星降るベランダ

めざせ、アルプスの空気、体内ツェルマット
クロネコチャンは月に~夜空には人の運命の数だけ星がまたたいている

Pちゃんの命

2008-11-04 | NO SMOKING
日本には菜食主義者って何人ぐらいいるのだろう。少なくても私の人生では、直接にはまだ一人しか接したことがない。塩分も砂糖もできるだけ摂らないその人は、この世で一番甘くて美味しいものは、茹でたニンジンだと私に教えてくれた。その時から私にとっても、ニンジンは、いつか最後の砦となるような、特別に大切な食べ物になった。お馬さんが大好きな理由がわかったような気がした。

シネリーブルで、「ブタがいた教室」(監督:前田哲)を観た。

                    

ある日、6年2組担任の星先生(妻夫木聡)は、子ども達に笑顔で言った。
「自分たちでブタを育てて大きくなったら食べよう」と。先生が抱いた子ブタはとても可愛い。
     
6年2組の26人は、校庭に小屋をつくり、ブタにはPちゃんと名付けた。エサと凄い匂いの糞の世話をした。Pちゃんの絵を描いた。Pちゃんとサッカーをした。夏休みには、好物のトマトを持ってきた。冬が近づくとPちゃんのマフラーを編んだ。
…そうして、Pちゃんは大きくなった。やがて近づく卒業、別れの時。

            

Pちゃんをどうするか?食べる?食べない?
それは、食肉センターに送るか、生かせる方法を探すか?の選択だった。

この子ども達の、真剣な、話し合いの場面が、本当に感動的だった。
役者である子ども達には、結末のない台本が渡されていて、
自分たちで、本当のディベートを行っている。

星先生は自分の意見を言わない。
あくまで子ども達に考えて話し合って決めることを要求する。
先生も、子供も辛い時間だ。
でも、考えなければ、自分たちで決めなければ。
自分たちで、ブタを育てた責任をとらなければ、という気持ちが溢れた場面だった。
この映画の成否を決する一回限りの迫力シーン、になっていた。

子ども達は一生懸命「食べない」理由を、「食べる」理由を、考えて、言葉にする。その場の話し合いの流れの中で、沸き上がる涙や、ふと漏らす一言。
「農家の人だって平気じゃないと思う」「食べるのと殺すのは違う」

…こういう場合、もし大人26人なら、もっと意見が出るだろうか。
いや、「もう、最初から決まっていたことなんだから」とか、「しょうがないんじゃない」とか、自分で決めるという責任を回避する人がきっと出るような気がする。
映画では子ども達も先生も逃げなかった。

私はどうか。
観た後のアンケートで、私は「食べない」に投票した。
Pちゃんと名付けた時点で、あのブタさんは、食べる対象ではなくなってしまったのだ。

でも、私はずっと今まで、Pちゃん達を食べて生きてきた。
自分の身体の一部は他の生き物の命でできている。
正直に言うと、私は鶏の皮・骨の付いているものが、調理できない。
鶏は想像できるからだ。首の骨を砕いて羽根をむしる作業を。
ブタや牛はどうか。肉片から、食肉センターの中を想像することに、ブレーキかけている。トレーの中には生きていた証しの血が滴っているのに。
勝手なのだ。自分が生きていくために、かつて生きていたものを食べているのに。
自分が殺したのではない、誰かが殺してくれたから、平気で食べている。
それらが当然食べるものとして、目の前にあるから、食べることができる。

せめて、他の生き物の命と自分が繋がっていることを、
そして、誰かのおかげで、自ら手を下さずに、食べ物を手にしていることを、
忘れないように、残さず食べよう。
そして、今や低タンパクのドクター指示が出てるので、できるだけ、野菜中心の食生活に変えていこう。

女の子が先生に聞いた。「命の長さを誰が決めるの?」
…普段は忘れ、ずっと心のどこかに持ち続けて、
 答がないのはわかっているけど、切実な時に思い出す問。
  
          
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