この夏、市立伊丹ミュージアムの「ヨシタケシンスケ」展に行けなかった。
完全予約制で、8月初旬会期半ばで予約は埋まってしまって行けなかった、と伝える友人の絵葉書は、
よく見れば、展覧会チラシから作ったお手製のコラージュだった。
展覧会に行けなかった悔しさが生んだ作品。

歩いている彼らは、絵本の中で見たことがある。時計まわりに
①『このあとどうしよう』のおじいちゃん、
②『それしかないわけないでしょう』の元気な妹、
③『おしっこちょっぴりもれたろう』の男の子
④『りゆうがあります』の男の子
⑤『もうぬげない』の男の子
⑥『なつみはなんにでもなれる』のなつみちゃん
⑦『あるかしら書店』の店長さん
⑧『わたしのわごむはわたさない』の女の子
葉書の表には⑨『あきらがあけてあげるから』のあきらくん もいる。
この絵葉書の世界では、なつみちゃんは、『りゆうがあります』の男の子と視線が合ってる。
(目は小さな点だけど)もしかしたら、互いの運命の人と出会ったのかもしれない。
私が初めて読んだヨシタケシンスケ作品『りんごかもしれない』では
「…かもしれない」が46回出てくる。
その中に、つい長いこと見てしまうページがある。
「ぼくの こと すきなのかもしれない。」
ドアの外の傾いた一個のりんごと視線を交わしているような絶妙な距離感。
読んでしばらくは、「…かもしれない」が口癖になった。
最近読んだ『つまんないつまんない』の中に
「せかいいち つまらない ゆうえんちって、どんなところだろう。」
のページがある。
昔、同僚と寒い風の吹く帰り道、「あたたかいもの」を交互に言い合いながら帰ったことを思いだした。その日2人が一致して一番あたたかいとしたのは「キムチ鍋」だった。当時2人ともキムチ鍋を食べたことはなかったけど。
「おじいちゃんは むかしあったつまんないことを はなすとき、ちょっとたのしそうだった。
つまんないことって、じかんが たつと おもしろく なるのかな。」
…そうなのかもしれない。
…この絵葉書が伝える世界感…
世界は、ひとりひとり自分の時間を生きている人間が、いっしょに存在している。
いつかどこかで、わたしはあなたと出会うかもしれない。
それは、とても面白いことなのかもしれない。
完全予約制で、8月初旬会期半ばで予約は埋まってしまって行けなかった、と伝える友人の絵葉書は、
よく見れば、展覧会チラシから作ったお手製のコラージュだった。
展覧会に行けなかった悔しさが生んだ作品。

歩いている彼らは、絵本の中で見たことがある。時計まわりに
①『このあとどうしよう』のおじいちゃん、
②『それしかないわけないでしょう』の元気な妹、
③『おしっこちょっぴりもれたろう』の男の子
④『りゆうがあります』の男の子
⑤『もうぬげない』の男の子
⑥『なつみはなんにでもなれる』のなつみちゃん
⑦『あるかしら書店』の店長さん
⑧『わたしのわごむはわたさない』の女の子
葉書の表には⑨『あきらがあけてあげるから』のあきらくん もいる。
この絵葉書の世界では、なつみちゃんは、『りゆうがあります』の男の子と視線が合ってる。
(目は小さな点だけど)もしかしたら、互いの運命の人と出会ったのかもしれない。
私が初めて読んだヨシタケシンスケ作品『りんごかもしれない』では
「…かもしれない」が46回出てくる。
その中に、つい長いこと見てしまうページがある。
「ぼくの こと すきなのかもしれない。」
ドアの外の傾いた一個のりんごと視線を交わしているような絶妙な距離感。
読んでしばらくは、「…かもしれない」が口癖になった。
最近読んだ『つまんないつまんない』の中に
「せかいいち つまらない ゆうえんちって、どんなところだろう。」
のページがある。
昔、同僚と寒い風の吹く帰り道、「あたたかいもの」を交互に言い合いながら帰ったことを思いだした。その日2人が一致して一番あたたかいとしたのは「キムチ鍋」だった。当時2人ともキムチ鍋を食べたことはなかったけど。
「おじいちゃんは むかしあったつまんないことを はなすとき、ちょっとたのしそうだった。
つまんないことって、じかんが たつと おもしろく なるのかな。」
…そうなのかもしれない。
…この絵葉書が伝える世界感…
世界は、ひとりひとり自分の時間を生きている人間が、いっしょに存在している。
いつかどこかで、わたしはあなたと出会うかもしれない。
それは、とても面白いことなのかもしれない。