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雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

馬鹿の上塗り アルマーニ騒動 ③

2018-03-02 15:04:14 | 昨日の風 今日の風

馬鹿の上塗り アルマーニ騒動 ③
  何がいけないのか

  愛校心、所属愛、学校に対する誇りが自己の存在と重なると、スクール・アイデンティティーが芽生えます。
このような、ある意味エモーショナルな心が、あるいは学校に対する思いが、薄れているのではないかと危惧しております。語弊を恐れずに申し上げますが、「自分は泰明小の一員であるから、そのようなふざけた行いはしない」と自戒できる児童を我々は育てたいのですが、保護者の皆様は、お子様の姿をどのようにお考えでしょうか。
                                           (保護者向け説明文) 

  愛校心や所属意識を高め、泰明小としてのスクール・アイデンティティーを育てていきたい。
教育者の考えとしてはもっともなことだ。
しかし、そうした思いとは別に愛校心や所属愛が薄れていくことに校長は危惧している。
特認校としての性格が学校の特色を薄れさせているのかもしれません。
 文中、「伝統と風格」が失われていく危機感を校長は嘆き、
アルマーニ標準服の採用に当たる考え方の景気を次のように述べています。
 
 泰明の標準服を身に付けているという潜在意識が、学校集団への同一性を育み、この集団がよい集団であって欲しい、よりよい自分であるためによい集団にしなければならない、というスクールアイデンティティーに昇華していくのだと考えます。

 「教育は内面の育成、醸成だと再三申し上げている」と言いながら、
アルマーニ標準服採用に踏み切った処に、
校長のあせりと一人よがりを感じます。
 アルマーニ標準服を在校生が着ることにより、
「泰明小」のスクール・アイデンティティーの育成が成就すると考えるのは、論理の飛躍でしょう。
 なぜ、独断専行してしまったのか。
教職員や保護者会のみなさんと、
「泰明小」のあり方について話し合う機会をなぜ作れなかったのか。

 標準服を変えれば私の危惧することが消えるわけではありません。教育は、内面の耕しであり、そこに、学校教育の質が問われるべきであると思っています。

 伝統と風格」が失われていく危機感のなかで、
「標準服を変えれば私の危惧することが消えるわけではありません」と理解しながら、
結果的には世間の批判の集中砲火を浴びてしまった。
組織の頂点に立ち、苛立ちと焦りに追われた管理者の孤独な姿が浮かび上がってきます。

 

「時代の変化を体感させつつ、泰明小学校の児童であるというアイデンティティを育成していくための一環」

「これまでの歴史や伝統を守りつつ、小学校での『英語教育の導入』や、『地域との密接な連携』という新しい教育プログラムの導入と並行して行われていく泰明小学校の新しい時代に向けた変化であり、進化でもある」

 今まで引用してきた教育理念が、アルマーニ標準服の採用にいたってしまったのか。
非常に残念な思いでこのブログを書いています。
アルマーニ標準服の採用が問題なのではなく、
なぜそうせざるを得なかったのかが問題なのだと私は思います。
校長が抱いている危惧感は的外れではないと私は思います。
対処の方法が間違っていると私は思います。

 なぜ、新標準服への切り替えを2017年秋まで公表しなかったのか、
なぜ校長が一人で決めてしまったのか、
なぜアルマーニ社なのか、
この問題に対する教育委員会の見解はどうだったのか。
こうした内容ばかりが報道され、
「伝統と風格」という教育の在り方にまで発展させた記事は見当たらなかった。
現象面のみを捉えて報道し熱が冷めてしまえば、
報道さえされないメディアの姿勢そのものにも問題がある。



 馬鹿の上塗り
  この騒動に上塗りするように、「泰明小」学童への嫌がらせが相次いでいるという(朝日新聞2/20夕刊)。
 児童が通行人に服をつままれたり、
 心無い声をかけられたりする事例が発生し、
 従来見守り活動をしている教職員や保護者らに区教委職員も加わり、警戒を強化する。と記事は伝える。

 馬鹿々々しい騒動の上に、馬鹿の上塗りをする大人がいることに激しい憤りを感じます。

 最後にごく一般的意見として山梨学院大教授・荒巻重人氏のコメント(朝日新聞2/16)を紹介して終わりにします。
 「公立校は本来、地域の子どもが経済的な制約を受けず誰でも通えるはずの学校。多様な家庭の子どもを受け入れ、意見に耳を傾けながら学校運営する中で校風や個性が作られる。校長の考えだけで決められたとすれば子どもの主体性は養われない」

        (2018.03.02記)      (昨日の風 今日の風№90)

 

 

 

 

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馬鹿の上塗り アルマーニ騒動 ②

2018-03-01 10:16:11 | 昨日の風 今日の風

馬鹿の上塗り アルマーニ騒動 ②
  今回は校長の保護者への説明の全文を掲載する予定でしたが、
 長い説明文になってしまいますので、要点を抜粋しながら
騒動の問題点を考えようと思います。
 原文は2017年11月17日付の「平成30年度からの標準服の変更について」と題した保護者向けの文書です。

  特認校として本校を選択された保護者の思いと、学校側の思いのすれ違いを感じる。
 説明文冒頭の導入部分の文章だが、更に
 どのような思いや願いがあって本校を選択されたのかが分からなくて、思案に暮れることがあります。

泰明小学校という学び舎の気高さ。この伝統ある、そして気品ある空間・集団への凝集性とか、帰属意識とか、誇りとか、泰明小学校が醸し出す「美しさ」は保っていかなければと、緊張感をもって学校経営してきました。
しかし、私が泰明小学校の在るべき姿としての思い描いていることとはかけ離れた様子、事実があることも否めません。なぜ、本校を選択されたのですかと問い返したいと思う出来事や対応が多いこと、これが泰明の実態だったのでしょうかと、学校を管理する者として思い悩むこともしばしばです。

 学校側の思いと、児童や父兄との思いがかけ離れている。と述べながらどんなことがどのように異なるかが、具体的に示されていないか単なる抽象論に終わってしまい、これを読んだ保護者は首を傾げてしまうだろう。

 

 言動、もちろん、公共の場でのマナー、諸々含めて、児童の心に泰明小学校の一員であることの自覚が感じられないと思うことも度々です。もちろん、全員がそうだとは言いません。みそらの星賞などを設定し、この子ならばと推薦された児童が褒賞を受けることもあって、ほっとする面もあるのですが、それに反して、がくっと心折れる場面の多いことも事実です。
 全文を読んでいて違和感を覚えるのは、「泰明の子らしく」とか「泰明小学校の児童はかくあるべきだ」とかまるで教育の理念から外れたような精神論が掲げられていてとても違和感を覚えます。
対外的にも「泰明小」そして「泰明の子」は注目されます。そういう衆目に答える姿であるかどうか、校長は危惧しているように思われます。こうした考え方から生まれてくるのは、やっぱり選民主義であり特権主義なのではないか。これはある種の差別化にもつながるのではないでしょうか。
泰明小は銀座の中の特認校なのにそんな意識がだんだん薄れてきていると危惧しているとも述べています。確かに学校は地域に開かれ門戸を広くすることが必要です。しかし、それは生徒たちに無理やり押し付けるものではないでしょう。
「どのように地域の特色を児童に理解させるか」これこそが教師や校長の大切な役目ではないか。地域性とか、愛校心が薄れていくことを、児童や保護者のせいにするのはおかしいのではないか。
 
 ① で少し触れましたが、「伝統と風格」を維持するということは、古きを改め新しきを取り入れるということです。過去のカビの生えた「伝統と風格」を頑なに守ろうとしてもそれは時代遅れという現実にそぐわない理念になってしまうでしょう。
「伝統と風格」が失われていくと危機感を抱くのであれば、教職員や保護者との話し合いの場を設け、率直な話し合いをすべきではないだろうか。上から目線の孤高の校長には無理な要求なのかもしれない。
                                     (つづく)

 アルマーニ騒動にいたるための校長の考え方を、「保護者への説明文」から抽出し、違和感を覚えることを述べてみました。次回は「アルマーニ騒動」のどこに問題があるのか具体的に考えていきたいと思います。
    (2018.02.28)                               (昨日の風 今日の風№89)

 

 

 

 

  

 

 

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馬鹿の上塗り アルマーニ騒動 ①

2018-02-25 14:59:14 | 昨日の風 今日の風

馬鹿の上塗り アルマーニ騒動 ①

 銀座にある中央区立泰明小学校(和田利次校長)が、今春に入学する1年生から、標準服を海外高級ブランド「アルマーニ」がデザインを監修したものに標準服を採用することになり、波紋を呼んでいる。

「安くはないと思ったが、基本一式なら本校の保護者であれば何とか出せるんじゃないか」と記者会見で発言し、更にダメ押しとして「方針を変える考えはない」と、強気の発言だ。
 この標準服を基本一式で揃えると4万円余、
ブラウスやセーター、ベスト、ソックス等すべてを揃えると8万円を超えてしまう。
標準服とはいえ事実上の制服にしては、高額すぎるのではないか。
公立校は地域の子どもたちが経済的な負担を受けずに誰でも通える学校のはずです。
「基本一式なら本校の保護者であれば何とか出せるんじゃないか」
という校長の発言は選民意識・差別意識が根底に見えている。

標準服とはいえ、事実上の制服です。誰もが着用しているのに、
我が子だけは別の服を着ると言うわけにはいかないだろう。
夏服、冬服があり、成長に合わせて買い替えも必要だろう。
兄弟がいれば、1着だけでは済まないだろう。
こういうことを考えたうえで、「方針を変える考えはない」と言う校長は、
学校のホームページで次のように述べている。


努力を重ねてまいりますので、どうか、多くの皆様からのご示唆を賜れるよう、よろしくお願いいたします。重ねて、『伝統と風格』が、泰明小学校の金看板であることを納得していただけるような、教育活動の実現に努めることをお約束いたします。(泰明小学校HP学校長より「伝統と風格」から抜粋)
 
 随分身勝手な文章だと思います。
「伝統と風格」などはどこの学校でも用いる常套句ですからいいのですが、
その後の「金看板」にいたっては時代遅れの表現だし、
「伝統と風格」が金看板だという意味が解りません。
どんな伝統があり、風格があるのか具体的な説明もなしに
「金看板」だと主張するのはいかがなものだろう。
 もし、この「伝統と風格」を保つためにアルマーニ標準服の採用を強行に推し進めたのだとすれば、
校長としてはとても浅はかな言動だと思います。

 「方針を変える考えはない」と脅しに近い言動も、
まったく保護者との話し合いを拒絶するような立ち位置で納得できません。
(ただし、今さらアルマーニとの契約を破棄すれば、
賠償金問題が発生し、公的組織の責任者としては絶対に回避しなければならない場があるのでしょう。
それに、国産メーカーに乗り換えるにしても時期すでに遅しで、
記事の発注やデザインなどは1年以上も前から発注しなければ間に合いません)。
こうした事情も裏にあったための強硬発言だったのでしょう。

 「伝統と風格」を守り育てていく行為は、金看板を掲げることではなく、
「学び舎」の中に子どもたちが伸び伸びと元気に育つ環境を整え、
教師も学童もともに歩んで行く姿勢を育てていくことが最も大切なことと思います。
そうした環境の育成こそが責任者である校長の責務ではないでしょうか。
今回の騒動はまさに「笛吹けど踊らず」というバカバカしい結果になってしまうような気がしてなりません。
                                          (つづく)
      (2018.02.25)               (昨日の風 今日の風№86)
  次回は校長の保護者への説明の全文を掲載し、騒動の問題点を考えます。

 

 

 

 


 

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銃乱射事件②  銃なしで家族をどう守るの ②「目には目歯には歯」

2018-01-30 09:53:10 | 昨日の風 今日の風


銃なしで家族をどう守るの ②「目には目 歯には歯」

テキサス州・教会銃乱射事件について当時の市民の声を集めてみた。
 「銃を持った住民が反撃したから、被害を増やさずに済んだ」
と銃で自衛する権利を擁護する声が米国では広がっているという。
 概要は次のようだ。
現場付近に住む住民が銃声に気づき、ライフルを持って現場の教会に向かった。
「(容疑者)と目があって撃ちあいになった。私は防弾チョッキの隙間を狙った」
容疑者は銃撃された後、銃を捨て車で逃走。その後、逃走した車の中で遺体で見つかり、
足、胴、頭の3ヵ所に被弾していた。
自ら撃ち抜いたみられる致命傷となった頭部以外は住民に撃たれた傷だった。
以下、市民の声を記載します。
「幸運にも誰かが銃で応戦した。さもなければ被害はもっと悪化していただろう」(トランプ大統領)
「銃を持った犯罪者に一方的に襲われるのを防ぐには、銃で自衛するしかない」(周辺住民)
「銃を持つ相手に対して、銃なしで一体どうやって家族を守るのか?」(護身用に銃を所持する人)

「今回の事件が米国社会に突きつけた問いは、銃を持つか否かではない。教会にも銃を持っていくか否かだ」(農業従事者)
 すでにお気づきのことと思いますが、
彼らの発言は「銃規制云々」ではなく、銃社会容認を前提した発言である。
良からぬ奴らが銃を持って襲ってくるから、
それに対抗するには「銃」が必要という論理である。
核軍縮が一向に進展を見ないのも、
「核の抑止力」をお題目に、必要論を展開する愚かしさにあるのではないか。

「核の抑止力」を認めるなら、
現在の核保有国だけに既得権として「核保有」を認めるのではなく、
すべての国に保有を認めなければ、余りにも矛盾した「核の論理」ではないか。

 話は飛ぶが、明治元年(慶長4)になっても、
昔日の身分制度の栄華を捨てることができずに、
二本差しを差して往来する時代遅れの者がいたということだが、日本の場合は間もなく消滅した。

身分制度の崩壊と欧米化
 アメリカ社会の歴史の中で培われた銃社会の論理。
ゴールドラッシュに富を求めて集まる荒くれどもや牛飼いの牧童に対抗するための保身や
土着民を征服するための武器の所持がフロンティア・スピリットという美名のもとで、
武器を必要としなくなった時代においても、
経済の発展と共に「武器産業」が発展した経緯がある。

「武器」や「核」によってかろうじて社会の均衡が保たれているとすれば、
そういう社会は病んだ社会だと思うのだが、いかがなものでしょう。

 銃を持つことによって自分の命や家族を守ることができるのなら、
その銃によってたくさんの命が奪われる現実の矛盾をどう理解したらいいのだろう。
         (2018.1.27)                       (昨日の風 今日の風№85)            (おわり)

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銃乱射事件① 銃無しで命を守れるか ①頻発する銃乱射事件

2018-01-28 09:23:04 | 昨日の風 今日の風

銃なしで家族をどう守るの ①頻発する銃乱射事件
    米高校生徒乱射
       ケンタッキー2人死亡17人けが(朝日新聞夕刊2018.01.24記事)
 銃の乱射事件があり、
地元警察は同校に通う15歳の男子生徒を拘束し、
殺人などの疑いで動機を調べている。

 
またしても起こった銃乱射事件で、「またか」という感じがする。
そこで、過去の銃乱射事件の主なるものを拾い出してみた。
① 1966年08月01日 テキサスタワー乱射事件(於いて大学構内)
                  15人死亡 31人負傷
② 1984年07月18日 サン・イシドロ(マクドナルドの店内)銃乱射事件 
                  22人死亡 19人負傷
③ 1991年10月16日 ルビーズ銃乱射事件レストラン於いて
                  24人死亡 20人負傷
④ 1999年04月20日 コロンバイン高校銃乱射事件
                  15人死亡 24人負傷
⑤ 2007年04月16日 バージニア工科大学銃乱射事件
             教員や学生32人死亡 23人負傷
⑥ 2016年06月12日 フロリダ銃乱射事件(於いてゲイナイトクラブ)
                  50人死亡 53人負傷
⑦ 2017年10月01日 ラスベガス・ストリップ劇場銃乱射事件
                  58人死亡 546人負傷
   史上最悪となった銃乱射事件。М16自動小銃やAK-47自動小銃を含む23丁の銃を使用。
        いずれも殺傷能力の強い軍用銃である。 
     
            AK-47                                                       M-16

    
            ラスベガス銃乱射事件の1シーン  まるで戦場を逃げ惑う人々          

⑧ 2017年11月06日 テキサス教会銃乱射事件
                  27人死亡 24人負傷
  銃乱射事件を調べてみると、たちどころにたくさん検索できる。
①~⑧まで主な事件を挙げてみました。「銃による乱射」ということに絞ってみましたが、
「銃による殺人」まで範ちゅうに入れると交通事故波に件数が増えます。

 ある日突然何の関わりもない人たちが銃乱射の犠牲になり、
多くの人々がその命を失うことになってしまう。
武器を携行しなければ、安心できない。自由を守れない。権利を守れない。

こうした考え方の根底には、「歯には歯、目には目」という力の原理が働いている。
銃社会を容認することはできないが、せめて写真で示した自動小銃のような殺傷力の強い武器は、
規制しなければ、命を守るための武器で自分の命を失うことになってしまう。
     (昨日の風 今日の風№84)                           (つづく)
 


        

 

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ローソン、深夜・早朝帯の「無人」化営業(一部): (便利なことはいいことか№2)

2017-12-21 19:00:00 | 昨日の風 今日の風

 サービス過剰?、無理をしなくても…
 ローソンが深夜から早朝の午前0~5時までの時間帯を「無人」化を検討し、
来春から首都圏で導入することを検討している。

 スーパーやコンビニができ、瞬く間に個人経営の店を凌駕し、
町の通りをシャッター通りにしてしまって久しい。
「欲しいものを欲しい時に好きなだけ買える」(ローソンの竹増社長)ことを売りにして
24時間営業を展開してきたコンビニだが、
深刻な人手不足を緩和するための策として深夜・早朝の営業無人化を検討するらしい。

 人手不足が原因ならば深夜・早朝営業なぞ辞めてしまえばいいものを、
客が少ない深夜も商品の納入作業があり、
店を閉めると日中の営業にも支障が出るというのが業界の定説らしい。

 無人の店に客が入るにはスマホが必要だ。
入口のセンサーや商品のバーコードが、無人のレジにあるタブレット端末とつながり
無人化を推進する仕組みになるらしい。
つまり、スマホがないと入店できない仕組みだ。

 24時間営業と手軽さを特徴として業界実績を伸ばしてきたコンビニ業界だが、
24時間営業して、どれほどの利益があるのか。
「欲しいものをいつでも手に入れる」便利さを維持するために24時間営業するって、
サービス過剰じゃないのか。
「脱24時間」のための実験的措置らしいが、
「サービス過剰」や「無理」は長続きしないのだから、
営業時間の短縮を検討すべきではないか。


(昨日の風 今日の風№83)

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便利なことはいいことか

2017-12-12 19:00:00 | 昨日の風 今日の風

便利なことはいいことか
   北海道新幹線

  
 世界最初の高速鉄道・東海道新幹線が東京―新大阪間を走り始めてから52年を経て、ついに新幹線は北海道へ乗り入れることができた。
 
科学が進歩し時代が進むに従い、私たちは利便性を手に入れてきたが、情緒という大切なものを失ってきた。
 朝日新聞コラム・素粒子では「速さが情緒を追い抜いていく」と称した(2016/3/26夕刊)。

 情緒豊かな夜行列車も青函連絡船も遥か郷愁のかなたに消えていった。
上野駅東北本線のプラットホームに立てば、
北国の匂いを充満させた長距離列車が白い蒸気を吐きながら、
乗り込む乗客を待つ。
酒の匂いとタバコの充満する社内。
こういう雰囲気がたまらなく好きだった少年時代。
今から60年も前の風景だ。

 最速4時間2分で走る北海道新幹線だが、一日10往復(飛行機は8往復、1時間20分~30分)。
    最高時速:240㌔
    東京からの料金:22,690円 (飛行機は27,100円~35,200円)
    2030年度に札幌までの延伸を目指している。
 「ついに津軽海峡を通って北海道の地に乗り入れることになった」と、北海道新幹線開通の挨拶でJR東日本冨田社長は感慨深げであった。
東京から新函館北斗間を4時間2分で走る速さに驚き、
我が国の新幹線の技術に感動したのを覚えている。

 しかし、熱が冷めてしまえば、乗車率も減少傾向にあり、
更なるスピード化を計画せざるを得ないようだ。
JR北海道の島田修社長は16日の定例記者会見で、
在来線特急と同じ時速140キロに抑えている青函トンネル区間での北海道新幹線の最高速度について、
160キロへの引き上げを検討すると明らかにした(青函トンネルを含む約82キロ区間は、在来線の貨物列車と線路を共用しており、新幹線とすれ違う際に荷崩れを起こす懸念から、速度を制限している)。
実現すれば、
現在は最短で
4時間2分の新函館北斗-東京の所要時間が3分ほど縮まり、
空路から需要がシフトする目安とされる4時間を切る。
 所要時間は3時間59分となる。たった3分の短縮だが、空路対応策としては大きな前進なのだろう。これは高速化の第一段階で、さらに共用区間でも最高速度の260キロで走らせる検討を進めている。
 
※共有区間:トンネルとその前後の区間は新幹線と貨物列車が線路を共用し走行している。新幹線開業が具体化していく中で、高速走行する新幹線が貨物列車とすれ違うときに生じる風圧で、貨物の荷崩れや脱線といった危険性が指摘された。そのため、現在は140㎞/hで走行している。

 空路との熾烈な戦いの結果なのだろうが、情緒がなくなり、車内に東京の匂いをのせたまま新幹線は北の大地に到着することになる。
便利さを一つ得るたびに
何か大切なものを失っていくような気がしてならない。

(2017.12.11記) (昨日の風 今日の風№82)

 

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信号機のない横断歩道

2017-12-04 22:48:04 | 昨日の風 今日の風

信号機のない横断歩道
 信号機のない横断歩道は怖くて渡れない
 田舎の街だ。横断歩道はあるのに、信号機がない。
 車は制限速度60㎞の道路を70ぐらいで、
  見通しの良い直線道でビンビン飛ばしていく。
 周辺に人家もないから、ついスピードを出してしまうのだろう。
 車を運転していると60~70ぐらいのスピードでは、そんなに早いとは思わない。
 だが、道路の端に立って横断歩道を渡ろうとするとき、
   前述のスピードは歩行者にとって危険を感じるような速さだ。
 遠くに見えた車がみるみる近づいてくる。
   足がすくむ。
   後ずさりしてしまい、
 なかなか道路を横断することができない。
 現に、私が利用する横断歩道では死亡事故も起きている。

 法律はどうなっているのか。
 道路交通法38条「横断歩道等における歩行者等の優先」
 横断歩道等に歩行者等がいる場合は
  横断歩道等の直前で停止することができるような速度で進行しなければならない。
  この場合において、横断歩道等によりその進路の前方を横断し、
  又は横断しようとする歩行者等があるときは、
   当該横断歩道等の直前で一時停止し、
 かつその通行を妨げないようにしなければならない。  
 

 道交法38条は明らかに、「歩行者優先」を明記している。現実は信号機のない広い道路で横断歩道手前で止まる車は非常に少ない。私の経験では皆無に等しい。最近では、少し遠回りになるが、信号機のある交差点を利用するようにしている。

 そこで、この横断歩道のある道路を実際に車で走ってみた。
見通しも良く100㍍ぐらい前から鮮明に横断歩道を確認することができる。
横断歩道の上に人が立てば、運転者は確認できるはずだが、車は止まらない。
信号のない道路の横断歩道の前で止まると、
後続車に追突される恐れがあるからなのだろう。
そのため、歩行者は命がけで横断舗道を渡らなければならない。
というよりも、この信号機のない横断歩道は渡る人がいない。

 ちなみに、平成28年の交通事故の発生状況を見ると、
人対車の交通事故の内約30%が横断歩道を横断中に起きている。

横断歩道で車は止まらない。
横断歩道には危険が一杯。
小学校低学年にこんなことを教えなければならないなんて、
ちょっと情けないと思うこのごろだ。
                                               (2017.12.04記) (昨日の風 今日の風№81
)
         

 

 

 

 

 

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シャリのねぇ寿司なんぞ食えるかい

2017-11-14 19:00:00 | 昨日の風 今日の風

シャリのねぇ寿司なんぞ食えるかい
   

「食いねぇ食いねぇすし食いねぇ」
「江戸っ子だってねえ」「神田の生まれよ」「あぉ そうかいすしくいねぇ」

 ご存じ、遠州森の石松の「石松三十石船」の船中の台詞である。
喧嘩っ早くて少々頭は足りないが、お人好しで憎めない隻眼の侠客、石松も墓石の下で苦笑いしているだろう。「シャリのねえ寿司なんて馬鹿々々しくて食えるかい」

                静岡県・森町の大洞院にある「森の石松の墓」
  
 糖質ダイエットが流行っているらしい。
徹底して糖質を取らないようにする。結果、ご飯や麺類は極力取らない。
現に、糖質カットでダイエットに成功した有名人がテレビの健康場組で出演して
映像と生身の身体でアッピールするからなおさらだ。
こうした風潮を受けて外食産業や食品会社でも、「低糖質」、「糖質ゼロ」をうたう商品が増えてきた。「糖質ゼロのビール」、「糖質を抑えた面」など、具体例を挙げると、
牛丼チェーン店では定食のライスを湯豆腐(夏は冷や豆腐)に変更できる。ファミリーレストランでは、糖質25%減の自家製麺を提供。

そして、ついに出た。
回転すしチェーン店。
シャリなしの寿司。
ネタのエビの下には厚さ5㍉、幅2㍉ほどの大根の酢漬け。
寿司というより海鮮サラダのような食感だ。
他に手巻きすし風の糖質カットをうたう約10種類を展開中だ。

「こちとら、生まれは江戸っ子だい。シャリのねえすしなんぞ食えるかい」
「ダイエットですしのシャリが食えねぇ、というのなら、すし屋なんぞに行くな」
牛丼屋で定食のご飯の代わりに、湯豆腐でも食うがいい。
ファミレスで低糖質の自家製麺を食い、糖質ゼロのビールを飲めばいい。
「すしは日本の文化だい」
ご飯ものを減らしたからといって、
おかずをもう一皿なんてことをやっていれば、本末転倒だ。

糖質の摂りすぎも大切だが、
日本人の食生活で最もリスクの高いのは塩分です。
塩分の摂りすぎは、ガンや脳卒中など命にかかわるリスクが高くなります。

最後に声を大にして言いたい。
ダイエットのためにすしのシャリが食えなかったら、すし屋なんぞに行くな。
すしネタはシャリのほんのりとした甘み味とわずかに加えられた「酢」の味によって
何倍も引き立つのだ。
        (2017.11.14記)  (昨日の風 今日の風№80)

 

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何ひとつよくなっていない

2017-10-22 19:00:00 | 昨日の風 今日の風

何ひとつ よくなっていない
争点の定まらない衆院選、政治に緊張感がないのです。
だから政治に無関心な人が増え、投票率が低くなるのか。
何を 如何してほしいのかが具体的に浮かんでこない。
閉塞感の中に、不安の波がひっそっりと押し寄せてくる。

せめて、消費税は上げないでほしい
せめて、待機児童はゼロにしてほしい
医療費の自己負担率を低く抑えてほしい

せめて今の生活に関わる事柄だけでも何とかしてほしいと、
目先の希望を政治に望んでしまう。
(こうした傾向が悪いとは言わないが…)
だから、小手先だけの政策が蔓延してしまう。
政策の対象から外れた人は失望感と無力感を抱いた挙句、政治不信となる。

エネルギー政策もジワリと再稼働が容認され、
いつの間にか原発所在地に限定された問題に変容してしまった。

この国をどうしたいのか、
未来を担う次世代にどのようなバトンを渡したらいいのか
政党は未来への線路を引き、国家100年の計を示した上で
国民の要望に沿うような政策を展開して欲しい。

過疎化が進み、限界集落が増加していくように、
今、国家も国際社会に漂う一艘の小さな船にすぎないことを
私たちは自覚しなければならない。

先頭争いをするのでなく、互いの存在価値を容認するおおらかさがなければ、
国家もまた、
大海の藻くずとなって沈んでしまうを私たちは自覚しなければならない。。
(2017.10.21記)    (昨日の風 今日の風№)

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