北越雪譜 雪頽(なだれ)人に災(わざわい)す
②主人(あるじ)が夜になっても帰ってこない
鈴木牧之(ぼくし)について
江戸時代後期の商人、随筆家。越後の国魚沼郡塩沢の豪商「鈴木屋」の子として生まれる。
19歳の時稼業の手伝いで江戸へ行き、江戸の人々が越後の雪の深さについて何も知らないこ
とに衝撃を受ける。牧之は雪をテーマにした随筆を執筆し、これが後年「北越雪譜」に結実
していく。雪の結晶や 雪国の風習や苦悩などを紹介し、当時のベストセラーになった。
(インターネット 江戸ガイドより抜粋)
〇 吾住魚沼郡の内にて雪頽の為に非命の死をなしたる事、
その村の人のはなしをここに記す。 しかれども人の不祥なれば人名を詳にせず。
現代文にすると次のようになります。
私が住んでいる魚沼のあるところで、雪崩のために思いがけない災難で亡くなった人がいる、
と村人に聞いたのでそのことを書くことにします。しかし、不幸な出来事なので人名は
どこの誰とは書かないことにします。
以下要約します。
ある村に使用人も入れて10人余りの家族があり、主人(あるじ)は50歳ぐらいでその妻は
40歳そこそこで、20歳の息子を頭に3人の子供がいた。
いずれも孝行の子供たちだったという。
ある年の2月のはじめ、主人用事があって出かけたが、午後の4頃になっても帰ってこない。
そんなに暇のとれる用事ではないので、みんなはおかしいと思い20歳になる長男が使用人を
連れて相手の家に行ってみたが、此処へは来ていないという。
あちこち尋ねてみたが、一向に行方は分からない。
日も暮れてきたのでやむなく家に帰り、母に仔細を報告する。
一体どこへ行ってしまったのだろうと使用人を遣って、近隣を探すが行方が知れない。
午前2時を過ぎても主人は帰らなかった。
近所の人たちが集まり、どうしたものかと話し合っていると、ある老夫が来て私に心当たり
がありますという。主人(あるじ)の妻は喜び、子供たちも揃って礼を述べ仔細を尋ねる。
老夫は、「私が今朝西山の峠にさしかかろうとしたとき、ここのあるじに会ったので何処に
行くのかと聞くと、稲倉村へ行くといって去っていきました。私は宿への道を歩いていたが
さっき通ってきた峠の方で雪頽(なだれ)音を聞き、無事に峠を越えられたことを喜んだが、
ここのあるじはあの峠の麓を通り過ぎることができただろうかと心配しながら、
家へ帰りました」といって老夫は早々に帰って行った。
集まった若い人たちは、そういうことなら、その雪崩のところに行って探してみようと、
松明など用意し騒然としていると、ある老人が言った。
「ちょっと落ち着きなさい。遠くへ捜しに行った者もまだ帰ってない。
ここの主人が本当に雪崩に遭ったかどうかはわからない。
さっきの農夫が不用意なことを言うから困ったもんだ」と。
父の安否を心配し、涙ぐんでいたこの家の人たちもわずかに安堵し、酒肴(しゆこう)を出して
皆の労をねぎらった。皆は炉辺に集まり酒を飲み始めた。
少し経つと、遠くに行ったものも帰って来たが、やはり主人の行方は知れなかった。
(つづく)
次回はいよいよ佳境に入ります。後半の冒頭を紹介しておきます。
〇 かくて夜も明ければ、村の者どもはさら也聞きしほどの人々此家に群り来り、此上は
とて手に手に手に小鋤を持家内の人々も後にしたがひてかの老夫がいひつるなだれの
処に至りけり。
(2021.1.12記) (読書案内№163)