星降るベランダ

めざせ、アルプスの空気、体内ツェルマット
クロネコチャンは月に~夜空には人の運命の数だけ星がまたたいている

コンテナの夢

2009-11-29 | 持ち帰り展覧会
          

かつて1970年代には、神戸港のコンテナ取り扱い量は世界一だった。
震災後の2年間のブランクの間に船はみんな釜山に行ってしまった。復興後の今でも32位(2005年)。
港の赤いキリンさんは、オブジェのようにただ立っていてはいけないのだ。
かれらは、本来ガントリークレーンとして、コンテナを貨物船に積み込むためにそこにいる。

2年前の秋、メリケンパークに古いコンテナがたくさん並んでいて、その風景が、なにか哀しげで、ゲートをくぐって、その中に入っていけなかった。でも凄く気になっていたのだ。あのコンテナの中には、いったい何があるのだろう?って。

今年も、神戸ビエンナーレのメリケンパーク会場には、67個のコンテナが並んでいた。今年こそ覗いてみよう。

最初に入った御幸朋寿「折紙神宮」
…段ボールをこれだけ組み立てる作家のエネルギーに感嘆する。2.438m×2.591m×12.192mのコンテナ空間は洞窟のようであり、尖った角が今にも動き出しそうな立体に囲まれる不思議体験である。

                   

入り口のウサギさんに誘われるように入ってしまった、Crag Quintero & Joyce Ho の「Liquid Dreams」
…奥には液体の入った大きな甕がある。入り口で願い事を書いた紙をその中に入れて木棒でそっとかき混ぜると、私の願い事は水に溶けてしまった。木棒から手を離すと、微妙に液体の中に入らないギリギリの所で止まり、その繊細さが、この明らかに作り事のような願い事遊びを、もしかしたら、と瞬間思わせて、つい、たくさんの人の願い事が混ざり合った甕の中をもう一度覗いてしまった。
   
    

     赤堀マサシの「わっ!平面なんだ!」…平面でした。

伊庭野大輔&藤井亮介「Walk into the Light」
…全面鏡の空間に存在するのは、一個のミラーボールだけ。新鮮さはないけれど、こういうの大好きだから。
             

そして、戸島麻貴の「beyond the sea」
…素晴らしい13分間。流れるような、スピード感はあるけど、静かな印象の、大切に覚えていたい夢、のような映像が、白い砂の上に展開する。遠い記憶の中の街、睡蓮の水辺、繰り返し波が打ち寄せる浜辺、光る水、色づく世界…

         

…ふと見ると、入り口に作者:戸島麻貴さんの言葉があった。
「本作では、一見無機質なコンテナが、海を渡る時、ひそかに見たかも知れない、夢を表出してみようと思います」
   (あー、これはコンテナの夢だった。)

かつてはその中に、小麦を積み、バナナを積み、TVを積み、シャツを載せ、幾千回も大洋を渡ったコンテナ。
外から見たらただの箱。
でもその中は、こんなに違う世界が拡がっている。
その2.438m×2.591m×12.192mの空間でしか表現できない何かが、確かにある。

メリケンパーク・コンテナ祭2011、今から楽しみです。
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港のオブジェ

2009-11-27 | 持ち帰り展覧会
ファンタジィ号は、街灯が大きく傾いた震災の跡を残すメモリアルパークのすぐそばから出航した。
                   
神戸ビエンナーレの海上オブジェを巡る25分の港クルージング。
まずは塚脇淳の「KOBEリング」
      
鉄の輪越しに見る、赤いポートタワーと白い海洋博物館と緑の六甲山系は美しい。

港の鉄製の機械達が、不思議な体操をしているように見える。

           

HAT神戸に近づくまでは、作品はない。
甲板で風に吹かれながら、船を眺める。
おっ、「JAPAN COAST GUARD」=海上保安庁の巡視船、第5管区を守る「せっつ」号だ。
   
      どこかから帰ってきたところかしら、船体が汚れている。ご苦労様です。

HAT神戸に近づくと、榎忠とは思えないメルヘンチックなものが見えてきた。
「Liverty Island」
  
一人しか住めない小さなおうちと、確実に海に落ちてしまう滑り台。
ふーむ、明るい色彩だけど、シュールだ。
シュペルヴィエルの短編小説「海に住む少女」を思い出す。
そばかすのある灰色の瞳の12歳の少女、彼女は、たった一人で、大西洋に住んでいる。

植松奎二の「螺旋の気配」「傾くかたち」
 
背景に立つ、赤いクレーンは、今にも歩き出しそうなキリンに見える。
震災時の写真を見ると、彼らもひざまずいていた。どうか、いつも凛々しく立っていてほしい。

これはいかにも植松奎二。「間のかたち」
       

  

これはいい。ずっとここにあってほしい。

さあ、HAT神戸だ。海から眺めるのは初めてである。
          
手前左から丹下健三設計のWHO神戸センタービル、右は安藤忠雄設計の兵庫県立美術館。北のタワーマンションはHAT神戸灘の浜1・2番館。左の1番館は31階建で、屋上に四角いヘリポートが、右の2番館は33階建で、丸いヘリポートがついている、災害復興住宅である。
美術館の3階からみると、WHOセンターの全面ガラスの壁面には、灘の浜1・2番館がぐしゃぐしゃにゆがんで映る。一度見たら忘れられない映像だ。あまりに痛々しくてここには載せない。なんだかなぁ。震災復興住宅なのになぁ。とにかく、全面ガラス張りの建物は、はた迷惑である。

神戸港に、ビエンナーレな風が吹くこの日のクルージング。
また、2年後を楽しみにしましょう。元気でね、キリン君。

                 
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花の下影

2009-11-22 | 持ち帰り展覧会
ミシュランガイドブックが出たのは、1900年。京都・大阪版はつい一ヶ月前のこと。
そんなものよりずっと前に、浪花のグルメガイドはあったのである。
それも、実に楽しい絵がついた、大坂に生まれて良かった~という気分満喫のガイドブックなのだ。

芦屋市立美術博物館で開かれている「うまいもんと大坂画壇~浪花くいだおれの系譜」展で、その驚くべき幕末のグルメガイド本「花の下影」が、紹介されていた。

     

浪花の絵師の作品を多く所蔵する料亭「花外楼」の所蔵品展示と、「花の下影」を中心とした、くいだおれ文化を示す江戸・明治の絵画作品が中心の展覧会である。

「花の下影」の「花の下」とは「鼻の下」すなわち、口のこと。

1985年芦屋の旧家の蔵で見つかった「花の下影」は雪月花3冊からなる手書きの和綴画帖。落款や印譜がなく作者は不明。
何ともいえぬほんわかとした雰囲気の絵で、浪花のうまいもんを扱う316軒の店先(場も含む)を、一人のくいしんぼな作者がスケッチしている。武士や僧侶も出てくるが、何といってもうまいもんに目を細める薄着の庶民が、美味しい物を作り商う市井の働く人々が、数多く登場する。彼らの生き生きとした日常を作者は、とても温かい目と軽い筆で描写している。

美術館の展示はごく一部だけ。もっと見てみたいと探したら、芦屋市立図書館に、316枚全部を載せた画集があった。
「花の下影~幕末浪花のくいだおれ」監修:岡本良一、執筆:朝日新聞阪神支局(清文堂)1986年4月11日初版発行

           

「花の下影」は、発見されてすぐの1985年10月、朝日新聞の夕刊に24回に渡り連載していたらしい。朝日をとっていたはずだが、残念ながら全く記憶にはない。
本の末尾を見てハッとした。執筆担当の朝日新聞阪神支局10人のメンバーの中に、小尻知博・犬飼兵衛記者の名前があった。
阪神支局襲撃事件があったのは、1987年5月3日の憲法記念日だから、この本が出てからちょうど1年後である。この316枚の解説のどこかを、亡くなった小尻記者も担当して書いている。1年後に起こる悲劇の影はここには全くない。
自分が彼の名前を覚えていたことに少し安心する。忘れてはいけない憲法記念日も襲撃事件も忘れているような時代に生きている。

「花の下影」が描かれたのは、天保山が描かれていることや、画面の人物が持つ帳面に描かれた干支月などから、安政元年(1854)~元治元年(1864)の間と解説の岡本良一氏は推察している。
幕末の物騒な事件が頻繁に起こっていた時代である。それでも、今と同じく、人は、毎日食べ物を求めて、それもできるだけ美味しいものを食べたい、と願って生きていた。いや、花の下影を見ていると、人はそのために生きてるんじゃないかな、という気がしてくる。

とにかく甘党の店が多い。…白玉・練羊羹・粟餅・金つば・膝栗煎餅・猿饅頭・粟おこし・仙錦糖・焼餅・薬飴・岩おこし・有平糖・いくよ餅・菊治良餅・菊ころも・益の梅・どら焼・てんてこ餅・羽二重餅・伊賀饅頭・金平糖・夕顔餅・幾代餅・千成餅・大江饅頭・しのはら餅・五文所餅・月餅…
ごろごろ煎餅・三色餅・からから煎餅・白雪糖・花ボウルなんて、どんなものかしら、ぜひ食べてみたい。

    

貝殻の盃・7合半の大盃で有名な料亭「浮瀬(うかむせ)」や、沈む夕陽の景色で有名な料亭「西照庵」は、展覧会の他の作品にも描かれていた。
そんな豪華料亭をはじめ、庶民の集ううどん・そば・茶漬屋の数々。どじょう汁・牡丹汁・から汁・きも汁・ふぐ汁・はす飯・ごもく飯・粟飯・麦飯・かき飯…と、うまいもんの店が続く。

   

中には、福鮨・剣菱・沢の鶴・駿河屋・翁昆布・大黒の岩おこしなど、今も営業を続けている老舗もある。

   

「花の下影」の最終頁は、べろんべろんの酔客の宴席風景で終わっていた。
隣の花外楼の展示室には、こんな言葉を書いた柴野栗山の書の掛け軸があった。

  「今宵有酒今宵酔明日愁来明日愁」
    (今宵酒あれば今宵飲んで酔おう。明日の愁いは明日愁えばいいさ)
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影が踊る

2009-11-15 | 劇空間
芦屋市立美術博物館にはなぜかベーゼンドルファーのピアノが一台ある。
昨夜は、そのピアノの音が、高いホールの天井にキラキラ光って舞い上がった。
JAZZピアニストの高瀬アキさんと、モダンダンスの岡登志子さんの即興公演。
ベースの井野信義さんも加わった一夜限りのイベント。
 
           

ピアノの蓋は最初からはずされていた。
高瀬さんは、時に凄いスピードで激しく鍵盤を連打する。
そして立ち上がり、ピアノの弦をはじく。太鼓のバチで叩く。
皿のようなものが、弦の上に置かれている。
こんなことさせていいのか、ベーゼンドルファー。と、少し心配になる。
やはり、最高に良かったのは、演奏だけのシーンで、
まるでラヴェルのようなメロディを感じる演奏の時の音。
本当に音がキラキラ舞い上がっている。

エネルギッシュな高瀬さんが、1948年生まれというのを後で知って驚いた。
団塊世代は、元気だ。

井野さんのベースは風の音を出す。井野さんが弓を縦にしてそっとこすると、そこから風が吹いてくる。心の中に吹いている風の音。
後ろの床にむかって放り投げた鈴の、「シャリン」という音が耳に残った。
ピアノに比べて控えめだけど、様々な音を創り出していた。

ダンサーは皆、普段着で、椅子を使った動きが何度も登場した。
彼らは、音に反応して動く。何かの感情がわき上がるように。それは言葉に置き換えたらどんな感情なんだろう。怒り・不安・恐怖・悲しみ・怠惰・もがき・悔しさ…
いや、言葉にはならないものが、人の身体にはいっぱい詰まっているのだ。
それが、高瀬さんのピアノに反応して、湧き出てくる瞬間に立ち会っている。

美術博物館の少し湾曲している白い大きな壁に、ダンサー達の美しい影がうつる。ダンサーの衣装が普段着だからかもしれないが、影の方が格段に美しい。後半はずっと白い壁の影の踊りをみていた。

岩村原太さんの照明が素晴らしかった。
近くからのライトなので大小がはっきりしている。手前にきたらホールの天井まで届くような大きな影になるし、壁に近づくと実物大の小さな影になる。
特に群舞の時は、青と黄の2色のライトで、一人の動きが、黄色と青の二つの影になって、白い壁に舞う。それらが重なり離れ繋がる。
青い影と黄色い影は人とは別の生き物のように白い壁で生きていた。
まるで美術館の白い壁に、動くマティスの絵が描かれたみたい。

ホワイトキューブではなく、カーブが展示の妨げになって使いにくそうな、芦屋市立美術博物館のホールの、空間の新しい可能性を見た気がする。

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自宅から美術館へ

2009-11-04 | 持ち帰り展覧会
「現代美術と一緒に暮らす」ことを楽しみに、ひとりのコレクターが自らの足で歩き、選び、集めてきた作品…その数、計128作家による237件、640点。

和歌山県立近代美術館では、田中恒子さんが20年来集めてきた現代美術のコレクション展「自宅から美術館へ」が開かれていた。
           
入り口で迎えてくれたのは、奈良美智さんの「どんまいQちゃん」(1993)…かわいい。彼女の周りには、ワンチャン達が…藤浩志さんの「ヤセ犬」(1996)…これまた愛おしい。

       ~美術館CALENDARより

もうこれだけで、これから何と出会うのか、ワクワクしてきた。

出品目録を見ると、奈良美智さんを始め、今までに直接見た作品をすぐに思い浮かべることができる作家もいる。~植松奎二、彦坂尚嘉、村上隆、山口牧生、高松次郎、菅井汲、李禹煥、藤本由起夫、森村泰昌、福田美蘭、大岩オスカール、宮島達男、赤瀬川原平、田島征三、河口龍夫、孫雅由、児玉靖枝。
戸谷成雄、松谷武判、浮田要三、堀尾貞治といった具体の作家さんの作品もある。

でも、今回嬉しかったのは、初めて知った作家さんのいい作品に出会えたことだ。
まさに田中恒子さんが、私に紹介して下さった作家達。

野田裕示の「Work657」(1991)…この赤の色いいなぁ。読んだことのある小説のような赤だ。
              
                ~

ホセイン・ヴァラマネシュというイラン生まれで、オーストラリアに移住した作家の「CHANGE OF SEASONS」(1997)は、鉛・樺の皮・蓮の葉・百日紅の葉・白樺皮で作ったYシャツ5着。鉛だけ異質に感じるが、実用化されているのはこれだけだ。

福岡道雄の「石になること」(1984)「身をかくす」(1987)…なんて繊細な人間。愚かで、健気で。この人の展覧会は、必ず行こう。

野村仁のガラス作品「量子発生」(1991)…どうやって作ったのだろう?という基本的なことをしみじみ感じる。中には違う空気が入っているはず。

染谷聡の「縁鹿(サイクルジカ)」(2008)…漆・乾漆技法という伝統的な技法で、平成の今を表している。金が使われているかと思えば5円玉が埋め込まれていたり。欲張りで何でもかんでも身にまとい、だんだん苦しそうな姿勢になっていった鹿のようだ。作者25歳というのに驚く。

そして、今まで知らなかったことを、恥ずかしいと思うような作家、太田三郎。
最後の部屋の彼の「Post War」切手シリーズは、圧巻だった。四方の壁に
46-47兵士の肖像(1994) 50私は誰ですか(1995) 54被爆地蔵(1999) 55被爆樹(2000) 56無言館(2001) 60被爆者(2005) 62軍人像(2007)の切手が並ぶ。モノクロ写真4×5枚の切手シートの下には小さな字で、丁寧な説明が書いてある。それを全部読む時間はなかったが、切手の中の小さな顔が訴えていることに、耳を傾けさせる力がある。じーんと心に直接「忘れるな」と伝わっってくる。ヒロシマをこんな風に表現した人がいたのだ。

田中恒子さん、ありがとうございます。新しい出会いのあった、とても楽しい展覧会でした。

初めて訪れた和歌山県立近代美術館。大きさに一瞬たじろいでしまう四角い塔をたどる大階段は、現代美術の新しい城へのプロムナード。でも一瞬この塔がドミノ倒しのように倒れる所をつい想像してしまった。
車の行き来する道路の向かいには、紅葉の進む古い城山、和歌山城。やはりあちらの方が安定感がある。
   
        
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たま電車

2009-11-01 | ネコ日和
ネコの名前は「たま」ちゃん。
この電車に乗って彼女に会いに行く。

 

遊園地のネコバスのような2両編成の電車。たまちゃんがい~っぱい。
 

            
             
      足跡だって残ってる。


 

窓の外には、稲刈りの済んだ田や、たわわに実ったミカンの段々畑。

      

JR和歌山駅から30分で、わかやま鉄道の終点貴志駅に到着。
人間の駅員さんはいない無人駅。
優秀なネコの駅長と助役が、人々の乗降をチェックしている。
(窓から駐車場をチェックしていたクロネコチャンと同じね)

ガラス張りの駅長室には、勤務中のたま駅長とちび助役が、眠っていた。
でもさすが駅長。駅が人々で混雑し始めると、むっくり起きあがって、ガンを飛ばし始めた。(ありがとう)

                  
      

美しい毛色、しっかりした、すべての状況を把握していそうな、10歳の牝の三毛猫さんでした。
日曜日はたま駅長の休日。今頃、何をしているのかしら。

    たま駅長帽子なくても勤務中

     
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コンタクト幻想

2009-11-01 | 劇空間
久しぶりに兵庫県立芸術文化センターに行った。
小ホールには10個のクラゲのようなものが空中に浮かんでいる。
いや、天井から巨大なコンタクトレンズのような音響板が上向きにぶら下がっているのだ。その日の楽器に合わせて高さを調節しているらしい。音のプロには、この空間を音が無数の波の→となって飛びかっているのが見えるのだろう。
音に素人のわたしは、その空中に浮かぶ巨大なコンタクトレンズをみていると、つい想像してしまう。
高橋悠治さんのピアノの音が、天井に届いて反射してコンタクトレンズのお椀に引っかかって、踊って、こぼれ落ちて私の耳に届く、とか。波多野さんの声が、コンタクトレンズの底に反射して無数の星になってこぼれ落ちてくる、とか。

       

そういえば、コンタクトレンズをハードからソフトに変えて一年になる。それには涙なくして語れない痛い経験があった。
兵庫県立芸術文化センター大ホールで、待望のBeeの公演があった昨秋。その日の朝、ハードコンタクトの左目を洗面所に流してしまった私は、午後4時過ぎ、右目だけコンタクトを入れた状態で、自転車に乗り駅に向かっていた。
道を西に曲がって、夕陽が眩しいな、と思った瞬間、真っ赤な夕陽が目の中に飛び込んできて、何も見えなくなった、と次の瞬間、道の端の電柱が1m先に見え、余裕でハンドル切ったつもりが、次の瞬間、思いっきりガ~ンと、左顔面を電柱にぶつけて、気がつけば道の端で転倒していた。
行く先は、Beeのステージから、整形外科に変更。幸い左目も骨にも異常はなかったが、左顔面は腫れ上がり、2週間はお岩さん状態だった。見た目が普通に戻るのに2ヶ月、痛みが完全にとれるのに6ヶ月かかった。他人事のように語るのに一年かかっている。 

単眼視では、距離は計れない。右目1.0、左目0.02という極端に視力の異なる二つの目で測った距離感は、とんでもない誤差を生んだ。あの瞬間私の脳は激しく混乱したのだと思う。
私たちは3次元の世界に生きているわけだけど、目の網膜に映るのは2次元映像、それを脳が3次元に再構成して、この世界を認知している。
兵庫県立美術館の「だまし絵展」で、見事にコロコロ騙されてしまったのは、この知覚システムのせいで、脳が3次元に再構成する際、誤差が生じたり、情報が抜け落ちたりするらしい。

あの瞬間、明らかに電柱の位置の認知を誤ってしまった私は、もう2度と片目で自転車に乗らないこと、そのためには予備が常に手元にある、ソフトレンズに変えようと、決意した。そして、外出時にはサングラス着用の義務を自らに課したのだった。

…コンサートが始まる前に、こんなことを思い出してしまった。
さぁ、波多野睦美さん&高橋悠治さんのSATIEが始まるわ♪
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