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星降るベランダ

めざせ、アルプスの空気、体内ツェルマット
クロネコチャンは月に~夜空には人の運命の数だけ星がまたたいている

うららかに~♪

2024-03-22 | 劇空間
純子ちゃんの出てくる「不適切にもほどがある」を観ながら、母校の校歌を思い出していた。
 
♪ 男の命強さなり 女の道は優しさよ 力を合わせ この郷(さと)に文化の華を咲かせなむ

父の出た旧制中学が戦後男女共学になった時に生まれたこの校歌を、その頃違和感無しで歌っていた私は、昭和の人である。男女の役割固定を促すこの歌詞は明らかに不適切である。この校歌3番は平成の時代に消えた。
しかし、学校のHPを開けて、驚いた。昭和が続いていた。平成の制服リニューアルブームは、田舎には届いてなかった。令和の制服は昭和と全く同じセーラー服だった。当然男子も黒い学生服のままだ。(さすがに学帽は無くなっていた)
セーラー服のスカートのプリーツ、今は形状記憶になっているのだろうか。私は裁縫好きで過保護な母が毎晩しつけ糸をしたのを布団の下で寝押していた。修学旅行の時は、どうしよう、しつけ糸持って行こうか、と悩んだのは覚えているが、実際どうしたのかは覚えていない。夏服もジャンパースカートのままである。50年前に比べたら、猛暑日も増えているのに、大丈夫?

     
         ~昨年入院中に旧友が送ってくれた学校近くの風景。とても癒された。

ついでに中学校、小学校はとホームページを覗いてみた。幸いなことに今も同じ場所に存在していた。
小学校校庭の欅の木は、更に大きく枝を伸ばして百年大木になっていた。この木の木陰で誰かを待っている夢を見たことがある。

そういえば、毎年この季節、入浴中に、天から舞い降りてくるフレーズがある。
   ♪うら~ら~かに~春のひかり~がふってくる~   
そしてこの後10分は続くオペレッタ🎶

♩(全員)うららかに〜春の光が降ってくる 良い日よ〜良い日よ〜良い日今日は
     桜よ薫れ鳥も歌え〜 良い日よ 良い日よ 良い日今日は

 (123年)仲良く遊んで下さった6年生のお兄さん 優しく世話して下さった6年生のお姉さん 
      おめでとうおめでとう ご卒業おめでとう
 
 (卒業生)ありがとう君たち ありがとう 

 (45年生)良い日この日あなた方は この学校をご卒業 
      雨の日もまた風の日も 通い励んだ6年の 学業終えて 今巣立つ
      おめでとう おめでとう おめでとう
 
 (卒業生)ありがとう君たち ありがとう

 (45年生)朝に夕にあなた方と 遊び学んだ年月よ 
      運動場にあの窓に数々残る思い出が まぶたに胸に 今浮かぶ
      さよなら さよなら さよおなら (←練習時ここだけ大声で歌う男子がいた)
 
 (卒業生)さようなら君たち さようなら

 (先生)君たちよ 光は空に~満ちている 翼をそろえて胸張って 翔け巣立つ~君たちよ
     たとえ嵐が吹こうとも はばたけ翔け 行く~手には 明るい未来が開けてる
     君たちよ 先生はいつも~見つめてる はぐくみ育てた君たちの 駆け行く姿を 君たちよ
     たとえ荒波高くとも 翔け翔け 行く手には明るい希望が開けてる 君たちよ

 
 (卒業生)ありがとう先生 ありがとう

 (卒業生)育て賢く丈夫にと 今日のこの日を待っていた 父さん母さん ありがとう
      今度はいよいよ中学生 しっかりやります 励みます 父さん母さん ありがとう

 (全員)美しく 春の光が降ってくる 良い日よ 良い日よ 良い日今日は〜
     良い日よ〜良い日よ〜良い日今日は~         
        
起立着席のザザーっという音まで思い出した。天井の高い講堂は寒かった。
6年間ただ聞くだけだった先生の歌に憧れ、先生になれば歌えると思っていたのに、高校卒業以来、この「卒業式の歌」(小林純一作詞、西崎嘉一郎作曲)を歌ったことのある人に出会ったことがないのである。

春の光は、うら~ら~か~に~♪ 降ってくるのにな~


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キラキラ光る

2023-07-13 | 劇空間
         
病室の天井ばかりみているうちに、見えてきた。
天井のフックに、人の顔がいっぱいついたモビールが下がって、キラキラ光っている。
最初は、脳外科のM医師、主治医のO先生、耳鼻科のH先生、といった今の私に関わってくれている8人の先生達の顔が、彼らの声と一緒にキラキラ舞っていた。
「約束が守れない」と連絡する必要から、いつもはできるだけ外に知らせなかったのに、今回は、周りの人たちに「絶対安静してる」と胸の上で握ったスマホでで連絡しちゃったなあ、と友人たちの顔を思い浮かべていたら、彼女達の顔は優しい笑顔のモビールのようにつながって、キラキラ光っていた。揺れていた。眩しかった。

それが始まったのは、平成中村座の姫路城三の丸公演の幕間だった。
4席あるお大尽席にお茶子さんが運ぶ、天守閣弁当を、凄いなあと目で追っていた時だった。
マスクの下の左鼻から、ツーっと水が流れた。風邪も引いてないのに。
芝居が終わり、最後の、天守閣が見えた屋台崩しの扉を、ライトアップされたお城側から確認したりしながら、夜の公園を,「お城でデート♪」と楽しんでいる時も、鼻水はツーッと流れた。
「姫路城内に植っている樹木に反応した花粉症かしら?」
しかし、姫路城から帰宅してからも時々ツーは続いた。いつも左から。
外出時はマスクをしているので、耳鼻科に行かなきゃと思いながらも、普段通りの生活を続けていた。
ある日、ハナクリーンというのが我が家にはある事を思い出して、鼻の中を綺麗に洗った。
その後、ツーは、ツーツーポタポタポタになってしまった。
近所の耳鼻科では、花粉症の薬を処方された。
左側からしか出ないのはどうして?という疑問には様子見てみましょう、という返答。
2日後が、3ヶ月ごとの総合病院の定期検診日なので、その時主治医に相談しようと思った。

定期検診の日、5月後半の早朝、目覚めたけど、身体が全く動かない。
意識はあるけど上半身、肩から上が固まったまま動かない。
金縛り?幽体離脱?声も出ない。私ー死んだ?
2時間位経つと、感覚が戻った。枕は寝ている間のツーポタポタでびしょ濡れだった。
定期健診で、もう17年診て貰っている腎臓内科の先生に、相談すると、
「それは大変です」と、彼女はすぐに緊急CT予約と耳鼻科診察に回してくれた。
耳鼻科の先生は言った。
「出ているのは、鼻水ではなく、脳の髄液です」
「今すぐ絶対安静が必要です。緊急入院と、家族の方に連絡して下さい」
思わぬ急展開(いや今朝の金縛りの時に非常事態を予感していたかもしれない)。
内科の待合室で、夫に電話していたら、看護士さんがやってきて、ササッとベッドに乗せられた。
その後、CT検査室→病室→脊髄液採取(長時間かかった)
→抗生剤点滴と、10日間の絶対安静(頭を動かさない)へ。

どうやら私の前頭蓋底にヒビが入っていて、そこから左鼻中隔に、脳髄液が漏出しているらしい。
放っておくと、そこから逆に菌やウィルスが髄液内に侵入して、脳膜炎を引き起こすのだという。
絶対安静によってヒビがくっつく場合もあるという祈りを伴う治療。
頭を動かせない絶対安静は、寝たきり老人生を、20年先取りした体験だった。
自分では何もできない、ただただ天井を眺めながら、ぼーっとしていた10日間。
腹圧をかけると脳にも圧力かかるから、「深呼吸も駄目ですよ」と脳外科M先生は優しく言った。
毎日、腎臓内科と耳鼻科と脳外科の先生たち(研修医もいれて8人)が朝と夕方交互にやってきて
「じっとしとくのは大変だね。」「宇宙飛行士の訓練だと思って」「瞑想の時間だ」
などと励ましてくれるのだった。
このヒビは外傷によるものがほとんどらしいので、医者に何度も聞かれたが、
ヒビの入った原因にあたる出来事、に思い当たらないのである。
敢えて言えば、2年前の冬、自転車に乗っていて、マフラーが暑いので、乗ったまま片手で外そうとしてバランスを失い、金属の車止筒にぶつかり転倒。気がつけば遊歩道に仰向けになっていたことくらい。その時、頭を強く打った記憶はない。確か、すぐに立ち上がって帰宅の途に着いた。
それが今になって?
 
結局、自然にはくっつかなくて、内視鏡でヒビを接着する手術を受けた。
耳鼻科と髄液の圧力調整の必要から脳外科の合同手術。
手術は成功したが、術後、低血圧が続き、ベッドから降りて立つ許可が出たのは、10日目だった。
結局4週間の入院生活を送った。

手術5回を含め、入院生活は今回で9回目になる。
癌手術も経験したけど、もしかしたら、帰れないかな?と思ったのは、今回が初めてである。
帰ってこれて良かった。
変な病気を見つけて、上手く手術してくださった先生方、ありがとうございました。
生きるための全ての面倒をみてくださった看護士さん達、ありがとうございました。
胸の上で握っていたスマホの向こうから、応援してくださった皆さん、ありがとう。

毎日午後3時になると、アイスクリームかスイカを持ってやってきた夫、
いつもカーテン越しの西日が後光のように差していた。
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善き哉、善き哉

2021-01-29 | 劇空間
            

阪神なんば線が開通してから12年。古都奈良が近くなった。知らない駅の途中下車も楽しい。
久しぶりに大阪方面に出かけたのは、緊急事態宣言が出る3日前。まだ年賀状が届いていた頃。
今年の年賀状には、同じ祈りをみんな書いている。
近鉄日本橋駅下車すぐの、国立文楽劇場には、電車以外、人混み無しでたどり着ける。
なんといっても、昨秋の錦秋公演以来、座席がゆったりとした市松模様座りなのが嬉しい。
     
     

座ってはいけないシートカバーが、まるで本物の絹の帯みたい。

                

     

新春公演第2部の演目は、
「碁太平記白石噺~浅草雷門の段、新吉原揚屋の段」と「義経千本桜~道行初音旅」

「碁太平記白石噺」は、珍しく江戸生まれの浄瑠璃作品で、姉妹による敵討ちの実話を脚色した話11段のうちの二段。浅草寺門前で営業中の手品師の口上から始まり、吉原一の花魁宮城野の美しさを「小野小町か、浜辺美波か」と喩えていた。ならず者が、巡礼姿の妹を50両で売り飛ばす。(「50両は今の500万円」と、イヤホンガイドが教えてくれる)。さきほどの手品師が赤頭巾の地蔵に変装して、地獄の沙汰も金次第とならず者からまんまと50両を騙し取る場面、問いかけにはすべて「あ~ぁ善き哉、善き哉(よきかな)」を繰り返す。「何が?善きなの?」なんて問わないの。とりあえず「善き哉、善き哉」と呪文のように唱えているうちに、聞いてる相手が勝手に問題解決していく。この演目が新春公演に選ばれたのは、きっとこの言葉を太夫が伝えたかったからだわ。

「義経千本桜」は、源義経に関わった人々が、桜の花が散りゆくように、命を落としていく物語。全山花盛りの吉野山を背景にした「道行初音旅」の段。
静御前が義経会いたさに吉野へ向かう旅道中。義経が形見として渡した初音の鼓を携えている。それは後白河法皇より賜ったもので、鼓の裏皮は義経、表皮は頼朝。「鼓を打つ=頼朝を討て」といういわくつきの鼓。静御前が鼓を打つと、どこからか狐=忠信が現れる。初音の鼓の皮は実は狐の父母の皮で作られたもの。白い狐と人間の早変わりシーンにわくわくする。

まだ、6回しか見ていないけれど、文楽は、思慮のなさや、ちょっとした誤解・早合点が招く、生死をかけた悲劇が多い。300年前の江戸時代にも、きっと、私と同じ年頃のお姉さん方が新春公演だし何を着て行こうかと迷ったり、同じ場面で笑い、涙を流し、帰り道「善き哉、善き哉」って言ってみたりしたんだろうな。
<6秒ルール>が必要な場面で、まあ取り合えず、言っておこうか「善き哉。善き哉」。
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円形劇場

2014-12-29 | 劇空間
安藤忠雄設計の兵庫県立美術館は、3つの四角いコンクリートの箱にガラスの箱をかぶせたような、直線的な建物である。中は打ちっ放しコンクリートの壁、御影石の外壁が現代の要塞のように立っている。所々、壁をくり抜いた四角い窓が、動く風景画のように現れる。建物の直線によって、様々な形に切り取られた青空は、美しい。

         

その直線の中に、2カ所だけ、円形のものがある。棟と棟の間にあって地下駐車場につながる円形階段と、南東隅の小さな円形劇場。
2014年11月、2002年美術館のオープン以来ほとんど使われていなかった円形劇場が、素敵な空間に生まれ変わった。元具体美術協会の作家・向井修二さん監修による記号アートインスタレーション。多くの人々が記号を描いた。




しかし、最初「意味のない記号を描きましょう」と言われて困った。
それは、思いつかないものを描きなさい、と言われるに等しく、難しい。
そもそも「記号」は、表象と意味とが結合したもの。意味がなくては記号ではない。
ただ、意味が意味無く集まれば、当初の意味は、意味を持たなくなる。

(~どこにあるでしょう?)

この完成した円形劇場、階段に座ると、落ち着かない。どちらかというと、中央のフロアに立って、何かしたくなる。
ここで、演じるなら「詩のボクシング」か、港に沈む夕陽に向かって吹くサックスがいいなぁ♪


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シャーロキアン

2012-10-16 | 劇空間
(今年もラミーチョコの季節がやってきた。ということでつぶやきブログ再開です。)

この夏10年ぶりに東京に行った。まずは、ゴッホの「ひまわり」に会いに、損保ジャパン42Fにある美術館へ。黄色いキャンバスに生命が踊る。花の一つ一つが人の顔に見えてくる。私はどの花かしら?

美術館の窓から見える、2012年の夏の大都会の風景。

     

おー、なんと!「シャーロック」に出てくるあの建物が!
窓の下はロンドン?いや皇居、右手には東京タワー、左にはスカイツリーが見える、紛れなきTOKYOだわ。知らなかったなぁ、どうやらこれは、コクーンタワーと呼ばれる東京モード学園の建物(50F、2008年竣工、丹下都市設計)らしい。学校ですよ。教育機関。この中で、なにか普通のことを勉強しているとは思えない。いいなぁ、学びたい。

今年出会った映画・DVD・TV番組の中で、NO.1は、なんといっても、BBCの「シャーロック」。
第一シリーズと、第2シリーズ、90分×6番組を、何度繰り返し見ていることだろう。
脚本・映像ともに素晴らしい。シャーロック役のベネディクト・カンバーバッチ、ワトソン役のマーティン・フリーマンも最高!シャーロックはスマホを使い、ワトソンはブログを書く。私が今もし80才だったら、これ見ながら「長生きして良かったわ~」ときっと思うはず。

     

タイトルバックにも、第1シーズンの第2話にも、その建物は登場する。現代のロンドンを象徴する建物である。ロンドンの古色蒼然たる堅固な石造りの官庁街CITYの中に、異様に屹立した、30セントメリーアクスビル(通称ガーキン、41F、2004年竣工、ノーマン・フォスター設計)。それは21世紀に活躍するシャーロック・ホームズの背景としてぴったりの建物。

20年以上前、3冊のアナログ・ゲーム本を買った。100年前のロンドン市街地図、住所録、新聞(タイムズ)が付いていて、自分で謎を解いていく。(ゲイリー・グレイディ/スーザン・ゴールドバーグ/各務三郎監訳、二見書房)



あまりに日常から乖離した頭脳と細かい作業を伴うゲームに根をあげ、「老後の楽しみ」にとっておこうと、本棚の最上段に隠してあった本である。でも、若き日に事実上諦めたものを、老後に解けるであろうか?

シャーロックの頭脳回転速度を表す、ベネディクト・カンバーバッチの早口の英語。
あの低い声がいい。BBC地球伝説「ゴッホ真実の手紙」で、ゴッホに扮していた彼も良かった。自画像が老けているのでつい、37才という若さで亡くなったことを忘れてしまうけれど、誠実すぎるパッションあふれる若き天才ゴッホ。周囲の雑音が消えていく中、集中して謎解きをするシャーロックの強い目。同じまなざしで、筆を持ったゴッホがひまわりを見つめている。(想像)
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めぐりめぐって~

2010-11-15 | 劇空間
南河内万歳一座の「ラブレター」初演は、1989年。当時のチラシとチケットが残っていた。

               オレンジルーム、前売2000円。

チラシの裏にはこんな文字が

~内藤流ペレストロイカか?役者陣のクーデターか?噂の革命軍団、東京・名古屋初見参!戦慄の三都市征伐!!~

当時、内藤裕敬さんは30代前半。一座には、西野勝弘、原謙二郎両ヘビー級レスラーに、小粒だけどその声でガラスさえ割りそうな松下安良さんなどもいた。死人が出てもおかしくない迫力の軍団パワーの合間に、信じられないくらい繊細なロマンティックな言葉が行動の動機として存在するという、南河内万歳一座ならではの、名作だったと記憶している。ただ、ストーリーなるものは全く忘れていてコインランドリーで大暴れくらいしか覚えていない。

さて、2010年の「ラブレター」である。

               エイトスタジオ、当日4000円

テーマは、♪憎い 恋しい 憎い 恋しい めぐりめぐって 今は 恋しい~♪ かな?

いやー、今回は、重定礼子さんをはじめとする、女性陣が大活躍。
派手派手女子高生軍団も、ドサマワリ演歌歌手シスターズも、心と言葉と動きがいいわー。
「謝肉祭の次は復活祭」「虹の谷はどこにあるの?」彼女たちの要求に、さぁ、前田君応えるのよ、とだんだん思ってくる。
河野洋一郎さんのちぐはぐなズボン丈が、とってもキュート。
藤田辰也さんはテンポをつくる銭湯のおかみさん。

本当は、今回もストーリーはよく分からない。
でも、「人って、いとおしいなぁ」という読後感のようなものが残る、面白いお芝居だった。

古布つぎはぎ旅芝居風の万歳一座の幕(これがあると、オレンジルームも、扇町ミュージアムも、大阪城ウルトラマーケットも、万歳空間になる)今回、その幕が開く前にかかっていた、少年か少女かわからない歌声。いいんですよ、これ。日曜日の朝♪狼少年ケンを聴いている感じに似ている。
…消えたアイドル「スターボー」の「♪百億光年の恋人」、早速amazonで買ってしまった。教えてくれたのは、大阪千秋楽の客を見送り中のカッコイイ木村基秀さん。次回の出演楽しみにしていますね。
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ハイチ

2010-04-21 | 劇空間
       「八月の太陽を」(作:乙骨淑子、理論社1966刊)

18世紀末、ハイチというカリブ海の島で独立を求めて立ち上がった黒人達の物語。
リーダーのトウセン(トゥサン・ルーヴェルチュール~1802)とその息子プラシード。
彼らの戦いの日々は、滝平二郎さんの切り絵の挿絵と共に、緊張感に満ちていた。

世界史への興味はいつから始まるのかと、我が身を振り返ると、この本に至る。
中学1年生の時、私の世界はズ~ンと広がり、地球の裏側まで視野に入ったつもりになった。実際はこの本を読んだだけなのだけど。
乙骨さんの前書きの、「コロンブスの発見から始まるスペイン支配の50年間で、島民は死に絶え、アフリカから黒人が奴隷としてつれてこられた。」というのは衝撃的だった。死に絶えるって。
フランス革命の影響は、西インド諸島の奴隷制度の廃止につながった。
物語は1802年のトゥサンの死後、若者達が8月の太陽の下、混乱の中に飛び出していくところで終わる。

(1804年、黒人初の共和国ハイチ共和国誕生。ただしフランスへの多額の賠償金を背負っての独立。権力を握ると独裁者は王や皇帝を名乗り、共和制は事実上機能せず、1915~47年のアメリカ支配を経て、その後も、独裁者が交替するなど、不安定な200年が過ぎた。そして今年2010年1月12日、マグニチュード7の地震がハイチを襲い、20万人の人が亡くなり、今も復興への救援を必要としている。)

「八月の太陽を」は、
   …ダッテントンテン ダッテントンテン…
というサトウキビ農場に響き渡る、太鼓の音で、始まっていた。
それがどんな音か、先日確かめる機会があった。

芦屋市在住のハイチ系アメリカ人の画家ヒューズ・ロジャー・マシューさんの展覧会(共生への架橋~ハイチ地震復興支援企画)が、4月17日芦屋市立美術博物館第2展示室で始まり、初日の夕べ、美術博物館の1Fホールで、ハイチ救援チャリティーコンサート「ドラムカフェ:アイボボ・ハイチ」が開かれたのだ。

           

(宮城県からやってきた)アフリカの太鼓ジュンベの演奏者とともに、観客も配られた太鼓を叩いて、会場が一緒になって盛り上がった楽しいコンサートだった。
         
         

背景はマシューさんの作品の写真、2Fの具体ギャラリーの50年前の作品(左から吉原治良1960、前川強1960、村上三郎1962)が、太鼓の音にぴったり合っていた。

後半は、美術博物館の前庭での太鼓に合わせて踊りながらマシューさんが絵を描くパフォーマンス。

            
          
               …ダッテントンテン ダッテントンテン…

マシューさんの公開制作が会期中の毎週金曜日午後2時から1Fホールで行われるという。
具体ギャラリーと共に、芦屋市立美術博物館の新しい取り組み。…ワクワク。
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影が踊る

2009-11-15 | 劇空間
芦屋市立美術博物館にはなぜかベーゼンドルファーのピアノが一台ある。
昨夜は、そのピアノの音が、高いホールの天井にキラキラ光って舞い上がった。
JAZZピアニストの高瀬アキさんと、モダンダンスの岡登志子さんの即興公演。
ベースの井野信義さんも加わった一夜限りのイベント。
 
           

ピアノの蓋は最初からはずされていた。
高瀬さんは、時に凄いスピードで激しく鍵盤を連打する。
そして立ち上がり、ピアノの弦をはじく。太鼓のバチで叩く。
皿のようなものが、弦の上に置かれている。
こんなことさせていいのか、ベーゼンドルファー。と、少し心配になる。
やはり、最高に良かったのは、演奏だけのシーンで、
まるでラヴェルのようなメロディを感じる演奏の時の音。
本当に音がキラキラ舞い上がっている。

エネルギッシュな高瀬さんが、1948年生まれというのを後で知って驚いた。
団塊世代は、元気だ。

井野さんのベースは風の音を出す。井野さんが弓を縦にしてそっとこすると、そこから風が吹いてくる。心の中に吹いている風の音。
後ろの床にむかって放り投げた鈴の、「シャリン」という音が耳に残った。
ピアノに比べて控えめだけど、様々な音を創り出していた。

ダンサーは皆、普段着で、椅子を使った動きが何度も登場した。
彼らは、音に反応して動く。何かの感情がわき上がるように。それは言葉に置き換えたらどんな感情なんだろう。怒り・不安・恐怖・悲しみ・怠惰・もがき・悔しさ…
いや、言葉にはならないものが、人の身体にはいっぱい詰まっているのだ。
それが、高瀬さんのピアノに反応して、湧き出てくる瞬間に立ち会っている。

美術博物館の少し湾曲している白い大きな壁に、ダンサー達の美しい影がうつる。ダンサーの衣装が普段着だからかもしれないが、影の方が格段に美しい。後半はずっと白い壁の影の踊りをみていた。

岩村原太さんの照明が素晴らしかった。
近くからのライトなので大小がはっきりしている。手前にきたらホールの天井まで届くような大きな影になるし、壁に近づくと実物大の小さな影になる。
特に群舞の時は、青と黄の2色のライトで、一人の動きが、黄色と青の二つの影になって、白い壁に舞う。それらが重なり離れ繋がる。
青い影と黄色い影は人とは別の生き物のように白い壁で生きていた。
まるで美術館の白い壁に、動くマティスの絵が描かれたみたい。

ホワイトキューブではなく、カーブが展示の妨げになって使いにくそうな、芦屋市立美術博物館のホールの、空間の新しい可能性を見た気がする。

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コンタクト幻想

2009-11-01 | 劇空間
久しぶりに兵庫県立芸術文化センターに行った。
小ホールには10個のクラゲのようなものが空中に浮かんでいる。
いや、天井から巨大なコンタクトレンズのような音響板が上向きにぶら下がっているのだ。その日の楽器に合わせて高さを調節しているらしい。音のプロには、この空間を音が無数の波の→となって飛びかっているのが見えるのだろう。
音に素人のわたしは、その空中に浮かぶ巨大なコンタクトレンズをみていると、つい想像してしまう。
高橋悠治さんのピアノの音が、天井に届いて反射してコンタクトレンズのお椀に引っかかって、踊って、こぼれ落ちて私の耳に届く、とか。波多野さんの声が、コンタクトレンズの底に反射して無数の星になってこぼれ落ちてくる、とか。

       

そういえば、コンタクトレンズをハードからソフトに変えて一年になる。それには涙なくして語れない痛い経験があった。
兵庫県立芸術文化センター大ホールで、待望のBeeの公演があった昨秋。その日の朝、ハードコンタクトの左目を洗面所に流してしまった私は、午後4時過ぎ、右目だけコンタクトを入れた状態で、自転車に乗り駅に向かっていた。
道を西に曲がって、夕陽が眩しいな、と思った瞬間、真っ赤な夕陽が目の中に飛び込んできて、何も見えなくなった、と次の瞬間、道の端の電柱が1m先に見え、余裕でハンドル切ったつもりが、次の瞬間、思いっきりガ~ンと、左顔面を電柱にぶつけて、気がつけば道の端で転倒していた。
行く先は、Beeのステージから、整形外科に変更。幸い左目も骨にも異常はなかったが、左顔面は腫れ上がり、2週間はお岩さん状態だった。見た目が普通に戻るのに2ヶ月、痛みが完全にとれるのに6ヶ月かかった。他人事のように語るのに一年かかっている。 

単眼視では、距離は計れない。右目1.0、左目0.02という極端に視力の異なる二つの目で測った距離感は、とんでもない誤差を生んだ。あの瞬間私の脳は激しく混乱したのだと思う。
私たちは3次元の世界に生きているわけだけど、目の網膜に映るのは2次元映像、それを脳が3次元に再構成して、この世界を認知している。
兵庫県立美術館の「だまし絵展」で、見事にコロコロ騙されてしまったのは、この知覚システムのせいで、脳が3次元に再構成する際、誤差が生じたり、情報が抜け落ちたりするらしい。

あの瞬間、明らかに電柱の位置の認知を誤ってしまった私は、もう2度と片目で自転車に乗らないこと、そのためには予備が常に手元にある、ソフトレンズに変えようと、決意した。そして、外出時にはサングラス着用の義務を自らに課したのだった。

…コンサートが始まる前に、こんなことを思い出してしまった。
さぁ、波多野睦美さん&高橋悠治さんのSATIEが始まるわ♪
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007の島

2009-08-27 | 劇空間
島から帰ってきて十日たった。やはりこれを書かないと夏が終わらない。
宿舎のチェックインは、フランス人カップルの次で、私たちの次はドイツ人の家族連れだった。ホテルのレストランでも夕食は半数以上が外国人。いつのまにかここは、海外に知名度の高い日本のリゾート地になっていたのだ。
島の美術館は、劇空間に近いものだった。

そう、そこは007の映画を撮るに適した場所。
シリアスな映画ではなく、明らかにありえない、非日常的な作り物であることが前提に成立する活劇がふさわしい。もちろん、ショーン・コネリーのジェームズ・ボンドで。
(以下フィクション)

ここは悪の組織スペクターの地下要塞がある島。ボンドはその島にやって来た。

日本色濃い島の旧家。家の中の暗さにボンドの目が慣れぬまま板の間に腰をおろした瞬間、宮島達男の「時の海’98」の数字が点滅する水の中から、錐のようなものがボンドめがけて飛び出す。

中国産太湖石の並ぶ不思議な庭で、ボンドが美女と一緒にジャグジーバス(蔡國強の「文化大混浴」)に入って楽しんでいる。なんて無防備なんだ。それを浜辺の穴の開いた白い船尾(大竹伸朗「シップヤード・ワークス)の穴から双眼鏡で覗く男。

ホテルの廊下、視線を感じたボンドが振り向くと、廊下の隅に輪郭のはっきりしない金属片の男の像(アントニー・ゴームリーの「サプリメントⅣ」)が立っていた。細い手首が今にも音をたててボンドの首に向かってきそうだ。

朝、ボンドが、地下要塞に向かう上り道の左側。モネのジヴェルニーの庭に模した蓮の池と見事な草花の咲き誇る庭のベンチでは、松葉杖を横に老人がのんびりと居眠りしている。でも実は刺客。池の蓮と柳の枝のアップ。突然揺れる枝と水面。

ボンドは島の美術館を彷徨う。世界制覇をめざす陰謀がここの展示の中に隠されているからだ。
地下への長いスロープを下りていく。下の壁にはアクリルガラスの中に砂でつくった世界の国旗が並ぶ(柳幸典の「ザ・ワールド・フラッグ・アント・ファーム」)。砂の中をはう蟻のクローズアップ。

微笑むボンドの視線の先には、大きな丸い大理石(安田侃「天秘」)の上に寝そべる2匹の猫がいた。雄のアメショーがお腹を上に寝そべって青空を見ている。そのそばには「あんた誰よ?」とボンドに鋭いビームを送っている美しい白い牝猫。(特別出演:「アメショっす」の銀チャンとラムちゃん)

島の美術館のテラスにある、世界の海の水平線写真(杉本博司の「タイム・エクスポーズド」)が並ぶ空間では、謎の美女がボンドに近づく。壁の隙間から見える浜辺の岩壁に設置された何かの反射光に、ボンドは気付く。

「CRY AND DIE」「CRY AND LIVE」「SMILE AND DIE(笑って死ね)」「SMILE AND LIVE(笑って生きろ)」と五十個の動詞に「DIE」と「LIVE」が続く文字が次々と点滅するブルース・ナウマンの「100生きて死ね」の吹き抜け空間で、突然敵が襲いかかる。飛びかかるその瞬間、文字盤の文字全部がバッバッアと一斉について辺りはショッキングな明るさになる。

ボンドはたどり着いた。不思議な光が涌いてくる壁の前に。(ジェームズ・タレル「オープン・フィールド」)ボンドが光の中に一歩踏み出すと、壁と見えたものが消え、そこは光に満たされた、光の中に心が溶けていくような空間だった。光の中に美女の顔が見えたと思った瞬間、ボンドは敵に捕縛された。

映画のクライマックスは、ウォルター・デ・マリアの「タイム/タイムレス/ノー・タイム」をご神体のように祭る神殿のような空間。
           (~写真は地中美術館パンフレットより)

黒い巨大な球の鎮座する白い空間の階段でボンドがスペクターの団員達と乱闘する。団員達の服装は、上下白のパンツスーツに斜め掛けしたポシェットという新興宗教信者のような今のスタッフの制服そのままでOK。

ついに悪の組織スペクターの首領登場。神殿の白い空間、黒い巨大な花崗岩の球の向こう、空から自然光の降り注ぐガラスの真下に立つ白装束の首領(この美術館を設計した人のイメージ)。

このステージでの負けを悟った首領は、ポケットのスイッチを押した。すると、球体であるにもかかわらず今まで不動のご神体だった黒い球が、突然動き出し、階段をボンドの方に向かって転げ落ちていく。その間に球の下に隠されていた、ヘリポートに繋がる秘密の通路から首領は脱出し、日本各地にある彼の設計した要塞に向かって飛び立った。

ミッションを終えた水着姿のボンドが、美女と一緒に黄色い南瓜のある突堤から、美しい瀬戸内海に飛び込む。
流れるテーマソング 
  ♪タンタカタンタン タンタカタンタン タンタカタンタン、
   ヒュヒュー ヒュヒュヒュー♪

ところで、今回のボンドのミッションは何だったのだろう?
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狩人

2009-08-11 | 劇空間
織り姫と彦星のように、一年に一度7月に会える、劇工房綺想舎人魚亭。
尼崎ピッコロ小ホールでの第61回公演は、清水邦夫原作「狩人~わが夢に見た青春の友」~構成演出:小林千代詞。
今回の人魚亭のパンフは、無数の人々の墓標が並ぶ暗いものだ。
満州で敗戦直後飢えや寒さで亡くなった18万人、悲惨な引き上げ体験を経てかろうじて命長らえ戦後を生き抜き、今やその人生を終わりつつある、かつて難民だった人々に対するレクイエムのような芝居だった。       
    
        

昭和十年代の東北地方。村役場の兵事係の仕事は徴兵候補者リストをつくることだ。しかし大陸に渡ったのは、兵隊だけではなかった。
満州の植民地支配と、国内農村の疲弊による社会矛盾の解決策として、国策として五百万人の農民を送り出す満蒙開拓団政策が実施されていたのだった。
戦争が激しくなると開拓団の希望者は少なくなり、山村部の村には、国から割り当ての形で「王道楽土」の宣伝活動が行われた。その結果敗戦の直前まで、満蒙への入植は続いたという。

人魚亭の芝居は、「王道楽土」を夢見て、武装開拓団として満州に行ったものの、耐えられず逃げ出してきて、精神異常者のふりをしている川島健(乙羽野庵)をとりまく人々の話。
健が慕う小学校の恩師はるじ先生(萩ゆき)だけはすぐに彼の嘘を見破る。はるじ先生は女ながら村一番の狩人。
はるじ先生の一人息子哲夫(志摩馨)と、健の弟三吉(寒川雅彦)に召集令状がくる。
徴兵されたのに、出頭期日を過ぎてもイヌワシを射止めるまでは、出頭しない狩人の哲夫。
山狩りをしようとする村人に、村一番の狩人である母親のはるじ先生は、私がひとりでやる、と銃をとる。

国家に狩られる獲物ではなく、イヌワシを追う狩人として生きたかったであろう哲夫。

戦争をする国家は国民を兵士として狩り出す。次々順番に。

今回の芝居を見た後、私は、兵庫県立美術館でみた一枚の絵を思い出した。
昭和12年(1937)日中戦争が始まった年に描かれた、阿部合成の「見送る人々」である。

                 

駅のホームで出征兵士を見送る人々を描いた群衆画。
この絵に兵士は描かれていない。しかし人々の視線の先には中国戦線に向かう兵士がいる。前には旗振る子ども達、その後ろには次の徴兵は自分かもしれない大人の男達、そしてどうしても泣き顔になる女達や年老いた者。
一人こちらを見つめる青ざめた男は画家自身だ。「次は俺だ」と、出征兵士の目で群衆を見ているのかもしれない。
見落としそうだが、右上には、戦地に向かった兵隊のその後ともいうべき、
雪原をソリであちらの世界に遠ざかっていく兵士の姿が、小さく寂しく描かれている。
絵の全体からワーッと激しい音が出てきて、耳を塞ぎたくなる、そして音が消えた後、不安が満ちてくる絵である。

阿部合成には反戦という主張はなかったが、人々の真実を描いたためか、この不安感に気付いた権力と戦時下のマスコミによって、反戦画家のレッテルを貼られ、画家は孤立する。やがて徴兵された画家は、戦線で一兵卒として戦い、8年後はシベリアに抑留された。この絵は自らの未来を予言した絵になった。

私の世代のすぐ前の世代は、それぞれの戦争体験を抱えた人達だ。やがて彼らはいなくなる。「見送る人々」は昭和の絵として展示され続けなければならない。
「見送る人々」の時代、女達には参政権はなかった。彼女達の多くは、「仕方ないわ」と諦めて、状況が良くなることを、ただ祈り続けることしかできなかったのかもしれない。

この国が、民を狩る国になってはならない。
祈ること以外のことができる間に、やることがあるはず。
もうすぐ終戦から64年。総選挙も近い。
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ムサシ

2009-08-06 | 劇空間
中学時代、木曜日の夜、彼のパックインミュージックを聴くために、一週間の時間割を組んで暮らしていた。
その頃の私が一番会いたかった人、でも会うのが怖かった人の声が聞こえてくるラジオを、じっとみつめていたりしたものだった。
リクエスト葉書は、普通の曲ではなかなか読んでくれないので、いろいろ考えた。
やっと読んでくれた葉書はビリー・ヴォーン・オーケストラの「♪浪路はるかに」だった。
きっと季節は夏だったのだろう。私の名前を彼が口にしたその瞬間の喜び、を今でも覚えている。

昨日、彼の「慶長17年4月、空はぬけるような青さであった。小次郎は待った。しかしムサシはまだ来なかった。」という声が頭の中に蘇った。
    
    ♪ムサシ~ムサシ~♪ (マカロニウェスタン調)

修さんの「ムサシ」では、勝負の後、磯に倒れた小次郎がむっくり起きあがり、「メシでも食いに行くか」と、二人は肩を並べて去って行く。
井上ひさしさんも、このフォークルの曲、聴いたことがあるのだろうか。

     井上ひさし作、蜷川幸雄演出の舞台「ムサシ」

春に、予約抽選で2度はずれ、電話も繋がらず、観にいけなかったこの芝居を、WOWOWの録画で観ることができた。

藤原竜也=ムサシと小栗旬=佐々木小次郎。
この時期、もうこれ以上は望みません、というキャスト。永久保存番である。

組んずほぐれつの五人六脚の最中もずっと、セリフは続く。
役者の体力知力創造力のすべてでなせる一期一会の瞬間が続く。

白石加代子さんの口から出てくる言葉にはどうして引き込まれていくのだろう。
彼女のどんな些細な言葉でもいつしか聞き耳たてて聴いてしまう。
デビューからこの人と同じ場で自分を存在させてきた藤原君は凄い役者に育ってきた。彼の声はゾクゾクする。
「18番」といって気を失う小栗小次郎もいい。
二人の若者のまさに舞台が巌流島。

~空を一条の雲が流れていく。櫓の音が水面にひびく。
水の色も空の色も底知れず死んだごとく青かった。
この大自然の中で私は一体何をしようというのか。ムサシはそう思った。

  ♪ムサシ~♪    (作詞作曲:北山修)
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黒蜥蜴

2008-07-28 | 劇空間
尼崎ピッコロシアター中ホールに、綺想舎人魚亭の「さらまんだ~人魚亭版黒蜥蜴考~」を観にいった。「迷い猫」から一年ぶりの公演。

                  

幕の開く前の場内には、中島みゆきの「♪別れうた」が遠くから流れてきて、70年代の雰囲気が満ちてくる。思えば、人魚亭もみゆきさんも同じくらい長い歴史を歩んでいる。今回は第60回公演、ということで、チラシには、1979年劇団結成以来の演目が記載されていた。別役実・唐十郎・清水邦夫作品が多い。すべての演目の構成演出は、劇団主宰の小林千代詞さん、主役は萩ゆきさん。30年間このスタイルで公演を続けている。凄いなぁ。

萩ゆきさんといえば、すぐ浮かぶイメージはブランチ。
1986年夏、西宮北口の狭いアートガレージでの公演「欲望という名の電車」。
ゆきさんの激しく哀しいブランチは、杉村春子大先生さえ越えていた。
(この半年前に神戸文化ホール文学座公演で80才のブランチを観て、いろいろな意味で感動した。)
~「欲望」という電車に乗り「墓場」という電車に乗り換え、降りたところは「極楽」~
もう一度、ゆきさんのブランチを観たい。

1Fのフラメンコ教室の音がうるさかった夙川のバートンホールは今はもうない。「住み込みの女」「タンゴ・冬の終わりに」…風の吹く世に、赤いショールのゆきさんの切ない声が心に届いた。

今回は、三島由紀夫原作の明智小五郎VS黒蜥蜴作品。
人魚亭でなかったら、パスしただろう。
予想通り、妖しい緑川夫人=黒蜥蜴の独壇場のような演目だった。
サラマンダー=火とかげのゆきさんは、せつなく歌った。これはもっと聴きたかった。
ストロボはスピード感を作り出す。港のシーン、ストロボ効果で、明智小五郎が、やっと探偵らしく見えてきた。
五郎を演じた寒川雅彦さん、40代とは思えないスレンダーでシャープな動き。
剥製人のシルエット、紗幕の後ろで3人が裸体で固まっている。かなり無理な姿勢だったので、ドキドキしたけど、役者さん達は彫刻のように最後まで微動だにせず頑張っていた。っふー。

ピッコロ行きのバスが出てる阪神尼崎駅の北側は、いつのまにか明るい緑地公園になっていた。
ガンガン日照りの中でも風が吹き、下の暗いバスターミナルとは別世界である。
泉の水を暢気に飲んでいる鳩さんにブツブツ話しかける。
「明智小五郎って、事件を解決なんかしないジゴロのような探偵ね」
「どうして彼女はサラマンダーのタトゥーなんか彫ることになったのかしら?」
「どうして60回記念が三島なのかしら?」

…鳩さんは、向こうをむいてしまった。
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ジャングル

2008-06-17 | 劇空間
モディリアーニ号に乗ってルンルン気分で向かった大阪城ウルトラマーケットで、
南河内万歳一座の「ジャングル」(作演出:内藤裕敬)を観た。

                        

う~ん、どうしたのでしょう、内藤さん。
ワクワクしない芝居つくるなんて。
汗かいてる役者さん見てるのに、私は汗をかかないなんて万歳一座では初めてのこと。
久しぶりの洋一郎さんの、くぐもった声と後ろ姿ばかり気になります。
あなたには、ジャングルを走り抜けて欲しい。

膨大な緑の植物を配置したために、狭くなった舞台。そのせいで役者の動きがいつもより小さい。砂漠化の進む現代に、日々ジャングルの緑に侵食されていく街という意外性と切迫感を、セリフと役者で表現できなかったのかしら。

前線基地のような喫茶店に集い周囲を伺いながら、不確かな存在であるモンスターの潜むジャングルに、飛び出す勇気が出ない人々。不確かなものであればあるほど、怖れは増していく。でも、このあたりもつまらない小ネタが不発。せっかく前田君がゆで卵丸飲みしたのに、笑えない。

ここ25年、眠たくなった万歳一座は初めてだった。
希望の見えないジャングルに、内藤さんは迷い込んでしまったのかしら。
どんな危険が潜んでいるか不安に怯える社会だからこそ、
何か言ってよ、勇者を呼んでよ、
小さな笑いはいらないから、腹筋揺らす芝居をみせて、
と、いつもなら向こうからもらう力を、今回は、こちらから返してみる。

なんだか膝に水がたまったような気分でぼーっと大阪城公園を歩いていたら、
ネコさん達の聖地に迷い込んだ。

 

どうやらお城の石垣の中にも住んでいるらしい。9匹確認。
         
            

案外、ジャングルの中に潜んでいるのは、こんな可愛いモンスターかも知れない。

                   

次は秋、ジャングルで闘う勇者の出てくる万歳一座を観たいと思う。
            アジャアジャ、ファイティーン!
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ヤマトタケル

2008-05-26 | 劇空間
市川猿之助脚本・演出の「スーパー歌舞伎 ヤマトタケル」を観てきた。
大阪松竹座の入り口には「天翔ける心、それが この私だー」と、宙に舞うヤマトタケルの看板がかかっている。


  
       

宝塚の男役の発声には独特なものがある。でもそれ以上に、歌舞伎の女形にはあの裏返った発声があって、あの美しい玉三郎さんでさえも声はないほうがいいと思うことがある。
ところが、このスーパー歌舞伎の、市川笑也さんの「兄橘姫(えたちばなひめ)」「みやず姫」の台詞は、なんと自然で優雅なのだろう。
市川笑三郎さんの倭姫(やまとひめ)」の言葉も美しい女性の声の響きだ。

   「強い男は、向かい風を受けるものです」

そう、スーパー歌舞伎は、事前学習無しでも、全台詞、何を言っているのかわかるのだ。それは、役者の鍛錬でもあるが、脚本が現代語であることが大きい。

3幕の芝居で、30分・20分の幕間をいれて4時間の大舞台である。
狩猟文化の日本列島在来勢力を、鉄と稲作文化の大和政権が次々に征服していく日本古代史を、一人体現するヤマトタケルという男の神話が、絢爛豪華に展開する。

<1幕>

橘姫二人の衣装の美しいこと。豪華な衣装は時に11㎏、冠は3㎏という。

    

兄と弟の争いの場面、最初は市川右近さんの一人早変わりと気付かない程の、見事な早変わり。5秒ほどで黒の大碓命(おおうすのみこと)から白の小碓命(おうすのみこと)に変身する。それが何度も何度もリズミカルな殺陣にあわせて行われる。正に歌舞伎の面白どころ「見せます」シーン。これで、もう右近さんが、もう10㎝足が長かったらなぁ、という心のつぶやきが霧消した。

            

スピード感がある熊襲(くまそ)の宴会シーン。全身で回転しながら舞台を横切っていく兵士達…前転前転、バク転につぐバク転…思わず拍手してしまう。おーまるで上海雑伎団だわ、と思ったら、幕間にパンフを見ると京劇の役者さんが6人出演していた。京劇もあの音声がどうにも苦手だが、このコラボは素晴らしい。場面が本当に引き締まる。熊襲タケル兄弟の豪華絢爛、蛸と蟹の図匠衣装は、戦国武将もこんなの着たかっただろうなぁと、思う。タケルの名を自らを倒した勇者に与えることで自らも勇者の歴史に名を連ねようと言う考えは、古代における「名」の意味について考えさせられる。こうして小碓命は、ヤマトタケルとなった。

<第2幕>

熊襲を倒したタケルに父帝は、更に蝦夷討伐の命を下す。
父への思いと、大仕事への不安で苦悩するタケルに、伊勢の齋宮で叔母の倭姫は天の村雲の剣を与え、弟橘姫(おとたちばなひめ)が安らぎを与える。
強い男の安らぎは、女の愛であった。というパターン。
しかしヤマトタケルは本当に強い男なのか?
女達は彼の人間性に惹かれてというより、むしろ悲劇的な男への哀れみの心で接しているような気がするのだ。

草原の火攻めの闘いシーンの舞台効果に魅せられる。
舞台いっぱい風に揺らめく赤い布が、激しい炎と化し、ワクワクドキドキ最高潮。剣はこうして草薙の剣となる。(天皇の武力の象徴として三種の神器とされる)

そして嵐の海で、タケルを助けるために海の神に身を捧げ、海の藻屑と消える弟橘姫のシーンは、青の舞台。 

<第3幕>

あと少しで大和に帰れると喜ぶタケルに、父帝は伊吹山の山神征伐を命じる。
かつては国の神でありながら、大和政権の天つ神に追われて鬼神となった伊吹山の神々の、奮迅の闘いは、白の舞台。
山神の化身である白い猪の素晴らしいこと。もうこれは間違いない。神戸の南京町の春節祭でみた上海雑伎団の獅子舞の動きだ。
草薙の剣を持たないタケルに降り注ぐ白い雹。
 
   

真後ろに真っ直ぐ落下していく姥神・山神の最後の潔さに感動する。

手負いのタケルは大和に帰り着く前に命果ててしまう。
「やまとは くにのまほろば たたなづく 青垣 山隱れる やまとしうるはし 」
と辞世の歌を詠みながら…
都では、日継ぎの皇子(皇太子)の死去で、ヤマトタケルと兄橘姫の間に生まれた息子、ワカタケルが、日継ぎの皇子となった。
そして、ラストシーン…ヤマトタケルの墓から一羽の白鳥が飛び立つ。

キラキラデコ電のルーツのような世界とも言える
スーパー歌舞伎の舞台、楽しみました。
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