葬儀屋日記 byノブアキ

つれづれなる葬儀屋さんの日記です

3月18日(火)のつぶやき

2014年03月19日 | ノンジャンル

葬儀は要らない論で、よく引き合いに出されるのは白洲次郎の「葬式無用、戒名無用」だとか中江兆民の「死んだらすぐに火葬場に送って荼毘にしろ」とかだが、あの時代は封建的伝統文化を打倒し、近代化を勧めるってのが世の中の先端の人の文化だったんだ。

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時代背景の説明もなしに、葬儀無用論を展開するのは、はなはだ卑怯だと思う。じゃあこっちも、その葬式無用論を3月11日につぶやけよ、1月17日につぶやけよと思うわけだ。人が死んだら、弔いをしたいと思うのは文化文明そのものだと思う。

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つかね、葬儀屋が金掛かるって葬儀屋のせいにするなら、ヤフオクで棺買って、公営斎場自分で予約して、レンタカー借りて出棺すればいいんだ。そうなんだけどね、実際やると、みんなが大変だから「葬儀屋」って仕事が成り立つ。

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例えば、批判の多い仏教葬での高額な布施の問題も。代わりに神道やらキリスト教が流行れば寄付額は20~30万ぐらいで収まると思う。そんだって、二日間宗教者をよんで、その時の対価みたいに考えれば。20~30万は妥当だと思う。しかも、その寄付だけでは墓地のとかもてない。

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伝承、伝統を否定するのは簡単だ。意味が無い、分からない、時代にあっていないと声をあげればいいだけだからだ。しかし、今まで連綿と伝承されて来たもの、時代の中でゆっくりと変化し磨かれて来たものの意味をどう生かすのか、代案はあるのかと問いたい。

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大体0葬だとか、葬式は要らないとか、墓も要らないといって、ひたすら簡単に、ひたすら金を掛けずにを追うんだったら、現状でも献体登録して遺骨の引き取りを拒否すればいい。そう遺言に書けばいいんだ、病院で亡くなって、自家用車で自分達で遺体を運びますと宣言して、一晩自宅で一緒に過ごせばいい

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極端な話、世話を掛けない葬を目指すんだったら、献体登録・遺骨引き取り拒否が一つの行きついた、どん詰まりの答えだ。そうではなくて、もっと心暖かに手作りっぽくっていうなら、自分で連れて帰って、保冷剤で氷でもあてまくって遺体を保存し、なにか温かな事をしてあげるのが良いと思う。


葬式無用論のなにがキライかっていうと、意味が無いから。プロから見たら、それは簡単な事だし、こうすればいいよって答えはもう出てる。つまんないからキライ。色んな事をやってみて、やってきて、今の葬儀になったってのは、別に強制じゃなくて、試行錯誤の莫大な積み重ねがある。

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というか、島田裕巳先生がどうして、そんなに既存の葬儀を憎んで滅ぼしたいのかが分からない。既存の戒名文化などを憎んで滅ぼしたいのかがわからない。まぁ、本当はそれやると売れるから書いてるんだろうと思う。僕ごと気が分かっている事を先生が理解してないわけがない。

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