抽象画の中には、その絵の中の世界に自分が入っていける絵がある。
2010年夏の兵庫県立美術館のコレクション展で
木下佳通代(1939~94)の作品「88―CA505」に近づいていった時だった。
10メートル向こうから、いくつもの風景が重なって見える。
感じるこの懐かしさは、
かつて住んでいたあの町の風景?
夢の中では、細部がリアルで詳しいのに、
いつも町の全体像はぼやけている。
過去のその時間までのあいまいな距離感。
確かにそこに自分は存在していたのだけれど、
どんな自分がその町の中に存在していたのか知りたいのだけれど、
セピア色の影になる。
それでも、消しても消しても浮かんでくる自分の軌跡。
もしかしたら、遠くの方に見える町は、
これから訪れる場所なのかもしれない。
春節祭で賑わう神戸元町の古本屋で、彼女の画集を見つけた。
1994年に彼女は癌で亡くなった。震災の4ヶ月前。画集は翌々年編まれている。
扉の写真に添えられた言葉は…
すべてがあるがままに「在る」ためには…。
すべての絶対的存在と
「みる」ことにおける存在。
または物理学的存在と形而上学的存在。
すべての「存在」を認識し続けること。
1970年代の木下佳通代は、同じ画面に異なる時間に撮った写真を合わせた作品を制作。
それを見ている私に、見ている「今」という時間から、写真が撮られた過去までの距離感のあいまいさを自覚させる作品を残している。
神戸の花時計の風景写真と、その写真を撮る人を入れた風景写真の10枚セットの作品。
彼女が、もう少し長生きして震災を経験したなら、その後どんな作品をつくっただろうか。今、あの花時計のそばの東公園には「1・17希望のひかり」が灯っている。
2010年夏の兵庫県立美術館のコレクション展で
木下佳通代(1939~94)の作品「88―CA505」に近づいていった時だった。
10メートル向こうから、いくつもの風景が重なって見える。
感じるこの懐かしさは、
かつて住んでいたあの町の風景?
夢の中では、細部がリアルで詳しいのに、
いつも町の全体像はぼやけている。
過去のその時間までのあいまいな距離感。
確かにそこに自分は存在していたのだけれど、
どんな自分がその町の中に存在していたのか知りたいのだけれど、
セピア色の影になる。
それでも、消しても消しても浮かんでくる自分の軌跡。
もしかしたら、遠くの方に見える町は、
これから訪れる場所なのかもしれない。
春節祭で賑わう神戸元町の古本屋で、彼女の画集を見つけた。
1994年に彼女は癌で亡くなった。震災の4ヶ月前。画集は翌々年編まれている。
扉の写真に添えられた言葉は…
すべてがあるがままに「在る」ためには…。
すべての絶対的存在と
「みる」ことにおける存在。
または物理学的存在と形而上学的存在。
すべての「存在」を認識し続けること。
1970年代の木下佳通代は、同じ画面に異なる時間に撮った写真を合わせた作品を制作。
それを見ている私に、見ている「今」という時間から、写真が撮られた過去までの距離感のあいまいさを自覚させる作品を残している。
神戸の花時計の風景写真と、その写真を撮る人を入れた風景写真の10枚セットの作品。
彼女が、もう少し長生きして震災を経験したなら、その後どんな作品をつくっただろうか。今、あの花時計のそばの東公園には「1・17希望のひかり」が灯っている。