする。史跡のランクが上がったのかな?



あの頃なかった御前浜橋という跳ね橋ができている。本土と埋め立て地を繋ぐ赤い西宮大橋に平行した小さな橋だ。「開閉は土・日・祝日に4回行います。」と、橋の端に書いてある。開閉を見ましょう。近くの90円自販機で、ナタデココヨーグルトという怪しげな飲み物を買って、コスモスの揺れる埋め立て地の岸辺で、橋が上がるのを待つ。
青空には何本も飛行機雲が走る。先頭にはもちろん伊丹空港から飛び立った飛行機が飛んでいる。ゆっくり眺める。ゆっくりとした時間が流れる。一呼吸してる間にも雲の形が変わる。回る地球に自分が立っている気がする。コスモスのように揺れながら。

  空の下自分の息が大気に溶ける私はここで地球の一部

あっ、時間です!



「航行する船はありません」と放送があって、すぐに橋は下りてきた。橋のたもとでは、釣りをしている3人の子連れ家族がいる。運動会はどうした?遠くから来た家族?登校拒否?いやいや幸せそうなので、なんでもいいです。同じ潮風吸いましょう。

  
橋の向こうでは、遊園地の遠心力でぐるぐる回るブランコのように、ロープに繋がれたボードに乗ってサーフィンをやっている人達がいる。途中ジャンプも入る。(ウエイクサーフィンのトーイングというらしい)繰り返し繰り返し立つ人工的な波しぶき。すぐそこなのに新しいスポーツを紹介するTVの映像をみているような気がする。彼らと私の距離感。


   運動会頑張る子どももサーファーも人体力は地球エネルギー

橋の中央、ここで分かれる

橋のそばで、猫さんに会った。懐かしい顔をしている。
「いつか君の祖先とどこかで出会ったことがあるかもしれないね。」と言ったら
「にゃーにゃ(きっとね)」と返事がかえってきた。

           
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幸せの黄色いガス管

2015-04-11 | 散歩計
          
「お城の漆喰に黒カビがついて、5年も経てば、元のような色になるらしい」と聞いて、まっ白の白鷺城をみられるのは、今しかない!と、今年のお出かけ花見は、姫路城に決まった。
 お城のそばの小学校の門辺りにも桜がいっぱい咲いている。
今度生まれ変わるのは、城下町がいいなぁ。
                 
 
 城の中堀を埋め立ててひいた国道2号線沿いには、ずっと石垣が続いている。
    
         

「明治の廃藩置県で、兵庫県になった時、県庁所在地が、神戸にあることで、姫路の人は怒らなかったのかしら?」「行政的には、神戸なんて格下の港町だよね」「でも、それが明治という新しい時代がきたということかな」などと、友人と話しながら立派な石垣の2号線歩道を歩いた。
(廃藩置県の後、何度も府県統合が行われ、明治4年には姫路県があったものの、明治9年に兵庫県に編入されたことを後で知った。)

           

 お城の堀沿いの桜道には、「千姫の小径」という名前がついていた。
千姫といえば、なぜか美空ひばりを思いだす。彼女より自分が年上になったとは思えない。彼女の♪し~おやのみさき~という歌(みだれ髪)聴いて涙ぐんでしまったことがあったわ。春には二重で秋には三重の帯ってどれだけ痩せたんだろう?塩屋岬って福島県ね。震災で大丈夫だったのかなあ。1月のKIITOでの加川広重さんの「フクシマ」は凄かったなぁ。などと思いながら、桜色の光を浴びながら、小径を辿りお城に近づいて行った。

 姫路市立美術館の喫茶コーナーのソフトクリームはとても美味しい。
姫路市動物園は、この日無料で、祝祭気分。

             

バシャーバシャーッと音がしているのは、ホッキョクグマの檻。プールにドボーン、水に潜っては黄色い筒を持って立ち上がる。筒で、水をすくって辺りに飛ばしている。こんなに延々と遊ぶホッキョクグマを見たのは、初めて。ユキちゃん15才。だんだんスピードは増し、はしゃぐテンションが高い。彼女の周りを、ホクトくん14才が、うろうろと歩いている。この黄色い筒は、動物園の世界では、「幸せの黄色いガス管」と呼ばれているホッキョクグマのおもちゃ。愛媛県立とべ動物園のピースもこれで遊んでいる写真を見たことがある。
1995年の阪神淡路大震災において、ガス用ポリエチレン管の被害が皆無であったため、以来古いガス管の交換はすべてこの、黄色(国際規格の色)いガス管になっているらしい。
オッと、檻に顔つけてたら水しぶきが飛んできた。みんなを幸せにしてくれる黄色いガス管だわ。

 ゾウの姫子さんもいる。一昨年王子動物園に嫁入りしたけど、ノイローゼになって体調を崩し、3ヶ月で、お城の見える実家に戻ってきたらしい。(推定38才)
姫子さんはやはり、お城が似合う。晴天の空、まっ白のお城、満開の桜、大勢の子ども達に、囲まれて、姫子さんは、独り暮らしを楽しんでいるみたい。

       

  
 またね~。
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ダンシング・パイン

2014-06-26 | 散歩計
私の人生を支える一言に、
    「あなた、バター塗るの上手やねぇ」
というのがある。
小学校の予餞会の日、PTAの人たちと私達6年生が、一緒に食事の準備をしていた時だったと思う。きっと何か失敗して落ち込んでいた時だった。あの時の誰かのお母さんのこの一言で、私は蘇った。それ以来、「パンにバターを塗ること」は、私の数少ない得意な事、になった。
40年以上経っても、ほぼ毎朝、この言葉を思い出して、パンにバター塗っていると知ったら、彼女は驚くだろう。私もこんな言葉、誰かに言ってみたいなぁ。でも、誉めることって難しい。心にもないことは、口から出てこない。

先日、保健福祉センターのエレベーターの中で、私の横に立っていた、30才くらいの少女(変だけどそうとしかいえない)が、突然、私の顔を覗き込んで言った。
「お姉さんのTシャツ可愛い!」
その日私はマンモグラフィー検査で着脱しやすい、半袖Tシャツ(ユニクロで見つけた、J・M・パスキアの絵が印刷された、MOMAスペシャルエディションTシャツ1500円)を着ていた。
驚いた私は、かろうじて「ありがとう」と小さな声で言った。
2Fで降りていく真っ赤なTシャツの彼女の後ろ姿を見ていて、気がついた。もしかしたら、彼女は今日自慢のTシャツ着てきたから誉めて欲しかったんじゃないかな?私も彼女のTシャツを誉めてあげるべきであったと。
とにかく、彼女のサプライズのおかげで、痛~い検査の日も、真っ赤なTシャツの明るい一日に変わった。6年生の時と変わらず単純である。

山村幸則さんのワークショップ「気持ちのカタチ(芦屋散策~即興絵葉書の制作と投函)」に参加した。水車臼跡→ヨドコウ迎賓館→芦屋公園→芦屋川河口浜を歩いて、絵葉書10枚を描くというもの。最後は芦屋市立美術博物館の工作室で彩色して完成。その後、20名老若男女が、互いの作品を、誉めあうという時間があった。絵を描くのは中学校卒業以来という人も、旅行の度にお孫さんに絵葉書を描いている人もいた。

「色が綺麗ですねぇ」「大胆な構図ですねぇ」「穏やかな空気を感じます」「明るい色の組み合わせが素晴らしい」「少年の心を感じます」「こんな小さなものによく気がつきますねぇ」「短い時間にこれだけ丁寧によく描けるものですね」
~こんなあたりまえの言葉さえ、すぐにはなかなか出てこない。

同じ時間に同じルートを歩いても、皆それぞれ、心に留まる風景は違う。
たった一枚の絵葉書を描くにも、その人の今までの人生、今の状況が、反映してくる。
あらためて、絵を描くという行為が、自分の中から何かを引っ張り出す作業であるということに、気がつく。

この日、かつて若き具体の作家達が「真夏の太陽に挑む野外アート展」を開いた、芦屋公園の松林の松の幹は、私には、踊っているように見えた。

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鋼鉄の線

2012-10-28 | 散歩計

本州から徳島に向かうためには、二つの橋を渡る。
高速バスに乗って週末に徳島に帰っていたあの頃、高速道路の通る淡路島は通過する島だった。サービスエリアにも寄ったことはない。
帰りはたいてい夜になった。オレンジの道路灯以外は暗闇の世界。高速バスに1時間くらい乗った頃、バスの左窓の夜空には、オレンジの道路灯の間に、緑に輝く観覧車が見えてくる。田舎なのに夜やっている遊園地があるんだと、不思議に思って見ていた。

先週久しぶりに徳島に向かった時、初めて淡路サービスエリアに寄った。
なんと、そこにあの大きな観覧車は、あった。
観覧車の足下には、目をひくカラフルなオブジェ。
近寄ってみたら、それはさっき渡った「明石海峡大橋」(建設工事1986~98)のケーブル説明模型だった。この断面模型の表面は直径5・23ミリの小さな線の断面=36830個の円の集合である。ケーブルは、写真では橋の上で美しいカーブを描いている白い線に見えるが、約9万トン(東京スカイツリーの2・2倍)の橋桁をつり下げる縦のハンガーロープを支えている、鋼鉄の線の束だった。


  

直径5・23ミリの亜鉛メッキ鋼線(素線)を127本束ねて、正六角形の形状にしたものを、更に290本束ねて円形にする。直径112・2センチの一本のケーブルは、36830本の線を束ねたものだから、左右2本のケーブルに使われた素線をつなぐと、約30万キロメートル=地球7周半の長さになるという。
その橋を私は渡ったんだと、なんだか誇らしげに、明石海峡にかかる、世界最長の吊り橋を眺めてみる。長さは3911メートル。このうち1メートルは阪神淡路大震災の時の地盤のずれで計画よりのびた分という。工事中事故による犠牲者の出なかった大プロジェクト。

淡路島から徳島へは、「大鳴門橋」(建設工事1976~85)を渡る。私が幼い頃、確か「夢の架け橋」という言葉が徳島ではよく使われていた。地元出身の三木首相の時の計画で、将来は新幹線も通れるようにと鉄道用の下部が付属している。もっと下の橋桁は、渦潮への影響を最小限に抑えるため、小さく分散している、というなかなか見所のある橋である。
この日も橋の下には、小さな渦が巻いていた。

        

鳴門の展望台の傍には、潮風に吹かれながら、磯菊が力強く咲いていた。
         
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花かんざし

2012-04-17 | 散歩計
        

今年の夙川お花見で出会った「ボク」
カメラ目線はスターの風格。ありがとう、桜がよく似合っているよ。

桜満開のお花見もいいけど、桜吹雪がはらはらと舞う道を、風に吹かれて歩くのも好き。
昨日、買い物帰り、クッキーさんのことなど思いながら歩いていたら、
母と同じ年頃の女性とすれ違った。
ふと見ると、彼女の白髪の上には、可愛い桜の花びらが…。
思わず口元に笑みが浮かんだ。彼女も私をみてニコッと笑った。
帰宅して、ニコッの理由がわかった。私の前髪にも、薄いピンクの花びらがついていた。

    風吹いて花かんざしの女達

「梅は切っても桜は切るな」と長く言われていたのに、最近は切るらしい。
夙川沿いも枝を剪定された木が多く、クッキーさんの春の頃よりピンクの面積が少なくなった気がする。
でも、夙川の桜の枝切りは、お花見に差し障りないよう、間隔をおいて計画的だ。

「桜はいいよなぁ」と芦屋市の公道の樹木のつぶやきが聞こえてくるようだ。
芦屋市は、公道の樹木の剪定を長年怠っていて、今年3月一気にやってしまった。
この街に20年住んでいるけどこんなことは初めて。少なくても震災後初めての大量伐採である。明らかに職人の手ではなく、アルバイトの素人が、暴力的にチェーンソーで、枝という枝を、バッサバッサと切り払った跡だ。
その結果、昨年の春には緑の葉っぱに覆われていた木々の緑道は、ただの寂しい茶色い一本柱が点点と並ぶ寂しい場所になってしまった。臨港線の松の木も今年はノウゼンカズラと恋する事はできないと思う。
今まで樹木で遮られていた、建物の窓など丸見え状態になってしまった所が各所に生まれた。

82歳の母は言う。
「なにが庭園都市よ。私はもう緑に覆われた緑道を、歩くことできないわ」
いつか緑の木々になるだろう。でも何年かかるかしら?
どうか母さん、緑道が、また緑の木陰になるまで、頑張って生きててね。
高齢者の多く住むこの街で、きっと同じ思いの人は多くいると思う。
被災地での高齢者の思いが少しわかった気がする。
「いつかきっと復興するだろう。でも私はそれを見ることができるだろうか…」
自治体は瓦礫の受け入れをしなければいけない。
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窓ふき

2011-09-19 | 散歩計
どうしてこれが、今年の夏に見た一番忘れられない光景なのか?

       

あの時、ビルの窓ふき光景を、不思議な感じで私は見ていた。

~あの二人は、あの白い鳥に乗って空からやってきたのではないか~

と、「荒川アンダー ザ ブリッジ」(中村光)を読んだ直後の私は一瞬思ったのだった。

  

兵庫県立美術館の隣のWHO神戸センタービルは、丹下健三の設計による全面ガラスの建物で、玄関前には、いつもはばたいている白い鳥がいる(片山利弘の「飛翔」)。
それにしても、二人であの建物のガラス全部拭くのは大仕事。
しばらく見ていたけど余りの暑さに見届けることはできなかった。
自分の顔の映るガラスを見ながら、というのは私にはできない。
彼らは、ガラス拭きではなく、もっと重大なミッションをやり遂げて、空に帰っていったに違いない。

このガラスの壁面に歪んだ姿で映るHAT神戸灘の浜の建物と建物の間の空間に、現代作家の作品があちらこちらに配置されていることを、最近知った。

兵庫県立美術館に向かう道路に面して、榎忠・三島喜美代・牛島達治の作品がある。
中庭に入ると立木泉のプランター、西野康造・植松奎二の円錐などが、木々の間に見える。

 (あっ、P子)

  

建物の壁のレリーフが河口龍夫の作品だとは、なかなか気がつかない。この空間では、これらの作品より、数か所にある鉄製手回しポンプ(どうやら使われていない様子)の方が、存在感がある。

  


周りの空気に、一番溶け合っていたのがこの作品。

帽子とギターとフランスパンの入った布袋のぶら下がった柱。小鳥が像のてっぺんにとまっている。柏原えつとむ作「詩人の忘れ物」 …まぁ、ぴったりだわ。

東側入り口には、元永定正の「ぽんぽんぽん」
     

詩人も子供たちの姿も見かけない空間で、ここの人たちは空から降りてくるのかもしれないと、思った夏の日の午後。

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月の匂い

2011-06-20 | 散歩計
司馬遼太郎は、時々、露草を眺めながら、執筆していたらしい。
記念館の書斎の前庭には、露草が咲いている鉢があった。

      

高校生の頃、バス停から続く畦道のような小径を通って通学していた。
道端の草が朝露に濡れて輝き、緑の中で、小さな青い花がたくさん咲いていた。
近視の私の目には、その花は、私が見ようとした時だけ現れた。
~存在していても、見ようとしないと見えない~
という真実を私に教えてくれたその小さな青い花は、
今も毎朝、あちらこちらで、密やかに草むらに咲いている。

 朝草を刈れば草の中に
 月の匂いがのこっている
 それがわたしの足をぬらし
 手をぬらし心をぬらす
 つゆくさのるりの色は
 夢のかけらか ひいやりと
 唯あおくてかなしいばかり    (三谷木の実「つゆくさ」)


生物の先生から、ムラサキツユクサの話を聞いたことがある。
「放射線を浴びると、ムラサキツユクサのおしべは、突然変異を起こして変色する。
だから、全国各地の学校に植えられている」と。
今、全国の学校での、ムラサキツユクサの観測は、どうなっているのだろう。
生物の先生の話は嘘だったのだろうか。
でも、考えたら、
突然変異を起こしてしまってから、気が付いたのでは、遅いのかもしれない。
その時はきっと、人間の身体の中のムラサキツユクサも変異しているのだから。

記念館に向かう途中の公園に、ロープのジャングルジムがあった。
誰もいないので登り始めたアホな夫の写真を撮ってるうちに、どうやら、デジカメ袋を落としたらしい。
帰り道、公園の入り口の手すりのてっぺんに、その袋がかけてあった。
河内小阪には、心優しき人がいる。

          
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イサムの橋

2011-01-29 | 散歩計
私にとって一番最初の記憶に残る橋は、学島橋。
小学校にプールができるまで、その橋のたもとで泳いでいた。
川の水が増水したら水の中に沈んでしまう潜水橋だった。
飛び込むのは簡単だけど、欄干がないので、上を歩くには少し頼りない橋だった。

次の記憶の橋は急に大きく堅固になる。高校の近くの吉野川にかかる阿波中央橋。
全長820.6メートル、1953年4月完成当時は日本最長だったという。
こちらは長すぎて、車か自転車で渡る。歩いて渡った記憶は2度しかない。
大きな堤防の上を、時折車が走り、堤防のこちら側にはのどかな田園風景が広がっている。
その田園風景の中に私の高校時代があり、ワクワク感を共有した友人が住んでいた。
彼女は、何でもよく見える輝く瞳と、上から下へと一直線に細くなる美しい足をしていた。
お互い、相手の知らない話や驚く話を自分ができたら、その日は勝ったという満足感に満ちて一日を終えた。クラスの男の子には、二人で渾名をつけた。サプライズのない時は自分たちでつくっていたのだ。彼女からそして彼女といる私からも、明日は何が出てくるのかわからない。二人で新しいことを見つけて、名付けて、納得した。

高校を卒業してから6年後、彼女から大きなサプライズがきた。
大学院に行ってた彼女が突然、先日見合いした相手と昭和55年5月5日結婚式をあげると告げたのだ。驚きのあまり、「おめでとう」の声がすぐには出てこなかった。5555の日に何か特別なことをしたいのでは?という疑問がわいた。
あの時、彼女が、どんな魔法にかかったのか、わからないけれど、魔法は30年以上経った今もかかったままだ。

中央橋のそばの堤に座って、春の風に吹かれながら、キラキラまぶしい水面と、吉野川の中洲に下り立った足の長い白い鳥を眺めながら、「高校生の時には、結婚相手として『チ○・デ○・ハ○』は避けたいと言ってたけれど、どうもそれに引っかかるかもしれない」と、結婚式を間近に控えて、他人事のように彼女は言った。
白い鳥が飛び立つのを見ながら、とにかく、未知の領域で、これからお互い生きていくんだと、私は思った。
私の方が先に結婚していたにもかかわらず、彼女の方が先に大人になったような気がした。

あの時、橋の角で、イサムノグチの男の子と女の子は、私たちに、「さよなら、がんばれー」って呼びかけてくれていたのかもしれないけれど、私たちは、気づかなかった。
     

3年前、高速乗り場にあった「吉野川市観光ガイドマップ」を見て、阿波中央橋の南北出入口の親柱の上には、イサムノグチ作の、男の子と女の子が座っていることを、初めて知ったのだ。何度も橋の上を通っていても、気がつかないものがある。

橋の下を通っているのに気づかないこともある。
大きな商店街のアーケードの上にかかる橋。
橋の下は、赤いテントウムシのケーキがあっちむいたりこっち向いたりしてる、素敵なDALLOYAUダロワイヨの店がある心斎橋筋商店街である。

    
   
この商店街のアーケードの上には、防火・災害・メインテナンスのための通路として、長い橋が架かっているのだ。赤い縁取りのモダンな通路である。   
   

下を歩いている人の多くは、この素晴らしい橋のこと、きっと知らないだろうなぁ。
新心斎橋と名付けたい。 
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六甲枝垂れ

2010-11-02 | 散歩計
あっ、平太君(Q10)の好きな鉄塔だ!

       

脚本の木皿泉さんは、神戸在住ということなので、イメージは、この六甲山上の鉄塔なのかもしれない。

7月にできた自然体感展望台「六甲枝垂れ」(作:三分一博志)を訪れた休日は、
ちょうど、六甲ミーツ・アート開催中で、カントリーハウスに向かう道は大渋滞。
途中で止まってしまった六甲山上バスの運転手さんの「歩いた方がきっと早く着きますよ」と言う言葉に、
先ほどから続くカーブのたびにぐっと力を入れて腕が痛くなっていた私は、即座に反応。
バスを降りてゆっくり坂道を歩いた。

ガーデンテラスには、美しい秋咲きのバラが咲いていた。

                  

このブログでは、季節をひとつスルーしてしまったけど、
あの日、六甲山上には、今年の秋の風が吹いていた。
風車(作:藤江竜太郎「Red or White」)は新しい風が吹くと、赤から白へ、白から赤に変化する。
そのたびに風景が動き、こころの中にも風が吹いてくるようだ。
         
    

枝垂れの内側から望む10月の空は、青く、不思議な形をしている。
大木の中に入ると、全身ヒノキの香りと、ぽっかり開いた丸い天井からの光に包まれる。
空に向かってのびる壁の木肌のグラデーションの美しいこと。

   

木漏れ日のような光は、美しい影をつくる。

          

小学生の頃、星模様の透明下敷き越しに、空を、太陽を見た時のことを、思い出した。
太陽と自分との間に、何かが、存在することを感じた。

    
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