星降るベランダ

めざせ、アルプスの空気、体内ツェルマット
クロネコチャンは月に~夜空には人の運命の数だけ星がまたたいている

逢魔が時

2009-06-07 | 五七五
近くの散歩道に、緑の灯が点(とも)る街灯が立っている。
 
      

夕暮れに、ここを通るたびに、この街灯の下で待ち合わせをしたいなぁと、いう思いが募っていった。
一昨日、夫と約束した。
夫のカエルコールがあったのは、夜の9時。
…大丈夫。この時間、まだ犬の散歩やウォーキングの人やジョギングの人達が、結構通って行くから。

ところが、緑の街灯がないのだ。
歩道には、並びの街灯と同じ色の灯りの街灯が並んでいて、位置からしてこれだと思うのだけど、灯りの色が違う。

この街灯は、夕暮れ時、黄昏時、のみ木の緑の葉色が街灯に照らされて、とてもロマンティックな街灯に変身するのだった。
そして太陽が沈み夜になると、ただの街灯に戻ってしまう。

上の写真を見れば、普通の丸い電灯に周囲の緑が照らされているのがよくわかるけど、実物は紛れもなく、そこだけポワ~ンと、緑が点る。なんだかその下に立っていると、自分が前髪を長く伸ばした少女のような気がしてくる不思議な灯りなのだ。。

        街灯が緑に点る逢魔が時

        思春期の色は緑とやっと知る  

        逢魔が時緑の眼をした魔女登場
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水平線を見てカエル

2009-06-05 | 散歩計
伊勢神宮にお参りした人たちは、自分の故郷に無事帰るために、二見浦の輿玉(おきたま)神社にもお参りする。
              

アマテラスオオミカミの道案内、猿田彦の化身は、蛙さんだという。
それにしても、この数。神社はカエルさん達に占拠されていた。
失せ物帰る、失せ人帰る、という経験をした方がお礼に奉納したカエルさん達らしいが、これからもどんどん増えていくはず。百年後にはどうなることだろう。

岩の上から、夫婦岩を見つめているこのカエルさんが、一番頼もしかった。



雨も小降りになってきた。
朝早い時間だったので、堤防の上には誰もいない。
長い堤防の上を、宿で借りた赤い傘をさして歩いた。
一歩進むたびに思わず傘を上下する。ふ~ん、ふ~ん、ふ~ん。
曇天なのに…傘が赤いからって…なんて私は単純なんだろう。

だんだん世界が明るくなり、水平線が、はっきり見えてきた。

水平線までの距離は、150cmの目の高さだと、約4.5kmになるという。
意外に近い。水泳部なら泳いでいける距離だ。
でも、「水平線まで泳ごう」なんて泳ぎだしたら大変。永遠にたどり着けない。
その意味では、やはり、水平線は、遠い彼方を示す存在なのだ。

その日、無事に帰り着いたわが家では、この子が待っていた。

                  

そろそろ梅雨の季節、~濡れることを恐れなければ雨の日は楽しい~
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四季耕作図

2009-06-03 | 持ち帰り展覧会
雨模様のGWの一日、伊勢に向かう近鉄特急の車窓から見える日本の農村風景は、美しかった。田植えを終えた緑の水田と、水をたたえただけの水田が混在している。
本来GWの頃は、田植えの真っ最中で、日本の農家は忙しい時期なのだ。世間がGWだと騒ぐのは、日本が農耕社会ではなくなった証拠。ところどころに広がる背丈の高い草むらは、減反政策の作りだしたものに違いない。

今、芦屋市立美術博物館で開かれている「芦屋うるわし~博物館の底力」展には、江戸時代ののどかな農村風景が六曲一双の屏風に描かれた「四季耕作図屏風」が出ている。芦屋三条町の旧家小阪家に伝わったもので、芦屋市の指定文化財。
右双右下の、春の作業から始まり、左双左上の秋の収穫物を氏神様へお供えする所で終わる、生き生きと働く農村の共同作業が描かれたものだ。
私の江戸時代の農村のイメージは、白土三平の「忍者武芸帳」や「カムイ伝」でつくられていたので、この四季耕作図屏風に描かれた、のどかで楽しそうな村人の姿は、とても新鮮だった。

色彩豊かな、保存状態のとても良いこの屏風は、村の有力者である庄屋さんが、正月や、来客のある特別な時だけ飾ったものだろう。そこには重い年貢や農村内部にもある身分制度などの社会問題は、描かれていない。

ただ、「あしたに星をかずき、夕べに月を踏んで」という、まだ星が出ている早朝から月が姿を見せる夜までの厳しい農作業を、歌など歌いながら、時には冗談をかわしながら、村人みんなで懸命に、やりぬいている姿が、ユーモラスな動きで、描かれている。「くぼたのたんぼ」を、参考にして、農作業の順番に画面を追ってみよう。

~右双~

早春、農家の庭の梅の木には紅い花が満開に花咲いている。家の中では女がひとり機織り作業、きっと梅の香りを織り込んでいる。隣接した小屋には立派な角の雄牛が寝そべり、爺様は竹とんぼを作って可愛い孫と遊んでいる。

桜満開の春。前年の稲刈りの時に厳選し、蔵で大切に保存していた種籾(種にするお米)を、池の水(海水?)につけて、種籾を選んでいる。
沈んだ中身の詰まった良い種籾を選んだら、また水に4、5日つける。
さあ、次は苗代に種蒔きだ。「苗代半作」(=良い苗を育てれば稲作の半分は成功)

田んぼでは、大きな牛に引かせた唐鋤で、田起こし作業が進んでいる。
鍬(くわ)を置いてひと休みしている畦(あぜ)塗り作業の男達のそばで、子供達が遊ぶ。
赤い菱形の腹かけをした幼子が走り出す。大きな子は、ペットをつれている。紐をつけた大きな亀だ。

田起こしした田んぼには水を張って、代掻(しろか)きが行われている。土を細かく砕き、丁寧に掻き混ぜて、田んぼの表面を平らにする作業。ここでも馬鍬(まんが)をひいた牛が活躍している。

苗をいっぱい入れた両肩天秤を担いだ男が畦道を急ぐ。田植えの季節到来。
早乙女達が、中腰で頑張っている。田植え歌でも歌っているのだろうか。
畦道の向こうから、おなごしがお茶と弁当持ってやってくる。きっとおにぎりと漬物。

~左双~

夏だ。草刈りに汗を流す。雑草との戦いだ。「朝飯前の仕事」は楽じゃない。
水遣りは力仕事。両端に紐をつけた木桶で一日中下から上に水を揚げる夫婦。
竜骨車を回す男達は褌姿だ。近くの木の枝にかけた彼らの衣が風に揺れている。
日照りが続けば大変だ。しかし熱中症など恐れる暇はない。
水路にかかった板橋の上を、おなごしが、彼らにお茶と弁当を運ぶ。

秋。実り始めた稲田には、番傘に弓をつがえた勇ましい案山子が立っている。稲田の上に張られたひもには、ところどころに木の板が取り付けられている。鳴子だ。畦道には、ひもを引っ張る男が座っている。
「バン、バン、バン」鳴子の音に驚いた鳥たちが、空に舞い上がる。

秋の夕焼けは翌日の晴天、さあ鎌を研ごう。稲刈りだ。2鎌分で一束にする。
黄金色に頬染めながらの村人総出の作業。
半日稲刈り、半日は稲束を稲架(はざ)に運んで掛ける作業。(あー、猫の手も借りたい。)

10日以上、お日様と風に吹かれて乾燥した稲は荷車に載せて慎重に、籾を落とさないように気をつけて運ぶ、「稲揚げ」作業。

刈り取りを終えた田んぼには、鳥たちが遊ぶ。もう彼らを邪魔する農夫はいない。

庄屋さんの庭には、頼もしい農具が待っている。
脱穀作業の勇者は、千歯扱き。
威勢の良い6人組が唐棹(からさお)を振り回す。

脱穀が終わると臼での籾摺(もみす)り。籾から籾殻(もみがら)を除去して玄米にする作業である。臼の上部を回転させるために、3人がかりで遣り木を引っ張っている。重労働だが彼らの表情は明るい。タイミングがなかなか合わない。歌でも歌おう。臼ひき歌だ。 
少し離れた場所で鶏が、飛んできた籾殻を喜んでついばんでいる。

藁で作った俵に米を詰める。
ヨッコラショと、男が肩に担いで米俵を蔵に運び入れる。
すべての作業が済んだ。庄屋さんは、今年の豊年を感謝して、村の鎮守の森の氏神様の祠に、収穫した稲束を奉納する。

ここで、「四季耕作図屏風」は終わっているが、
この後には、きっと村人総出の「豊年満作」を祝う村祭りが待っているのだ。

  ♪村の鎮守の神様の 今日はめでたい御祭日
   ドンドンヒャララ ドンヒャララ
   ドンドンヒャララ ドンヒャララ
   朝から聞こえる笛太鼓
   
四季耕作図屏風をたどっただけなのに、なんだかとても懐かしい世界に、旅をしてきたような気がする。
いい汗をかいた、いい旅だった。
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