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星降るベランダ

めざせ、アルプスの空気、体内ツェルマット
クロネコチャンは月に~夜空には人の運命の数だけ星がまたたいている

「犬になりたくなかった犬」

2007-06-18 | イヌの本
梅雨の季節になると、本屋さんには「チッチとサリー」の新刊が並ぶ。
「チッチとサリー」を買ったら、次は、サクランボである。
チッチの足だとしたら、アメリカンチェリーでも良さそうだけど、
ここはやはり、年に一度の贅沢、箱入り山形産佐藤錦。

             

長いこと、ピカピカつるりん、と思っていた赤いサクランボが、
写真をとってアップしたら、どうしても、表面に黒い陰影がつく。
こんなはずは、と、何回修正しても残るのだ。
写真なのに、まるで、セザンヌの描く静物画みたい。

どれどれ、と、サクランボの本体をよ~く見つめてみたら、
…写真のとおりだった。やはり、画家の目は凄い。

サクランボを食べる時、我が家ではいつもマットという犬が話題になる。
1930年頃のカナダのサスカチワンには、
ボートの上で、防塵メガネをかけて、サクランボを食べては、ポイポイと川面に種をとばしてる犬がいた。


ファーレイ・モウワット著、角邦雄訳
「犬になりたくなかった犬」
(文春文庫1975年)

著者のモウワットさんが少年時代を共に過ごした、この世に一匹しかいない種類の愛犬マットのことを書いた小説。
4セントで買われ台所の石鹸箱に入っていた子イヌはやがて、伝説の狩猟犬となる。防塵メガネでドライブしたり、洗剤で洗われてブルーの毛色になってしまったり、猫のように塀の上を歩いたり
…もう、これを読んでこの犬を好きにならない人はいない。そして、この少年やその家族も。
角さんの訳が素晴らしい。翻訳物でこれだけ上品に抱腹絶倒できる名訳はめったにないと思う。そして読む度に、最終章の、人が動物と出会ったら必ずいつか訪れるシーンに至るのがつらいのだ。

「32年前、この本をプレゼントしてくれた人と、今も暮らしています。」って、作者に伝えたいなぁ。
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富士丸くんに会いに行く

2007-03-28 | イヌの本
いい子だからてへてへてへと気を遣う

耳元で長生きしてねと囁いた
この犬と出会ってしまった彼のサイン         
    
穴澤賢さんのエッセイ「ひとりと一匹」(アーティストハウス)のサイン会に行ってきた。                     
富士丸くんに触った。少しバリっとした毛触りは、やはりクロネコチャンと違う。
コリーの父とハスキーの母に生まれた彼は、コリーの優しさ穏やかさと、ハスキーの元気さやんちゃさを併せ持つ。
私は、大型犬の、あの犬くさーい匂いと、丸い額が好きだ。

幼い頃、名犬ラッシーのブームが田舎の町にも及んだのか、
隣の家では「パール」という名の大きな牝のコリー犬を飼っていた。
ラッシーの種類だから、おとなしく賢く子供を守る犬だった。
ある日、夕方になっても帰ってこない私を探していた母は、
隣家の風呂場の焚き口の近くで、パールのおなかの上でスヤスヤ寝ている私を見つけた。
私自身にこの記憶はないが、今でも、犬に涎つけられても平気なことや、化粧してても犬に出会ったら手より先に鼻を突き出す癖は、幼い日のパールとの幸せな時間のおかげだと思う。

大学時代に、私の生活に縞猫さんが闖入するまでは、猫と関わりなく生きていた。
下宿に帰ったら私のベッドの上で、その雄猫はぐたーっと横たわっていた。
開けたままの窓から入ってきたのだろう。肩口から血が出ていた。
結局、その日から彼は私の同居猫となり、いつのまにか私は猫に名前をつける人になっていた。
猫は時々、日向の匂いはするけど、基本的には自分でマメに毛づくろいするから匂わない。
…時々、あの犬くさーい感じが恋しくなって、富士丸くんのブログを覗く。

散歩する極意を君から学びたい
         
                



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