3月14日、東日本関東大震災について、大震災への国民の対応について報道陣に感想を問われ、石原都知事は次のように答えた。
「日本人のアイデンティティーは我欲。この津波をうまく利用して我欲を1回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う」。
この部分だけを取り上げて論ずれば、「天罰」とは何事か、ということになる。
しかし、石原氏は次のようにも発言している。
「アメリカのアイデンティティーは自由。フランスは自由と博愛と平等。日本はそんなものはない。我欲だよ。物欲、金銭欲」と指摘している。
さらに、「我欲に縛られて政治もポピュリズムでやっている。それを(津波で)一気に押し流す必要がある。積年たまった日本人の心の垢を……」とも話ている。(ポヒュリズム:大衆に迎合しようとする態度。大衆迎合主義という意味)
「被災者の方々はかわいそうですよ」とも述べている。
以上が14日の石原氏の発言である(朝日新聞3月14日記事による)。
私は、基本的には、石原氏の発言に賛成である。アイデンティティーに関する発言など全くその通りで、政治も含めて日本人のアイデンティティーはどこに行ってしまったのかと危惧を覚える。そもそも、日本にアイデンティティーはあったのか、石原氏の発言はこのことを、氏特有の歯に衣着せぬ物言いで表現したのではないか。大震災に関する発言を求められた石原氏がもっとも言いたかったのは実はこのことだったのではないか。
「どこの国に、親の死を伏せて年金を受け取る国民がいるのか」というような発言もしている。
今度の大震災を「我欲」、「物欲」、「金銭欲」にまみれた日本社会の垢を、一気に洗い落とすための、機会とすればいい。というところに、石原氏の思いはあったのでしょう。
石原氏の文学者・小説家としての発言として理解できるが、政治家としての公人の発言としてはなんとも配慮に欠けた、発言ではなかったか。まして、「天罰」云々は配慮を欠いた発言ではなかったか(このことに関しては、後日謝罪の発言があった)。
しかし、「天罰」とは、どう贔屓目(ひいきめ)に見ても許せる発言ではない。決して天罰ではないが、あえて「天罰」としても、どうして東北関東の被災地の人たちだけが罰を受けなければならないのか理解できない。
最愛の家族を失い、かけがいのない親しい人たちを失い、家を失い、傷心の罹災者の方々には安易な励ましの言葉もないが、人間は歴史の中で幾多の困難を乗り切り、立ち直ってきた経験があります。
被災地から遠く離れた私の家は、屋根の瓦が飛び、家の中の物が倒れた程度の被害です。何のお手伝いもできませんが、せめて、節電、節水に励み、余分なものやガソリンは買わないように努めています。
被災された皆さんが一日も早く立ち直り、心の傷が癒されることを願ってやみません。
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