星降るベランダ

めざせ、アルプスの空気、体内ツェルマット
クロネコチャンは月に~夜空には人の運命の数だけ星がまたたいている

カザルス「鳥の歌」

2006-10-30 | 私の星々
Beeの演奏会で石川祐支さんのチェロを聴いてから
パブロ・カザルスのことを思い出している。
チェロという楽器に生命を与えた人、
反ファシズムを貫いた頑固なカタロニア生まれのグランパ。

中沢新一さんの「バルセロナ、秘数3」(中公文庫)を読んだら
その中で中沢さんが、カザルスの「鳥の歌」について書いている部分があった。


鳥たちは、歌う。鳥たちは歌うことで、自分の専有するテリトリーを宣言するのだ。チュッ、チュッ。私はここに生きてます。ポー、ポー。私のまわりのこのわずかの空間は、私が生きるために神様からあたえられたものなのよ。カッコー、カッコー。だいじなことは、おたがいのあいだに理想的な距離をつくることさ。近すぎるのもよくないし、遠すぎるのもさみしいな。ヒュル。ヒュル。生きてることには、意味なんてない。でも、ぼくがこうしてつかのまに、この小さな空間を専有しているということにだけは、なにかの意味がありそうだ。

現世に生きていることのよろこびは、生まれてから死ぬまでのわずかの時間に、自分のためにこの実在の世界のなかに、なにがしかの空間が用意されてあったことにたいする、驚きと感謝の気持ちに根ざしている。ましてや、その時間と空間が、限りある生命のつかのまの閃きのあいだに、優しく自分を抱擁してくれていたのだとしたら…ここは、私のテリトリーだ、と鳥たちが歌うとき、鳥たちはそのテリトリーのなかでひとりで生きることのきびしさや深さの感覚とともに、自分のために世界が時間と空間とを用意しておいてくれたことへのよろこびに、のどを震わせている。

音楽をとおして、人間は人間のための時間と空間をつくりだす。音楽が鳴っているあいだ、ひとつの特別な時間と空間が出現する。それは、人間の精妙なたましいが、実在の世界のなかに出現させた、音による不可視のテリトリーなのだ。歌うよろこび。人間はそれを鳥たちと共有している。実存の深みにおいて、音楽する肉体が味わっているよろこびは、まさに現世の時間と空間のなかに「じぶんがあること」にたいする驚きとむすびついている。


我が家のベランダに立つと、私から20Mくらい先の道路沿いに、鳥たちが夜ねぐらにしている樹木がある。
早朝、彼らは、近くの、川が海に注ぐ浜辺に向かって飛び立つ。
私は、彼らの朝の歌声を、少し厳粛な気分できく。
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僕の意見

2006-10-30 | 私の星々
「ドーン!」…こんな季節に花火?
っとベランダの外を見ると確かに打ち上げ花火の大輪が夜空に散っていく。
2秒ほど遅れて音が響くから、浜辺で何かイベントをやっているのかなぁ?

花火の後の夜空には美しい三日月が出ている。
 
1週間くらい前の、NHKの列島縦断俳句まつりで
神奈川県の小学校2年生早川狩君がよんだ句を思い出した。

『三日月は バナナときょうだい ぼくのいけん』

う~ん、君の意見にさんせーいで~す。
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「のりたまと煙突」

2006-10-25 | ネコの本
星野博美 著 (文藝春秋)2006年刊


生きていたら「いつかむかえる死」を覚悟しなければならない。

ということを、私は実際には、猫から学んだような気がするけど、この本の著者には、猫の潔さ、のようなものがある(最大級の誉め言葉です)。人生の折り返し点あたりで、これからも自分が自分であり続けることを願い、一人であることを恐れない、いや、ちゃんと恐れてなおかつ自分の足でしっっかり立とうとする勇気を感じる。

久しぶりに、一語も飛ばすことなく、著者の言葉に耳を傾けて一気に読んだ。日常自分が感じた違和感みたいなものを、面倒だなぁと思わず、丁寧に正確に言葉で説明しようとするひたむきさに向かいあうのは、楽しい。

『ディープ・インパクト』…自分が旅行中で一度も映像を見ないうちに終わってしまった湾岸戦争については語れないが、9・11の同時中継映像を見たから同時多発テロについては語れると、思うことの危うさを自覚する彼女…これが一番秀逸。

『名前』…訪れるネコに名前を付けた途端一線を越えてしまう事になると、必死で抵抗する彼女…わかるなぁ。

『筋肉老女帯』…「和気あいあい」に憧れているのに、どうしてもそれに背を向け「一人黙々」を目指してしまう彼女が、公立のスポーツセンターには日曜日の午前中に通う理由に納得。図々しいおばさんになりたくないと努力してたらおじんくさくなってしまったというオチがつく。

『過去の残り香』…人々が模型飛行機を飛ばす公園の広い空から、そこが軍需工場→空爆→米軍住宅地→公園の歴史を持つ土地であることを思い起こし、半世紀後のイラクの地に思いを馳せる…風景に感じるちょっとした自分の違和感を信じ、追求する彼女は、きっといい写真を撮るだろう。

『白猫』…地球上に白猫ほど美しい生き物はない、という彼女のしろが死んだ。仔猫の時の写真は多いけど、成猫になってからは、写真がグンと少ないことに気づく。もう遅い、でも、あわてて老いつつある他のネコの写真を撮ろうとすることは、次の別れの準備のような気がする…激しく共感。

こんな60題からなるエッセイ集である。
図書館の本棚で初めて出会った星野さんは40歳。
次は30代前半に書いた「転がる香港に苔は生えない」を読んでみよう。
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画家のアトリエ

2006-10-25 | 持ち帰り展覧会
芦屋市立美術博物館の敷地内に、小出楢重(1887~1931)のアトリエが復元されている。43歳で亡くなった小出が最後の5年間、裸婦を描いた芦屋のアトリエ空間。
高い天井、大きな窓、上がれなかったけど、中2階はたぶん寝室のはず。
ソファの調度品は実物らしい。80年前長時間、ここに横たわった女性がいた。絵筆をとる画家がいた。…そして、正にこのソファに横たわる裸婦の絵が、今美術館内で開かれている「大坂慕情~なにわ四条派の系譜」展で展示されている。

寿老人の掛け軸なんか見ていたら、突然、小出の裸婦像が視界に入ってきてびっくりする。
なんでここに?
その2枚の裸婦像が、その存在感が、やはり他の日本画を圧倒してしまう。

今回の展示品の多くが、関西大学図書館からの借り出しである。(最近関関同立からはみ出しつつある関西大学だけど、ちょっと見直した。近世近代絵画の研究ちゃんとしてる。その結果の大坂慕情展。)予算の関係で、借り出し易いところから集めたのかもしれない。でもそれだけでは寂しいので、苦肉の策として、小出が最初は四条派の渡辺祥益から日本画を学んだという繋がりから、自館が所有するお宝を展示したのかな?…しかし、やや唐突である。横たわる裸婦の油絵を四条派の系譜として位置づけるのには無理がある。

小出の「夏の日」という、日傘をさして扇子を使う縞の着物の婦人が、道端でばててる犬に「ほんと暑いわねぇ」なんて言ってる感じの一筆書きのような墨絵は、西山完瑛の「浪華二十四景」などの風景画の延長にあると言えなくもないけど。

アトリエで読んだ当時の新聞記事で、小出は「ここ(芦屋)は外に出ても寂しいし、松の緑は黒すぎて、砂の色は白すぎて、描くにはむいてない。山登りをせず、海で泳いだりしない自分にこの地は、あわない」というような意味のことを言っていた。ではなんでここに住んだのか、アトリエに籠もって裸婦を描くためである。

画家が裸婦を描くのはなぜだろう。小出の描く裸婦には顔がない。80年間ずっと向こうを向いている。モデルは体型から明らかに、昭和初期の日本の女性である。二枚の裸婦像、身体のラインから、大きい絵の方は二十代、小さい絵の方は三十代に見える。彼女たちは何を考えながら寝台に、ソファに横たわったのだろう。表情を描かない画家は、卑怯な気がする。

会場では、向かい合わせで展示されてる、34歳にしては老けてる自画像の小出楢重が、彼女たちのお尻をじっと見つめていた。
(…彼女たちは永遠にあなたの方には向かない。)
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EDDY号、黄色い島を走る

2006-10-22 | NO SMOKING
秋の晴れた日に、本州から四国に向かう高速バスEDDY号に乗る。
週末に徳島で長期療養中の父を訪ねる定期便。
淡路島は1時間で通過する島。
いつもは、空を見てるうちに、TBCの白いシートカバーにもたれて寝てしまうのだけど、今日は窓の外に広がる黄色い世界をずっと見ていた。

もし私が外国から来た旅人でこのバスに乗ってるのだとしたら、
絶対、ガイドさんに聞くだろう。
「日本の秋に咲く、あの美しい黄色い花は、何という花ですか?」って。

昨日までなら、私は「いやあれは日本の花じゃなくてね、北米からやってきた外来種の花で、知らない間にあっちこっち日本のススキを追いやってしまった花なんです」だなんて、答えただろう。

でも、もうこの窓の外に広がる黄色い世界を見てると、認めるわ。
セイタカアワダチソウは、もう立派に日本の秋を代表する花であるって。

しかし、背高泡立草…泡が立つように綿毛が舞い上がることからついた名前かしら?この群生する花々の花粉がいっせいに舞う姿を想像すると鼻がむずむずしてくる。花粉症の元凶ブタクサのような風媒花でなく、虫媒花なんだけど、1個体で5万個の種子をつくるそうだから、これだけ咲いてればねぇ。

セイタカアワダチソウは、アレロパシー(他感作用)という運命をしょっているらしい。根から他の植物の発芽を抑制する物質を出して、他の植物を圧倒してしまうのだけど、やがて自分の出した物質で自分の種子の発芽もできなくなって消えていく。常に一カ所に根を張って留まることはできなくて、永遠に放浪を続ける植物なのね。

毎年日本列島を黄色い花の群生が移動し続けてる。その移動のすきまをぬって、淡路島の高速道路沿いにも、ススキがほんの少し咲いていた。思わずススキに「ガンバレ」ってエールを送りそうになったけど、やめた。…父を見舞う道が、白いススキが風に揺れてる道ではなく、たくましく黄色いセイタカアワダチソウが咲き続ける道であることが、嬉しかったのだ。
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♪ありがとう

2006-10-18 | クロネコチャン
SMAP×SMAPを見てたら、SMAPの「♪ありがとう」が流れ、
中居君が「~してくれてありがとうって、まわりの人に言ってみて下さい」っていうので、つい、旦那に言ってしまった。
「~してくれてありがとうって、何かある?」だなんて。

何も言わないので、しばらくして「どう?」って聞いたら
返ってきた答は、「思いつかない」

…私、しおれてしまった。
ここ2週間、結婚して初めて、毎朝5時半に起きてお弁当作ってるのに。最近奥さんの仕事まじめにやってるつもりだったのに…この人はそんなこと当たり前だと思ってるんだ、何も思ってないんだ、って…ほんとにふてくされて、ベランダでやめてたタバコを沢山吸ってしまった。

…翌朝出かけに、彼が言った。

「いっしょにいてくれてありがとう。これしか思いつかない」

それからは、一日に何回もこの言葉思い出しては、じーんとしてるの。
それは、21年間いっしょに暮らしたクロネコチャンと別れる日に
私が、繰り返し繰り返しクロネコチャンにむかってつぶやいた言葉なんだもの。
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南河内万歳一座「百物語」

2006-10-15 | 劇空間
今日も大阪城公園は晴れていた。噴水の周りに人が集まっている。野外に響く音は若者のバンド…良かったぁ、ここ最悪の時はカラオケ演歌が轟いているんだもん。

大阪城ホールの倉庫にある「ウルトラマーケット」で楽日を迎えた南河内万歳一座を観に行った。万歳一座の舞台幕はこの20年間で一度つぎはぎの一部をリニューアルしたけど、ほぼ初めてみたときの雰囲気のまま。幼い頃眠る前に目にした天井の柄のような、懐かしさを感じる。

「百物語」
高校時代の「いいものはローソンから」以来、密かに応援してる安宅慶太君が先生の役、今回の彼、眉毛の演技が加わった。
なつかしい6畳アパートが出てきた。あの西向かいの窓からサキコさんを照らす光が美しい。
大家さんの藤田辰也さん、相変わらずハンサムだわ。CD聴いてますよ。
「情熱のバラ」トリオ…いいわぁ。三浦隆志君、内藤裕敏さん、おなか出てきましたね。鴨鈴女さん、大好きです。あなたが出てくるだけで客席が目覚める。
万歳一座にしては、ストーリーが追いやすい、楽しい舞台でした。

思えば、この百物語の源、「二十世紀の退屈男」で活躍した、味楽智三郎さんや岡田朝子さん、河野洋一郎さん、松下安良君はもう万歳一座の舞台から去ってしまったのね。

初めて万歳一座を見た時、味楽さんはガラス玉を持ったナイーヴな少年だった。
松下君の晴れやかな声、客入れの時は「あと十センチ」というあなたに合わせて皆お尻を動かしました。
オレンジルームのロビーで、朝子ちゃんと洋一郎さんに、サインしてもらったときは、嬉しかったなぁ。洋一郎さんはあと10センチ背が高かったらきっと反町隆史がやってる役してたと思う。そして永遠のマドンナ朝子ちゃん…彼女が登場すると後光が差してきた。彼女の声を今でも舞台に求めてる自分がいる。

百の物語を語り終えた時、何かが起こる。…それが101回目の物語。
このブログも百回書いたら、何かが起こるのだろうか。
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スーパー・トリオ 「Bee」

2006-10-15 | 劇空間
どうしたんだろう、最初の曲、ピアソラの「♪アディオス・ノニーノ」で、
チェロの音が聴こえてきた途端、涙があふれてきた。
…心がとけていくような素晴らしい2時間だった。

及川浩治のピアノ、石田泰尚のヴァイオリン、石川祐支のチェロ、
この3人で結成されたトリオ「Bee]の演奏会、
兵庫県立芸術文化センターの大ホールは5Fの天井桟敷まで満員。
私の席は2F左サイドの一番ステージに近い席。ここはとてもいい席だった。
ピアノの及川さんの躍動する両手が、ダイナミックな後ろ姿が凄くよく見える。
ヴァイオリンの石田さんの長い右足の延長上に私がいる。
私を泣かせたチェリスト石川さんはこちらを向いてる。
3人とも黒シャツ姿が似合う。
特にヴァイオリンを持った石田さんの立ち姿は完璧。

ピアソラ「♪天使の死」「♪リベル・タンゴ」
情熱的な演奏、3人がシンクロしているのがわかる。
そんな3人に私がシンクロする。
曲が終わる瞬間、3人の手が同時に宙に舞う。
なんてカッコイイ3人なんだ。

及川さんのリスト「♪ラ・カンパネラ」…ピアノの高音ってこんな音がでるんだって初めて知った。今まであなたを知らなくてごめんなさい。
石川さんのクライスラー「♪愛の悲しみ」…彼の軽く優しいチェロの音色は直接、私の心に届く。
石田さんのモンティ「♪チャール・ダーシュ」…美しい音にまず感激してるのはあなた自身のはず。中学時代にちょっとだけ習ったから、この楽器から美しい一音を出す難しさ、出た時の嬉しさがわかる。自分の耳元でこんな美しい音を奏でる事ができたら、もう弾き続けるしかありません。

ラフマニノフ「♪悲しみのトリオ」って本当に悲しい曲。
音楽って凄い。その場にいる人たちの気分を完全に誘導する。
演奏している彼らはどんな気持ちで弾いてるんだろう。
って思ったらやはり、この曲で休憩になった。

後半
燕尾服姿の3人が奏でる「熊蜂の飛行」…まるで魔術の世界に迷い込んだような気がする。
あとは、クラシックの王道、ベートーヴェンにモーツァルトにメンデルスゾーン。
フォーレ「♪夢のあとに」…チェロの音は人の声に近いのだろうか。石川さんの奏でる音はとびきり優しい人の声だ。

終わった後ホールの外まで続く長い列ができた。
3人が並んで、プログラムにサインして、握手してくれてる。
CD買った人にじゃない。この3000円の演奏会のプログラムにである。

また、必ず来て下さい。待ってます。
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「夢見森のモーリス」

2006-10-13 | ネコの本
MAYZON作 (小学館)1997年

☆「夢見森のモーリス」

亡くなった猫はどこへ行くのだろう?
どうやら、人間の心と交感してしまった猫は
夢見森に行くらしい。
「夢見森は現世の見えない一部であって時間も空間も現世と共有しあっています。
この森は現世という世界が見ている夢の世界みたいなもの。ここに住む私達はおとぎ話の主人公達のように現世の中でも確かに生きているのです」
と仕立て屋猫のチャップリンがいう。
夢見森の住人のメッセージは人間達の夢の中に届く。

☆「夢見森の星送り」

清い心の左ブチ猫に、いきなり鼻チューされた者は、みんな同じ表情になってしまう。この世の中で最もみんなを幸せにできるものに生まれ変わりたい、と願う左ブチ猫に、「君が幸せであれば、存在自体がみんなを幸せにするんだよ」と夢見森の祖である山猫がいう。星送りの夜、左ブチ猫はまた左ブチ猫として転生する。

晴れた夜、ベランダの手すりにすわるクロネコチャンが
見つめていたのは、待っていたのは、
青く美しい「天使の心☆」が降りてくる星送りのイベントだったのかもしれない。

幸せそうな顔して寝てるクロネコチャンを見てると私も幸せになった。

☆「モーリスの竜退治」

飼い主が亡くなった動物のために蒔いた花の種は、
夢見森の永久花になるのね。

☆「猫地区の幽霊」

心を病んだ小猫のブラッキー、夢見森に来た時は、世の中のすべてが自分を傷つける恐ろしいもので、その恐怖や不安や失望から逃れるために、自分の存在を否定して空気のように、無反応になっていた。現世で愛情を受けられず、何の楽しみも知らずに生を終えたブランキー。
彼が夢の森で、外部に心を開いていくわずかな変化である、自分の服にジャムを塗ってアリの巣のそばにじっと座ってアリをたからせるシーンは、涙なくしてみられない。

親の虐待で死んでいく幼い子どものニュースを聞く度に、
なんで何のためにその子は生まれてきたのか、っていつも思う。
神様が、してはいけないことを、している気がするのだ。

最後のページ…
モーリスの慈愛の眼差しと、ブランキーのあどけない明るい瞳に救われる。

☆「海猫」

母性を描いた、とても悲しく、美しい話。(夢見森シリーズ外)

これを読んで、20年以上前、仔猫をくわえて我が家の台所に現れた3本足の母トラ猫を思い出した。…初めて入ってきた日、彼女は真正面からじっと私を見つめてきた。その後、当然のように我が家の飼猫クッキーのお皿のご飯を食べ始めた。若い雄ネコのクッキーは椅子の上でおとなしくあっちの方を向いていた。それから毎夜、左の後ろ足が短い彼女は、堂々と子連れでやってきてクッキーのご飯を食べてから仔猫と自分の身繕いをした後、夜のどこかに出て行った。帰るところがどこかにあるのだろうかと思いながら彼女を見送り、1週間くらい経って、彼女用のお皿を用意した日、新しいお皿から食べた後、出て行こうとした彼女は振り返って、じっと私を見つめた。今度は来た時より短かった。…そして翌日、彼女と仔猫は姿を消した。
「ちょっとだけ世話になることにしたわ」とやってきて、「世話になったわね、さよなら」って、カッコ良く去って行ったのである。

…私は今でも彼女に、到底かなわないなぁと思う。
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日本のツェルマット

2006-10-10 | NO SMOKING
秋の上高地に行ってきた。
標高1500mの山岳地帯に梓川が流れ、ほぼ平らに歩ける散策道が広がっている。雨上がりの木道には、様々な形の落ち葉がたくさん散ってて美しい。日暮れに近づくと、まるで木枯らしのような冷たい風が吹く。梓川は蛇行していて、足下で川の水が土を削って流れていく。100年位前に焼岳の噴火でできた穴が大正池となって、噴火の時以来立ち枯れた黒い樹木が寂しそうに立っていた。

奥穂高をのぞむ明神には野生のお猿さん達が木登りしたり、リンゴを奪っていったり、自由自在に遊んでいる。季節は秋、黄金色に染まり始めた森の道を、ミスドのおまけのリュックサックに、ツェルマットで買ったエーデルワイスのベルをつけて私は歩いた。道の周りはクマザサが生い茂っている。冗談に「ベルは熊よけよ」なんて言ってたら、本格的山登り装備の人々は、鈴のついた杖をみんな持ってるではないか。急に森の中に何かが潜んでいるような気がしてくる。そう、彼らの地に、私達人間がおじゃましているんだ。

梓川ですいすい泳ぐ鴨さん達に見とれてたら、12時ちょうどに着く予定だった河童橋に2分遅れてしまった。河童橋の定点ライブカメラに写るからねって留守宅の家族に予告してたのになぁ。

冬になるとこの地域は雪に埋まる。人が入れるのは11月15日まで。翌日からは上高地全山閉山となり、店や宿は閉まりここで働く人も山を下りるのだ。春になって雪がとけたらまたリゾート地を開く。うーん、日本にもこんなところがあったのね。訪れる自動車が増えて山道に大渋滞が起こるため、1985年から入山規制が行われ始め、現在では、マイカーでの入山は全面禁止。マイカーの人は平湯というところで、低公害バスに乗り換えて上高地にはいる。観光バスも土日は入山できない。みんな低公害バスに乗り換えて入らなければならないのだ。

上高地は物価が高いけど当然だと思う。例えば、売店のカレーライスは1200円。でも山のトイレも清掃が行き届いていて快適である。春に行った韓国のように水が流れるかなぁというスリルも味あわなくてもすむ。おみやげ店でたんぽぽコーヒーを見つけた。4杯分で798円。ジュジュ(「サラダの日々」)は随分高価なものを飲んでいたのね。帰ってきて飲んだらアーモンドのような香りのする、確かにコーヒーに近い美味しい飲み物だった。
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「大坂慕情~なにわ四条派の系譜」

2006-10-10 | 持ち帰り展覧会
隣国が核実験実施、というニュースが流れる日に、暢気に「近世大阪の絵」を見にいく自分を許せないような気がどこかでする。しかし、これは逆である。私が展覧会を見にいってる間に核実験するなんて、と怒るべきことなんだ。

私の住む芦屋市は人口8万。阪神大震災の復興にお金がかかり、市の予算は苦しい。当面の生活に関係のない文化予算が削られ、素適な建物である市立美術博物館の存続が危うくなっている。今年から市の委託を受けたNPOが運営にあたる事になったらしい。コーヒーの美味しい喫茶室も新しく開店したそうなので行ってみた。自転車を隣の市立図書館の置き場に留めたら、文教地区にふさわしくおっとりした三毛のノラネコさんがいた。

震災で敷きレンガが一部ガタガタになったままの図書館横の通路を通って美術館に向かう。入り口門から広い芝生の庭、お花の手入れをしてる人はボランティアかもしれない。目があったので「こんにちわ」と声をかけたら明るい微笑みと共に「こんにちわ」が返ってきた。いい気分で館内に入る。しかし「なにわ四条派の系譜」でどれだけ入場者があるのだろうか。広い館内は、休日でも閑散として広々としたエントランスが贅沢な空間に思える。そう美術館にはこの贅沢さを味わいに来るべきなのだ。2Fには外を見張らせる座り心地のいいソファ、資料室の無防備な豪華本達。みんなあなたのために置いてるのよっていってる。入場料は500円。

私は絵画などの展覧会に行ったら必ず「自分が持ち帰るならどれだろう」という目で見るようにしている。作品の付加価値ではなく、自分にとっての価値の高い作品を選ぶのである。

しかし今回の近世大阪四条派の絵というのは、あまりにも自分との距離があるので、距離を縮めるために(向こうからはやってこない)シンポジウムでお勉強した。シンポジウムに参加すると、その展覧会を企画した人の情熱や、展示品の収集にあたっての経過などから、展示品の今の状態が伝わってくる。

昔日本史の授業で「大坂」が明治維新以後「大阪」に変わったと習ったが、「坂という字が、土に返るというので縁起が悪い」と、江戸時代すでに阪の字を使用していたらしい。芦屋はこの大阪の奥座敷、今でも六麓荘は、神戸ではなく大阪の金持ちの屋敷街である。

大坂画壇を語るとき、欠かせない木村兼霞堂(けんかどう)という18世紀後半の大阪堀江の知の巨人についてはシンポジウムで初めて知った。文人画家・書籍文物の収集家でもあった彼が残した日記がある。そこには彼がその日に会った人名だけ書かれていて、その数は19年余りで、特定できる人が約7000人、のべ人数4万人にのぼるらしい。(誰かが数えたのね)平均したら1日5~6人である。ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」のパロディ画「木村家の食卓」という最近描かれた絵が紹介されていた。面白い。ところで、私は生涯特定できる(互いに名前を確認して出会う)人が何人いるだろう。

今、浮世絵展を日本で開こうとしたら、ボストンなど海外の美術館から借りて来なければならない。浮世絵は明治になっても錦絵として作られていたが、大阪では明治12年くらいから不特定多数への販売を目的とした浮世絵制作は衰退して、少数の限定した人に配るための注文に応じた金粉など使用した豪華な「摺絵」がつくられた。この摺絵も海外流出が多く、最近海外の研究者が増えているらしい。

確かに掛け軸物は洋風の住居空間に似合わないけど、浮世絵や摺絵は飾ることができる。ゴッホやモネの絵にも出てくる。輸出用陶器の包み紙にしていた浮世絵に驚いてジャポニズム熱がおこったというのは本当かしら。「初めて時間を止めてみせた人、北斎」って吉永小百合さんが最近TVのCMで言ってる。日本でも浮世絵ブームはおこっているのかもしれない。先日の神戸市立博物館の浮世絵展は凄い人だった。

さて、「大坂慕情」展である。
展示品の中の「立版古」=長谷川小信作「浪花心斎橋鉄橋の図」が面白い。立版古というのは豪華なおもちゃ、切り抜いて組み立てる。拡大コピーして組み立てた物を絵の横に展示している。美術博物館の学芸員のセンスに乾杯!…でもこれは大きすぎるので、今回の私のお持ち帰りは、「花の下影」という、幕末の大阪のお店316軒を描いた風俗画本。今も残ってるお店があるらしい。ページをめくって確認したい。
風景のデッサン帖もいい。西山完英の風景画に何度も登場する天保山。海遊館のあるところだ。それが天保2年に安治川河口の堆積した土砂で人工的に作られた山だということを、解説で知った。調べたら現在標高4.5m、日本で一番低い山だという。やはり、展覧会は発見があって面白い。
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「君のいる場所」

2006-10-05 | ネコの本
作絵:ジミー 訳:宝迫典子 (小学館)2001年

高校生の時、授業中にぽーっと窓の外に広がる秋の空を見てたら、
カラスと目があった。(ような気がした)。そしてふと思った。
「このカラスに私はどんな風に見えるんだろう?」

カラスにとって、私は四角い箱の中で同じ方向を向いて座ってる制服姿の人間の一人にすぎない。授業中だから私の後ろに5人、そして私のいる7組の後ろの教室にも同じ方向むいて座る6組の生徒、そしてその後ろにも…。同じ格好をして同じ方向むいて座る人間が延々続いてるはず。待てよ、上にもいるわ…ガラスの檻の中…。

ちょうどその頃アンデルセンの「絵のない絵本」を読んだ。
お月様からみた地上の人間達の物語。
いつか出会う私の運命の人もきっと、今同じこの月を見てるかもしれない
って思いながら受験生の私は、ひとりで夜空を見上げてた。

この本読んでたらそんなことを思い出す。
台湾の作家ジミー・リャオの「向左走向右走」は日本では「君のいる場所」になった。
宝迫典子さんの訳もいい。

都会の古いアパート、隣どうしの二人、でも彼女はいつも左に、彼はいつも右に向かって歩き出すから会ったことはない。二人が出会ったのは冬の日、恋におちる。たった1日の出会い、雨に濡れて読めなくなった電話番号。相手からかかってくる電話を、二人は同じ壁にもたれて待つ。互いを探す街の雑踏の中、二人は何度もすれ違う。同じ風景をながめ、同じ香りをかいで同じ音を聞く。でも会えない。隣の部屋で彼が弾く淋しいヴァイオリンの音色を彼女は聴きながら、さらにもっと淋しくなる。
求め合う二人は近くて遠い。季節が過ぎていく。訪れる冬、雪が降ってきた…

まるで素適な映画の絵コンテのような絵本。
「気持ちがどんどん沈んでいく」…こんな言葉を表現する絵。
彼女の想いが、風景にとけて伝わってくる。

ところで、ネコはどこに出てくるって?
彼と出会う前の彼女に喉をなでさせてあげるブチネコさん、
街を彷徨い歩く彼とも、彼女とも遊んであげたトラ猫さん
そして、二人のハッピー・エンドを見届けるホワイト・キャット。

そう、街ネコさんのゴロゴロや、「ニャ~オ~ン」が聞こえてくるようなシーンがあるんです。
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