雨あがりのペイブメント

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能登半島地震 (12) 公衆電話に列

2024-03-26 06:30:00 | ことばのちから

   能登半島地震 (12) 公衆電話に列
    能登の避難所 公衆電話に列
      孤立集落唯一の連絡手段(朝日新聞2024.3/22)
 能登半島の被災地では携帯電話が数日間繋がららず、
公衆電話が外部との唯一の連絡手段になった地域になった。(リード文)

 石川県輪島市の粟倉(あわぐら)地区は周辺道路の寸断により、一時孤立状態になった。
携帯電話は不通になり、被災者たちは身の安否を知らせる手段を失った。
公民館には、地区で唯一の公衆電話があった。
みんながこれに殺到した。電話を待つ行列ができた。

「とりあえず大丈夫だ」。そう伝えると、「よかった、心配していたよ」と安堵の声が返ってきた。
少しでも多くの人が使えるように、みんなと同様に1分ほどで電話を切った。

 発災後の数日間は停電などの影響で、携帯電話も固定電話も使えず、
公衆電話に40人ほどの列がて来たこともあったと記事は伝える。

公衆電話が激減
上野駅前の公衆電話は難題も並んでいて、
目の前の車道を走る自動車の騒音と電話で話す隣の人の声が邪魔をして、こちらの電話の声も大きくなる。
片側の耳に受話器を抑え、反対側の開いた手で耳の穴をふさぐシーンが風物詩になっていた。
 右も左もわからないお上りさんが到着の連絡を取り、相手の迎えを待つ姿がたくさんあった。
十円玉が時間の経過とともに、コトリ、コトリと落ちていく音が、今でも懐かしく耳の奥に残っている。
饒舌な話は時間とお金の無駄遣いになり、
たいがいは、簡潔に要件を話して電話を終わり、後ろで待つ人に電話を回す。

 いたるところに公衆電話があった。
駅のホーム、校門の前、スナックのカウンターの片隅、病院の待合室など。
ホテルのロビーにはボックス型のしゃれたデザインのも公衆電話が並んでいる。
格式を重んじるホテルほど個性的な電話ボックスが並ぶ。

 携帯電話の時代が来ることを誰が予想していただろう。
携帯電話が普及し、いまでは小学生まで持っている時代だ。
携帯電話の普及で公衆電話の利用は激減し、採算も合わなくなっていった。
それに反比例するように公衆電話の数が激減していった。

 1984(昭和59)年、最盛時の台数は全国に約93万4千台あった公衆電話。
 2022年度は約12万1千台となった。最盛時の8割減である。
さらに、NTTは1931年度までに約3万台まで削減する予定である。

「災害時用公衆電話」
 公衆電話激減の対策として、「災害時用公衆電話」の設置が計画されている。
このシステムは、東日本大震災以降に普及が促進されている。

避難所となる公民館や小中学校などに回線を敷き、、小型の電話機も建物内で保管。
災害時は施設の管理者が電話機と回線をつなぎ、無料で利用できるシステムだ。
全国で約8万8千台が配備されている。

「災害時用公衆電話」は今回使われたか

記事によると、2ヵ所に設置された「災害時公衆電話」はいずれも使用されなかった。
市の担当者は
「存在自体を認識しておらず、何処にしまわれているかもわからない。
 いざという時に活用できるようねまずは市職員内での周知に努めたい」
と話している。
 
責任の所在を明らかに 
 周知徹底を図ることは当然のことだが、今回災害時に利用できなかったことの責任はどの部署の誰にあるのか、調査が必要だ。能登地方では2年も前から頻繁に地震が発生していた。この2年間市はどのような対応をとっていたのか検証を行ってほしい。それが、今後の貴重な教訓になる事を願っています。

  能登地震を歌う 二題(朝日歌壇から)
  
    軒ごとの「危険倒壊」見やりつつ水貰(もら)はむと地割れの路ゆく 
                                   (田中伸一)

    
駅前の広場に能登の牡蠣小屋が臨時に出来てラッシュの賑わい 
                              (木村義熙)

    (ことばのちから№12)      (2024.3/25記)                      
               

   

 

 

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