後年読んだジェームズ・マシュー・バリの伝記の話です。
ちなみにその伝記の初版は比較的最近の2005年、
つまりテレビの放送時期より後の研究結果に基づいていると思われますし、
バリの伝記というのも本人の手記やエッセイのようなものはとりあえず日本語版では見つからず、
ピーターパン以外の著作も日本語版はありませんでした・・・
ですのであくまでも研究者が書いた物になるんですが、
研究結果だからこそ新しい方が検証を重ねた情報なのではないかと思います。
ここではお母さんは悲しみに暮れているのは同じですが
別に精神的に壊れているほどではありません。
そしてお母さんの部屋に入る時のエピソードは
部屋から出てこないお母さんが恋しくて
部屋の前で泣いているバリに、少し年の離れた姉ジェーンが
まだ自分がいるんだっていうことを伝えるように促して、意を決して部屋に入ります。
その時お母さんの言葉は「お前かい?」と
デービッドが戻って来たのかと尋ねました。
そこでジェームズは「ちがうよデービッド兄さんじゃないよ、ここにいる僕だよ」と
あくまでも自分自身を見てもらう事を訴えます。
お母さんはジェイミーにそんな思いをさせた事を悔やみ
【ジェイミーの名前を呼んで】強く抱きしめてくれました。
そしてこの後も少し違って
それでもお母さんの心にいるデービッドのことを、忘れさせるのではなく思い出として大切にしていくために
ジェイミーはあえてデービッドを演じるようにします。
それは決して自分の心を殺して壊れたお母さんの言うなりに演じる人形ではなく、
ジェームズが自分で考え、兄を演じることでお母さんの悲しみをいやして
笑ってもらいたくてやっている前向きな行為です。
そうして誰かのために何かを演じるという行為を通じて
ジェイミーは演劇に興味を持ち、後の作品作りにつながっていきます。
ですので
この体験が創作のきっかけというのも
あながち間違いではありませんし、センスを磨いたという意味では大切な時期だったんではないかと思います。
ただし、
直接的にジェイミーに自分でお話しを書いてみることを勧めたのも他ならないお母さんです(笑)
本の虫で、いろんな昔話などにも興味を持っていたジェイミーが、
家事の最中にも常にお話しをせがんでくるのに困ってしまい、自分で書いてみるように促したそうです。
そして成人してからも母子の仲睦まじい時間は続き、
売れっ子作家となったジェイミーは毎回のように作品にお母さんを登場させます。
姿形は変えていますが、ちゃんと読めば分かるという感じの2人だけの遊びです。
そして亡くなる直前には今でいう認知症も進行しているのか記憶も曖昧になりながらも、
ジェームズが自分にしてくれたこと、作品の中に登場させ、それらの作品は母のためだと言ってくれたことを喜び
亡くなったデービッドのことも同じように大切な息子として忘れることは無かったと残して76歳で息を引き取りました。
さて、
少し本筋からは脱線しましたが、
このエピソードからだとバリが愛情遮断性小人症だったかは多少疑問が残ります。
もちろんバリ自身の内心のことですし、体以外に影響が出ていたかもしれませんが、
とりあえずバリの身長は数字として残っているものでは152cmと、確かに小柄ですが
1800年代という時代を考えればそれほど非常識なほど小さいという程でもなく
当時の新聞記事などでも『160cmそこそこで体重55キロくらい』と表記されていたようですし、
晩年のお母さんと一緒の写真も残っていますが、並んで立っている状態でお母さんより頭半分くらい背が高いです。
また14歳当時の写真でも同級生たちと比べて多少小柄という程度ですので、病的に小さいとは思えません。
ただ自身の述懐として時折襲って来る数日続く片頭痛らしき症状や、
「私は笑顔を失くしてしまったのです」という話を講演会でも披露しているということは
なんらかの疾患はあったのかもしれませんが、その時には既に新聞社に寄稿したり劇作家として活躍していたので
生活に支障が出るほどの障害ではなかったと思います。
長くなりましたが
単に知る、知らないではなく
知ろうとする過程の中で得たものの方が何倍も大きい、というのを知る意味では大きな経験だったと思います。
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