やさしい人
(ことの葉散歩道№29)
いつもそうだ、はじめはいつもやさしい。やさしいのははじめだけで、いつから、叩いてくるようになるかわからない。 |
交通事故で両親に死なれ、
伯父夫婦に引き取られたがなじめず、
児童養護施設で生活する小学生の少年の胸のうちだ。
「やさしいのも最初のうち」。
やさしさに下心があり、
不純な動機があれば、
たちまち化けの皮が剥がれてくる。
やさしさの効果が思うように得られなければ、
人は豹変し、
たちまちにしてその正体をあらわにする。
昨日までの笑顔が消え、
出てくる言葉も棘を含んでくる。
少年は自分の周りにいる大人たちの「うわべだけのやさしさ」を敏感に見抜く。
「憐憫」や「同情」に包まれた「やさしさ」がそれだ。
「 情けを掛ければ、人は心を開き、互いに理解し合うことができる」という錯覚。
人の感情や心はそんな単純ではない。
こちらが意図したように心を開かない。
反抗的である。
やさしさで他者に接するが、結果が出ない。
逆に相手が優しさに甘えて、どんどん依存してくる。
そのことがやがて重荷になってその人を避けるようになる。
メールの返信もしない、
手紙の返事も書かない、
電話にも出ない。
「やさしさの豹変」だ。
なぜ急にあの人は私を避けるようになってしまったのか。
中途半端なやさしさが、
人間関係を壊してしまう。
こんなことなら、
最初から関わりを持たなければいい。
だが人間関係は予測不可能なことが多い。
その時々で対応を考えるしかない。
「やさしい人はすぐにうらぎる」と小学生の少年は思う。
そういう人間のいやらしい面を見てしまった少年は、ある意味で不幸である。
相手に対していつも「誠実さ」を失わずに接することが肝要だと思われる。
「誠実さ」は人を傷つけないし、うらぎらない。 (2016.7.1記)
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