星降るベランダ

めざせ、アルプスの空気、体内ツェルマット
クロネコチャンは月に~夜空には人の運命の数だけ星がまたたいている

「見るだけ!入試基礎古典単語 ネコタン280」

2006-09-27 | ネコの本
五十嵐一郎著 (学習研究社)1997年

(きっとネコ好きな)高校の先生が、
センター試験対策用に作った参考書である。
古文の単語の中には、現代使われてる意味と
違ってるものがたくさんあって、
どうやらそれが入試のツボらしい。

この参考書では単語ひとつずつに
ノラネコさんの写真がついてて
昔はこんな意味だったんだよーってわかるように
こじつけキャプションがついてる。
例えば、

☆「あく」=満ち足りる
…ファーッ、睡眠は満ち足りているのに、なぜかあくびがとまらない
(当然あくびしてるキジネコさんの写真)

☆「いたづらなり」=むなしい
…イタヅラ好きで捨てられて、むなしくすぎた2週間。だれもひろってくれない
(籠の中にすわるシロブチくんの写真)

☆「おどろく」=目をさます
…夢でおどろくほどの可愛い子と出会った途端、目がさめた
(メチャクチャ可愛いしましま仔猫の写真)
 
☆「つとめて」=早朝、翌朝
…早朝につとめて起きてエアロビクスやると、翌朝調子がいいんです
(当然体操する(毛づくろい?)ネコさんの写真)

これ、まだ出てるのかしらと調べたら、
「一度見たら忘れない、ネコさんからの応援メッセージ!」
の帯付きで堂々版を重ねてました。
さぁ、ネコ好きの受験生は必見必読よ。
って写真だけ見そうだな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「シュガー&スパイス~風味絶佳」

2006-09-26 | 劇空間
1昨年の夏、シネカノンで「誰も知らない」を観た。
これから、柳楽優弥という少年がどんな風に成長するのか、
ずっとみていきたいと思った。
映画館からの帰り道、コンビニでアポロチョコを買った。

昨年「星になった少年」を観た。
彼はアジアの少年の目をしていた。

先週、16歳になった彼に会いにシネリーブルに行った。
今回は帰り道、ミルクキャラメルは買わなかった。

うーん、彼には、もっといい映画に出て欲しい。
なんで16歳の少年に、19歳の役をさせるのか、私にはわからない。
16歳の頃しかできない役ってあるはずなのに。
26歳が29歳の役はできる。
46歳なら49歳だって59歳だって79歳だってやれるだろう。
でもね、16歳、高校1年生の男の子って、特別な子以外はまだガキです。
19歳とは別の人間。
初恋もまだって感じの男の子に、
沢尻エリカと同棲する役は無理。
彼らは同じベッドに寝ていてもきっと手を繋いで寝ていた気がする。

年上の人への切ない片思いみたいな役ならなんとかなったと思うけど
切なさがほとんど感じられないのはラブストーリーなんかじゃない!!

柳楽君をつかって、彼の目力を登場させない脚本、
彼の目力を描かない監督がいたなんて、信じられない。

柳楽君は、普通の健康そうな標準的高校1年生という感じ。
風を切って自転車漕いでるシーンは爽やかだった。
いっそのこと、16歳の今しかやれない学園ドラマなんかのほうがよかったかな。

結局  「え?」 (柳楽君が映画の中でやってた)
というのがこの映画の感想です。

唯一、志郎のこの言葉は、ちゃんと伝わってきた。
…「今にも壊れそうなものがそこにあった時、それをやさしく丁寧に扱うことしか、僕にはできない」

とにかく、君の身長があと10センチ伸びた頃、
また会いましょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「名画にしのびこんだ猫」

2006-09-26 | ネコの本
マイケル・パトリック著 柳瀬尚紀訳 (河出書房新社)1999年

画家は何をもって自分の絵を完成とみなすのか?
「もうこれ以上何も描き加えることはない」
と判断して、絵筆をおくのだと思う。

でもね、まだ描き加えるものがあったんですよ。

この本の絵を見るまでに、すでに元の絵の印象が強い
ダ・ヴィンチの「モナリザ」やムンクの「叫び」
などはともかく、
印象の薄かった絵に関しては、この本で
もう猫のいる絵としてインプットされてしまったから、
猫のいない元の絵を見たら、何かが欠けてるってきっと思うだろう。
表紙になってるモンドリアンも、足跡の付いてない元の絵には
私はもう魅力を感じないと思う。

ホッパーの「キティーズ・オールナイト・ディナーの夜更け」、
レンブラントの「服地ギルドの名匠たち」は
猫のいる絵として鑑賞して、初めてその素晴らしさを理解した。

そして、なんといっても、ゴッホ。
いったいギャルソンは誰の注文をとっているの?といいたくなる
「夜のカフェテラス」では、猫たちがテーブルを駆けめぐる。
ゴッホの貧しさの原因はこれだったの?といいたくなる
「黄色い部屋」の傍若無人の悪猫集団。
元の絵も好きだけど、この絵も好き。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「綿の国星」

2006-09-21 | ネコの本
作画:大島弓子 (白泉社)1978~1987

自分もいつか人間になると思ってたチビ猫に
猫は猫のままなんだと教えたのは、猫界のスーパースター
ラフィエル。
いつかたどり着く真綿の国で自分を待ってるホワイトフィールド、
それがチビ猫なんだと彼は告げる。
ラフィエルの(真)綿の国の星=チビ猫の物語。

綿だとおかしい、絹糸のような猫の毛が綿だなんておかしいと調べたら
真綿って綿じゃなく、絹のことだったのね。納得。

この世に誕生して初めて体験する世界、自分を取り巻く世界、
私はどんな風に感じとったのだろう。
忘れてる、もう忘れてる。
それをこのチビ猫を通して思い出すような気がする。
目に見えるものだけではなく、空気を伝わって耳に聞こえるもの、
鼻先に触れる空気の香り、足のうらに感じる湿度、
指先に触れる未知の感触、
生き物に触れて感じる心臓の「ドックンドックン」から伝わる
不安や安心の気持ち、
そう全身で周りの世界を感じていたはず。
そのたびに、世界が広がっていったはず。

全23話の中で、やはり第1話の感動は特別。
第1話最後のシーンは、毎年春になるたびに思い出す。
思い出しては、幸せな眠りにつく。

「ひとつの事を考えつめようとしても 
 もう次の考えにうつってしまいます
 外の景色が1日1日と移り変わっていくからです
 おばけのような桜が終わったかと思うと
 すみれやれんぎょう 花厨王
 黄色い山吹 雪柳
 なんとすごい なんとすごい 季節でしょう
 時夫はさっき出かけたし
 私は今ミルクを飲み終えて
 いい気持ちで まぶたが重い
 屋根の上でねむろう
 ひとねむりして起きたら
 そのとき私は
 ホワイトフィールドに 一歩近づいているのです」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「85枚の猫」

2006-09-20 | ネコの本
   写真イーラ(YLLA) 新潮社 1996年刊

数ある猫の写真集の中で、MY BEST1。
どこが他のものと違うのか?
肌触りだと思う。

おなかのところの、あのヌマっとした温かさが伝わってくる。
尻尾の毛の一本一本がビビンと立ってる感じが伝わってくる。
仔猫のあの匂いが、軽い重さが伝わってくる。
お鼻のしめり具合がはっきりわかる。
眼の輝きが素晴らしい。
仔猫たちの空中写真、ポンポコリンのおなかの可愛さったらない。

1955年、女流写真家イーラは、インドで牛車レースを撮影中ジープから落ちて44歳の人生を閉じた。「85CATS」は1952年刊。

写真家の岩合光昭さんが教科書にした写真集です。
         
                       
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「サラダの日々」

2006-09-16 | ネコの本
長田 弘 著(角川書店)1976刊 

私は時々、重ばるものを持って長い距離を歩かなければならない時、ジュジュ(自由自由)という少女のことを思い出す。そして彼女の持つ籐編トランクの中でいつも涎を垂らして寝ている「うさぎ」という老いぼれネコのことを。
うさぎは目を閉じて見えるものしか信じない。
二つの目は開くこともできるけど、閉じることもできる。

ジュジュは、お金のための労働と、自分がやりたいと決めた仕事とを、はっきり分けてる。彼女の労働は、毛筆の宛名書きとビラ配り。
彼女の仕事は、
    ①街中の入れるトイレを書き込んだ地図をつくる 
    ②1日に1度は「蜜柑箱(地下鉄)」に乗る 
    ③街の隅っこに花の種を蒔いて歩く(花ゲリラという)
    ④1日に1度はパズルを正しく解く

ジュジュは「飛行箱」でうさぎと一緒に暮らしている。非常階段でしか上がれないビルの屋上の小さな部屋(そういえば、韓国ドラマでよく出てくるなぁ)で、彼女が毎朝飲むのは、日向の匂いのするタンポポコーヒー。たんぽぽ戦争の話を思い出してはジュジュは自分もしっかりしなきゃって一日の始めに思う。飲んでみたいなぁ。この本の中に、星屑の味がするミルキーウェイというキャンディがでてくるけど、これもぜひ食べてみたい。

ジュジュとうさぎは、街で様々な人や物に出会う。
…不要な言葉を買い取る「何やか屋」、手紙の入ったビンが出てくる自動販売機、「静かさを声を大にして求めよう」と叫ぶ声のする広場の片隅にいつのまにか黙って立ってるキリン(草)、狛犬ゴッコしてるお婆さん達、携帯用の「空」をかぶってるキリスト髭の青年、「ドン・キホーテ」の本しか売らない夜店の男、一人は希望の、もう一人は絶望の詩集を売ってる双子の老人、などなど。ジュジュはお気に入りの場所に小さな赤いライオンシールを貼っていく。

街を歩いた一日の終わり、ジュジュは、古着屋で買った、胸に銃弾の穴と血痕のついた兵士の服をパジャマに着て眠りにつく…倒れた兵士の夢を抱き、明日また生きかえることを信じて。

この本は私に生きるスタイルを持てと教えてくれた。そして、赤瀬川原平さんの「トマソン」と同じように、私の街歩きの教本である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

立体写真(STEREO VIEWER)

2006-09-12 | 持ち帰り展覧会
大丸ミュージアムの展覧会場で見つけた、紙製の「STEREO VIEWER」。
…のぞいてみて、びっくり!

ゴッホの「夜のカフェテラス」…星月夜、奥行きのある石畳の通りを歩く人々、カフェの細い足のテーブルと椅子、話し込むカップルの向こうの白いエプロンのギャルソン。カフェの壁から突き出た金具なんて、普通の画集では気がつかなかった。樹木の葉っぱに夜の空気さえ感じる。

ドガの「ダンス教室」…ふぉわっと広がる白い少女のチュチュが透けて見える。少女達の足の存在感、素晴らしい。しっかり立ってるトゥーシューズの先からのびる影。これまた手前の階段を降りてくる少女の足なんて、画集では気がついていなかった。レッスン室の音まで聞こえてくる。

宮下志朗著「パリ歴史探偵術」(講談社現代新書)の中に、19世紀中頃の「立体写真ブーム」の記述がある。~発明者はD・ブリュースターというイギリス人で、1851年のロンドン万国博覧会に出品されたのを、ヴィクトリア女王がみていたく感動して、広まった。1867年のパリガイドブックには5軒のステレオ写真館が紹介されているそうだ。~この本の中で子ども向けの「赤頭巾ちゃん」という立体写真が載っていて、こんな単純なものでも、赤頭巾ちゃんが浮かび上がった時、私は感動した。思わず「逃げるのよー」と心の中で叫んだわ。
3Dアートで画像が浮かび上がった時よりはるかにその感動は大きい。

本屋で3Dアートの雑誌を3秒くらいでフムフムとめくっていたら、隣の中学生に尊敬(奇異?)の目で見られてすっごーく気分良かったことがある。3Dアートは私の数少ない特技である。単なる乱視なのかもしれないけど。

確か赤瀬川原平さんが、ステレオ写真の本を出してたはず、探してみよう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ウェスト・サイド・ストーリー」

2006-09-10 | 劇空間
大阪フェスティバルホールへブロードウェイ・ミュージカル「ウェスト・サイド・ストーーリー」を観にいった。
ずっと前に映画館で、思春期の私の中で男前の決定的イメージを作り上げてしまったジョージ・チャキリス。新聞広告を見た時、もしかしたら私はまた彼に会えるなどという、わけのわからない期待を持ってしまったのかもしれない。

私は演劇を観に行くのが好きである。かつてナビオにあったオレンジルームや扇町ミュージアムには南河内万歳一座をみによく通った。これも今はない近鉄劇場に、夢の遊眠社やNODAMAPを観にいった。今でも兵庫県立芸術センターや宝塚大劇場のような大きな立派なホールだけでなく、大阪城の倉庫や、湊川公園のテント芝居も観にいく。

何が好きかってあの幕の上がる前のドキドキ感がたまらなく好き!
自分が持てたお金と時間の余裕(この二つはなかなか両立しない)を幸せに感じながら、いまから起こるであろう未知の感動の予感。
今ここにいる観客と、劇団員(出演者だけじゃなくスタッフも)の彼らと共有しようとしているサプライズ…これから何が始まるの?わくわく…。

さて、今回の大阪フェスティバルホールは、初めて行く劇場である。チケット高いのね、ここでやるものって。でも座席の前横がせまく、余裕のない席。トイレも古いし、ロビーも暗くて豪華さのかけらもない。ただ「レオノーラ」っていう売店は、ウィーンフィルとかの日本ではここしかないというものを売ってて充実してる。

土曜の昼公演の「ウェストサイドストーリー」。2F飛び出しサイド以外ほぼ満員。私は2F急勾配の左端に近い席。オーケストラ席が見える。開演前ぎりぎりまで彼らの音あわせの騒音がずっと場内に満ちている。雰囲気盛り上がりというより耳障りな雑音である。(宝塚大劇場ではこんな長く音合わせやっていない)

そして幕開けのドキドキ感が全くないまま、幕が上がってしまった。体育系のお兄さんがなんか位置取りしながら踊り出す。うーん、これは…と思ったら、やはり場面転換もとろい。ダンスの切れも悪い。(あらためて宝塚のレベルの高さを感じる)あの「TONIGHT」の場面ですら感動しないではないか。(こんなはずじゃあ)警察官の役者なんて本当に素人なんじゃない?最後の終わり方にいたっては、もっと盛り上げ方あるでしょう、演出は。オーケストラももっとメリハリある劇的な演奏しなくちゃ、バーンスタインが泣くわ。男優より女優陣のほうがいい、というより男優陣に緊張感がない。ジェット団とシャーク団の決戦なのに。ただ、アニタとマリアが掛け合いで歌う「A Boy Like That and I Have a Love」は良かった。

最後まで、「おー!」というサプライズがなく、ブロードウェイってこんなもの? という感じで終わってしまった。
どうしてだろう?座席が高い位置だったので飛び上がる臨場感に欠けてたから?
結局、自分の中で映画の感動が大きすぎたからなのかもしれない。あの映画を見た後はしばらく♪TONIGHTが、頭の中で響いてたし、夜は♪Good Night~>>>(消音)といって眠りについた。

A席11500円は高い。
ということで、○十年前の映画パンフレットです。やっぱりジョージ・チャキリスは、いいわ~。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「100万回生きたねこ」

2006-09-07 | ネコの本
   作絵:佐野洋子 (講談社) 1977年刊

ネコの登場する絵本の中で、25年間マイベスト1の位置を占めてる絵本。
私は「赤毛のアン」が心の中に住んでる人を見分けることができる。
そしてこの「100万回生きたねこ」を愛してる人も見分けることができるような気がする。

そのネコは、ある時は王様のネコ、ある時は船乗りの、サーカスの手品師の、どろぼうの、ひとりぼっちのおばあさんの、小さな女の子のネコだった。ネコが死ぬたびに彼らは泣いた。自分だけが好きで、誰も愛していないそのネコは、死んでも死んでも生き返った。100万回も。

ある時ノラネコに生まれ変わったネコは、白い美しいネコに恋をする。2匹の間に子ねこが生まれ、ネコは、白いネコと子ネコたちを自分より好きだと思うようになった。白いネコが亡くなった時、そのネコは白いネコを胸に抱きながら、100万回も泣いた。やがて動かなくなったネコはもう2度と生きかえらなかった。

ページをめくり、最後の号泣するネコに至った時、いつも胸がいっぱいになる。
私達は、愛されるためではなく、愛するために、生まれてくるんだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ネコはなぜ絵を描くか」

2006-09-07 | ネコの本
「WHY CATS PAINT~キャットアートの理論」
ヘザー・ブッシュ、バートン・シルヴァー共著、訳者不明
(ベネディクト・タッシェン出版)1995年頃   

普通の本にある出版元の記述もない、ユーモア感覚抜群の名訳なのだけど訳者の名前もない、不思議な本である。10年位前、高知県立美術館の売店で見つけて購入した。今や私のお宝本の代表格。全ページ、才能あふれる猫さんの写真が楽しい。

この表紙のマックス画伯を見よ。しっかり踏ん張った後ろ足、力強い左前足のアクリル・ペーストさばきを。彼は真剣に描いてる。岡本太郎画伯もきっとこんな感じで描いてたはずだ。

この本を読む限り、人間の画家が描くという行為=芸術的自己表現だって、一種のマーキング行動ではないのか?と思うようになる。

<まえがき>
動物行動学者アーサー・マン博士は、猫のオランジェロの描いたものが何かわからなかった。謎を解いたのは床に寝っ転がってた3歳の少女。彼女の視点で逆さに見たら、ドアノブの牛そっくりの絵だった。オランジェロによって、ネコはそこにある形を表現できるという確証をもった彼は、研究半ばで亡くなってしまった(あー、残念)。

「クエスチョン・マーク?は、ネコの尻尾を丸めた古典的なポーズ、後ろから見たら下の丸点もちゃんとある」と言い切るあたりから、ホントかな?っと思いつつも、そうかもしれないなぁ…と、楽しい世界に突入していく。

<1章歴史的視点>
古代エジプトでは、絵を描くネコの図象が神による承認をあらわしているらしい。(おー、確かにパピルスに書かれた象形文字の中にクエスチョン・マークがある)。日本の招き猫のルーツは、19世紀末、小樽のよろず屋の絵を描く猫「オタキ」さん。店主が彼女の描く絵を利用して運勢占いを始めたらお店は大繁盛。この話から絵を描く猫の姿は商売繁盛のシンボルになった…ということは、あれは福を呼んでるんじゃなく、絵を描いてる右手なのね。(うーん、ホントかな?)

<2章ネコのマーキング行動の理論>
絵を描くネコの行動は、生物学者によると、アクリル絵の具の乾燥剤として用いられるアンモニア塩の匂いがネコの尿の匂いによく似ているため、この刺激による、何の意味もない手当たり次第のマーキング行動で、脅迫衝動的遊技行動なのだそうだ。(しかし、こんな本文より、マグネットを色別に分類してるピンクルや、ゴッホの「ひまわり」を逆さに模写してるバスター君の、見事なカラー写真のほうについ目がいってしまう。)


<3章キャットアートの旗手たち>

☆デュオの画家=ウォンウォンとルゥルゥの共同制作は、躍動感あふれる2頭の馬を描いた「早駆け」

☆肖像画家=ペッパーは、自画像の制作を始める前に2時間近くもかけて鏡の中の自分を観察する。

☆内発的還元主義の画家=タイガーは、壁のパネルを中心にリズミカルに絵を描きその後パネルをはずして(引き破り)何もない空間を露わにして最後のモチーフをそこに描く。(なんて複雑な!でも彼を理解しようという気持ちになるから不思議ね。)

☆形態的拡大主義の画家=ミスティの「テリアを埋葬する」という絵は21000ドルで売れた。

☆抽象表現主義の画家=ミニーの作品にはユニークな水平線がある。

☆田園ロマン主義の画家=スモーキーは、いつも庭の片隅で描く。(彼の絵は私のお気に入り。「鬱病のマリーゴールド」を部屋に飾りたい)

☆新総合主義の画家=ジンジャーは、窓やカーテン、テーブルや椅子、時には鉢植えの植物にまで描く。その絵は空間の総合芸術なのだ。

☆断片構成主義の画家=プリンセスは、長い黙想により共振力を追い求めた末に、緊張感のある断片的フォルムを描く。

☆周辺的リアリズムの画家=チャーリーは、ゴッホやピカソと同じく幼少期に閉所恐怖症的トラウマを経験した。

☆超越表現主義の画家=ブーツィーの気合いを見よ。彼の前では岡本太郎もパワー不足。

☆交感印象主義の画家=ラスティがガラスに描いているのは、過去のある自転車。

<第4章その他の芸術表現形式>
うーん、ここまでネコさん達の芸術作品を鑑賞してきたら、トイレのネコ砂の爪痕も芸術に見えてくるし、破れた壁紙も、ソファのほつれも、素晴らしい芸術に見えてくる。そういえば、毛糸によるクリエイティブ・インスタレーションなんて、クロネコチャン得意だったわね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ニューヨーク猫画帖」 

2006-09-06 | ネコの本
 画文:前田マリ (飛鳥新社)1996年刊

この本をみてたら、ニューヨークに行きたくなる。
靴屋のチャールズや、酒屋のサリー、花屋のトポ、本屋のクリフォード
…ニューヨークという都会でアイデンティティをしっかり保って生きてる君たちに会いたい。
雑誌連載の時から、切り抜いて壁に貼ってたマリさんの猫たち、いつのまにか1冊の本になってた。とてもうれしい。
散歩してるうちにいつも猫を探してしまう人には、最高の猫画集。

三本足のノラといっしょに暮らしたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水森亜土

2006-09-04 | 私の星々
ルーブル美術館で「モナリザ」を見てきた。素晴らしい絵だ。

でも、永遠ではなく、日常の、
「幸せ感」を表したら、「ウキウキ感」を絵にしたら、
ダ・ヴィンチだって、この人のイラストにかなわない。

私を幸せにしてくれる彼女のイラストが登場したのは1960年代。
今のブログの絵文字を、この頃すでにたくさん彼女は使っていた。

1939年生まれ、亜土たんはまだ元気にJAZZなど歌っているらしい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1995年

2006-09-04 | クロネコチャン
震災直後、まだデジカメも携帯も持ってなくて、
写真を撮る余裕もなかったけど、こんな写真が残ってた。

1月17日の朝落ちてきたTVはまだ床の上に、
花瓶がないから、花は空き瓶に活けてる。

でもクロネコチャンはあい変わらず、元気だった。
12歳…おばあちゃんになっても、クロネコチャンはよく遊んだね。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一日にして看板を書き換える

2006-09-03 | NO SMOKING
昨日このブログを始めた時、
「長年の喫煙生活に終止符をうった記念にこれを始めます」
と、かっこよかったのに…

今日は早くも「めざせ」に変わってしまった。

カッコイイライターのおまけ付きで
「KENT」の3が新発売され、誘惑に負けた。

「KENT」は日本では290円、
この夏、フランスでは5ユーロ(約750円)
スイスでは6スイスフラン(約600円)だった。
税率の違いでしょうね。
消費税を上げる前に、タバコ税を上げるべきだと思う。
1本100円、1箱2000円。…これでやめられる。
(と思う)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最大値

2006-09-03 | クロネコチャン
このころ、42㎏、いや4.2㎏。

一緒にダイエットしようかって、何度も誘ったのに
あなたは一度も協力しようとしなかった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする