『1Q84』 村上春樹

2013年05月10日 21時04分22秒 | 村上春樹
結局6冊まとめて紹介になりました。





「1Q84年―私はこの新しい世界をそのように呼ぶことにしよう。青豆はそう決めた。Qはquestion markのQだ。疑問を背負ったもの。彼女は歩きながら一人で肯いた。好もうが好むまいが、私は今この「1Q84年」に身を置いている。私の知っていた1984年はもうどこにも存在しない。…ヤナーチェックの『シンフォニエッタ』に導かれて、主人公・青豆と天吾の不思議な物語がはじまる。 」(第1冊目)(BOOKデータベースより)


結果としては恋愛ファンタジーなんでしょうか。
紹介しようと思うんですけど、1冊分のネタばれになりかねないのでほんとさわりだけ。

主人公は青豆と天吾。
青豆はスポーツクラブのインストラクターをやりながら、実は人を自然死と見せかけて殺すことができる。
ある日、青豆はある男を殺害するためにタクシーで首都高速を走っていたが、渋滞にはまり身動きが取れなくなる。
そこで青豆は高速上でタクシーを降り、非常階段で下まで降り、無事男を殺害することに成功する。

天吾は予備校で数学の講師をしながら小説を書いていた。
ただ、まだ出版されるような作品はない。
また、天吾は新人賞応募された作品を最初に読みふるい分ける仕事もしていたが、そこで「空気さなぎ」という作品にであう。
「空気さなぎ」を書いたのは17歳の不思議な少女「ふかえり」だった。
「空気さなぎ」は内容的にはよくできているものの、書き足りない部分が多いなど満足いく内容ではなかった。
それを天吾が書きなおし、出版することによって「空気さなぎ」はベストセラーになるのだった。

しかし、そのころから青豆と天吾のまわりでは不思議な出来事が起こり始める。
二人はどうなってしまうのか。


んー、これだけ書いておいて全然説明になってないよなー。
だれかネタばれにならない程度に要約してくださいw

★★★☆☆

next...「ボックス!」百田尚樹
天才的なボクシングセンス、だけどお調子者の鏑矢義平と、勉強は得意、だけど運動は苦手な木樽優紀。真逆な性格の幼なじみ二人が恵美寿高校ボクシング部に入部した。一年生ながら圧倒的な強さで勝ち続ける鏑矢の目標は「高校3年間で八冠を獲ること」。だが彼の前に高校ボクシング界最強の男、稲村が現れる。 (BOOKデータベースより)

『ノルウェイの森(下)』 村上春樹

2010年12月24日 23時15分53秒 | 村上春樹
雪、降らないですね。降ったらふったで困るんですけど笑



あらゆる物事を深刻に考えすぎないようにすること、あらゆる物事と自分の間にしかるべき距離を置くこと――。新しい僕の大学生活はこうして始まった。自殺した親友キズキ、その恋人の直子、同じ学部の緑。等身大の人物を登場させ、心の震えや感動、そして哀しみを淡々とせつないまでに描いた作品。(講談社文庫より引用)

結局この物語の意味は何なのか。まだわからないでいます。2回目なんだけどね。またそのうち読もうか。

自分が感じたことを書いていくとこうなります。

昔のことはわからないけど、自分自身がなぜ生きているのか。なぜこうも苦労しながら生きているのか。
はたまた、今自分はどこにいるのか。どこに向かっているのか。

わからないでいる。

なぜ生きているのか。

わからない

ただ、愛する人がいて、愛すべき人を失って、楽な愛に溺れそうになりながらも、何か使命に駆られながら愛すべき人を愛す。
愛すべき人を失って、自暴自棄になったり、放浪の旅に出たり、それでも忘れられない。
そして、自分を愛してくれる人に好意を持ってしまっている自分自身に苦しんでいる。
でも、それを乗り越えて、自分を愛してくれる人・自分が愛している人と結ばれようとする。
そういうところにしか、自分を感じることができないという、人生の辛さを感じる。

愛と死。セックスと病。

多くの対比を用いながら、生きづらい世の中を描いている作品なんじゃないかなあと。


わかんないんだけどね。
ただ感じたこと。

答えは書いてないから、自分の答えは自分で探してね。
ちなみに、この本には解説もあとがきもありませんので・・・汗

『ノルウェイの森(上)』 村上春樹

2010年12月22日 23時16分53秒 | 村上春樹
以前書きましたけど、改めて話題になってるので読んでみました。



暗く重たい雨雲をくぐり抜け、飛行機がハンブルク空港に着陸すると、天井のスピーカーから小さな音でビートルズの『ノルウェイの森』が流れ出した。僕は1969年、もうすぐ二十歳になろうとする秋の出来事を思い出し、激しく混乱し、動揺していた。限りない喪失感と再生を描き新境地を拓いた長編小説。(講談社文庫より引用)


結局この話は、この一行に尽きるんじゃないかと思う。

「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。」(P.54)

この上巻では、キズキの死、ワタナベの大学生活、直子の変化等が書かれている。
でも正確には、「ワタナベの大学生活の中でのキズキの死の影響」とか、「キズキの死が直子に与えた影響」とも言えるかもしれない。
結局、キズキの死はワタナベの生活に大きな影響を与えているし、直子の精神にも大きな影響と与えている。
まだ、その意味を少ししか解読できていないと思うが、死が生の一部として確かに存在している。

ネタばれできないのが悲しいというか、気になる人はぜひ読んでいただきたい。
我々のような、特に若い世代にとって、自分の死というのはまったくもって想像が付いていない。
なぜ生きているのか。自分は何なのか。わからなく生きている。
それに悩んで死んでいく人もいるし、気にせず生きている人もいる。

何を書きたいのか分からなくなってきました。笑

また、下巻で会いましょう笑


『ノルウェイの森』 村上春樹

2009年12月03日 19時32分21秒 | 村上春樹
村上春樹『ノルウェイの森』をいまさらながらに読みました。



読めば読むほど、この話はどこに向かっているのか、何を表そうとしているのか、わからなくなる。
でも、読んでいくテンポはとどまることを知らないし、次は何が来るのか、はやくこの空虚感を満たしてくれ、そういう感情になっていく。




最後まで読んで、話の終わり方に何の意図があったのかわからなかった。

俺はそこに俺なりの結論を導きだした。

でもそれは答えであり答えじゃない。

答えは自分で見つければいい。


廻り廻ったところに答えがある。







自分の孤独感と、仲間の大切さ、そして仲間との関係の希薄さを感じたこの本でした。