星降るベランダ

めざせ、アルプスの空気、体内ツェルマット
クロネコチャンは月に~夜空には人の運命の数だけ星がまたたいている

イレーヌに会えルノ

2010-05-20 | 持ち帰り展覧会
久しぶりに新しい口紅、買おうかなぁ。オレンジの入ったピンク、春色のピンク。
つい、そんな気分になった、国立国際美術館の「ルノワール展」~見ルノ、知ルノ、感じルノ。

       
    「縫い物をする若い女」1879     「ブージヴァルのダンス」1883

やはり、ルノワールの絵を見ると、幸せな気持ちになる。

ブログを始めた頃の、オルセー美術館展で出会った子猫を抱いていたジュリーが、7年後凛々しく成長した姿(「ジュリー・マネの肖像」1894)にも会えた。

そして、その前でドキドキしてしまったほど美しい「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」1880。

         

今回は、彼女に会いに行ったといってもいい。行って良かった。
耳にかかる髪の毛、睫毛の一本一本、ルノワールが、こんなに丁寧に描くなんて知らなかった。
画家にそうさせたほどの、繊細な、イレーヌという少女の存在感。
8才というけど、微妙な心の揺れを感じる。
「可愛いイレーヌ」は、91才まで生きたという。どんな人生だったのだろう。
世紀末の青春時代、20世紀の二つの戦争、ユダヤ人であったこと、など、彼女のその後を想像してみる。

この絵のその後については、読売新聞5月8日の記事が伝えている。

~モデルのイレーヌ(1872~1963)は当時8歳で、パリに住むユダヤ人銀行家の長女。肖像画はしばらく一族の手元に置かれていたが、第2次世界大戦で、ナチスによるユダヤ人所蔵の美術品略奪が横行。この肖像画も1941年、ヒトラー側近のヘルマン・ゲーリングの手に渡った。イレーヌにとって、「幸福な時代の記憶そのものを奪い取られたような思いだったに違いない」。
 戦後、いったんは一族の元に返されたが、売却されて49年、ドイツ出身のE・G・ビューレーのもとへ。ビューレーは皮肉にも、ドイツ軍に兵器などを供与してユダヤ人迫害に関係した人物だった。現在も、そのコレクションとしてスイスで保管されている。~


この日は、結城昌子さんの「晴れた日にはルノワールに逢いに行こう」という講演会があった。
彼女の「ゴッホの絵本 うずまきぐるぐる 」や「ピカソの絵本 あっちむいてホイッ!」など、子供向けの楽しい美術の本は、「名画はあそんでくれる」というポリシーに溢れていて、美術鑑賞の極意を教えてくれる。

今回は、印象派画家としてのルノワールの木漏れ陽の話と、肖像画家としてのルノワールの3つの笑顔の話、そしてビューレー美術館の名画盗難事件の話を楽しく聴いた。
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3R

2010-05-09 | 散歩計
芦屋市立美術博物館で土日に開かれた春のアートフリーマーケット。
カンカン照りの美術館の庭に、こんな旗が立っていた。

        ~The Re-Create Works'の店と店長さん

リサイクル手芸のお店である。
ゴミになるはずのモノが、新しい命をもらって、キラキラ輝いて並んでいた。
陽気な店長さんから、3R検定の案内書をもらった。
3Rって、最近あまり聞かなくなったけど、確か循環型社会をめざすという標語だった。
Reduce(ゴミを減らす) Reuse(繰り返し使う) Recycle(再生利用する)の3R。
21世紀の目標だ。いや、常識にしなければならないと、この店先が伝えてる。

最初に目をひいたのは、アボカドポット。小さい食べきりサイズのヨーグルトの空き箱にアクリル絵の具で可愛い絵を描いている。その上に3本の爪楊枝を突き刺したアボカドの種。「こうして浮かしておかないと根腐れをおこす。水耕栽培もいいけど、根が出て育ってきたら鉢に植え替えて、観葉植物として楽しみましょう。アボカドは25Mの高さまで育つ大きな木なの」と、店長さんの話で、ヨーグルトの小さなケースからどんどん夢が広がっていく。いいなぁ、この店。

とても素敵なおうちの玄関の絵が描かれたペン立て。手に取るとペットボトルの胴体部分。
中にカットしたペットボトルの先が逆向きに入っている。こうしておくと、ペン達が広がってささり、倒れにくく取りやすくなるらしい。

端布で作ったバスケット。底が丁寧に編んであり、その厚さで卵入れに使える。フルーツや飲み物を入れて冷蔵庫で冷やし、そのまま持って出かけると保温ケースになる。

キラキラピンクやクリスタルブルーに輝く美しい葉巻のような物体は、鉛筆ホルダーだった。宣伝チラシの4分の一の大きさを鉛筆にくるくる巻いて作って着色したという。小さくなった鉛筆にこれをつけて最後まで使いきろう。

まだまだあるけど、どれも、自分で作りたくなる。 

圧巻は、チャックの付いた湿布の袋を改造して作った小物入れ。片面がしっかりしているので、保険証ケースになる。

        

これは、自分で作れないので、今回のお買いあげ。
中に真っ赤なチョコレートを入れて、母の日プレゼントにした。
薬局で渡された湿布が入った袋は、内側のコーティング部分がゴミ焼却炉を痛めるらしい。
春バージョン、夏バージョン、秋バージョンと細かくデザインされたパッチワーク。
どれも色遣いが素敵。
後でThe Re-Create Works'をPCで調べたら、店長さんは、過去に、クロワッサン「黄金の針」に入選しているパッチワークの大家だった。さすが…。小さなケース一つにも、手を抜かないで、売れる作品に仕上げている。530円也。

            

今年は初めての出店が多いような気がする。
昼間太陽で蓄電して、夜になると光るLEDを使用した「ソーラーホタル」が出ていた。
惜しいことに昼間なので、どんな光かわからない。
そういえば、そろそろホタルの季節。

あまりの暑さに、涼しい館内に逃れる。ここの吹き抜けの、広いエントランス空間の気持ちよいこと。
ス~と、別世界の空気を吸い込む。
館内では、「モダニズムの光華~芦屋カメラクラブ」の芸術的な白黒写真の展覧会と、色鮮やかな「ヒューズ・ロジャー・マシュー展」と、「江戸時代の調度~庄屋のくらし」という趣の異なる小さな展覧会が3つと、具体ギャラリーもあって、具体の主要メンバーの歴史的パフォーマンス映像がエンドレスで流されている。これら全部を300円で観ることができた。
年間スケジュール案内パンフを見ると、今年はこうした3種の展示形式が続くようである。
今回は「でこぼこ」がテーマの具体ギャラリー。次回の展示替えが楽しみ。
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博物館の庭

2010-05-04 | 散歩計
不安定な4月の天候の後、さすが5月、とやっと季節が変わったことを実感した五月晴れの京都。
博物館の庭では、「考える人」が、やっぱり何か考えていた。

          
~横から見ると、春の眠りに誘われて公園で居眠りしている人にも見える。



この庭には様々な時代の石造品が集まっている。
奈良時代の礎石、秀吉が鴨川にかけた五条大橋の橋脚、江戸時代の山城・丹波国境標示石柱…


 …古墳時代の家形石棺
             キツツキさんが石棺の上の木に留まって、季節のお仕事を始めた。

              …室町時代のちょっと可愛いお不動様

キリシタン墓碑のそばには、何か考えてる風の若いネコさんがいた。
「こんにちわ」って声かけたら、不機嫌そうに、ゆっくり向こうに歩いていってしまった。
ごめんなさい。考え事の邪魔したみたい。

             

ネコさんにとって、考える人像と、キリシタン墓碑と、不動明王像と、古墳時代の石棺と、私の座っているベンチは、同じ時の、同じ世界に、同じ価値で存在しているものなのだ。

…みんな石、ただの石なの…とネコさんのふりをしてみる。

時代を並列することで、今を感じることを、この博物館の庭の展示は意図しているのかもしれない。
1200年前から点り続ける灯りの中に存在する時間のようなものを、明るい5月の陽射しの中に感じた。

みんな一緒にここにいる。

         石語る今ここに今の我有りと

満員バスを避けて、博物館からJR京都駅まで、西陽をしっかり浴びながら歩いたら、とても疲れてしまった。
こんな時はクラフトショップでお買い物すると元気になる。
金メダルネコさんと、おさかなくんのマグカップ。

                     

…最近、自分の顔の形がこんな風になってきたなぁ、
 とカップのほっぺをなでながら珈琲を飲んでいる。
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霧の中

2010-05-03 | 持ち帰り展覧会
「油断」という言葉の意味を知ったのは、
高校1年生の一泊旅行で比叡山延暦寺会館に宿泊した翌朝の、根本中堂での早朝座禅の時だった。
眠くてぼーっとしている私達にお坊様が語った。

「ここにある不滅の法灯は、1200年前からずっとここで灯りをともし続けている。
1200年間、人間が毎日油を注ぐことで炎が消えることなく今日まで続いている。
まさに油断するとこの火は消えるのです。」
眼が覚める話だった。背筋を伸ばしたと思う。
でも、揺れる炎をみていると、1200年という時間が炎の中で繋がっているんだと、不思議な気持ちになって、またまたぼーっとしてしまったのだった。
記憶の中で、そんなぼーっとした高校生の私がいる寺は、無数の大きな樹木に囲まれ、霧につつまれている。

前日の夕方、比叡山に上って来る坂道で、バスの窓からライトに照らされて見えていたのは、大木の根元の連なりだった。樹木の上方は、霧の中にその姿を隠していた。
姿ははっきり見えないけど、無数の大木が確かにそこに在ることを、感じた。
静かな世界、どこまで続いているのか、境のない世界。
不思議な湿気と香りで包まれながら、私は静かに、樹木を体感していた。

昨日、京都国立博物館の「長谷川等伯展」に行って、この絵の前に立った時、何十年も前の霧の中にいる自分を思い出した。
     
        ~「松林図屏風」

私は、ひとりぼっちで、霧の中に迷い込んでいるような気がした。
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城は緑

2010-05-01 | ネコ日和
高校生の時、初めてのデートは徳島の城のない城山跡だった。
道端にたんぽぽがたくさん咲いていた。「白馬」でお好み焼きを食べた。
甘い金時豆が入ったお好み焼きは徳島にしかないことを県外に出てから知った。
明石はいいなぁ。お城のデートコースには、必ず美味しい明石焼きが付いてくる。

明石市立文化博物館で、「ピカソの版画展」を見た後、新緑の明石公園を歩いた。
一昨年の春には石垣の主に出会ったけれど、今年は城を我が家にしているネコさんに会った。
 
   
           

城はどんなに大きくても広くても、歩かざるをえない空間である。日本でもヨーロッパでも。
権力の遺構である城や庭園の一般開放こそ民主化の象徴。

天守閣はなくても、お城の構造の醍醐味のような所にふと出会ったりする。

     
       

このモコモコグリーンの地域は、いつも明石市立文化博物館からの帰りに上から見るだけの桜堀辺り
…今日は下りてみよう。

菖蒲池や東屋もある。堀に木々の若葉が映っている。それにしてもなんて緑の種類が多いのだろう。
この季節はきっと一週間前に生まれた葉っぱと、今朝生えてきた葉っぱの色が違うんだわ。

      

 ~ネコさんはこの辺りに住んでいる。 

お城の持つゆとり空間では、ネコさんも犬さんも人もゆっくり歩く。



石垣を上っている子供達もいたりする。
突撃隊長は女の子だった。
あの子は大きくなったら、火星に行くかもしれない。
子ども達をそんな眼で見ていると楽しい。     

       ルール決め石垣上る春の午後お城空間宇宙の広さ

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