星降るベランダ

めざせ、アルプスの空気、体内ツェルマット
クロネコチャンは月に~夜空には人の運命の数だけ星がまたたいている

空から紅葉

2008-11-30 | 散歩計
20年間通った仕事場は、長い石段を登っていかないとたどり着けない、丘の上にあった。
毎朝、出かけに点検する通勤着や靴や所持品は、そのうちに、電車の中や室内対応ではなく、「あの階段を登るのだから」というのが基準になっていった。
まるで朝練しているような日常なのに、ちっとも痩せず、勤め始めて10年後には体重は5㎏増量。米袋一袋身につけて登っているようなものだから、だんだん階段がきつく感じるようになるのも当然だった。

そんなある日、私は階段を楽に登るおまじないの言葉を見つけた。
階段の登り口に群生するオシロイバナの英語名が、「FOUR O'CLOCK]=午後4時から咲く花 と知った翌朝、「ワン、ツー、スリー、フォー」と思わず口に出して階段を上ったら、足がとても軽く、楽に登れたのである。
その後、いくつまで数えるのが楽なのか、英語かフランス語か日本語か、などと試行錯誤した結果、落ち着いた数は「7」だった。
一段ごとに、頭の中で「いち、に、さん、し、ご、ろく、なな」と数えながら登り、(ホッ)っと息をつぐ。これは結局、昔ながらの老人の山登りの方法にたどりついただけではないか、という気もするけど、何か正しいことを自力で見つけたようで、嬉しくなった。

「いち、に、さん、し、ご、ろく、なな、ホッ」を繰り返すうちに、気がついたら頂上にたどりつく。
そして、登り切った途端、パッと広がる視界、
晴れた朝には、真っ青な空に向かって自分が登ってきたんだと実感できた。
「空に近づいた」という朝のプチ達成感。
下界を見渡すと、海が見える。
沖行く船が見えた時など、意味なく、今日は何かいいことありそうだと思った。

そう、神戸という街の一番素敵な所は、山と海が近くて、いつも両方を感じることができるところ。
神戸夢風船(新神戸ロープウェー)に乗ったら、階段も登らずに空に近づき、山の紅葉と、海をみることができる。



                 

 あ、布引の滝だ。


もうすぐハーブ園到着。    
     
         海も輝いていた。

紅い服を着ていたら良かったなぁ。

           人もまた空から見たらひと紅葉     
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マチエール事始め

2008-11-18 | 持ち帰り展覧会
芦屋市立美術博物館で、松谷武判さんの作品世界を映像化した短編ドキュメント「MATSUTANI 1」(監督:藤原次郎・奥村恵美子)の上映会と座談会があった。

松谷さんが6Bの鉛筆を動かす「シャラシャラシャラシャラ」という音がいい。
松谷さんは、この音が好きなのに違いない。
この音に耳を傾けながら鉛筆を動かしていると、つい筆が進んで、メタリックな光を放つまでの厚い美しい黒の画面ができてしまうのだ、きっと。
黒の中には、そんな静かな時間が、塗り込まれて入っている。

生まれるのは、そこに何もない黒でなく、そこに在る黒の世界。

「他の人から影響を受けるのではなく、自分から影響を受ける」という言葉に、アーティストの真髄をみたような気がした。
そして、座談会で「マチエール」という言葉を、松谷さん自身が何度か口にするのを聞いて、マチエール(=質感、材質的効果)を制作者はとても大切にすること、それがアーティストの個性が最も現れる部分なんだと理解できたのだった。

今までに、頭の中でこの言葉を使って絵を鑑賞したことはなかった。
それを意識して、2Fの展示作品を見てみると、
松谷作品が、ボンドで膨らんでいる理由や、長い時間が塗り込まれた画面が、金属的な光を放っていることに加えて、力も塗り込まれていることにも、気がついた。
そして、大量の油絵具を使った、蟻田哲さんの大きな作品の、美しさに感動した。

帰り道に出会ったこれらを美しいと感じたのは、マチエールのせいかしら。

          

 ~中に卵が入っているかもしれないっス(巣)  


                    
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10代の自分から

2008-11-15 | NO SMOKING
筑紫さんが亡くなった。追悼番組をみた。
癌告知後の笑っていない彼の映像の、正面を向いていない時の目の表情が、
同じ病の身近な人と似ていて、涙が止まらなかった。

学生時代「朝日ジャーナル」で、世界を知った。
筑紫さんは、今はこんな時代だと、教えてくれる信用できる大人だった。
憲法を守ろうと、マスメディアで、ちゃんと正面切って語る人が、どんどん消えていく。
終わらせてはいけないものが、この社会にはある。

若い頃は、何かに出会うたびに新たな座標軸が自分の中で生まれた。
それは、あの人ならこんなことしないだろう、とか
あの人ならこちらを選ぶだろう、などという単純な模倣であったりもした。
だから、何かに出会うたびに、ころころ変わっていく自分が、
はっきりとした自らの考えを持たない、とても頼りない存在にも感じていた。

仕事をしていた時、「あなたははっきりとものを言うから」と、言われた時は、意外だった。
いつのまにか、自分でひいていたライン。
これだけは譲れないと、追い込まれた時だけ、それは見えるような気がした。
それ以外は、論理的思考より、頼りない感性で、判断する、という生き方をしてきたと思う。
それで乗り切ってこれたのは、よほど自分は幸運だったのだ。
生活を守るためのぎりぎりの闘いをしなくて済んできたし、
社会の圧力で身近な人達を失うことなくきたという幸運。
でも、それはいつまでも続くわけがないという、怖れのような不安がいつも自分にはある。

たまに、自分の中での浄化作用として働く座標軸がある。
こんなことしてる私を母が知ったら、悲しむだろうな、とか
こんなことしてる自分をあの子達が知ったら、失望するだろうな、とか。
最近では、10代の自分が今の私を見たら、という座標軸を意識し始めた。

小さい文字が見えにくくなって、新聞を丁寧に読まなくなっている。
醜いものを見たくない。触れたくないものには触れないでおこう。
とでもいう生活態度に落ち込んでいるのだ。

「ベトナム戦争に反対しないのは、賛成してるということなんだ。」
と、悟った10代の自分が、ここにいたら、今の政治をただ傍観しているだけの自分をみて、きっと怒るだろう。
彼女の声が聞こえてくる。

「間違えていることを、間違えていると、どうして言わないんですか」

「税金の使い方、間違えています。
 一人1万2千円、て中学生のお年玉ですか。
 その予算、どうか出産費用無料化に回して下さい。
 戦争もしていないのに、
 女性が安心して子供を産めない国になっているのは、
 長く生きている大人の責任です。」
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三点移動

2008-11-09 | 五七五
     ちょっと待って 刻(とき)を先行く木々の足

   
     


          大勢の落ち葉にいつもの席譲る
         
              


              
      
       夕方の光がつつむ田舎道 これでいいのと深呼吸する 

 時々、その場所とは違う所に心が飛んでいってしまう。
 あちこちに出没しても、どこにも存在していないような自分。
 ここにいる自分は、この場所でしか存在しないのに。
 もしかしたら、移動中の自分が好きなのかもしれない。  
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聖地に入る

2008-11-06 | NO SMOKING
私には、憧れの歌がある。

♪いーつのことだか 思い出してごらん
 あんなこと こんなこと あーったでしょ
    
「思い出のアルバム」という幼稚園の卒業式の歌。
この歌を大きな声で歌う我が子を見て、よくぞここまで育ったものだと、
じーんとする、そんな母親になりたかった。

夏に行った「ダーウィン展」で、自分は生物の種としての義務を果たせなかったんだと、久しぶりにこの問題で落ち込んだ。
惑星移住計画が実現した時、きっと私は宇宙船には、乗る資格がない。
…北見のハッカ飴をやけ食いするくらいに、不幸になった。

でも、女王バチになれなくても、せめて、
次世代にエールを送ることのできる、働きバチにはなりたい。
飛び立つ宇宙船に向かって、大きく笑顔で手をふりたい。

先日、幼稚園という聖地に入った。
○十年前、自分がさくら組だった頃以来の憧れの地。
ここは明るい未来につながる聖地であってほしい。
清めのお砂場がある。ウサギさんのびっくり眼が見ている。
ワークショップのお手伝い。
お行儀のよい子が多い。中には自分の順番を守れない男の子や、
少しのことで泣き出す女の子もいる。
でも、みんな、何かしたい、やりたい、
前に進みたい、という気持ちでいっぱいなのが伝わってくる。
園児達がガムテープでロープにくっつけた色紙やスコップやお皿が
曇り空に、無事に舞い上がった。歓声が上がる。
同じ空を見ていても、みんながみんな、同じ方向を見ていない様子が楽しい。
帰り際、たくさんの小さな可愛い手と握手した。
膝は痛くなったが、心と身体はずいぶん軽くなる聖地だった。

園児たちは、一日ごとに育っていく。
今日の幸せが、彼らの体内に蓄積されて、明日の彼らをつくる。
小さき人達、幸せいっぱい詰め込んで、大きくな~れ。

      

フェンスの外側では、新しく黒人大統領が選出された。
「Change has come!」
…あなたが、世界を良き方向に変えることができますように。

さあ、私も何かを変えることができるかしら。
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Pちゃんの命

2008-11-04 | NO SMOKING
日本には菜食主義者って何人ぐらいいるのだろう。少なくても私の人生では、直接にはまだ一人しか接したことがない。塩分も砂糖もできるだけ摂らないその人は、この世で一番甘くて美味しいものは、茹でたニンジンだと私に教えてくれた。その時から私にとっても、ニンジンは、いつか最後の砦となるような、特別に大切な食べ物になった。お馬さんが大好きな理由がわかったような気がした。

シネリーブルで、「ブタがいた教室」(監督:前田哲)を観た。

                    

ある日、6年2組担任の星先生(妻夫木聡)は、子ども達に笑顔で言った。
「自分たちでブタを育てて大きくなったら食べよう」と。先生が抱いた子ブタはとても可愛い。
     
6年2組の26人は、校庭に小屋をつくり、ブタにはPちゃんと名付けた。エサと凄い匂いの糞の世話をした。Pちゃんの絵を描いた。Pちゃんとサッカーをした。夏休みには、好物のトマトを持ってきた。冬が近づくとPちゃんのマフラーを編んだ。
…そうして、Pちゃんは大きくなった。やがて近づく卒業、別れの時。

            

Pちゃんをどうするか?食べる?食べない?
それは、食肉センターに送るか、生かせる方法を探すか?の選択だった。

この子ども達の、真剣な、話し合いの場面が、本当に感動的だった。
役者である子ども達には、結末のない台本が渡されていて、
自分たちで、本当のディベートを行っている。

星先生は自分の意見を言わない。
あくまで子ども達に考えて話し合って決めることを要求する。
先生も、子供も辛い時間だ。
でも、考えなければ、自分たちで決めなければ。
自分たちで、ブタを育てた責任をとらなければ、という気持ちが溢れた場面だった。
この映画の成否を決する一回限りの迫力シーン、になっていた。

子ども達は一生懸命「食べない」理由を、「食べる」理由を、考えて、言葉にする。その場の話し合いの流れの中で、沸き上がる涙や、ふと漏らす一言。
「農家の人だって平気じゃないと思う」「食べるのと殺すのは違う」

…こういう場合、もし大人26人なら、もっと意見が出るだろうか。
いや、「もう、最初から決まっていたことなんだから」とか、「しょうがないんじゃない」とか、自分で決めるという責任を回避する人がきっと出るような気がする。
映画では子ども達も先生も逃げなかった。

私はどうか。
観た後のアンケートで、私は「食べない」に投票した。
Pちゃんと名付けた時点で、あのブタさんは、食べる対象ではなくなってしまったのだ。

でも、私はずっと今まで、Pちゃん達を食べて生きてきた。
自分の身体の一部は他の生き物の命でできている。
正直に言うと、私は鶏の皮・骨の付いているものが、調理できない。
鶏は想像できるからだ。首の骨を砕いて羽根をむしる作業を。
ブタや牛はどうか。肉片から、食肉センターの中を想像することに、ブレーキかけている。トレーの中には生きていた証しの血が滴っているのに。
勝手なのだ。自分が生きていくために、かつて生きていたものを食べているのに。
自分が殺したのではない、誰かが殺してくれたから、平気で食べている。
それらが当然食べるものとして、目の前にあるから、食べることができる。

せめて、他の生き物の命と自分が繋がっていることを、
そして、誰かのおかげで、自ら手を下さずに、食べ物を手にしていることを、
忘れないように、残さず食べよう。
そして、今や低タンパクのドクター指示が出てるので、できるだけ、野菜中心の食生活に変えていこう。

女の子が先生に聞いた。「命の長さを誰が決めるの?」
…普段は忘れ、ずっと心のどこかに持ち続けて、
 答がないのはわかっているけど、切実な時に思い出す問。
  
          
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マーシー

2008-11-01 | 私の星々
お友達の息子さんの写真を見て、
「マーシーよ」「マーシーそっくり」と、はしゃいでいる私をみて、
母親の彼女はあきれていた。彼女はそれがどれだけ凄いことなのか知らないのだ。

…世界で一番バンダナが似合うギタリスト。
「青空」「1000のバイオリン」「TRAIN-TRAIN」「ハンマー」「終わらない歌」「チェインギャング」「俺は俺の死を死にたい」なんていう、もう涙ぐむような曲をたくさん作った人。

           ~CD「夏のぬけがら」より

マーシー、彼の名は真島昌利。
THE BLUE HEARTS (→THE HIGH-LOWS →今はクロマニョンズ)の曲の半分は彼がつくっている。
甲本ヒロトさんの横で、確実なギターを弾き、ハスキーな声でシャウトする。

彼の曲で、一番好きなのは、やはり「青空」

♪ブラウン管の向こう側 カッコつけた騎兵隊が
 インディアンを打ち倒した
 ピカピカに光った銃で できれば僕の憂鬱を 
 打ち倒してくれれば良かったのに
 
 神様にワイロを贈り 天国へのパスポートをねだるなんて
 本気なのか?
 誠実さのかけらもなく 笑っている奴がいるよ
 隠しているその手を見せてみろよ

 生まれた所や皮膚や目の色で いったいこの僕の
 何がわかるというのだろう
 運転手さんそのバスに 僕も乗っけてくれないか
 行き先ならどこでもいい
 こんなはずじゃなかっただろ?
 歴史が僕を問いつめる まぶしいほど青い空の真下で♪

この曲を初めて聴いた時、後半、ヒロトの声に重なるマーシーのハスキーな声にはまった。
最後の「♪真下で」のところで、私はいつも広い世界にほうり出される。

「ブルースをけとばせ」では吠えてる。
 ♪70年なら一瞬の夢さ やりたくないことやってる暇はない  
 
「泣かないで恋人よ」の
♪諦めきれぬ事があるなら 諦めきれぬと諦める
 諦めきれぬ事があるなら それはきっといい事だ

「1000のバイオリン」の
♪ヒマラヤほどの消しゴムひとつ楽しいことをたくさんしたい
 ミサイルほどのペンを片手に面白いことたくさんしたい

いいなぁ、いくつになっても、私はブルーハーツに励まされている。

          ~シュールな夢を見る
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