星降るベランダ

めざせ、アルプスの空気、体内ツェルマット
クロネコチャンは月に~夜空には人の運命の数だけ星がまたたいている

詩のボクシング

2006-12-30 | 私の星々
NHKの番組には、受信料を払ってて良かったと思うものが、時々、いやたまにある。
昨夜BSで観た「詩のボクシング」みたいに。

三人の女性…こんな人達がいると知っただけでも嬉しくなる。

「まあちゃん」
  …長野県代表、4人の子供のママ。子供達と枯れ葉に戯れ、山の坂道を駆け下りる子供の後ろ姿をなんて美しいんだと感じる彼女。開口一番の「くそばばぁ!」には驚いた。

「マハット・ラりット・マヤさん」
  …外国人枠代表。奈良県に住むネパール人、双子のママ。1回戦の「紛争のネパール、平和な日本。多摩川のアザラシに住民票はあるけど私にはない」、2回戦の「ハイですませる電話の会話で日本語の勉強はできない」3回戦の「日本語を話したかっただけなのに…」いずれもちゃんと関西人のオチがついてる。人を笑わせながら、希望を語り、伝えることができる人だ。

「木村恵美さん」
  …香川県代表。2人の子のママ。2回戦の「黄色いヌルヌルしたものが…」は素晴らしかった。これで、私は優勝を確信した。「言葉は水のように流れるもの、美味しい水を今日はありがとうございました」という優勝者の彼女の言葉で番組は終わった。

言葉が単なる伝達の記号ではなくなり、心に届く「詩」になったとき、
人を変える力を持つ。人を支える力を持つ。
心に届いたら、もうその詩人のものではなくなり、
届いた人の心に住み着いて、その人の次なる感性や行動の選択を左右するものになる。
そして詩はときに韻をふみ、素適な歌♪になる。

かつて「叫ぶ詩人の会」を結成して活動していたドリアン助川というロッカー詩人がいた。

彼の詩が、心に住み着いたことで、生き直した10代の若者を、私は知っている。
SMAPの「世界でたった一つの花」が出る6年前に、彼はこんな詩を、叫んでいた。

♪世界で一番長いコンブが 暗い海の底で揺れている
 ゆらゆらゆらとのんきに揺れている
 長いことすら知らないで 世界一だと知らないで
 
 世界で一番強いゴリラが 森の木陰でイモをかじっている
 背中かいたり頭かいたり夢見たり
 強いことすら知らないで 世界一だと知らないで
    
 世界で一番黒いカラスが 公園のゴミ箱の上を飛んだ
 どこかにおいしい物はおちてないかな
 黒い翼は知らないで 世界一だと知らないで
 
 世界で一番大きなクジラが 老衰を迎えおぼれて死んだ
 潮を吹き吹きあぶくを吐いて 大きい体を沈めて死んだ
 世界一だと知らないで 世界一だと知らないで

 誰もが世界一のはずで 誰もがそれを知らない
 誰もが世界一のはずで 誰もがそれを知らない
 
 世界で一番鮮やかな花が ヒマラヤの谷間に咲いていたよ
 でも誰も見つけてあげれなかったから 花はそのまま静かに散っていったよ
 世界一だと知らないで 

 世界で一番黄色い蝶々が サナギを割って飛び出した
 雨や風が邪魔をするけれど 高い空に向かって飛び出した
 世界一だと知らないで 世界一だと知らないで

 世界で一番種を付けるヒマワリが 腐葉土の中から双葉を出した
 ヒマワリに言葉はないけれど 土に埋もれた根っこはしぶとく生きる
 世界一だと知らないで

 世界で一番やさしい人が 恋した人に昨日ふられました
 あふれる涙はあふれ続けて やさしいことすら気がつかないで
 世界一だと知らないで 世界一だと知らないで

 世界で一番人に希望を与える男が 失意のどん底で死ぬことばかり考えている
 今のところ希望の文字はないけれど それでも死ぬまで生きていこうと思う
 世界一だと知らないで 世界一だと知らないで

 誰もが世界一のはずで 誰もがそれを知らない
 誰もが世界一のはずで 誰もがそれを知らない
 世界一とはそんなものさ だけどすべてが生きて輝いて 
 誰もが世界一のはずで 誰もがそれを知らない
 世界一とはそんなものさ だけどすべてが生きて輝いて 

 花は花として一番鮮やかになる
 鳥は鳥として一番空を飛べる
 人は人として一番人を恋する
 誰も気付かない 誰も気付かない
 静かに生まれ静かに朽ち果てていく 静かに生まれ静かに朽ち果てていく
 そして生まれる そして生まれる
 世界で一番 世界で一番 世界で一番 世界で一番♪
      ~「世界で一番」はアルバム「青」に収録

このロッカー詩人は、今は明川哲也として、新聞で若者の人生相談をしている。
「ボクら人間の正体は、肉をまとった想像力です。…寂しい時は、時を飛び越えてしまいましょう。想像力でみんなが生き返ります。…星の王子様が砂漠でまっていますよ。」(12月29日朝日新聞朝刊)

私は彼がとても好きだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「上海バンスキング」

2006-12-30 | 劇空間
田舎の押し入れを整理してたら、ニッパー君が出てきた。
40年位前、実家でステレオ(当時オーディオプレイヤーなんて言葉は使ってなかった)を買った時ついてきたらしい。世界で一番有名なフォックス・テリアだ。

最近買い換えたCDプレーヤーの上に、骨董品の彼が実によく似合ってるではないの。(ビクターじゃないけど)

今我が家のニッパー君が聴き入ってるのは、亡きご主人の声じゃなくて
吉田日出子さんが歌う♪「リンゴの木の下で」

1984年のクリスマスの日、神戸文化大ホールで観た
オンシアター自由劇場のミュージカル「上海バンスキング」のCDである。

あれは、素適なクリスマスの夜だった。
舞台では、串田和美さん、小日向文世さんらジャズメンが楽しく楽器を吹いて、
若かりし吉田日出子さんや、余貴美子さんが、歌い踊った、
第二次世界大戦前夜の上海を舞台にした、切ない物語だった。

上演が終わり、胸熱くして、ホールから出てきたら
ロビーで、舞台からおりたばかりの出演者一同が、
テーマソングの♪「ウエルカム上海」を演奏しながら
私達お客さんを送ってくれた。
そのサックスの音が22年後の今でも耳に残ってる。

今年は「のだめカンタービレ」のクリスマスだったけど、
千秋君のベートーヴェン第7番、ずっとこれからも、覚えているかなぁ。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

のだめのクリスマス

2006-12-26 | NO SMOKING


千秋先輩、ブラボー!!
こんなにクラシックを聴いた12月は、初めてである。

思えば、今年は、初めてのことが多い。
(クロネコチャンに報告しなきゃ)=(千秋先輩、神様がよんでるから行かなきゃ)が重なる

まず、初めて無職となり、専業主婦で、扶養家族になった。
(HUYOUって漢字転換すると、まず不要って出てくるのが気にいらないわ)

セーヌ河畔を散歩した。(20代でパリに行ってたら、人生変わっただろうって思う)

アルプスの空気を吸って、セントバーナード犬の頭をなでた。(たとえ涎ダーダーでも、働く犬は愛しい)

お隣の国にも行って、ヨンジェの腕時計を買った。(薄くてまずいコーヒーのせいだろうか、この後韓国ドラマへの関心が急激に低下)

初めてクロールで50M泳げるようになった。(水泳では決して痩せないことがわかった)

家計簿なるものをつけ始めた。(今のところ、不明金多く、何の役にもたっていない)

持病が確定した。(これからず~とのおつきあい、おてやわらかに願います)

ボランティアを始めた。(新しい素適なお友達ができた)

そして今日、梅梅の出産が嬉しくて、思わず、自分でスポンジを焼くケーキを作った。時期的にクリスマスケーキになった。(傾いててクリームがたれ落ちそうだけど、なにぶん、初めてなので、こんなものでしょう。クロネコチャンにつくってあげたかったな)



(おっと、忘れるとこだった)このブログを始めた。
(毎日更新してる人はエライ!
 私も、同じ一日はないことを、自覚するための作業として、続けたいと思う)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

梅梅にカンパーイ!

2006-12-24 | 私の星々
今日はクリスマス・イヴ。
パンダにカンパーイ!小林選手にカンパーイ!ディープにカンパーイ!

白浜のアドベンチャーワールドの、梅梅(メイメイ)が、またまた双子の赤ちゃんパンダを出産した。
すごい!すごいよ!梅梅!
これでパンダ・ファミリーはお父さんの永明(エイメイ)、お母さんの梅梅(メイメイ)、お姉ちゃんの良浜(ラウヒン)、双子の男の子隆浜(リュウヒン)、秋浜(シュウヒン)、末っ子の幸浜(コウヒン)に赤ちゃん2頭の8頭になった。中国に養子にいった雄浜(ユウヒン)を入れたら、梅梅は5回目の出産、しかも世界で冬季出産した飼育パンダは梅梅母さんだけ。
しかもしかも自然交配、ということは永明父さんもエライのだ。1年に1度のチャンスをのがさない。梅梅の思いをしっかり受け止めて頑張るダーリンなのだ。
昨年の秋、開園前にやっているバックヤードツアーに参加した時、間近で見た永明父さんは、思ったよりずっときつい目をしたたくましい雄パンダだった。

今日は、いい日だわ。
午前中行われた全国高校女子駅伝では、1区23位の須磨学園高校が、2区の小林選手で20人抜きして3位、3区、4区で1位にたって優勝という、劇的な素晴らしい駅伝レースを展開した。おめでとう!

午後は、ディープインパクトの有馬記念での、見事な引退レース。飛ぶ馬、天翔る馬を人が想像したのは、こんな馬を見た時だったんだろうなぁ。武さんもオグリキャップ以来の有馬記念優勝。あの時は、「ドォー」という10万人の声がTV画面から聞こえて伝わってきた。今回は私の中であの時ほどの興奮はなかったけど、午前中の小林選手の走りと重なって、身体全体が軽くなった気分。

パンダ・ファミリー、バンザーイ! Merry Christmas!
とにかく、元気に育ってね。
…来年もゴールデンウィークは、白浜温泉行き決定!
うーん、その前に名前を考えなくちゃ…○浜、○浜…。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

前方後円墳に立つ

2006-12-18 | 劇空間
20年前の春、岡山の吉備路を楽しくサイクリング旅行した。
その旅行から帰った2日めの朝コーヒーを入れながらクシャミをした、
次の瞬間、生まれて初めて「魔女の一撃」=ぎっくり腰を経験。
その後の苦痛の日々とともに、私にとっては忘れられない旅である。
世の中楽しいことばかり続くわけではない、という教訓をかみしめた。

日本史の教科書には畿内の古墳しか載っていないが、
日本各地に前方後円墳はある。
宮内庁管轄立ち入り禁止、まるでその秘密を明かせば日本の歴史解釈が変わってしまうことを恐れているのではないかと思わせる大仙陵古墳などと違い、自由に散策できる古墳が吉備路にはある。大きさで全国4番目の造山古墳、9番目の作山古墳、こうもり塚…

田畑の間に、盛り上がった森、それが古墳だった。堀もない。
何の制約もなく自由にその上に登れた。中を覗けた。今はどうか知らないが。

前方後円墳…鍵穴のような変な形である。
なぜ、こんな形をしているのか?
円形部が石棺のある石室である。では方形部分は何の為のものか?不思議だった。

中沢新一さんの著作「三位一体モデル」(HOBONICHI BOOKS)を読んでいたら、前方後円墳=舞台説、が紹介されていた。

♪民俗学者の折口信夫先生によると、天皇とは血統や家柄だけによって持続するものではない、「天皇霊」によって持続するという。大嘗祭(天皇の即位式)では、天皇は胎児のように真床平衾(まどこおふすま)というふとんで覆われた密封空間に入る。そこに、前の天皇の霊がやってきて、新しい天皇の身体にのりうつることで、新天皇が誕生する。その後「みあれ」の儀式が行われる。(「みあれ」というのは「あらわれる」という意味。)人々の前で、天皇霊を身につけた新天皇が出現したことを宣言する儀式である。

前方後円墳は、奥の円形の墳墓に続き、前に大きな方形の舞台がついた構造をしている。ということは、円墳の中に真床平衾を持ち込んで、天皇霊を、先帝の遺体から移し終えた後、新天皇として初めて人々の前に登場する「みあれ」の舞台として前方の方形部がつかわれたのだ。♪といった内容。

思えば、儀式のあるところ、宗教的なものであれ、政治的なものであれ、冠婚葬祭、入卒式であれ、そこは日常とは違う劇空間である。
作・演出・演技者・裏方、そして名もなき見物人(聴衆)、すべて必要とされる。

20年前私は、古代のおおきみが立った同じ場所にたっていたのかもしれない。
あの時、草木の生い茂る丘の上に立って、周辺ののどかにけぶる春の農村風景を見まわしてると、今と古代の中間点に自分がいるような気がした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

MAOちゃん

2006-12-13 | ネコ日和
お友達のうちの一人娘、MAOちゃんは、クロネコチャンと違って、
曾おじいちゃん、曾おばあちゃんの名前だってわかってる。
でもMAOちゃんはそんなこと知らない。
クロネコチャンのように、お転婆でわがままな美人ネコだ。
胸に抱くと、本当は嫌なんだけど、仕方ないなぁ、って最初はそんな感じ。
でも、喉をこちょこちょしてる間に、まぁいいかー、って、こんな顔になる。

21年間クロネコチャンと生活を共にした私が、生まれて3ヶ月の彼女と初めて会ったとき、クシャミと鼻水が止まらなかった。
アメリカンショートヘヤーアレルギーかもしれないと、心底落ち込んだ。

でも今日は大丈夫だった。よかったー。
避妊手術も無事済んで9ヶ月になったMAOちゃんは、
あっという間にエアコンの上に駆け上った。
そのうち、4回転ジャンプ、トリプルアクセルなんて、できるようになるかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

童美展

2006-12-13 | 持ち帰り展覧会
芦屋市立美術博物館で就学前の子供達の描いた絵や、立体作品の展覧会があった。
「童美展」~全国公募展らしい。

豊かな色彩に圧倒される。
この中に未来の大画家が絶対いるに違いない。
人は皆、絵を描く才能を持って生まれるんだ。
自分が感じた存在を、自分の好きな色で表現している。
中にははみ出る表現に紙を継ぎ足してる絵もある。
題名を読んで初めて「そうかぁ、ペンギンなんだぁ」ってわかる。
「これはな~に?」と自分の想像力を喚起しながら、見ていったら、2時間くらい
あっというまに経ってしまった。

ものの輪郭がはっきりしていて、何を描いているのか、誰にもわかる絵は5歳以上である。でもきっとこの頃から「絵が上手ねぇ」なんていうのが、別れるんだろうなぁ。そして、自分は絵を描くのは苦手だと感じる子供も出てきて、自分の才能を封印してしまうんだ。

私にも色彩に敏感だった時期があった記憶がある。
カラーTVにも、名画にも出会っていない頃である。
キャンディを食べるたび、カラフルな包装紙を見つめてはジーンとしていた。
田舎の洋品店の包装紙のピンクに黒い線で描かれた外国の街並スケッチを飽きることなく見ていた。ブルーのチェックに小さな赤い薔薇が刺繍された服は毎日着ていたかった。
木漏れ日のキラキラが不思議でしようがなかった。

館内で、子供達のほとばしる、自由な表現力に感動して、素直な気持ちになったのだろう。
今まで何度もこの美術館で見たことのある、踊り場にある、デヴィッド・ナッシュの「内側/外側」という立体像の素晴らしさに、今回あらためて気がついた。
一本の樺の木をくり抜いた木製彫刻。
私にはすっくと立ったアダムとイヴに見える。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オルセーの猫

2006-12-04 | 持ち帰り展覧会
この間まで金色の世界をつくってた銀杏の木の葉が街に舞う、風の強い日曜日、神戸市立美術館の「オルセー美術館展」に行ってきた。

今回のお持ち帰りは、何といってもルノアールの「ジュリー・マネ」
耳ぴゅんの子猫が少女に抱かれてる。
その安心しきった幸せそうな表情の可愛いこと。
少女は今回の展覧会のポスターになってるマネの「すみれのブーケをつけたベルト・モリゾ」の娘である。美しく聡明そうな母娘である。

ルノアールといえば、豊満な女性裸像のイメージが強かった。
30代の頃、だんだんルノアールの描く女性達のような体型に近づいてくるなぁと、不遜なことを思っていた。
今回は彼女達は神戸に来ていない。
そのかわり、男性の肖像画が二つ、それを見てると、ルノアールが豊満な女性だけでなく、周りの人達を愛していたこと、人生を肯定していたことがわかる。

ドガの人物デッサン2枚に魅せられた。触れたくなるようなまぶた。
鉛筆(みたいなもの)1本で、どうしてこんな表現ができるんだろう。

ミレーの「グレヴィルの教会」、大きな田舎の教会の隅っこを歩く小さな農夫、ミレーの絵を見るたびに、あぁ、人間は何かに感謝しながらこうして慎ましく生きていくべきだと、思う。

ゴッホの「アルルの寝室」には、やはり猫はいなかった。(「名画に忍び込んだネコ」にこの絵が出てくる)。壁の水色、緑の窓枠、黄色いベッド、何だか自分の部屋のような気がしてくる。

印象派の水色は素晴らしい。空。海。光が眩しい。

神戸の街は、まさに木枯らしの吹く季節。
帰りに寄った大丸のカフェテラス「カフェラ」には、ガス灯のようなストーブが赤く燃えていた。
渡されたチェックの膝掛けをかけて、顔は冷たい風に凍えながら、カプチーノを飲んだ。カップの表面に描かれたハートマークを、できるだけ壊さないように気をつけながら。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エモリカのお・ふ・ろ♪

2006-12-02 | NO SMOKING
阪神大震災の後、やっとガスが復旧して、3ヶ月ぶりに、我が家の風呂に入った時の幸福感を忘れることができない。

あの時、「裸で風呂に入る」ためには、いろんな幸運が必要なんだと思った。

まず、水とガス(燃料)というライフラインの確保、これはその社会がある程度豊かで、ストなどなく正常に動いているという幸運である。

次に、敵のいない、安全が確保されてると思われる時間と空間に自分がいる幸運。戦火のイラクで素っ裸で風呂に入って「あ~、いい湯だな」なんて無理である。余震が続いた1週間、私はたとえ燃料があってもいつ揺れるかわからない場所では、裸で飛び出す自分を想像して、お風呂に入る気にはなれなかった。(震災の年、真夏になるまで私はいつでも逃げれるように、飛び出してガラスを踏んだときに怪我しないように、靴下をはいて寝ていた)

そう、「裸で風呂に入れるというのは、平和で安全な豊かな社会に住んでいる幸運に恵まれているからできることなんだ。」と我が家の湯船で手足を伸ばしながら、何かにむかって感謝した。

そして、今日、検査入院していた病院から退院して、1週間ぶりにエモリカを入れた我が家のお風呂に入り、「幸せデス(デスのところは、のだめ風)」なんてつぶやいた私は、あの震災後の初めての入浴を思い出しながら、「風呂に入れる」ための幸運には、もう一つあることに気がついた。それは、現在の自分が風呂に入れるほどの健康な身体であるということ。

病院の入院患者は、自力でシャワー、にたどり着くだけでも、ワンランク自分が回復に向かったことを実感する。そして、退院して我が家のお風呂に入ることで、、(錯覚かもしれないとわかっていても)もう病人じゃなくなったと感じる。

検査入院にすぎないけれど、よくがんばったねって、自分の身体に呼びかけた。
明日も明後日も、我が家のお風呂に入りたい。
「エモリカの、お・ふ・ろ♪」って歌いながら、溺れそうになるまで、つかるんだ。

♪入院中に「のだめカンタービレ」を読んだ。
写真は、千秋くんからもらったお見舞いの、メモスタンド。(嘘です。兵庫県立芸術文化センターの売店で買いました。陶製。薔薇のところに入れるペンを探そうっと。)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする