星降るベランダ

めざせ、アルプスの空気、体内ツェルマット
クロネコチャンは月に~夜空には人の運命の数だけ星がまたたいている

善き哉、善き哉

2021-01-29 | 劇空間
            

阪神なんば線が開通してから12年。古都奈良が近くなった。知らない駅の途中下車も楽しい。
久しぶりに大阪方面に出かけたのは、緊急事態宣言が出る3日前。まだ年賀状が届いていた頃。
今年の年賀状には、同じ祈りをみんな書いている。
近鉄日本橋駅下車すぐの、国立文楽劇場には、電車以外、人混み無しでたどり着ける。
なんといっても、昨秋の錦秋公演以来、座席がゆったりとした市松模様座りなのが嬉しい。
     
     

座ってはいけないシートカバーが、まるで本物の絹の帯みたい。

                

     

新春公演第2部の演目は、
「碁太平記白石噺~浅草雷門の段、新吉原揚屋の段」と「義経千本桜~道行初音旅」

「碁太平記白石噺」は、珍しく江戸生まれの浄瑠璃作品で、姉妹による敵討ちの実話を脚色した話11段のうちの二段。浅草寺門前で営業中の手品師の口上から始まり、吉原一の花魁宮城野の美しさを「小野小町か、浜辺美波か」と喩えていた。ならず者が、巡礼姿の妹を50両で売り飛ばす。(「50両は今の500万円」と、イヤホンガイドが教えてくれる)。さきほどの手品師が赤頭巾の地蔵に変装して、地獄の沙汰も金次第とならず者からまんまと50両を騙し取る場面、問いかけにはすべて「あ~ぁ善き哉、善き哉(よきかな)」を繰り返す。「何が?善きなの?」なんて問わないの。とりあえず「善き哉、善き哉」と呪文のように唱えているうちに、聞いてる相手が勝手に問題解決していく。この演目が新春公演に選ばれたのは、きっとこの言葉を太夫が伝えたかったからだわ。

「義経千本桜」は、源義経に関わった人々が、桜の花が散りゆくように、命を落としていく物語。全山花盛りの吉野山を背景にした「道行初音旅」の段。
静御前が義経会いたさに吉野へ向かう旅道中。義経が形見として渡した初音の鼓を携えている。それは後白河法皇より賜ったもので、鼓の裏皮は義経、表皮は頼朝。「鼓を打つ=頼朝を討て」といういわくつきの鼓。静御前が鼓を打つと、どこからか狐=忠信が現れる。初音の鼓の皮は実は狐の父母の皮で作られたもの。白い狐と人間の早変わりシーンにわくわくする。

まだ、6回しか見ていないけれど、文楽は、思慮のなさや、ちょっとした誤解・早合点が招く、生死をかけた悲劇が多い。300年前の江戸時代にも、きっと、私と同じ年頃のお姉さん方が新春公演だし何を着て行こうかと迷ったり、同じ場面で笑い、涙を流し、帰り道「善き哉、善き哉」って言ってみたりしたんだろうな。
<6秒ルール>が必要な場面で、まあ取り合えず、言っておこうか「善き哉。善き哉」。
コメント
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