雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

伝承 お伽羅哀話 (1)

2018-10-09 21:50:45 | 郷土の歴史等

伝承・お伽羅哀話
   両側に深い木立の続く緩やかな上りの表参道の先に長寿門が現れる。
    
  
  この門をくぐれば厄除開運 健康長寿 病気平癒がかなえられるという
  有り難い門で長寿門と言われている。
  門をくぐり、境内の端を西の方に歩いていくとお伽羅の供養等が
  忘れ去られたようにひっそりと建っている。
  土地の人が供えたのだろうか、野菊と造花がお伽羅の悲しみを労わるように
  生けてあった。
  
 
    お伽羅の供養塔           伝承 「人柱お伽羅哀話」案内板

 伝承「人柱お伽羅哀話」(案内板より)

昔、幾日も幾日も大雨が降り続いた年がありました。
鬼怒川は増水し、
河畔の村々では皆が今にも決壊しそうな堤防を固唾をのんで見守っていました。
渦巻く濁流にすべてを押し流される恐怖心は募るばかりで
誰も彼も為す術もなく天を仰ぎ無力感に襲われるばかりでした。
そんなとき誰云うともなく
「龍神様に人柱をたてて怒りを鎮めてもらおう」と言い出しました。
その声は次第に広がり、
誰を人柱にするかということになり、
誰もすすんで人柱に立てようとする人はいませんでした。

 人柱をたてるとは難工事の際荒ぶる神の心を和らげるため
犠牲(いけにえ)として生きた人を水底や土中深く生き埋めにすることであり、
誰一人として愛しいわが子を人柱にはしたくなかったのです。
 その時何処からともなく「お伽羅を人柱にしよう」と誰かが云い出しました。
お伽羅と云う娘は諸国巡礼の母娘の二人連れで
旅の途中常総市まで来た時母は病気で亡くなり、
天涯孤独の身となった娘でした。
名主が境遇に同情し奉公人として養っておりました。
気立ての良いこころのきれいな娘でしたが、
村人たちは身寄りのないお伽羅を人柱にしようとしたのでした。
                            (つづく)
        (2018.10.9記)       (郷土の歴史等№6)

 

 

 


 

 

 


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