星降るベランダ

めざせ、アルプスの空気、体内ツェルマット
クロネコチャンは月に~夜空には人の運命の数だけ星がまたたいている

ホログラム

2008-10-19 | 持ち帰り展覧会
兵庫県立美術館のコレクション展Ⅱの現代美術の展示室は広い。
そこには大きな作品がある、というだけではない理由がある。

聴濤襄治(きくなみじょうじ、1923~2008)さんの美しい作品「WORK1-5-66」は、離れて見て初めてその美しさに気付く。
第3室の入り口から見ると、板縁しか見えない。10㍍くらい離れたまま作品から同心円を描くように歩きながらその作品を目で追っていくと、3歩くらい歩いたら、画面から銀色の光が見えてくる。歩を進めるとやがて、キラキラピンクの光が。一歩歩くたびに、画面からキラキラキラキラ、光の笑いが沸き上がってくる。見てるだけで幸せになる作品。
そばでじっと眺めたらこんな風。(館所有の常設作品はフラッシュ無し撮影可だった)  
     
   

1960年代売り出されたばかりのテトロンフィルムを使った1966年の作品である。 

昨日久しぶりに東急ハンズの地下素材売り場を彷徨っていたら、こんな物を見つけた。
     
                

ラミリサイクルPETプレートL19-Sのハガキ(¥240)
厚さ0.6ミリなのに、少なくても1㎝以上の奥行きがあるように見える。
5×8の40ブロックの一つ一つに鏡のように像がうつる。
動かすと、万華鏡のように実際より遙かに美しい像が40個キラキラ揺らめく。
回転すると、画面の奥から何かが湧いてくるような気がする。
こんなに自分の顔を長い間楽しんで見たことはない。

ホログラムというそうだ。ホログラムとは、3次元像を記録する写真のこと。
一万円札やクレジットカードの隅っこでキラキラしているものと同じホログラフィー。いつのまにか生活に浸透していたフィルム技術。

目の前でくるくる回していると、聴濤襄治さんの40年後の小さな作品を手にしているような気がする。
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誰にだって秘密はある

2008-10-17 | ネコ日和
お友達のうちのMAOちゃんは2才、こんなに素敵なネコさんになった。
 
            

でも「その椅子、どうして破けてるのかなぁ?」って聞くと、こんな顔になった。

      ~フッ、猫にだって秘密はあるの

                            (バレてますけど)


そう、誰にでも秘密はある。
実はあの日、MAOちゃんちからの帰り道、
相変わらずのクシャミと鼻水に、悲しくなって電車降りたら、
こんな親子に出会ってしまったの。
只今名前考え中。

                    

小さな親子猫さん達は、今本棚の隅っこに隠れている。
少し高価な衝動買い。まだ見つかっていないわ。
秘密がバレた時は、
そうだ、MAOちゃんのような顔をしよう。…フッ
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パンダ星

2008-10-16 | 私の星々
   2008年10月15日永眠

私より丸顔の人手を挙げて  

   ひまそうに見えるのかしら笹囓り

      義務感で子供生むはずないじゃない

         千分の一の体重抱きしめる           

            母昼寝してる間に子は育つ

               そんなあなたが大好きでした。
               ありがとう、梅梅メイメイ。
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夭折の画家

2008-10-13 | 持ち帰り展覧会
1928年8月、佐伯祐三、パリに死す。30才だった。
~シャガールみたいに98才まで生きたら、彼は他にどんな絵を描いたのだろう。
 もっと生きて、もっと描いて欲しかった。

         「ラ・クロッシュ」1927 

       
  「人形」1925                「郵便配達夫」1928

以前芦屋市立美術博物館で、パリの日本人画家達といっしょに撮った佐伯の写真を見たことがある。芥川龍之介に似た、鋭い眼光で頬のこけた長身長髪の彼は、一人現地の人のようだった。

22才で結婚し、妻子と共に1924年1月から渡仏、パリでブラマンクと出会う。美しい文字広告の貼られた壁の絵が登場する。
1926年1月帰国、彼をとりまく日本の風景には、黒い輪郭で描けるのは、電柱くらいしかない。この間の絵を見ると、自分を発揮できるのはここではない、という彼のあせりが伝わってくる。
1927年8月再び妻子とともにパリへ。渡仏直後にパリの大通りを描いた大作、二日間で3枚仕上げたという。パリに戻れた彼の喜びが伝わってくるようだ。
そして、まるで、自分の人生の早い終わりを予感したように、午前に1枚午後に1枚のペースで描いたフランスの風景。
病床についてから、訪れた郵便配達夫をモデルに描いた傑作「郵便配達夫」…画家は郵便配達夫を、自分を訪れた神様だと言った。
                 
  展覧会場入口扉は「黄色いレストラン」1928

パリの風景の中に描かれた人間の姿の何と適確なことだろう。風景の中にとけ込んだ一部なのに、建物の隅にほぼ棒状に描かれた単純な形なのに、その人物の心情が伝わってくるような気がする。

「工場」1928 という作品の前で長い間立っていた。彼がもっと生きていたら、抽象画を描いたのではないかと思わせる作品だった。

「佐伯祐三展」の開かれている大阪市立美術館は、天王寺公園内にある。
天王寺公園は、2003年カラオケ露店が撤去され、静かな空間に変わっていた。
2000年フェルメール展の時は、外に出た途端、カラオケ演歌の大音響が鳴り響き、一瞬でフェルメールの静寂な世界から浪速の喧噪に引き戻されて、とにかくこの音の聞こえない所に早くたどり着きたいと、風景を楽しむ余裕もなく足早に立ち去った場所だった。
しかし、今日は、大阪の風景が、秋の夕空の下、とても美しいなぁと感じる、人は多いが静かな空間になっていた。

          

ここから見る通天閣はサクレクールから見るエッフェル塔。
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シャガールみたいな青い夜

2008-10-12 | 持ち帰り展覧会
たくさんのシャガールとの初めての出会いは、できたばかりの水庭に囲まれた高知県立美術館だった。

   愛する男女は時間の止まった宙を浮遊する
   そばには花があり、二人を祝うのは山羊や魚やニワトリやロバ。
   この世はサーカス。

まさに色彩の魔術師、的な多くの作品にくらくらして、持ち帰り一枚は選べなかったが、青い夜と赤い花と、浮遊感を持って帰った。

  ♪あなたがわたしにくれたもの キリンが逆立ちしたピアス
   …あなたがわたしにくれたもの シャガールみたいな青い夜♪

      (ジッタリンジン「プレゼント」)…若かった。

それから、ひろしま美術館で「わたしのおばあちゃん」という作品に出会った。
背中を丸めて編み物をするおばあちゃんは、シャガールがロシア生まれであることを、色を押さえた作品も描いていることを教えてくれた。温かい彼の心を感じるいい作品だった。

芦屋のマイシャガール美術館では、シャガールが、敬虔なユダヤ教徒であり、沢山の苦悩を抱えた長い人生であったのだと思った。

そして今回、兵庫県立美術館で開かれている「シャガール~色彩の詩人」展に行って、彼の魂が、故郷のヴィテブスク村から飛び立っていることに、改めて気がついた。原点はこの村と愛妻ベラにある。
モスクワのトレチャコフ美術館から初期の油絵、ユダヤ劇場の壁画がやってきたのだ。

               

それは、まさに「屋根の上のヴァイオリン弾き」の世界だった。
   
♪「サンライズ・サンセット」のメロディが聞こえてくるようだ。
 
   Sunrise, sunset, Sunrise, sunset,
   Swiftly flow the days.
   Seedlings turn overnight to sunflowers,
   Blossoming even as we gaze ♪

彼は1910~14年パリに出てキュビズムの洗礼をうけ、ロシアに帰ってベラと結婚する。ロシア革命という激動期にロシアにいた芸術家だ。1922年、故国を去り、パリからはナチスに終われ、亡命したアメリカで、愛妻ベラを亡くし、フランスに戻り、定住。
宙を飛ぶ多くのリトグラフ作品は、戦後の作品である。

…マルク・シャガール(1887~1985)
 20世紀を長く生きた、白ロシア生まれのさまよえるユダヤ人。

展示されたゴーゴリ作「死せる魂」の挿絵版画をみて、すっかり忘れていた、死んだ農奴の名簿を買い漁るチチコフというとんでもない男のことを思い出した。
ソ連が崩壊して、故郷がベラルーシという国になったことを知るまで、彼には生きていて欲しかった気がする。
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キンモクセイ

2008-10-06 | NO SMOKING
今朝、窓を開けたら、どこからか、キンモクセイの香りが漂ってきた。
雨上がりの今日は、2期制の単位制高校の秋の入学式。
校長先生は「桜の花満開の下、君たちを迎え…」とではなく、
「キンモクセイの香る秋空の下、君たちを迎え…」と挨拶したのだろうか。
それもいい、ピンク色ではなく金色の香りが祝っている。

先週、茶碗・箸・医者・椅子…身の回りのあらゆるもので、詰め碁をし始めた父には、病院の庭で丸くなっている犬さんも、碁石に見えるのだろうか。

       

     「いいな、おまえ(犬)は」という普段の彼の声を真似してみる。

 ~秋 どこかで石英のぶつかる音がする~

誰の詩だったのか忘れたけれど、頭の中で何かがぶつかっているのかもしれない。
澄んだ空気の中か、澱んだ空気の中か、黒白の碁石がぶつかっている。

戦時下の旧制中学の入学式は、どんな風だったのだろう。
28年後、私も父と同じ学校(高校)に入学した。
その日、母が、黒絵羽織にチューリップの柄の帯をしめていたこと以外、
覚えていない。新入生挨拶なんかしたというのだけれど…
長い時を経た後、自分が何を覚えているのか、自分にもわからないのだ。
桜の花やチューリップの花を見るたびに、気付かないけど、その時の幸福感は、自分の内部で自然に沸き上がっているのだろうか。

将来、自分が「せんもう」状態になった時は、何を怖れるのだろう。
何を大切にするのだろう。
そんな時でも自分が守ろうとするものは何だろう。
父にとっての囲碁は、私にとっては何だろう。

私にとって、キンモクセイは、自動販売機のホットココアを友達と飲んでいたキャンパスの幸せな青春時代を思い出す幸せな香り。
今日入学式を迎えた新入生にとって、キンモクセイの香りがいい思い出に繋がりますように。
そして
父にとって、キンモクセイの香りが幸せな記憶と結びついていますように
                             …祈る秋。
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目撃者

2008-10-01 | 持ち帰り展覧会
芦屋市立美術博物館で開かれている「コレクション展3 目撃者」は、いろいろな感覚が刺激をうける展覧会である。
  
              

1954年に芦屋で結成された具体美術協会の、1972年解散までの17年の軌跡を追う写真展示があった。吉原治良さんの「今まで誰もやったことのないものをつくろう」という呼びかけに集まった若き芸術家集団。彼らは「自由」であることを「具体」的に表現した。平面絵画に留まらず、立体表現、身体を使ったパフォーマンスなど新しい表現に挑んだ彼らは、20世紀半ばでは、まさしく前衛アートの世界の旗手だった。

「具体」の作品は、芦屋市立美術博物館の宝物。
「具体」のパフォーマンス映像は前回の「コレクションの底力」展でホワイエのビデオで観ることができた。今回はメンバーが選んだ写真。
一枚一枚に、他人がやったことのないことに挑戦するんだという、半世紀前の若いアーティストの気概のようなものを感じる。
「真夏の太陽に挑む野外モダンアート実験展」とか「だいじょうぶ月はおちない」などという展覧会のテーマには、学園祭の原点の「ヤルゾー!」というトキメキを感じる。

21枚の紙を突き破った「紙破り」の村上三郎さんの、「箱」。作品の一つは写真でしか残っていない。
一片80㎝の木箱20個を大阪の街のあちらこちらに置いた写真、置く場所によって違う物に見える。そして、一週間後、それぞれの場所で、それぞれの箱はふさわしい姿に変わっていた。解体したもの、傷ついたもの、消滅したもの、いろいろだ。最終的には、回収した箱を解体するパフォーマンスのためにつくられた中身のない箱。
これら箱の運命を思う時、同じヒトとして生まれるのに、違う場所に生まれて、違う人生を歩む、そして皆、ただの最後を迎える、ヒトのそんな運命のことなど考えてしまう。
果たしてこれが美術作品か?という疑問は残るが、高校の学園祭でやってみたい企画だ。(でも、今なら不審物扱いをうけ、きっと許可証みたいなものを貼らないといけないのかもしれない)

しかし、箱って何だろう?…何かを入れるためのもの。
そばにあると、何が入っているのかと、どうしても気になる。
展示室の中央に置かれたもう一つの、実物の、木の「箱」作品。
…耳をつけると、小さく時を刻む時計の音がする。中には閉ざされた時間が詰まっているのだ。不定期に時報が鳴るという。異次元に通じているかもしれない。ありふれた木の箱であるのに、京極夏彦の世界のような不気味ささえ感じる。

そして、その箱と重なるように、壁面には、蟻田哲(ありたあきら)さんの大きな油絵作品。3Dアートもびっくりの立体感。
「ものが在る」ことを追求している作家らしい。確かに、壁面の油絵の尖った角の方が、実際に置かれた木の箱の角より、当たれば痛い感じがする。
しかし、こんな色調の絵を長時間描いていて画家は楽しいのだろうか?
膨大な時間と労力と絵の具を使って現す、痛い壁の絵。

労力と時間という点では、松谷武判(まつたにたけさだ)さんの黒い絵は、みんな、黒鉛筆で塗り込めた上で、テレピン油を流して動きを加えたもの。
「流動K2」に立てかけられた枕木は巨大な鉛筆に見える。
私は左手で受話器を持つ時、右手では鉛筆を持って、グルグルする癖がある。
受話器を置いた後、そこには意味のない黒の図形が残る。これは何なのだろう。私の中の何が出てきたのだろう。そんなことを思い出す。

それにしても、こうした「具体」の作品を保存する美術館は、大変だろうなと思う。震災の時、ダメージはなかったのだろうか。

今回のコレクション展で、私が一番長い間その前に立っていたのは、段ボールに貼られた、堀尾貞治さんの「震災風景」という41枚の水彩画作品である。 
1995年阪神大震災後の3月から約1年間の神戸市兵庫区の風景。

               

垂直に立っている物がほとんどない瓦礫の街。どこを向いても、思ってもみなかった構図がある。
これは、確かに私がリュック背負って歩いた震災後の神戸の街の風景である。
これはあそこかなぁと、一枚一枚、見ているうちに、私は、絵に描かれていないものを思い出して、胸がいっぱいになった。
それは、匂いと空気、1年間あの街に立ちこめていた埃っぽい空気だ。
絵の中の空間は、実際には、マスクなしには歩けなかった空間だ。
目に埃が入ってくるから、コンタクトの私はいつも伏し目がちで充血していた。

これらの瓦礫は今はもう、埋め立て地の何かに変わって、その上には新しい建物が建っているはず。絵に描かれた散乱した街の看板からは、ここにはこんなものがあったんですよ、地震さえなければ今もあったはずなんですよ、という、空しいモノローグが聞こえてくる。
とどのつまり、新しい建物も、崩れた瓦礫も、地球の些細な一部に過ぎない。

目撃者…展覧会に行って、私はまた、何かの目撃者になる。
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