勇者が、長い冒険の旅の果てにやっと手に入れた秘伝の巻物。
開いてみると、そこに書いてあったのは…
(高松次郎「日本語の文字」1970)
思わず硬直してしまった勇者。
「もはや文字は意味を持たなくなったのか…」
「文字は形(かたち)にすぎないのか…」
3時間後、勇者は笑みを浮かべ、
巻物の裏に次の文字を記して、次の冒険に旅立って行った。
こ
の
こ
こ
の
つ
の
文
字
高松次郎の、この作品を初めて見たのは、2009年兵庫県立美術館のコレクション展だった。その時、この勇者が生まれた。
3時間もの間、彼は何をしていたのか?というのが、謎として残る。
今回の国立国際美術館での「高松次郎~制作の軌跡」展にも出ていて、この作品が、1970年ゼロックスのコピー機普及のプロジェクトをきっかけに制作した作品であることを知った。明朝体の7文字を、コピー機で繰り返し拡大し、それを原版としてオフセット・リトグラフで100部刷った作品。
1970年代、私が大学の卒論を書いた時は、まだ青焼時代だった。隣の研究室にあった、独特の匂いのする湿った紫色の紙が出てくる機械を「青焼き機」と呼んでいた。
コピー機のない時代に、卒論を書いた私や皆様は偉い!
開いてみると、そこに書いてあったのは…
(高松次郎「日本語の文字」1970)
思わず硬直してしまった勇者。
「もはや文字は意味を持たなくなったのか…」
「文字は形(かたち)にすぎないのか…」
3時間後、勇者は笑みを浮かべ、
巻物の裏に次の文字を記して、次の冒険に旅立って行った。
こ
の
こ
こ
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つ
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文
字
高松次郎の、この作品を初めて見たのは、2009年兵庫県立美術館のコレクション展だった。その時、この勇者が生まれた。
3時間もの間、彼は何をしていたのか?というのが、謎として残る。
今回の国立国際美術館での「高松次郎~制作の軌跡」展にも出ていて、この作品が、1970年ゼロックスのコピー機普及のプロジェクトをきっかけに制作した作品であることを知った。明朝体の7文字を、コピー機で繰り返し拡大し、それを原版としてオフセット・リトグラフで100部刷った作品。
1970年代、私が大学の卒論を書いた時は、まだ青焼時代だった。隣の研究室にあった、独特の匂いのする湿った紫色の紙が出てくる機械を「青焼き機」と呼んでいた。
コピー機のない時代に、卒論を書いた私や皆様は偉い!