福井県敦賀市、原発銀座といわれる若狭湾周辺の寂れていく地方都市に生まれ育った男の10代前半から30代半ばにかけての日常を綴った連作短編集である。
馳星周という作家の作風からはちょっと傾向の違う小説である。『犯罪は起こらない。犯罪者も出てこない。人は死ぬが殺人ではない。事故死か病死だ。3・11が起こる遥か前、原発の街で暮らす人間を描こうと思い立った』と、作者はそのブログで述べている。
発出誌「オール読物」 単行本:文芸春秋2011年8月刊
事故…………2009年8月号
チェリノブイリ ……… 2009年12月号
ふっかつのじゅもん … 2010年6月号
花かえ ……………… 2010年10月号
光あれ ……………… 2011年3月号
「事故」
スカイラインGT-R、安い車ではない。
その車に乗り込み昌也は、キーをひねりながら助手席に乗った徹に
自慢げにエンジンを回転させる。『玩具を手に入れた子供のような笑みを浮かべて』。
車は、昌也の唯一の道楽であり、日常のストレスを解消する道具なのだろう。
妻の木綿子の大反対を押し切って無理をして購入した車である。
父親から受け継いだ会社は、破綻寸前で、
やり場のない不安と焦燥に追われるように昌也は車にのめりこんでいく。
徹の生活環境も先が見えない。
不安と焦燥に包まれながら、美浜の原電で警備員をしている。
夫婦仲も冷え切っていて、
「こんなの、夫婦やない。家庭やない。同じ屋根の下で、他人同士が暮らしているだけやないの」と、
いつも問題を先延ばしにして逃げてしまう徹に向かって、妻の真理は夫を責める。
深夜に帰宅した徹に、小学2年の愛娘・美咲は、
「ママと離婚するの」と小さな胸を痛める。
だが、徹は愛娘・美咲のために、冷え切った妻との関係を改善しようという気を起こすわけでもなく、先の見えない暮らしを惰性で続けている。
そんな中、昌也は自慢のGT-Rで、
カーブを曲がり切れずに自爆し、死んでしまう。
小説の最期は次のように終わる。
(ふたたび、夜遅く帰宅し、美咲の部屋をのぞいた徹に )
「どなんしたん、パパ」
「なんでもない。ただ、美咲を抱きしめたくなっただけや」
「変なの」
「そうか?」
「離婚せんといて、パパ。お願い」
「うん。わかってってる」
俺は美咲の頭を撫で、頬にキスをした。
徹の未来を暗示し、かすかに希望の灯りを見せて、小説は終わる。一話完結としても楽しめるが、連作小説として、次は「チェリノブイリ」を紹介します。
(つづく)