新年のあいさつ
子どもたちの未来へ
穏やかな朝が、
筑波連邦の峰からゆっくり登る初日に象徴されるような、
安心して住める社会でありますようにと思う元旦でした。
経済活動を続けるにあたり、
無駄をなくし能率を追求するのは大切な要因である。
私たちはそうして便利さを追求してきた。
より早く、より遠くまで走る新幹線。
より短時間で国境を越え快適な旅を保証する飛行機。
高速道路の拡充は車社会の発達とともに、
流通機構をも変え経済システムそのものも変えてきた。
私たちは、百科事典や辞書を開く習慣を過去の記憶におしやってしまった。
インターネットは実に簡単に知りたい情報を提供してくれる。
ツイッターは、顔を持たない匿名性により、
多くの人に受け容れられたが、
責任の所在があいまいなために、無責任な発言も多く見られた。
言葉が軽くなり、
誠意のこもった熱意のある言葉が少なくなったように思われる。
それは、生身の人間が発する言葉ではなく、
電波を介して届けられる送り手と受け手の一方通行の言葉である。
メディアを媒体とした言葉も渇いた言葉だ。
便利さゆえに、失われたものも多い。
「人を思いやる気持ち」
「家族のためにお母さんたちが費やした家事の時間」、
「少子高齢化」に伴う家族機能の崩壊。
便利さゆえに私たちは「大切なもの」を失ってしまったのではないか。
なければ無くても
不自由しないものをどんどん捨てていってしまうと心が渇いてしまう。
大切なものはおカネでは買えない。
目で見ることもできない。
失われたものの大切さを再認識し、
私たちが関与してきたこの社会を、
未来の担い手である子どもたちに手渡すとき、
子どもたちに失望されない社会を創ることは、
私たち大人の務めではないか。
雪中に遊ぶ孫たちの写真を眺めながら、
思いを新たにする新年の一日でした。
今年も、よろしくお願いします。
(つれづれに……心もよう№111) (2021.1.1記)