星降るベランダ

めざせ、アルプスの空気、体内ツェルマット
クロネコチャンは月に~夜空には人の運命の数だけ星がまたたいている

10月の朝の顔

2021-11-14 | 五七五
   朝顔に水をやったとライン来る 1輪咲いてる写真を添えて

  

10月初旬、病院で点滴三昧の8日間を過ごしていた。
夫から「水やったよ」と朝顔の写真が届いた。
ベランダには他の花も咲いているはずなのに。
蔓がぐるぐる巻きの今にも枯れそうな小さな鉢植えの朝顔の写真だけ毎朝届いた。
朝顔は夏休みの花だと思い込んでいる夫は、青い朝顔が10月に毎日咲くことが
まるで自分のおこした小さな奇跡のように感じているようだった。
小さな奇跡を人は起こせる。

青い朝顔は、11月になってもまだ時々咲いている。
朝顔は、朝の明るさを感じて開花するのではなく、暗闇を感じてから約10時間後に開花する、という。日没の早い今頃は、夜明け前のまだ暗い闇の中で咲き始めている。
うちの健気な青い朝顔は夕方になると、しおれて赤くなる。

私の腕の青い筋、素人目にはこれぞ血管という青い筋は、点滴の針を射すほど太い血管ではないことを知った。赤く太い血管は確かに流れているが、なかなか見つからなかった。

  八日間水耕栽培された秋 枯葉を見ると勝った気がする
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3色カレー

2021-10-02 | 私の星々
90才のトシコさんは、3色カレーが好きだった。
究極の手抜きメニューなのに、楽しみにしていた。
「今日の夕ご飯は3色カレー」と言ったら、「ごはんできたよ」と呼びに行く前に、自分からトイレ行って手を洗って食卓に座って待っていた。

始まりは、5年前のTVで見た「ダムカレー」だ。
お皿の真ん中に白米で堤防を築き、大きなウインナを埋め込む。左には肉・ジャガイモ・人参、右には液状のカレー。
「放流スイッチ、ON!」と言ってウインナを抜くと、カレーが右から左へ流れていった。
初めての時、トシコさんは子供のように「わー」って声を上げて喜んでくれた。

ある日私はとても疲れていて夕ご飯を作る気力がなかった。
こんな時のために存在するのが、レトルトカレーである。
ダムカレーの時のように堤防を作って、3色カレーにした。
究極の手抜き料理だけど、干しブドウふって福神漬添えたら、少し豪華になった。
トシコさんに、どれが一番好きか、〇✕をつけてもらった。
そのうちどれもいいよーになったけど、いつも完食してくれた。
月に一度は登場する我が家の人気メニューになった。
 



昨日、夕食つくる元気がなかったので、久しぶりに3色カレーをしようとして、もう3色カレーはできないことに気が付いた。
3人だから3色カレーができたんだ。
2人になったら2色カレーしかできない。



オホーツク流氷カレーを、トシコさんはきっと完食したと思う。

「母さん、2色カレーは、不思議な味がしたよ」
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撮ることは所有欲?

2021-07-29 | 散歩計
熱い夏、帽子を被ると視線はどうしても下の方に向かう。
      

ここに敷かれた石たちはどこからやってきたのだろう?
などと思いながら、海辺の遊歩道を歩いていたら……
見ーつけた!

      

君は、まるで、メロスをひたすら待っている石工セリヌンティウス?
迷わず、スマホのシャッターを押した。
まだ他に誰かみつかるかしら?
でも引き返すには暑すぎる。
翌日曇り空だったので、もう一度、ゆっくり下を向いて歩いた。
いました。いました。

ダフニスとクロエ
     

目を閉じ瞑想する人、または 大きな目の古代エジプト人
     

シラノ・ド・ベルジュラック、または バセットハウンド
     

東方の四賢人、または 私が頑張らなくちゃと思ってるお母さんと家族
     

どこかの詐欺師
     

そして、ついに、観音様にも出合ってしまった。
     

写真は近代社会に「所有欲の拡張」をもたらした。  by鷹野隆大
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女の子の午後

2021-06-24 | 散歩計
あの二人は、さっきからいったい何をしているのだろう?
声は聞こえない距離から、かれこれ15分くらい彼女たちを見ている。

 

どうやら持ち上げることのできない重たい石を西から東へ、移動しようとしているらしい。
手で押したりひっぱったり。やがて寝そべって足で石を押す。
砂まみれになりながら、石と格闘している。
何のために?いや目的なんてどうでもいい。
全力を出せば石が動いた、そのことにはしゃいでいる。

ただそれだけのことだけど、いつまでも見ていたい映画のような風景だ。
ワンちゃんと同じ、全力で遊んでいる。
なんだかじ~んとしてきた。
……私もやってみたい。

だれと? 
ここは、ワイワイ言いながら一緒に汗を流す同性のお友達でしょ。

二人をぼーっと見ながら、小学校・中学校・高校・大学時代の友人たちの顔を次々思いだして、誰なら一緒に、浜辺で石運び一緒にやってくれるかしら?なんて思っていた。
でも、膝通・腰痛の心配のない人はもういないかもしれない。
おばさん二人でやってたら、見ていた誰かが心配して、手伝いに駆けつけてくるかもしれない。

先日遠くから久しぶりに会いに来てくれた学生時代の友達は、体力あるから、美術館いかずに、ここであんなこと一緒にしたかったな。

なんて、思っていたら…

気が付くと、石は自転車を置いているヤシの木陰まで運ばれていた。
彼女たちは、紙袋から出したストローのついた紙コップを二つ、石の上に置いた。
置いた瞬間に、石は午後のティー・タイムのテーブルになった。
女の子って素敵!!
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彼方の彼方

2021-05-04 | 私の星々
南河内万歳一座の舞台で、彼の声が聴こえたら、
「ああ、この声を聴きに来たんだ」といつも思った。

南河内万歳一座を初めて見たのは、1984年阪急ファイヴ8階のオレンジルーム。
「ぴあ」じゃなく「プガジャ」の時代。
あの時、1300円のチケットにサインしてもらった。
そのサインを探していたら、パンフレットのこんな写真を見つけた。(撮影;杉浦正和)


          


この連休、夜空に星が見えない。
さっきからひとりで、この写真見ながら、
万歳一座のメインテーマ集CD♪「海に還ろう!」を聴いている。

藤田辰也(1962~2015)河野洋一郎(1960~2021)

夕陽の向こう、彼方の彼方に、万歳一座の、二つ星。見える。


 …『彼方の彼方』『唇に聴いてみる』『熱血仮面』『嵐を呼ぶ男』
  『二十世紀の退屈男』『ラブレター』『日本三文オペラ~疾風馬鹿力篇』
  『秘密探偵』『ハムレット』『秘密探偵~失われた4月』『百物語』
  『ライオン狩り』『なつざんしょ』『青木さん家の奥さん』『流星王者』
  『錆びたナイフ』『大胸騒ぎ』『ジャングル』『滅裂博士』
   ……彼らと過ごした熱い時間。
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善き哉、善き哉

2021-01-29 | 劇空間
            

阪神なんば線が開通してから12年。古都奈良が近くなった。知らない駅の途中下車も楽しい。
久しぶりに大阪方面に出かけたのは、緊急事態宣言が出る3日前。まだ年賀状が届いていた頃。
今年の年賀状には、同じ祈りをみんな書いている。
近鉄日本橋駅下車すぐの、国立文楽劇場には、電車以外、人混み無しでたどり着ける。
なんといっても、昨秋の錦秋公演以来、座席がゆったりとした市松模様座りなのが嬉しい。
     
     

座ってはいけないシートカバーが、まるで本物の絹の帯みたい。

                

     

新春公演第2部の演目は、
「碁太平記白石噺~浅草雷門の段、新吉原揚屋の段」と「義経千本桜~道行初音旅」

「碁太平記白石噺」は、珍しく江戸生まれの浄瑠璃作品で、姉妹による敵討ちの実話を脚色した話11段のうちの二段。浅草寺門前で営業中の手品師の口上から始まり、吉原一の花魁宮城野の美しさを「小野小町か、浜辺美波か」と喩えていた。ならず者が、巡礼姿の妹を50両で売り飛ばす。(「50両は今の500万円」と、イヤホンガイドが教えてくれる)。さきほどの手品師が赤頭巾の地蔵に変装して、地獄の沙汰も金次第とならず者からまんまと50両を騙し取る場面、問いかけにはすべて「あ~ぁ善き哉、善き哉(よきかな)」を繰り返す。「何が?善きなの?」なんて問わないの。とりあえず「善き哉、善き哉」と呪文のように唱えているうちに、聞いてる相手が勝手に問題解決していく。この演目が新春公演に選ばれたのは、きっとこの言葉を太夫が伝えたかったからだわ。

「義経千本桜」は、源義経に関わった人々が、桜の花が散りゆくように、命を落としていく物語。全山花盛りの吉野山を背景にした「道行初音旅」の段。
静御前が義経会いたさに吉野へ向かう旅道中。義経が形見として渡した初音の鼓を携えている。それは後白河法皇より賜ったもので、鼓の裏皮は義経、表皮は頼朝。「鼓を打つ=頼朝を討て」といういわくつきの鼓。静御前が鼓を打つと、どこからか狐=忠信が現れる。初音の鼓の皮は実は狐の父母の皮で作られたもの。白い狐と人間の早変わりシーンにわくわくする。

まだ、6回しか見ていないけれど、文楽は、思慮のなさや、ちょっとした誤解・早合点が招く、生死をかけた悲劇が多い。300年前の江戸時代にも、きっと、私と同じ年頃のお姉さん方が新春公演だし何を着て行こうかと迷ったり、同じ場面で笑い、涙を流し、帰り道「善き哉、善き哉」って言ってみたりしたんだろうな。
<6秒ルール>が必要な場面で、まあ取り合えず、言っておこうか「善き哉。善き哉」。
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煩悩

2020-12-30 | 持ち帰り展覧会
        

兵庫県立美術館の「今こそGUTAI」展。
ほぼ10年ぶりに、森内敬子のこの「作品」(1968/2004再制作)が出ていた。

        

   座布団は敷く物なのに
   クッションはもたれる物なのに
   立ってる。
   百八つも。
   ドミノのように倒れる時を待って立っている。

   煩悩が真っ白のはずはない。
   真っ赤なものやピンク色
   黄色や、真っ青や真っ黒
   泥色や迷彩色だって混じっているはず。

   でも、一瞬、ほんの一瞬、
   私がバタっと倒れる直前に
   きっと、真っ白になるんだ。
   その劇的瞬間。
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猫は待つ

2020-11-22 | ネコ日和
   

         釣り人の三匹目を待つ橋のネコ

休日恒例の御前浜橋の開閉を見た後、橋の上から下を覗くと、
釣り人が釣ったばかりの魚を、ホイと後ろの黒ネコさんに投げた。
黒ネコさんたら取れずに魚は石の割れ目に落ちた。仕方がないので2匹目を待つ。

ほどなく釣り人は釣れた魚をまたホイと投げた。
また落としてしまった。仕方がないので3匹目を待っている。

またきっと投げてくれると信じて待っている。
橋の上からみていても、その釣り人に対する信頼感と、次は必ず、という緊張感が伝わってきた。

釣れますように!がんばれ、ネコさん!

コメント (2)
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芦屋の時間

2020-10-28 | 持ち帰り展覧会
芦屋市立美術博物館の自転車置き場の雑草が可愛い。
       

その上に広がる秋の空。

       
       
その間の空間を、ふわふわと私は歩いている。
手には分厚い、キャプション=解説書を持って。
美術館を出てからも楽しいことが待っている予感がする。

                 

壁面を作品がヨーロッパの邸宅の壁のように密に並ぶこの秋の展覧会
~「芦屋の時間=大コレクション展」~は、
芦屋市立美術博物館のオールスターズ、収
蔵作家126名全員集合。約190作品が出ている。
迫力の作品数(普段の展覧会は60~70点)に、作品説明のキャプションを掲示する壁の余白がなくなり、解説キャプションはA4版38頁の冊子として配られた(無料、しかも前後期筆者が変わるという超豪華解説書。前後期合わせると73頁になる)。

この機会に、丁寧な解説書を読みながら、自分で作者年代表を作ってみた。
芦屋市立美術博物館の収蔵作品作家年代表である。



(青色水色は男性。黄色桃色は女性)(黒線は今回の出品作制作年。赤線は再制作年)
(名前着色は、「具体美術協会=GUTAI」に一度でも参加したメンバー)    

この表からすぐわかること…

*126人中、女性は19名。
*126人中、存命者は29名。
*一番短命な作家は、山崎福之助(享年27)
☆GUTAIメンバーが38名。そのうち女性は6名。(さすが具体の聖地!)
*1965年前後の作品が多い。

解説書で作品名を確かめると、
*出品作品で一番古いのは(江戸時代を除き)鍋井克之「虎ノ門赤煉瓦風景」1913。
*一番新しいのは、田中哲子「00618A」2000、
 いや、作品としては、2004年再制作された、山崎つる子「作品」
つる子さん28才の時の作品を77才で再制作している。今回の会場で一番キラキラしてる作品。再制作バンザーイ! 
        
この年表と、解説書や、日々更新される芦美博Twitterを読みながら、作品と作者の人物像を想像してみる。美術館の外でも楽しむ展覧会。

*これは作家の生涯の時間の中でどの位置にある作品?
*作者は、関東大震災、第二次世界大戦、阪神淡路大震災、東北の津波を経験した?
*その前の作品?後の作品?~結果、どの時代の空気感を纏っている?
*同世代、作家と作家の関係は?
*さらに欧米留学年代を入れてみようかしら。重なり合ったら面白いわ。
などなど…

そして、そっと自分の生きた時間を彼らの年表に重ねてみる。
…かなり重なる。
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彫刻室

2020-08-13 | 持ち帰り展覧会
神戸の横尾忠則現代美術館の隣には、阪神淡路大震災まで、1階に広い彫刻室のある兵庫県立近代美術館があった。兵庫県立美術館の前身である。
忘れられない彼らがいた。
半身裸像で少し高い岩の上に座る「風の中のベートーヴェン」(ブールデル作1904)。
何かに耐えているような彼の視線の先には、ロダンの「永遠の青春」1884。
アクロバット的に身体をそらした恋人達の情熱的な抱擁シーンを、ベートーヴェンが眉間に皺寄せて強い視線で見下していた。
一瞬、ベートーヴェンが気の毒になる。でもこれこそベートーヴェンだと胸がキュンとなった。。
像の台座には「風が立つとき、わが魂も渦巻く」と彼の言葉が刻まれていた。
彼の中では、今、どんな風が吹いているのだろう?どんな音楽が生まれているのだろう?
違う作家が、別の場所で、別の時間に想像した作品が、美術館の空間で出会う。
彼らが、そこに、そのように在ることで、新しい物語が生まれてくる。

残念ながら、兵庫県立美術館では、もう2度とこんなシーンは現れない。
「風の中のベートーヴェン」は、西宮の兵庫県立芸術文化センターに行ってしまったからだ。
二つもあるのだから、一つは美術館に帰ってきて欲しい。

彫刻室の空間は学芸員さんが創る。面白いだろうなあ。これとこれの視線をそろえたり、交差させたり。新たな出会いの空間を創るお仕事。

昨年、安藤忠雄記念室ができた為、2倍に広くなった兵庫県立美術館の彫刻室。
そこには、近代彫刻の傑作がたくさんある。現代彫刻も、面白い作品が並ぶ。

2020コレクション展Ⅰでは……
ジャコメッティの「石碑Ⅰ」。首の長い男が、やや上向きにじっと前をみている。
いつも、禁欲的な彼が登場すると、周りの空気を浄化する。
でも、今回は、いつもと違う空気を漂わせている。
彼はさっきから、彼女のことが気になって仕方がないのだ。いつもに増して姿勢を正しているけれど、頬の辺りが緊張している。

           ジャコメッティ「石碑Ⅰ」1958

「こっちへ来る。こっちに向かって歩いてくる。泣いてる。彼女は泣いている。」

                   

 クロチェッティ「マグダラのマリア」1955

右から見たマグダラのマリアは、「ダ・ヴィンチ・コード」(ダン・ブラウン)の世界に、時空を超えて繋がっていた。
              

「石碑Ⅰ」の男が、そのことを知ったら、針金のようになってしまうかもしれない。
いや彼は知っている。だから、さっきから喉仏が動いたりしないように意識を集中している。
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この木なんの樹?

2020-07-28 | 散歩計
兵庫県立美術館から帰る時は、必ず灘浜脇浜線の信号を渡る。
信号の向こうには、芦屋市立美術博物館と同じ坂倉建築研究所が設計した渚中学校があり、道路の先には、遠く近く六甲の山並が見える。信号を渡ったら、あの細い木のそばを通る。
あれ?今日は、視界に赤いものがちらちらとしている。漠然と白い花だったような、と今年の春の美術館の空白期間に思いを馳せながら信号が変わるのを待っていた。

              

そこには、奇怪なものが成っていた。
さっき見たコレクション展の延長線にある作り物のような赤い実。

         

そう、重いブロンズの風船球を持つ木製の少女と同じくらい、可愛くて不思議な存在。

          ~淀井敏夫『放つ』1969

重力に逆らって飛んでいきそうな少女の風船に似たこの赤い実には、決して触れてはいけない。




      PS:この木の名前は、コブシ(辛夷)でした
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文庫の表紙を鑑賞する

2020-05-23 | いつのまにか
うちにあるはずの本を探しても見つからないことが何度かあり、ついに本の断捨離を行うことにした。2列に入っている文庫本棚の奥列の本は、阪神淡路大震災後に、夫が片付けて以来触ってない箇所もある。

懐かしい本が出てくる、出てくる。

…「緑の館」1959刊…「フェビアの初恋」1968刊…「メイムおばさん」1974刊…
…「ジェニーの肖像」1975刊…

薄いフランソワーズ・サガンが9冊も。特に好きだというわけでもなかったけれど、
高校時代、学校近くの小さな本屋さんには新潮文庫しかなく、110円で買える本を順番に買っていった。黒い線の表紙はベルナール・ビュッフェね。
おや?この淡い色彩は…

 1961刊

時々芦屋市立美術博物館で出てくる、仲田好江さんではありませんか。
彼女が戦争中に仲田菊代、名で描いた、「若者よ大空へ!」という航空兵募集戦意高揚画に、2016年兵庫県立美術館の「1945年+-5年」展で出会った時以来の発見!

改めて、文庫の表紙に目をとめて、埃を拭きながら古本を見ていくと、思いがけない画家に出合った。
井伏鱒二「黒い雨」1970刊は香月泰男、鶴見俊輔「プラグマティズム」1956刊は高橋秀
石坂洋次郎「若い人」1970刊は三岸節子、唐十郎「少女仮面」1973刊は合田佐和子
山崎正和「世阿彌」1974刊は前田常作、宮本輝「星々の悲しみ」1984刊は佐藤忠良
吉行理恵「記憶のなかに」1981刊は南桂子、北杜夫「酔いどれ船」1982刊は星襄一
有吉佐和子「開幕ベルは華やかに」1984刊は福田繁雄、「紀ノ川」1964刊は芹沢銈介
「真砂屋お峰」1976年は加山又造、カポーティ「夜の樹」1994刊は黒田アキ

と、私がこれらを読んだ時には、名前も知らなかった画家たち。
あの頃知らなかった楽しみを、今手にしている幸福感!
どうよKindle!

あ~片付かないわ。
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ビーム体験

2020-05-08 | 持ち帰り展覧会
昨年の今頃は、岡山県立美術館の「ロマンティック・ロシア展」で、彼女と会っていた。
   
     
          イワン・クラムスコイ「忘れえぬ女(ひと)」1883 
 
「ビーム体験」できる絵がある。
美術館で本物の肖像画を見た時、画面の人物の視線を受けとめてしまった、という体験。視線を受けとめた途端に彼らは私の心に住み着く。彼女は住み着いて30年以上経つ。
三度目の彼女の視線を受け止める。
彼女の左目の涙が確認できるくらい近づいた瞬間に、彼女から何かが溢れてくる。
前回も今回も、何かはわからなかったけれど、今回は気が付いたら私も涙ぐんでいた。

人と、外の世界との境界線は、皮膚である。
でも、一カ所だけそうじゃないと、中学生の頃、そう思春期の頃、思い始めた。
目である。視線の届くところまでが自分だと思っていた。
生意気の「生」は、あの視線が生み出していた。

あの頃は、興味ある異性に対していつも目からそっとビームを出していた気がする。
自分と視線が合った瞬間の彼らの顔を半世紀近くたった今も覚えている。
その後別に何か進展があったわけでもないのだけれど、
互いの視線を受け入れた瞬間、私の胸の何処かに彼らは住み着いた。

大人になってよほどの事がない限りビームがでるほどじっと人の顔はみなくなった。
仕事をしている時は、相手の目をしっかりみて話すようにしていたけれど、それは自分からより相手の視線を何とか受けとめようとしていたのだと思う。
退職してからは、他人としっかり目を見て話していない。だからなかなか顔を覚えられない。
どちらかというと、犬や猫の方と、目を見て話すことが多いような気がする日々である。

そんな中で、久しぶりの出来事。
2017年の秋、芦屋市立美術博物館での「小杉武久 音楽のピクニック」展のイベントに登場した、
高橋悠治さん。2階の階段上がった所で、彼に向かって、真正面から
 「ずっとあなたの♪サティを聴いています」
と長年の思いを告白した私の目からは、中学生の頃のように熱いビームが出ていた。
高橋悠治さんはしっかり受けとめてくれたから、私はその時の彼の顔を今でもすぐ思い出せる。
(そして思い出すたびにドキドキする)
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カシャ!

2020-04-12 | ネコ日和
「ねぇねぇ、MAOちゃん。
 スマホのカメラって、シャッターボタンを、押した時ではなく、
 指を離した時に、カシャって、シャッターが切れるしくみなんだって、知ってた?」
  
 M「14才の私にとっては、常識ね」

「MAOちゃん、今しばらく考えてたよね?」

 M「もっともっとあなたの知らないことを、知ってるけど、教えてあげない」
   

「これでもですか?」


        

「花より団子ですね。」

 (本当は、中身より、カシャカシャする袋が好きなのだそうです。MAO母さん談)



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スーパームーン

2020-04-07 | 五七五
  
     マスク着け顔半分が日に焼けぬそんな季節の前に収まれ

という東大路エリカさんの短歌が朝日新聞に載ったのは、3月22日。
どうやら化粧せずとも日焼け止めが必要な季節になってしまった。

     四月満月スーパームーンに冠なし光受け取る

スーパームーンだから?ほぼ一か月ぶりにお化粧した今日、クレンジングクリームで落としていたら、思いっきり薬指を鼻の穴に突っ込んでしまった。
こんな時、つくづく自分は無駄に齢だけ重ねてきたと思う。
   
             
                  ~友人の家の冷蔵庫にかかっている、石川九楊さんの軸

落ち着いて、元気なものを探そう。

あったー!手にズシッと力寄せてきた大きな晩白柚(ばんぺいゆ)!
       

まるでお月様が掌に落ちてきたみたい。
中身は淡泊だけど爽やかな味、てっぺんはお風呂の香りに、厚さ3cmの皮はピールに。

    半分は崩れてジャムに晩白柚ピール苦くて新しき味

なんだかお家の中で、時間がたっぷりある、今しかできないことが沢山ありそう。
たとえば、『アリババの猫がきいてる』(新藤悦子著)みたいに、
ここにあるこのモノは、いつ、どこからきたの?どうしてきたの? 
と、考えてみるとかね。

そういえば、今使っているマスクは、随分前から我が家にあったモノ。そう、あの時買ったのだ。
2009年5月のこのブログを久しぶりに読むと、「休校中」だけど、今よりはるかに牧歌的な気がする。
でもね、あの時だってどうなるのか、わからなかった。ラスコーのクロマニョン人から851代目はきっと22世紀まで生き延びる。

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