雨あがりのペイブメント

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自由民権運動(2) 福島事件・ 弾圧

2016-07-26 15:26:27 | 郷土の歴史等

自由民権運動(2) 福島事件・弾圧

自由民権運動への弾圧

 自由民権運動の高まりが、喜多方事件を誘発し、
同時に自由民権運動への徹底した弾圧が幕を挙げる。

 三春町の自由民権広場には、
街を見下ろすように両腕を大きく広げ胸を張った河野広中の大きな銅像が立っている。


 福島の自由民権運動には欠かせない人物だ。
三島県令と福島県会の溝は、喜多方事件を発端にますますその溝を深めていったようだ。

 河野議長が出した議案毎号否決の動議は僅差で可決されたが、
否決派の議員は官吏侮辱罪で投獄。三島県令による自由党弾圧は苛烈を極めた。
 


顕彰碑碑文
 この地三春町は県内における自由民権発祥の地で、常に県内民権運動の先頭に立ち、
その中枢的 役割を果たしてきたところである。 
 すなわち、先覚者河野廣中を盟主とする多くの同志たちは、
明治十一に政治結社「三師社」を創立して民権運動を推進し、
同十四年には青年活動家の養成の学塾「正道館」を独自に創設して実践的運動を展開した。
またこの年創設したわが国最初の政党「自由党」の結成に代表を送り参画した。
翌年には関東東北に魁て、当時としては例のない政治誌「山陽雑誌」を発刊するなど、
その先駆的活動は県内は元より東北地方最大の自由民権運動の拠点になっていった。
 これに対し、藩閥政府を背景にした福島県令三島通庸は、
三春町を拠点とした県内の自由民権運動の大弾圧を強行し、
明治十五年(一八八二)の秋、
「福島事件」といわれる騒動を起こし、多数の県民を獄に投じた。
とくに三春町は河野廣中・田母野秀顕ら十名の同志が国事犯として東京に護送され幽囚の辛苦を受け、
さらに明治十七年の「加波山事件」では正道館に学んだ五名の三春青年が死刑・無期徒刑等の断罪に処せられている。
 ここに三春町合併五十周年に当たり、
われらはわが国近代政治の先駆け的役割を果たした先人の輝かしい政歴を顕彰し、
歴史の証人としてこの碑を建立する。
 平成十八年(二〇〇六)四月
 自由民権運動顕彰会
 三春町自由民権記念碑建立実行委員会

 しかし、命を賭けた信念の火は、
いかなる弾圧をもってしても消すことができないことは、歴史が証明している。
血気にはやる活動家の「三島県令暗殺計画」へと運動は進んでいくが、この計画は頓挫した。

 舞台は茨城県に移り、加波山で挙兵決起しようとした。
いわゆる「加波山事件」の勃発である。
明治
17923日のことである。
 加波山の山頂に「自由の魁」なる旗をなびかせ檄文を飛ばしたが、
喜多方・福島事件を経て加波山事件にいたる自由民権運動が日の目を見るのには、
あと5年の時間が必要だった。

    明治22年、大日本帝国憲法発布
    
明治23年第一回衆議院選挙が行われ、帝国議会が成立した。

先人たちが血を流しながら、時の藩閥政治に向かって、
夢と希望を持って戦った自由民権運動の痕跡をたどる1泊2日の旅でした。
  
    (2016.7.26記)                  (郷土の歴史№2)

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