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雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

ペリリュー島・「やらなかったら、やられていた」

2015-08-04 21:39:31 | 語り継ぐ戦争の証言

ペリリュー島から生還 「やらなかったら、やられていた」

 「玉砕の島」ペリリュー島から奇跡の生還をした、福岡県筑後市・土田喜代一氏(95)の証言。

水平線から押し寄せる米国の大艦隊を目にした時、

「99.9%、勝てないと思った」それでも旧日本軍は戦い、玉砕した。

殺してやりたい、憎いという気持ちはあったか、という質問に対して、

「やらなかったら、やられていた」と、絶体絶命の戦争の状況を表現している。

「勝っても負けてもダメなのが戦争じゃないでしょうか」

 過酷な戦場から生還した体験者の話は重く、説得力がある。

     朝日新聞2015.7.30夕刊 「継ぐ記憶」私たちに戦争を教えてくださいを参考にして、構成しました。

 ペリリュー島の戦いについて

  日本の南3000㌔の太平洋上に浮かぶパラオ諸島の一つ。

  南北9㌔、東西3㌔、高さ80㍍ 全体で20平方キロのサンゴ礁からできた島で、

  太平洋戦争末期、日米両軍による73日間にわたる死闘が繰り返された。

 

   米軍は、日本軍の兵力が約4倍、航空機200倍、戦車10倍、重火砲100倍以上の軍事力。

  航空機による爆撃、軍艦からの艦砲射撃を考えると、米軍が数100倍の火力で日本軍を圧倒していた。

     兵 力:   日本10200名     米国42000名

   戦死者:    10655名              1794名

   捕 虜:                202命

   戦傷者:                    8010名 他に精神に異常をきたしたもの数千名

               戦闘終結後も、生き残りの日本兵34人が、洞窟を転々として生き延び、戦後も2年闘いつづけ、

    昭和22年投降。玉砕の島・ペリリュー島戦闘の悲しくも、無謀な記録である。

 

 

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