星降るベランダ

めざせ、アルプスの空気、体内ツェルマット
クロネコチャンは月に~夜空には人の運命の数だけ星がまたたいている

古本市で出会ったものは

2008-04-03 | NO SMOKING
夫は古本市があると、宝の山に向かうように意気揚々と、出かける。
「冷たい雨ね…」と、妻は傘を差してとぼとぼついていく。
そこにはかなりの温度差があった。でもやはり行ってみるもの。

神戸サンボーホールの「ひょうご大古本市」
~古本市なのに、美しいソプラノが、場内に流れてる。
どうやらミニコンサートが開かれているらしい。

♪深川和美さんの「音楽の玉手箱」
会場の隅っこで、パイプ椅子並べた飾らないコンサートだ。
各地で童謡サロンを開いているという彼女は、とてもキュートで、素敵な歌声。
彼女の背景の窓ガラスの向こうには雨の中歩道橋を傘さして歩く人々の姿が小さく見える。
ギターの田村君(彼女がそうよんでいた)とのパワフルで楽しいコンビ。

…突然、静かになった。
ところどころセロテープで補強した長い型紙を、手回しオルゴールに差し込んで、自分でそっと回しながら深川さんが歌い始めた。

♪ わたしの頬は ぬれやすい  わたしの頬が さむいときあの日あなたが かいたのは なんの文字だか しらないがそこはいまでも いたむまま 

        (『 霧と話した』 鎌田忠良作詞 中田喜直作曲)

手回しオルゴール…それは、霧の中の哀しい恋物語にふさわしい伴奏だった。

その後、もの凄く懐かしい、ほぼ忘れかけてたベトナム反戦歌、
そして、古本市に流れる曲として、こんなふさわしい歌はない、
という気がするこの曲を彼女は歌った。

   ♪『死んだ男の残したものは』(谷川俊太郎作詞、武満徹作曲)
       
1.死んだ男の残したものは ひとりの妻とひとりの子ども
  他には何も残さなかった 墓石ひとつ残さなかった

2.死んだ女の残したものは しおれた花とひとりの子ども
  他には何も残さなかった 着もの一枚残さなかった

3.死んだ子どもの残したものは ねじれた脚と乾いた涙
  他には何も残さなかった   思い出ひとつ残さなかった

4.死んだ兵士の残したものは こわれた銃とゆがんだ地球
  他には何も残せなかった  平和ひとつ残せなかった

5.死んだかれらの残したものは 生きてるわたし生きてるあなた
  他には誰も残っていない   他には誰も残っていない

6.死んだ歴史の残したものは 輝く今日とまた来るあした
  他には何も残っていない  他には何も残っていない


古本市で、私は谷川俊太郎さんの詩集「空に小鳥がいなくなった日」を見つけた。
1974年、谷川さん43才の頃の詩集。
  
      『朝』

  また朝が来てぼくは生きていた 夜の間の夢をすっかり忘れてぼくは見た
  柿の木の裸の枝が風にゆれ 首輪のない犬が陽だまりに寝そべってるのを

  百年前ぼくはここにいなかった 百年後ぼくはここにいないだろう
  あたり前な所のようでいて 地上はきっと思いがけない場所なんだ

  いつだったか子宮の中で ぼくは小さな小さな卵だった
  それから小さな小さな魚になって それから小さな小さな鳥になって

  それからやっとぼくは人間になった 十ヶ月を何千億年もかかって生きて
 そんなこともぼくら復習しなきゃ 今まで予習ばっかりしすぎたから

  今朝一滴の水の透きとおった冷たさが ぼくに人間とは何かを教える
  魚たちと鳥たちとそして ぼくを殺すかもしれぬけものとすら
  その水をわかちあいたい


表題作『空に小鳥がいなくなった日』は次の言葉で終わる。
  
  空に小鳥がいなくなった日 空は静かに涙した
  ヒトは知らずに歌いつづけた

空に小鳥がいなくなった地上のどこかは存在する。過去にも現在でも。
花が、緑が無くなった地上のどこかでも生きようとするヒトは存在する。

雨があがって、公園の満開の桜の下に遊ぶ子ども達を見ながら、
小鳥鳴き桜咲く春が、彼らの未来にも毎年訪れますようにと、つい祈ってしまう。
  
      

谷川さんは、空に小鳥がいなくなった日でも、詩を作り続けるだろう。
古本市で詩人の歌に出会った私は、なぜか満開の桜の木の下で、
百年前の桜の木の下にも自分はいたような、
百年後の桜の木の下にも自分はいるような気が、する。
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4 コメント

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Unknown (shibako)
2008-04-05 03:33:36
異国に住み始めてから、益々日本語の美しさに魅せられるようになりました。谷川さんの紡ぐ日本語の世界は、ほんとうに美しいですね。奇をてらってない、素直で綺麗な日本語ですよね。ラミーチョコさんの日本語も巨匠に負けず劣らず美しいです。>百年前の桜の木の下にも自分はいたような、>百年後の桜の木の下にも自分はいるような気が、する。>の所にぐっときました。

桜ってあまりに美しくて圧倒されるせいか、怪しいことを考えてしまいます。梶井基次郎の桜の木の下に死体が眠っているじゃないですが。死をも思わせる。

子どもの頃、「朝のリレー」が好きでした。この小さな町で色んな国の友達ができて、そしてみんな暫くたって母国に帰って行く度、彼女のいる村は朝なんだな、彼のいる町は夜なんだなと、朝のリレーを実感するようになりました。
返信する
shibakoさん (ラミーチョコ)
2008-04-06 09:03:22
>桜の木の下に死体が眠っている

夜桜は本当に妖しい世界ですね。私はいつもこの歌を思い出します。

願わくば 桜の下にて 春死なん その如月の 望月のころ (西行)

さて、妖しげな世界から、爽やかな世界へ

>「朝のリレー」
この素敵なフレーズにぐっときました。
地球上で、次々に人が目覚めていく情景を思い描いてしまいます。
私も、お日様の「はい、次、君の朝だよ」という言葉で毎朝、目覚めているのかもしれません。
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Unknown (ジュリママ)
2008-04-07 12:25:40
『死んだ男の残したものは』が、
谷川俊太郎+武満徹だったなんて、
初めて知りました。
どうりで、とても印象に残る歌だったわけですねー!

梶井基次郎の小説の、
「桜の木の下には屍体が埋まっている」
という着想は、意外にもムンクの、
樹木の根元に動物の屍体が埋まっている絵から
ヒントを得たという説もあるようですが、
興味のある話です。

散る桜残る桜も散る桜・・・
美しいがゆえに、切なさもひとしお・・・

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ジュリママさん (ラミーチョコ)
2008-04-08 23:16:11
のだめで「今日の料理♪」が富田勲さんの作曲であると知った時は、「むすんでひらいて♪」がJ・J・ルソーの作曲であることを知った時と同じくらいの驚きでした。
もう「猫ふんじゃった」が、実はベートーヴェンの作曲であったと聞いても驚きません
…いや、やっぱり驚くかしら?
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