星降るベランダ

めざせ、アルプスの空気、体内ツェルマット
クロネコチャンは月に~夜空には人の運命の数だけ星がまたたいている

フー

2009-10-13 | ネコの映画・ドラマ
どこかで失恋した女の子が、やっているかもしれない。
彼の名前を空中に書いて、そっと息をふきかける…フー
すると、文字は、分解して、~~~ すーっとどこかに飛んでいく。

シネリーブルで「空気人形」(監督:是枝裕和)を観た。
青い空を見上げるペ・ドゥナの眼は、「アメショっす」の銀チャンのようだ。

                  

世界を初めて見た彼女は、水滴に触れ、ウ・ツ・ク・シ・イ と言った。
それが持ってはいけない心を持ってしまった彼女の最初の言葉。

街の風景の中に、ぽつんと書かれた「空気人形」というタイトル文字が、彼女の小さな息で~~と飛んでいく。
彼女のその息はラストシーンの、タンポポの綿毛に繋がっている。

世界は見知らぬひとりひとりが、知らない間につながっているのだろうか。
吉野弘の「生命は」という詩のように。

  生命は/自分自身だけでは完結できないようにつくられているらしい/
  花も/めしべとおしべが揃っているだけでは/不充分で/
  虫や風が訪れて/めしべとおしべを仲立ちする/
  生命は/その中に欠如を抱き/それを他者から満たしてもらうのだ/
  世界は多分/他者の総和/
  しかし/互いに欠如を満たすなどとは/知りもせず/知らされもせず/
  ばらまかれている者同士/無関心でいられる間柄/
  ときにうとましく思うことさえも許されている間柄/
  そのように/世界がゆるやかに構成されているのはなぜ?/
  花が咲いている/すぐ近くまで/
  虻(アブ)の姿をした他者が/光をまとって飛んできている/
  私も あるとき/誰かのための虻だったろう/
  あなたも あるとき/私のための風だったかもしれない

都会の中の物語だけど、静かだ。息の音が聞き取れるくらい静かだ。
手に持つ袋の中のラムネのガラス玉のコロンコロンがバックミュージックのように聞こえる。ペドゥナのカタコトと実によく合った音楽。

「あなたの息で私を満たして…」というシーンは、見ている私の息が止まった。
空気人形の悲しさとはかなさを示す、透きとおった影。

空気人形を作ったのはジョゼッペじいさんと似ていないオダギリ・ジョーさん。
この人が登場すると、空気が違う。
「おかえり」静かな彼の言葉は、神聖なもののように心に届く。
「この世界で、きれいなものを見た?」自ら答は言わない、問いかけしかしない神様。
いや、ひとつだけ答えた。「それは、燃えるゴミ・燃えないゴミの違いだ」と。神は残酷でもある。
その言葉をしっかり人形は覚えていた。

映画は、過食症の人間の女の子の「キレイ」という言葉で終わる。
何であれ世界をウツクシイと感じた彼女は、空気人形のように、これから町に出て新しい生活を始めるのだろうか。

人間は、時々ため息を出せるくらいの空気を内に抱えて生きている。
「フー」
…今、私から出ていった空気は、何かを誰かのところへ運んでいくのかしら。

*丸々とした可愛い白黒ネコさんが2カ所で登場しています。
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天国に近い島

2007-10-10 | ネコの映画・ドラマ
シネリーブルで「めがね」を観てきた。ほぼ満員。
この映画館で、これだけの人と一緒に観るのは、久しぶりのこと。



う~ん、「かもめ食堂」は、あそこに行ってみたいと思ったけど、
「めがね」の海辺には、まだ行きたくない、と正直思う。
天国に行くにはまだ早い。

休暇の島、というより、天国に近い島のお話。
お話といっても、そこでのたぶん日常。
静かに打ち寄せる波、澄んだ青い海。
決して台風なんてやってこない、
トランク置いたままでも、持って行く人は誰もいない島。
思いの値だけで取引が成り立つ島。

ユージさんが書いた地図→  
犬と山羊さんは、存在感あるけど、
ネコさんは一瞬画面を横切っただけ。

タエコさんが、重いトランクを道に置いた瞬間、
何かから解放され自由になった、ということだと思うけど、
私には、その時、何かを彼女が諦めた気もするのだ。

梅干しを食べること、あの体操をすること、
朝は起きなければいけないこと、などは
強制はされないけど、
せざるをえないという雰囲気に満たされている空間である。

もし、天国のルールについていけなかったら、
その雰囲気になじめなかったら、
私、どうしよう? と少し心配になってきた。

追記:いつか、サクラ(もたい)さんのように、旦那を起こしてみたい、
   と企んでいます。
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「アメリ」

2007-08-28 | ネコの映画・ドラマ
本棚を整理したら、2冊重なっていたり、二度と開かないだろうコミックや文庫本が出てきたので、近くのブックオフに、持って行った。34冊で710円。
予想より高額だった。しかし、どんな基準なんだろう。コンビニで買った雑誌仕様の「美味しんぼ」に値段がついて、寺山修司の文庫に値段がつかない、なんて。とにかく自分の価値観が、絶対的ではないことを思い知るにはもってこいの場所だわ。
とにかく、それを元手に店内をぶらぶらしてたら、見~つけた!

      「アメリ缶」

アメリ映画のDVDと特典映像のDVD、ポストカード、ドワーフからの手紙、特製パンフレット、マウスパッド、アメリ・スプーン、アメリのゾロ人形。残念ながらクレーム・ブリュレのキャンドルは入ってないので、4000円。長い足がでてしまったけど、とにかく嬉しい。
だって、「アメリ」よー。私の天使の缶詰。
イメージトレーニング=「アメリ」。
唇の端っこあげてあの表情すると、元気がでるの。

昨年の夏、ツアー旅行中の短いパリ自由行動時間。私の足は、文句なくモンマルトルの丘に向かった。サクレクールの展望台から、今パリの屋根の下で起こってることを、想像してみた。アメリみたいに。
いつか自転車で、あの街を走りたい。その時はきっと私の背中にも、天使の翼がついてる。

アメリが、心通わすものに、私の心もつながる。
川に放たれた時の表情が素晴らしい、クジラという名の金魚。
空に浮かぶウサギ雲。
安息日の日曜日は小銭を受け取ろうとしない駅の物乞い爺さん。
電車の車掌さんの鋏を入れられた木の葉。いいわー。

この映画にはネコさんが2匹登場する。クロネコチャンによく似た「涙のマドレーヌ」の飼うキジネコさんと、ドワーフを持って旅するお友達のスチュワーデスさんから、フライトの間アメリが預かっている茶系のミックス(たぶん♂)ネコの「ロドリーグ」。

ロドリーグが、お伽噺をきいてる後姿のカットシーンが、とても美しい。
DVDからキャプチャーしたい。(今のところできない)
賢いネコさんは皆お伽噺をきくのが好きに違いない。もう、このシーンだけで、「アメリ」が素適なお伽噺であることがわかるわ。

パリのアパルトマンの小さな窓辺にはネコがよく似合う。
恋人達を「やれやれ」という感じで見ているネコさんが、パリにはたくさん住んでいるはず。アメリとニノの静かなキスシーン、ロゴリーグは、「よかったね、アメリ」って、目を細める。その目からは、ステキな愛のビームが出てる。

人は他人の為に奇跡を起こすことができる、ならば、自分の為にも起こせるはず。
というのが、この映画のテーマかな?

この世界が自分と調和した感じがするのは、自分の中に愛があふれた時、という、人生で何度かしか経験できない瞬間を、わくわく描いている。

ドゥ・ムーランの常連客で売れない小説家のイポリットの
「失敗につぐ失敗。永遠に書いては消し、人生は果てしなく書き直す未完の小説だ。」という言葉も心に残る。

「人間には失敗する権利がある」…と、為末選手に伝えたい。
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ローリング・スイカ

2007-08-18 | ネコの映画・ドラマ
夏の暑い日に、住みたい所といえば、星がよく見える高原の別荘。
でも、そんなものも持たず、37℃の暑い東京で、女一人働きながら、暮らさなければならないとしたら、私は三軒茶屋の、あの「つなよし」のいる下宿屋に住みつきたい。
…と、東京で生活したこともない私が、つい言ってしまう憧れ空間、「ハピネス三茶」。
2003年の夏ドラマの傑作「すいか」に出てくる賄い付き下宿屋である。



脚本は木皿泉。「やっぱり猫が好き」も書いた謎のデュオ脚本家である。
好きな女優さんばかり出てくる、というか、好きになる。
みんなとてもファッショナブル。それぞれの個性を見事に表していて、茂木裕希江さんというスタイリストの名前も記憶したくなるドラマだ。

ハピネス三茶の大家さんは、ゆかちゃん(市川実日子)。彼女を見ると元気が出る。アイスキャンディの当たりが続く回は忘れられない名シーンが続く。これ以後実日子さんの出てる映画やドラマはチェックするようになった。彼女は市役所の地味な事務員やっても、OLやってても、握り拳が美しい!

つなよしの飼い主は、売れない漫画家のキズナさん(ともさかりえ)。彼女の不器用さと繊細さに、時々胸がきゅんとなる。彼女の唇の曲がり具合がとても美しいって思う瞬間が何度もある。

そして、私にとって美しい人の代名詞、浅丘ルリ子さん演じる教授。相変わらず声がステキ!大切なことを譲らずに生きてきた文化人類学者は頼もしい。

信用金庫に真面目に勤める主人公のもとこさん(小林聡美)。普通の女の子が、普通に真面目に働いて、必ずぶち当たる壁。それをこの夏、彼女は越えるのだというストーリー。

もとこさんの母親が白石加代子さん。相変わらず白塗りだけど、主婦役の彼女は新鮮。
信用金庫から、3億円を横領して逃亡するもとこさんの同僚万里子(小泉今日子)。万里子をおいかける女刑事(片桐はいり)。「泥舟」というスナックの、「もう帰ってちょうだい」しか言わない不思議なママ(もたいまさこ)。

もうこのキャスティング、だけでワクワクするわ。



私、こうみえても(?)幼い頃、スイカ丸ごと一個を一人で食べて、おなかを壊さなかった強者なのです。これは、暗い過去なのか、明るい過去なのか、時々わからなくなるけど…。
 
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子猫をお願い

2006-11-23 | ネコの映画・ドラマ
監督チョン・ジェウン 2001年
出演:キジトラ白の子猫
   ペ・ドゥナ、イ・ヨウォン、オク・ジヨン、イ・ウンシル、イ・ウンジュ

無名の女性監督が撮った映画で、同じ年の「猟奇的な彼女」を抑えて韓国の女性達が1位に選んだという。「猟奇的な彼女」はその年のBest1の映画であった私としては、これは絶対観なくてはいけない。

今まで韓国ドラマには出てこないなぁ、韓国にはいないのかしらと不思議に思っていた待望のネコちゃんが、思いっきり可愛い姿で登場する。子猫を胸に抱くときの少女の掌の温もりと心の寂しさが伝わってくる。テヒ(ペ・ドゥナ)の目がいい。

~居場所は与えられるようなものではない。
 居場所が欲しければ自らの手でつくりだすしかないのだ。~

高校を卒業後、それぞれ自分の居場所を求める女の子の物語だ。これを観ながら私は、今より10キロ軽かった20歳の頃の自分を、思い出していた。

20歳の夏休み、アルバイトの長引いた私は、周りの友人達が帰省した下宿に一人残っていた。田舎に帰るの面倒だなぁなどと思いながら、父母の顔を思い浮かべているうちに、突然、父も母も絶対的にそこに存在しているものではないことに気づいた。

それまでの私が、彼らの存在への疑いを持ったのは、夢の中でだけ。
それは、大きな駅で母と違う列車に乗ってしまい「禁じられた遊び」のラストシーンのように雑踏の中で母を呼んでいる自分の声で目覚めるという夢と、
学校から家に帰ったら、庭で水撒きしてる父とそばで草取りしていた母が、「あなたは誰?」と私を全く知らない子供として迎えた夢。
…どちらも、涙で目が覚めた。幸せな子供だったのだ。

20歳の夏、下宿のベッドの上で、父母が、私の父母になる前にも生きていて、25年前には20歳の頃の父や母がいたという事実に、なぜだか初めて気がついた。
母は、神戸の空襲で焼け出されなかったら、四国の農村で生まれた父には出会わなかっただろう。私が生まれた可能性より、生まれなかった可能性の方が、ずっとずっと大きかったのだ。

私を捨てて母が出て行った可能性だってあったことや、これからも二人は自分の人生を選ぶ権利があることや、いろんなことを考えているうちに、私は自分の居場所は自分でこれから見つけていくしかないことを悟ったような気がする。
その時、自分は孤独だと感じ、そして自由だと思った。

「子猫をお願い」の中の彼女達は、自分の居場所を一生懸命求めている。
ラスト・シーン、旅立つテヒとジヨン…孤独と自由を手に入れた20歳の顔は、緊張して不安だけど、輝いている。
あの頃私もこんな顔をしていたのだろうか。
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ティファニーで朝食を

2006-11-17 | ネコの映画・ドラマ
監督ブレイク・エドワーズ  1961年
出演 名前のないネコ(ただキャットと呼ばれている、茶色のタビー)
   オードリー・ヘップバーン、 ジョージ・ペパード

朝の静かな5番街、ティファニーの豪華なショーウィンドウの前でイブニングドレス姿でパンを食べる、という最初のシーンで、ホリーにノックアウトされる。
しかし、存在感からいうと、相手役のポールをはるかに上回っているのが、ホリーの飼ってる「名もないネコ」さん。
そう、実はこのネコさん見たさに何度も観る映画なんです。

まずは、「誰か来てるよー」って寝ているホリーを、背中モミモミで起こす登場シーンが可愛いの。
騒がしいパーティーでは、客の肩の上を自由に渡り歩く。しっぽがいい。
ホリーが冷蔵庫を開けると、必ずどこかから現れる…気紛れなホリーのそばでは好機を逃しちゃダメだって自覚してるのね。
ポールが窓から侵入しそうになると、ベッドの上から激しく威嚇します。
無理して赤いセーター編んでるホリーを、壁のバイソンの頭の上から見下ろす時は、冷たい視線のような気が…。
そして、なんと言っても、びしょぬれ演技のラストシーンが素晴らしい。

大好きなニューヨークを捨てる決意をしたホリーは、
タクシーのドアを開けてネコを雨降る街に放してしまう。
…突然不幸のどん底に堕ちたネコさん、冷たい雨に濡れ、情けなく震えてる。

でも結局、ホリーは降りしきる雨の中、名前のないネコを必死に探すの。名前はこんな時必要です。この時ネコさんは失いそうになったホリーの愛の象徴。

(いない、どこかにいってしまった。私は大切なものを失ってしまった…)ってホリーが泣きそうになったその時…「ニャーオーン」

ラストは、もうこのネコちゃんなしには成立しないキスシーン。
ムギュッていう音が聞こえてきそう。
「苦しいけど幸せかなぁ?」ってこっち向くネコさん
…あなたなしには成立しなかった映画だわ。

それにしても♪ムーン・リバー はなんて美しい曲なんだろう。
  ♪ただよう二人 世界をみようと 胸を弾ませて 
   共に追う 遙かな虹 その河のほとりに立つ 幼い思い出の友
   ムーンリバー 心の夢

ただし、滑稽に戯画化された日本人の管理人…この映画見るたびに悲しくなる。60年代のアメリカ人の日本人感が現れているなぁ。謙さん、ガンバレ!
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