goo blog サービス終了のお知らせ 

雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

姉の認知症

2020-12-11 06:30:00 | つれづれに……

  姉の認知症

      姉の認知症に気づいたのは10年以上も前のこと。
   ご主人(義兄)と二人暮らしの姉。訪れた玄関には宅配の弁当が二つ。
  「んっ?」。料理が得意の姉がなぜ宅配の弁当をと、私は不思議に思う。
  遠方から訪ねた私に、お茶を淹れようとする。だがどこかぎこちがない。
  急須から出てきたものは白湯だった。
  「ぼくがお茶入れるから、○○は座っていていいよ」
  「あら、そうですか。すいません、お父さんお願いします」
  私が姉の認知症に気づいた出来事でした。

  それから2~3年たち、症状はどんどん進んで行った。
  「財布が盗まれた」とパトカーを読んでしまう。
  徘徊も始まり、泥だらけになって帰ってくる。
  暴力的な行為も増えた。
  でも、ご主人は姉を施設には入れたくないと姉を支えて頑張った。
  もう、とっくに老老介護の限界を超えていた。
  「〇〇さん(私のこと)、人間はあまりに長生きしてはいけなんだ。
  生きてるだけで誰かに迷惑をかけてしまうから」。
  哀しい述懐である。
  
  義兄の母は
  103歳まで生きた。気丈で死ぬまで毒舌は止まなかった。
  その姑に姉は嫁としてよく仕えた。
  姑が亡くなって、ほっと一息。
  「お父さん、これから二人でゆっくりしようね」
  夫婦に安らぎが訪れた。
  しかし、ホッとしたのか間もなく姉は認知症を発症した。

  嫁いだ娘の介助にも限界があり、施設入所をみんなで話し合った。
  自分の妻の面倒を見ることに意地を張れば、娘たちにも迷惑をかける。
  同時に介護の限界も感じた義兄は、渋々入所を承諾し、
  自分の妻の面倒を見られなくなった自分が情けないと、目を潤ませた。
  義兄はバスを乗り継ぎ、妻のホームへの訪問を欠かさなかった。

  それから数年が過ぎ、義兄に癌が発見された。
  末期がん。余命を宣告された。
  だが、気丈な義兄は、体調のいい時には妻のいるホームを見舞っていた。
  余命を生き抜き、文字どおり眠るように、
  嫁いだ娘ふたりに看取られて、
  妻と二人の思い出の残る自宅での静かな旅立ちだった。
  私たち夫婦が見舞った翌朝のことだった。
  家族葬が営まれ、
  故人を送るのに、とても穏やかな野辺送りになった。

  

  一時間半、高速道路を走って、今ではもう私の名前さえ忘れてしまった姉を見舞う。
  娘たちの名前さえ記憶のかなたに埋もれてしまったのに、
  「お父さんはどうしたのかね。このごろ全然来ないのよ」と何度もつぶやく姉は
  今年、87歳になった。

  コロナ禍のもと、面会禁止になっているホームで姉は今日も
  「私のお父さん、どこへいったのかねぇ。お父さんはのんきだからねぇ」と、
  一人呟いているのだろうか。


  (2020.12.10)          (つれづれに……心もよう№110)