「白旗の少女」(2) 二枚目の写真の真相
長いこと、「白旗の少女」が誰なのか、生きているのか、死んでいるのかさえ不明でした。
昭和62年、比嘉富子さんが、「白旗の少女は私です」と名乗り出ました。
終戦から42年が過ぎていました。
比嘉さんにとっては、長い長い戦後に一つの区切りをつけるのに、42年が必要だったのかもしれません。
その2年後の平成元年、比嘉さんは「白旗の少女」という本を出版しました。
その本の中で、比嘉さんは述べています。
沖縄戦の記録映画が公開されて以来、あの映画の中で
白旗を持って投降する私のうしろから歩いてくる兵隊さんたちが、
私を盾にしてきたかのように誤解されているのは、
大変残念なことです。
この兵隊さんたちは、
私の歩いてきた道とは別の道を歩いてきて、
偶然、一本道で私と合流した人たちです。
そして、私の方が先に一本道に入ったため、
あたかも白旗を持った私を弾除けにして
後からついてきたかのように見えるのです。
したがって、
私と背後から歩いてくる兵隊さんとは、
いっさい関係がなかったのです。
戦後、価値観が一転したなかで、
「お国のために」命を懸けて戦った兵士たちを、悪く言う傾向がありました。
状況が変われば、全てを否定し、プライドも信念もかなぐり捨てて、
多数を占める意見に迎合してしまう。
お国のためにと、出征する兵士を、万歳三唱で送りだしたことには、
目をつぶり、自分の行為の反省などすることなく、
生きてきた人こそ、非難されてしかるべきだと思います。
同じように、大本営発表の戦況を鵜呑みにし、
政府の要望に沿った記事を書いたメディアにも、責任がある。
「白旗の少女」の写真を眺めながら、徒然思うことを書いてみました。
(2015.8.6記)