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免許取消の回避&軽減、つまり免許停止にしたり処分無しにすることに関しては日本一を標榜しています。

昨日の続き、冤罪について

2012年03月18日 | 雑談
昨日のブログに
糞虫はさっさと処分すべきみたいなことを書いたら
いろんなことに熱心な人というか

まぁそういう人からご指摘があった

主張されていることは概ね
『冤罪で死刑になることについてはどうお考えか!』
ということだ。

僕の考えとしては
死刑の是非と冤罪は全く別の次元の話で
そもそも同一に論じるところではない

・・・と言ってしまうと終わってしまうのでもう少し話を膨らまそう。

死刑の是非という問題は制度として妥当かどうかという話だ
それに対して冤罪の弊害というのは捜査機関の証拠集能力の問題だ

僕自身何度も理不尽な取り調べも受けたことはあるし
冤罪が生まれる構図も少なからず理解している。

でも
それを踏まえたうえで
冤罪は仕方ないと思います。

それは警察機関を弁護しているわけではなく
結果として間違っているなら責任を問われなければならないが
社会の害虫を再び町に放つリスクや社会の不安感に対してどれだけ衡量すべきかということです。

法律で例えるから分かりにくくなるので
交通事故ならどうでしょう?

キチガイの運転する車に跳ねられて亡くなられる方もいます。
人殺しの道具に車を使う人もいます
交通事故を装った保険金詐欺師など掃いて捨てるほどです。

車自体がなくなれば
そういう事件も無くなるでしょう
あるいは交通事故も無くなるでしょう。

ですが
キチガイや明確な殺意を持ったクサレ外道にとって
人殺しの道具なんてなんだっていいんです。
詐欺師なら車がなければ他の手段を考えます。

そして、
冤罪を作るような警察官なら
取調室で容疑者殺すことくらいやりかねませんよ

仮定のリスクを検討しても意味が無く
今現在実際に存在する糞虫をどうするか?
社会の危険をなくすためには
駆除するしかないのですよ。

あるものが危険だからといって排除したところで
潜在的な危険は物体ではなく人間の方にあるわけです

冤罪は問題ではありますが
どんな制度になっても形を変えて蠢きます。

ならば
少なくとも外道に鉄槌を与える機会だけでも保持しておかなければ
それは社会正義の実現に程遠いものと言わざるを得ないのではないでしょうか?


『それでも死刑は反対だ』という人がいたら
何回も言ってますが
『自分の大切な人が、レイプされて、殺されて、またレイプされて、食べられて
食べ残しをその辺にばらまかれて、その一部始終をネットにアップされても、それでも許せる』っていうんなら
ぶん殴りそうなので僕の前には来ないでください。

『自分で殺すから死刑に反対なんだ』と言うなら
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