ペリリュー島から生還 「やらなかったら、やられていた」
「玉砕の島」ペリリュー島から奇跡の生還をした、福岡県筑後市・土田喜代一氏(95)の証言。
水平線から押し寄せる米国の大艦隊を目にした時、
「99.9%、勝てないと思った」それでも旧日本軍は戦い、玉砕した。
殺してやりたい、憎いという気持ちはあったか、という質問に対して、
「やらなかったら、やられていた」と、絶体絶命の戦争の状況を表現している。
「勝っても負けてもダメなのが戦争じゃないでしょうか」
過酷な戦場から生還した体験者の話は重く、説得力がある。
朝日新聞2015.7.30夕刊 「継ぐ記憶」私たちに戦争を教えてくださいを参考にして、構成しました。
ペリリュー島の戦いについて
日本の南3000㌔の太平洋上に浮かぶパラオ諸島の一つ。
南北9㌔、東西3㌔、高さ80㍍ 全体で20平方キロのサンゴ礁からできた島で、
太平洋戦争末期、日米両軍による73日間にわたる死闘が繰り返された。
米軍は、日本軍の兵力が約4倍、航空機200倍、戦車10倍、重火砲100倍以上の軍事力。
航空機による爆撃、軍艦からの艦砲射撃を考えると、米軍が数100倍の火力で日本軍を圧倒していた。
兵 力: 日本10200名 米国42000名
戦死者: 10655名 1794名
捕 虜: 202命
戦傷者: 8010名 他に精神に異常をきたしたもの数千名
戦闘終結後も、生き残りの日本兵34人が、洞窟を転々として生き延び、戦後も2年闘いつづけ、
昭和22年投降。玉砕の島・ペリリュー島戦闘の悲しくも、無謀な記録である。