雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

新型コロナウイルス すでにこの国が、そして世界が病んでおり、

2020-03-08 18:17:08 | 昨日の風 今日の風

新型コロナウイルス
    すでにこの国が、そして世界が病んでおり、

   急激に崩壊へと向かいつつあることを肌で感じている……。

   知っている。感じている。

   それでいて、それを知らないふりをして日々を送っている。

         …… …… …… ……  


     明日のことは考えない。

   考えるのが耐えられないからだ。

   いま現に進行しつつある事態を、直視するのが不快だからである。

   明日を想像するのが恐ろしく、不安だからである。

   しかし、私たちはいつまでも目を閉じているわけにはいかない。

   事実は事実として受け止めるしかない
     
                       五木寛之著 下山の思想
                        
                     
ブックデーター
: 幻冬舎 2012.1 第五刷
                     読書案内「下山の思想」過去ブログ2019.04.20で紹介。
                     その時の引用文を再掲しました。

  私たちの社会は隣人同士が互いに気遣いながら、「社会」という共同体を構成している。
 しかし、多種多様の考え方を持った人間が自由競争の歯車を回転させれば、それぞれが持つ
 歯車の大きさや重さや性能によって成果が異なってくるのは必然のことだ。
 生きていく過程で様々な格差が生まれてくるのも仕方のないことなのかもしれない。

  住みよい社会の実現は、誰もが望む普遍的希望なのでしょう。
 経済格差、教育格差、労働格差等々富める者と貧しき者の格差をできるだけなくそうと
 政治は模索し与野党は議論を尽くす。
 だが、ひとたび社会の均衡が崩れてしまうと、私たちの社会は、
 脆く、脆弱な部分をさらけ出してしまう。
 「誰もが望む普遍的希望」が内包する「隣人同士の気遣い」という
 最低限の規範(モラル)
の均衡が崩れ、
 「自分さえ良ければ」というエゴ(我欲)が出て来るからだろう。
 質の悪いエゴは、根底にある「自分さえ良ければ」という
行為に気づかずに、
 平然と行ってしまうことだ。
 
 
あの東日本災害の被災地においてさえ、無人の家に押し入り、
窃盗を働く輩がいたことを私たちは覚えている。
規律正しく、自制心を失わないと言われている日本人にして、この始末である。
これ幸いと、暴動に発展し、器物破損で混乱に拍車をかけてしまい、
挙句の果ては店内の商品を窃盗するようなことは現代のわが国では発生しない。
 

(ウイルス粒子表面が太陽の光冠(コロナ)に似ているところからこの名が付けられたと言います)
新型コロナウイルス騒動に関するもう少し身近な例を挙げれば、
マスクやトイレットペーパの買い占め、そして転売。
オークションでは、法外な値段で取引が成立している。
ある種の人々にとってこれらの製品は、どうしても手に入れたい必需品なのでしょう。
「おカネさえ出せば、手に入れられる」と単純に考えるから、
「私さえ良ければ…」という考えが根底にあるから、
自分のために、家族のために無理をしても、
或いはスーパーのレジに何度も並んで購入するから、
品不足に拍車がかかる。
こうなると、メイカーや販売店が、
「在庫は有りますから、大丈夫です」と説明しても、
我勝ちに、という群集心理に負けてしまう。
悪循環が始まり、社会不安に拍車がかかり、
最低限の規範の均衡が崩れて行ってしまう。
デマが流れる。
振り回される人々がいる。

私たちは、関東大震災による社会不安の中で起きた、特定の外国人を殺傷してしまった
悲しい事件を忘れてはならない。
 大正12年(1923年)、わずか97年前の出来事である。
関東地方を襲った地震により、壊滅的な打撃を受けた社会は、
人心を不安に陥れ、社会秩序は乱れ、それを煽るようにデマが飛び交った。
厳戒令が布かれ、内務省は各地の警察署に、治安維持に最善を尽くすことを指示した。
内務省下達には次のような一文があったという。
「混乱に乗じた○○人が凶悪犯罪、暴動などを画策しているので注意すること」。
この内容は行政機関や新聞、民衆を通して広まり、
特定の外国人殺傷事件へと発展していくのであった。

 「○○人が井戸に毒を入れ、日本人毒殺を計っている」。
 デマに踊らされた民衆は自警団を組織し、○○人と思しき外国人を捉え、
 多くの犠牲者を出した事件である。

 教訓として残る戒めは、情報を鵜呑みにしない。
 デマに踊らされない。

 だが、社会的不安が起こるたびに、デマや買占めなどが起こり、
 或いは、何処に「船から降りた人」がいるから、近寄るななどという
 差別ともとれるような噂が流れている。
 
 平和で秩序の保たれたように見える社会がいかに脆いものかを、
 しかも、社会的変動は往々にして弱者に対して風当たりが強いことを
 私たちは自覚しなければならない。

 昨年12月29日。
 中国・武漢市海鮮卸売場で広がった原因不明の肺炎患者7人が悪夢の始まりだった。
 「最初はそれほど特殊なケースとは思わなかった」(張院長)。
 だが、一般的な肺炎とは異なり患者がたんを伴わない空ぜきが多く見受けられ、
 従来の肺炎では重篤患者にみられる呼吸困難が多く見られたという。

 患者は増え続け、「これはただ事ではない」と「我々は嵐のど真ん中にいる」。
 自覚した時にには、時すでに遅し。
 
医療物資の不足。医師不足。医療機関不足。
1月23日。武漢封鎖外部との交通遮断。
情報隠蔽、改ざんがパンデミックを導き、
いかに脆い社会であるかを露呈した新型コロナウイルスである。

 交通網が発達し、情報が飛び交う社会への警鐘と捉えたい。
 その上で、事実は事実として、一人一人が受け止め、
 世界の危機に対処しなければならないと思う。
           
       (昨日の風 今日の風№106) (2020.3.8記)


 








 




 








 

 


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