星降るベランダ

めざせ、アルプスの空気、体内ツェルマット
クロネコチャンは月に~夜空には人の運命の数だけ星がまたたいている

クロネコヤマトノタッキュウビンチャン

2007-01-30 | クロネコチャン
クロネコチャンは黒猫ではない。ではなぜあなたをこうよんだのか?
クロネコチャンの本名はクロネコヤマトノタッキュウビンチャンという。
(チャンまでが名前だ。アグネス・チャンみたいに。)

昨日、見知らぬ青年を相手に、クロネコチャンの話をした。それもちょっと不思議な空間で。
見知らぬといっても、当然ネコ好きであることが判明してる人。
不思議な空間とは、大江ビルヂング101号室。
ここの乙画廊で開かれてた高橋宣子さんという方の個展で、「少女と黒猫」の小さな銅板画を観ていた時のこと…

青年「ネコを飼っておられるのですか?僕は黒猫を飼ってるんですよ」
私「うちのこは亡くなりました。黒い猫じゃないけどクロネコチャンなんですよ」
青年「それはまたどうして?」
私「クロネコチャンはノラネコでした。ある日彼女が仔猫をくわえて運んでいるのを、近所の子供達が見て、『ネコが仔猫を食べてるー』と騒いでいたので、彼らをお米屋さんの店頭の宅急便のマークのところに連れて行ったんです。『ネコはね、人間のお母さんみたいに抱っこできないから、傷つけないように仔猫の首のところをそっとくわえて大切に運ぶのよ。』と教えてあげたんです。それ以来子供達は、そのやせっぽちの気の強いノラネコを『クロネコヤマトノタッキュウビンチャン』と呼ぶようになったのだけど、当然長すぎるから、だんだん『クロネコチャン』になったんですよ。…」

その後、クロネコチャンが21歳まで長生きしたこと、20歳でてんかん発作を起こしたこと、最後の3ヶ月は、目が見えなくなったけど、最後まで頑張って自分でトイレに行ってたこと、なんて話してしまったの。ほぼ我が子自慢だったけど、その青年は時々感心しながら、楽しそうに聞いてくれたわ。

大江ビルヂングは、機動隊バスが2台停まってる御堂筋のアメリカ領事館の裏手にある大正10年建立のレトロな建物。
中には、画廊や司法書士事務所なんかが入ってるけど、
小林君のいる明智探偵事務所があっても驚かないし、
本物のエメラルドの首輪した黒猫が、ビルのオーナーだと言われても、「へぇ、そうなんだぁ」と思ってしまうような、不思議空間です。
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コミューン兵士の墓

2007-01-29 | 持ち帰り展覧会
NHKのBSで「ドラクロワ 三つの革命」という番組をみた。

昨年の夏、団体でルーブルを訪ねた時、まず案内されたのが、ドラクロワの大きな絵画のある部屋だった。ドラクロワ(1798~1863)は、ロマン主義を代表する画家、「キオス島の虐殺」はオスマントルコからのギリシアの独立との関連で、「民衆を導く自由の女神」はフランス七月革命との関連で世界史の教科書に登場する。私は、その部屋の観光客の多さだけでなく、絵画に描かれた人間達に酔ったのだろう。気分が悪くなったのである。そこには、持ち帰りたい絵はなかった。

美術史上、ドラクロワがなした革命が三つあるという。
「輪郭線の破壊」と「権力からの解放」と「黒の追放(影もまた多くの光の混合であることを発見)」の三つである。

番組では「民衆を導く自由の女神」の新しい見方を教えてもらった。
~女神の視線が、後方遠くを見つめることで、画面には描いていないが、多くの民衆が、この後に続いていることを示している。民衆は、画面の外の前方の敵をみつめ、女神の掲げる三色旗の先は画面の外にはみ出ている。これによって、三方向に空間が拡がっている。~

これからは、名画鑑賞の時、人物が描かれていたら、その視線に注目しよう。彼(彼女)は何をみているのか、と。
そして画面に描かれていることだけでなく、画家が画面に描かなかったものも想像してみよう、と思う。

群衆一人一人の人物の細かいところの描写などは、美術館で一回みただけでは、わからない。ただ、実物の前に立つと、画家が何を描きたかったのかが、なんとなく伝わってくるような気がする。

20年前、兵庫県立美術館の「モダン・パリ展」に行った。エッフェル塔が無の状態からだんだん空に伸びていく写真もあって、19世紀後半のパリを表す作品を集めたものだった。変化する都市の明暗が伝わるいい展覧会だった。
そしてその時、この絵を見たのが、私の(やはり本物みたい!)=美術展通いの始まりになった。
     

このアルフレッド・アンリ・ダルジューの「コミューン兵士の墓」は、
かつて世界史教科書の1871年パリ・コミューンのところに載っていた絵である。
民衆からなる史上初の社会主義政権といわれるパリ・コミューンが、ティエール政府軍により制圧され、ペール・ラシェーズ墓地で兵士達が処刑されたコミューン最後の日、1871年5月28日を描いたものである。

実物は予想よりずっと小さく、普通の画用紙大の茶色い紙に、鉛筆で描かれたデッサン画だった。壁の前にはもうすぐに銃殺される民衆がいる。じっとみてるとどうしてもある一点に目がひきつけられる。中央のカップル、女性のおなかあたり。鉛筆画なのに輝いているのである。
…それに気がついたとき、ワナワナと涙があふれてきた。
ダルジューさんの描きたかったことがわかった気がした。これを感動という。

最近の教科書からは、この絵が消えている。なぜだろう。

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MINTで「どろろ」

2007-01-29 | 劇空間
神戸MINTで「どろろ」を観た。2時間前にいったのにもう、前の1列2列の端しか残ってなかった。シネコンであるMINTの映画館は、上映映画の数多く、観客も多い。しかし、売店の売り子さんは、仕事不慣れで要領の悪い上に、人数をけちっていて、パンフレット買うのにも、コーラ買うのにも、列に長いこと並ばなければならない。そしてカウンター向こうのてんてこ舞いの売り子さんを横目に、フロアには、カードを作りませんかと時々立って呼びかける以外は長机の前に暇そうに座ってる黒服のお兄さんがいつも数人いるのだ。「君たちあっちで手伝ったら?」と思わずオバサンは言いそうになる。

さて「どろろ」である。自分の旦那より、妻夫木君のおでこの上がりを気にするようになってる私は、妻夫木君にアクションはできるのか?と、内心、どきどきしてました。

良かった、すごーく良かった。ワイヤーアクション、頑張ってます。次々に魔物を倒していきます。そして、親に見放された子供の悲しみ背負ってます。

2列目で観ると妻夫木君、迫ってきます。何といっても目ね。百鬼丸の目は、前半見えない。百鬼丸が魔物を倒し目玉を取り戻し、初めて目にしたものは…このシーン素晴らしい。
自分の目で見えるようになってからの目の輝き、この前と後の違い、見事に表現してる。

とにかく、手塚治虫さんが観ても、「いいですねぇ」って妻夫木君と握手するような作品でした。
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砂時計の時間

2007-01-25 | NO SMOKING
JR大阪駅で待ち合わせするなら、中央改札に近いアクティのサンドファンタジーの前がいい。定時に待ち合わせなら、必ず1分前には行くこと。
1時間ごとに、大きな砂時計がひっくり返って、天使が顔出して、オルゴールが鳴り響く。
ただ、一見腰掛けるのにちょうどいいわと思わせる、2段の金属バーは、とても座り心地が悪い。十分脂肪座布団身につけてても、その角度と材質から1分座ってるのが限度。この場合、人が滞留しないようにわざと座りにくくつくってあると考えていい。

滞留してるわ~、あそこ…開店前のデパートの前に人が並んでいる。
福袋求めて初売りの日というならわかるけど、平日なのに。
主婦だけではない、一見就労年齢の男性もいる。
考えたら美術館にしても、デパートにしても
平日の午前中に、訪れることのできる人というのは、勤労者ではない。
勤労者なら、休みのとれる勤労者だ。
平日の街では、働いてない人だけ、楽しんでいる。

と、平日に大丸ミュージアムの「ピカソとモディリアーニの時代展」を見に来た彼らの一員である私は思い、少し居心地が悪くなる。
彼らをみてる私は、彼らよりもっと暇人のような気がしてくる。
砂時計がもう一度ひっくり返るまで、ここにいる自信はない。

先日TVで「オレンジデイズ」の再放送をみてて、作業療法研修中の櫂くんに、おばあちゃんが言った言葉を思い出す…
「急がないのよ、私。そんなに早く歩けるようにならなくてもいいの。」

…歩けるようになりたいと思うのは、自分の足でどこかにいきたいという次の目標があるから。櫂くんといっしょにすごすリハビリの時間自体が、自分にとって一番楽しい時間であるおばあちゃんは、急ぐ必要なんてないんだ。
楽しいことだけして生きるというのは、このように年をとっていくことなのかと、砂時計の前で立ち止まってしまった。

「目標もたず、努力をせずに、生きていけるはずがない」
と心のどこかで誰かが叫んでいる。

3分の砂時計があり、1時間の砂時計がある、ということは…
…1年間の砂時計…100年の砂時計…もある。
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梨の精

2007-01-22 | 持ち帰り展覧会
芦屋市立美術博物館で、<和モダン~やすらぎの因州和紙>という展覧会が開かれている。

紙漉きは、中国で始まったが、水が硬水のため、硬い紙であり、
軟水の日本列島で初めて、薄い柔らかな和紙が生まれたらしい。
和紙は500年、正倉院みたいに保存が良ければ1000年も変色しないという。
スペインのバルセロナのミロ美術館の修復には因州和紙が使われている。

因州というのは因幡(いなば)のくに、鳥取県である。高級画仙紙の生産地、青谷という町で作られる様々な和紙の作品が展示されていた。

和紙で作るインテリアといえば、「ティファニーで朝食を」にも出てくる、イサムノグチ風提灯型ランプシェードが有名だけど、今では、いろんな形のが出ている。
四角い和紙シェードによる壁面構成、オブジェのような形状のランプ…いずれも温かさがある。「つける」にではなく「ともす」っていう心象風景に近い灯り。
でも燃えないのかしら?って思って係の方に聞いたら、上部が空気抜きになって、電球が固定されていれば大丈夫、しかも化学繊維のものに比べたらはるかに安全とのこと。

色彩豊かな和紙のパネルから、何とも言えない安らぎの光が差し込む6畳くらいの居間、あんなコーナーを障子のなくなった我が家に取り戻したいなぁ。室内にある生成のソファも、クッションも、和紙作り。ここで飲むコーヒーは美味しそう。
ただし絶対禁煙空間ね。

今回のお持ち帰りは…宮崎純子作「この街に生まれて」
…和紙のちぎり絵なんて、暇つぶしの象徴のような趣味だと思っていたけど、違います。この絵は素晴らしい。淡い色調で、子供時代の永遠の時を刻む。和紙の素材の素晴らしさと、0.05ミリの薄さの紙を重ね重ねて、作り出した立体感。いつまでも見飽きることなく、眺めていたい。

和紙人形も再発見。浜本恵美子作…「羽衣」「砧」「葵上」「紅葉狩」は、はっと息をのむ「能」舞台の作品。
帰宅してから、ストーリーを読みかえした。…世阿弥っていいわぁ。
「声も枯野の虫の音の、乱るる草の花心(世阿弥)」
…う~ん、和紙人形に触発されて、お金のかかる世界に突入しそう。

鳥取は梨の国、4月の終わりには、山の斜面に白い梨の花が満開になって咲くという。…素朴で可愛い作品「梨の精」は、白い着物きた緑の髪の女の子がたくさん登場する。
あまりに可愛くて、持って帰りたいなぁと思ったら、美術館が体験教室を開いていて、作者の浜本恵美子先生が、教えて下さるという。

はい、作ってきました。私の可憐な「梨の精」です。
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チゴイネルワイゼン

2007-01-17 | ダンス日和
 by G・クレフ「ペル・メル」(G-CLEFデビュー作「Pell Mell」1989)2曲め

昔昔、ワンピースのぽっかり出たおなかの真ん中にベルトをしている養護の先生を見て、「あれはここがかつてのウエストであるということを示すウエストマークベルトなのよ。」などと、友人に偉そうに言っていた高校生がいたらしい。

○十年後、彼女は、そんな自分を悔やんでいる。今そのときの報いがきているに違いないからだ。あの時あんなこと言ったから、こんなことになるんだ、ごめんなさい。ごめんなさい。
傲慢な若い娘は、年をとって少しだけ謙虚になった。
今、彼女は、かろうじて前から見たときだけ残るウエストのくびれを維持しようと、あがいている。

だから彼女は、G・クレフの「チゴイネルワイゼン」が、スピーカーから聞こえてくると、突然、タンゴを踊り出したりする。
(踊っていると本人は思っているらしい)
とにかくこれには、クロネコチャンだって、目を覚ますはず。

次の曲「チャルダッシュ」に至っては、狂ったようにエアーギターならぬエアーヴァイオリンを弾き始めている。
(本人はなりきりジプシー娘らしい)。
クロネコチャンは逃げ出すかもしれない。

かっこいいGークレフは、いつのまにか解散して、
情熱的な「ペル・メル」は、廃盤になっていた。
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ヤコフォームの靴

2007-01-17 | 私の星々
かつて北海道にグリュック王国というのが存在した。帯広原野に突如現れた中世ドイツ風メルヘンの国。石畳のマルクト広場で、初めて、外人のジャグラーをみた。グリムの本屋さんや売店では、昨年の夏本当にドイツに行った時より、たくさんの土産物を買ったような気がする。風船を配るピエロさんもいて、広場には笑顔があふれていた。

遊園地で遊ぶ同行者達と別れ、可憐な秋の草花の咲く小道を一人歩いていくと、ドイツ展示館があった。テーマは「ベルリンの壁」。ちょうど、ベルリンの壁が崩壊し東西ドイツの統一があった翌年だったと思う。館内には私以外一人しかいなかった。
冷戦時代、東側から西側に壁を越えた成功者は5043人、当然もっと多くの失敗した人がいる。展示品の中に、色あせた大きな靴があった。元は黒い革靴であったのだろう。壁を越えようとして、ドーベルマンに追われ、射殺された239人のうちの誰かの遺品である。ちゃんと残している。アウシュビッツの遺品を連想してしまうが、これがドイツだ、という気がした。
楽しいメルヘンランドに、こんなものが展示してある対比。教会前広場の賑わい、その教会の床下には遺体を埋めている…そんなドイツの都市文化に、昨年の夏触れたばかりだけど、その意味でグリュック王国は、ドイツを正確に伝えようとしていたのかもしれない。

とにかく、それ以来、私はずっと考えていた。自分なら壁を越えようと決意したら、どの靴を履いて逃げるだろうと。または、街を追われ、難民となり、行く先のわからぬ行軍をしなければならない時、私はどの靴を履けば、いいんだろうと。

まもなく「通販生活」でヤコフォームの靴を注文した。指を広げたまま履けるドイツの靴だ。27000円という、私にとって破格の投資をしたにもかかわらず、普段の通勤着にはヒールのないこの靴はなかなか合わなくて、長く下駄箱の隅に潜んでいた。

やがて、12年前の阪神大震災が起こり、このヤコフォームの靴はその真価を発揮した。これは私の所有する靴の中で、最も「安全」で信頼できる靴だった。私は1年間くらい、毎日ずっとこの靴を履き、リュックを背負って、埃っぽい神戸の街の東西移動を繰り返した。

この靴で、瓦礫を片づけ、校庭の給水車の列、バスを待つ長い列に並んだ。長時間はき続けても、実に楽な靴だった。
三宮から5時間、2号線を東に向かって歩いて帰ったこともある。その時、手に持つ懐中電灯は足元を照らす為のものではなく、向こうから歩道を直進してくるバイクに向かって自分がここにいることを示す安全灯の役割をした。

あれから12年も経ったが、変形したこのヤコフォームの靴を捨てられずにいる。
またこれを履かなければならないようなことがないように、祈りながら、
1月17日になるとつい、磨いてしまう。
…黙祷。
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歌会始

2007-01-15 | 劇空間
玉木君…「恋人?いますよ。」
(きっと千秋君と同じように、キッパリと言ったんでしょうね。)
…ガーン!!としたところに、
TVから、けだるい声が…
い~~う~~え~~え~~み~~あ~~♪が続きます。、
古式にのっとりというのでしょうか、語尾を続く限りにひっぱる読み方で、
けだるいリズムで詠われます。男性合唱です。今年のお題は「月」

「年ごとに~月の在りどを確かむる~歳旦祭に~君を送りて~」
「務め~終え~歩み~速めて~帰るみち~月の~光は~白く~照らせり~」

前者は、毎年元旦の朝からお勤めご苦労様という、夫への妻の愛がありますね。
後者は、仕事を終え、早く奥さんところに帰りたいよーという夫の妻への愛が感じられます。
(うーん、考えれば、この方々には定年もないのですね。終身おつとめご苦労様です。)

「かの人の~声に魅せられ年越しの~のだめベトヴェン 月に届か~ん」
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冬ソナ体験

2007-01-13 | 私の星々
地上波TVでまたあのドラマが始まった。
どれくらいの人がこのドラマを見たのだろう。
そして、私のような「冬ソナ体験」をした人がどれくらいいるのだろう。

3年前、2004年の春の終わり頃のこと。
3日間かかって、ネットで冬ソナを一気視聴した翌日の朝、
勤めに出かける寝不足の私の頭の中では、「ユジナ~」という音がまだ響いていた。
駅のプラットホームで、
ふと、自分が朝の光の中にいて、空気がやさしく私を包んでいることに気付いた。

その頃、自分が周囲と違和感を感じ、
自分を取り巻く世界からひたすら逃げ出すことばかり考えていた私だけど、
その朝、世界が再び自分を受け入れてくれるような気がした。
もう一度、自分が、自分を、自分の周りの人を、愛せるような気がしたのだ。
これからは、背筋を伸ばし、顔をあげて、生きていこうと思った。
窓を開けて光を浴びて輝くミニョンシーの微笑みに、自分が同化した瞬間だった。
これが私の「冬ソナ体験」である。

思えば、その数年TVドラマをゆっくり見る習慣を失っていた。
トヨエツの「愛しているといってくれ」に夢中になってから随分時間がたっていた。
映画を見るように、集中して20時間近くドラマの世界にひたる、
小さなパソコンの画面を見つめながら、涙をダーダー流す、体内浄化。
このパソコンによるドラマ視聴という新しい体験に、はまったような気がする。
世間でいう○○様ブームのようなものは自分の中で起こらなかったが、
未知の分野に対する強烈な興味が、自分をネットサーフィンに向かわせた。
不思議な文字をした異国のサイトにさまよい混んだ。
それまで仕事の文書作りとメール以外、ほとんど使ったことのなかったパソコンが、
それまで全く知らない世界への窓口として、大きな意味を持つようになった。

韓国ドラマブームの持つ大きな意味は、
それまでの隣国に対する偏見や壁をすーっと越えさせたことと共に、
40代50代の女性というそれまでパソコンとは、ほとんど無縁だった世代が、
パソコンに向かい、情報発信をし始めたことにあるのではないかと思う。
情報の多くが、雑誌やTVのメディアより、ずっと早く深く、直接に、
個人がつくったサイトや、書き込みから得られることを知り、同好の士をそこにみつけた。
自分もそれに加われることにワクワクし、自分が発信する楽しみを覚えた。
40代、50代の女性達が、新たな居場所を得たのである。

このブログの、「サンドゥ」も「フルハウス」も「止まらぬ愛」も、
2004年~2006年、私に新たな居場所を与えてくれた、
おかみさんのサイトへの書き込みの下書きである。
パワフルなおかみさんに感謝!
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初泳ぎ

2007-01-09 | ダンス日和
年明けて一番寒い日…(何せ、マフラー嫌いな旦那様がネックウォーマーしていったくらいだもの)…泳いできた。いや正しくは、温水プールで浮かんできた。

水面に水平になって、全身を伸ばすのがとても気持ちいい。
足をばたばたもせず、ただひたすら、すーっと水中で手をのばし足を伸ばす。
自分がとても長くなって別の生物になったように感じる瞬間が好きだ。

水中で、お魚になったついでに、熊川哲也さんにもなってみる。
ただ歩くウォーキングではなく、水中で蹴って片足を前にぐーっと伸ばして、後になった足を後に伸ばすだけなんだけど、胸はって手もバランスよくつけるとなりきりバレリーナ(あくまで気分だけの問題だけど)。調子に乗って、今日みたいに人が少ない時は、何往復もやってしまう。

結局クロールは25Mを一回だけしか泳がなかったけど、水遊びは楽しい。
プールの受付横に、年賀のイノシシ君がいたけど、イノシシ君は泳げるのだろうか?

干支にイノシシ年があるのは日本だけで、本来は、豚年である。
という朝日新聞の記事を、イノシシ年生まれの女の子が読んだら、ショックうけるだろうなと、思う。暦としての干支が、日本に伝わった時、日本では豚を飼ってはおらず、野生のイノシシしかいなかったのだ。
中国・韓国では豚は金運を運ぶので、その年は出産ラッシュになるらしい、と言ったら、少しは立ち直れるだろうか。
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考年期 or 幸念期

2007-01-04 | ダンス日和
年をとったら、年賀状は、
まだ生きてるよ、という、大切な情報を伝える手段になる。

印刷だけの中身であっても、毎年来ている人から来なかったら、
どうしてるのか心配になる。
若い頃は、年末に届く喪中の葉書は、形式的だと軽く見てたけど
今年はこのような事情で出さないけど心配しないでね、
という思いやりの葉書だったんだ。

一昨年くらいから、古い友人達からの年賀状に、
こうねんき=更年期という言葉が登場するようになった。

今年は、それが「考年期」「幸念期」という言葉に進化している。

大学卒業以来ほとんど会ってないので、
いつも頭に浮かぶのは20代の若い姿なのだけれど、
確実に彼女たちも年齢を重ねて、進化しているのだ。
決して退化なんかしてない。

~お互い、生き生きと健やかな一年でありますように~
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三日坊主を恐れない

2007-01-04 | NO SMOKING
新しい年、2007年が始まるのを待っていた。
あることを始めるスタートラインを、自分でひかなくても、
元旦はみんなが一度、立ち止まらざるを得ないような、
輝くスタートラインだ。
そこから始めると、始めたことの中身に、立派な表紙がついてくるような感じがする。

野際陽子さんが、「三日坊主を恐れない」と書き初めをしていた。
まずは始めてみましょうという通信教育のCMだけど、
心つかむわ、このフレーズ。

というわけで、「それによって安心感を得るのではない、それがないことで不安になるだけなんだ。」という それ を排除し、「こんな時はやはりこれだわ、というワンパターン行動」から自己を解放したいと元旦より始めたことが、もう3日以上続いている。今年の自分を誉めること第1号にしたい。

新しいカレンダー、手帳も揃った。いつもと違う花もあるすっきりと片づいた机周り。
元旦の我が家を見ると「掃除が幸運をもたらす」という気がする。
しかしPC周りの配線、なんとかならんものでしょうか。
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