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雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

短歌にみる原発事故

2016-04-10 10:00:00 | 風の行方・原発

             短歌にみる原発事故  (風の行方№34)
 福島第一原発事故が起きてから6年目に入った。

 実態のわからない目に見えない、
無色無臭のフクシマの悲劇。

汚染土は袋に詰められ、
不毛の大地で雨にさらされ、風にさらされる。

時間は停止し、
雑草の勢いと、野生化した動物たちの反乱の中で
住み家は朽ち果ていく。

 故郷を追われ、帰るところを失い
心は憎悪と悲しみに折れそうになる。

ありとあらゆる悲劇や不幸を撒き散らしたパンドラの箱の中に
最後に残ったものは、生きる力。
小さな希望だ。


 
朝日歌壇の中から、原発に関する短歌を選んでみました。

〇 かなしみの数だけともる仮設の灯
          ちさくこぼれて雪の降りつむ      ……(美原凍子)

〇 
吹雪く暮れ飯館村へ
          五〇〇〇人の除染労働者黙して入り行く ……(澤 正宏)

〇 
汚染水のもとをつくった科学者が
          作業員とともにはたらいていない     ……(小野長辰)

〇 フクシマはいつも三月
          夏も冬も今日も明日もいつもあの時    ……
(馬目弘平)

 最終はいずこにか中間貯蔵施設
          ちゅうかんという果てなき長さ       ……(美原凍子)

 

 ふる里は遠くにありて思えとや
          原発避難民十万余             ……(遠藤民子)

 百二歳の自死の哀しき飯舘に
          あまた除染土黒き山なす          ……(梅田悦子)
 

〇 帰れねぇいまさら解除といわれても
          口惜しいけれどもう帰れねぇ       ……… (赤城昭子) 

〇 帰りたいでも帰れない原発禍
          帰らぬと決め淚溢るる          ……… (荻原大空) 


 最後に俳人・山頭火の歌を紹介します。

しぐるるや人のなさけに涙ぐむ

 

              ……… 種田山頭火

 

     



 

 

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被曝労災フクシマの現実

2015-10-31 22:10:00 | 風の行方・原発

 被爆労災フクシマの現実  風の行方(№33)

 前回「被爆労災初の認定」では、認定に関する現実的な問題を考えて見た。

 被爆労災についての社説は東京新聞と朝日新聞が取り上げていたが、

前者は「被ばく労災 廃炉の担い手こそ守れ」というタイトルでフクシマの事故現場で働く作業員こそ、

廃炉の担い手として大切な人材だから、

被爆による労災に関する認定の見直しが必要だと、いささか論調に甘さを感じる。

対する朝日の社説は「被爆労災 救済漏れを出すな」というタイトルで一歩踏み込んだ論調になっている。

 

 東電福島第一原発の事故現場では、過酷な廃炉作業が続いている。

厚労省によると、福島原発事故の作業での労災申請は11件。

認定例は原子炉建屋などの覆い設置などに従事後、急性骨髄性白血病を発症した作業員の例が初めての認定となる。

 

 「何ミリシーベルト以下ならがんは発症しないという境界はない」と専門家は言う。

胃などにがんを発症し元作業員から札幌地裁に提訴された例では、

被曝線量も発症までの期間も基準を満たしていないとして、労災を認められていないが、

高線量の作業は線量計を持たずに作業に従事したという。

 

 年100ミリシーベルトが緊急作業時の被曝限度量である。

線量計の針が振り切れるような危険な場所での作業は、

短時間の作業になるが、線量計を持ち込めば、

この限度被爆量を満たしてしまうので、あえて、線量計を持ち込まないということだろう。

線量計不携帯や鉛カバーをして線量を低く抑えるなど、被曝線量をごまかして働かせる不正が発覚している。

 

 事故現場で廃炉に携わる作業環境は過酷だ。

事故から今年8月末までに約2万1千人が累積で被爆量を5ミリ超えている。        

40年かかるという廃炉作業に向けて、今後ますますこの数字は高くなるだろう。

作業員の労働安全と健康保持のためには、リスク管理と正確な被曝管理が必要だ。   (2015.10.31記)

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白血病・被爆労災初の認定

2015-10-29 11:10:00 | 風の行方・原発

白血病・被爆労災初の認定 (風の行方№32)

 厚生労働省は、東京電力福島第一原発事故後の作業に従事し、

白血病になった元作業員に、労災を認定した。

原発事故に従事する作業員の「被爆と疾病」に一定の因果関係があるとして、

労災が認められたのは初めて。

 

 認定された作業員の男性は「他の作業員が労災認定を受けられるきっかけになればうれしい」と語っているが、

現実にはなかなか難しい。

 

 白血病の場合、放射線業務従事者の労災認定基準では、

年5ミリシーベルト以上の累積被曝量があったことが前提だ。

 東電によると事故後に作業に当たった4万5千人のうち、

5ミリシーベルトを超えた人は8月末で2万人以上いるという。

 

 原発事故の作業が続けば、この人数はさらに増えていくだろう。

しかも、被爆労災認定の基礎資料となる線量管理は現場任せであり、

作業環境は極めて厳しく、業者によっては杜撰(ずさん)である。

 

 報道等によれば、作業員の9割は関連・協力企業(下請け・孫請け・ひ孫請け)にやとわれ、

雇い主が何度も変わる人も珍しくない。

 

「放射線管理手帳」は作業員個々人の被曝線量を記録するものだが、

会社が預かり被曝量を記録することになっているが、

業者によっては、杜撰な管理をしているところもある。

正確に記載すれば、作業員の防御基準である年50ミリシーベルトを超える作業員が増え、

元請け会社の要求を満たす作業員が確保できないという恐ろしい現実もある。

 退職時に手帳を返してもらえない、

返してもらったが作業実績が少なく記録されていたなど問題は多い。

 「労災が受けられるのを知らなかったり、あきらめたりしている」作業員も多いと関係者は言う。

 厚労省では「労災の仕組みを記したチラシ」等で労災申請の啓蒙を計るが、

会社が握りつぶし、作業員に配布されていない例もある。

 

 労災申請には「企業や労組等の協力や支援がないと難しい」が、

現在の原発作業員の雇用システムの孫請け、ひ孫請け的な状況を改善しなければ、

被爆労災の申請制度を血の通った制度にすることはできない。

                 (2015.10.29記)

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除染 東北自動車道 安積PA(下り)

2014-10-27 20:30:32 | 風の行方・原発

除染 東北自動車道 安積PA(下り)

 福島第一原発事故の影響で、大変な思いを経験した福島である。

震災前にはよく訪れた福島。

住み慣れた故郷を追われ、家族が離れ離れになり、

今なお仮設住宅で不自由な生活を強いられている県民がたくさんいる。

無人の家、荒れ放題の田や畑に繁茂する雑草は背たけ以上に伸びている。

何度も見てきた福島の現状である。

 

 郡山地域は比較的放射線の影響が少なく、

観光地としての賑わいを徐々に取り戻している昨今である。

しかし、放射線汚染はしぶとく、私たちを不安に陥れる。

だから風評被害がいまだにささやかれている。

 

 この現実を如実に物語る現実に遭遇した。

東北自動車道「安積PA」(郡山市・写真)。

駐車スペースは大型48台、小型37台の規模の小さなPAである。

東北自動車道で唯一コインシャワーが利用できるPAとして知られる。

家族ずれや若い人たちで賑わう行楽日和の風景。

何気なく建物の東側の土盛りをして造成した憩いの広場を眺める。

立ち入り禁止・除染作業実施中」の案内板が視野に飛び込んでくる(写真)。

芝がはぎ取られ、表面を削り取った土であろう、ビニールシートに覆われて散在している。

 間近に見る除染の風景である。

人が大勢出入りするこんな場所に、原発事故から3年を経た今でも放射線の不安が残っている。

隣接する喫煙所では、気持ちよさそうに紫煙をくゆらす人々。

お土産売り場を走り回る子供たち。

ラーメンをすする人。

平和な時間が流れ、「除染作業実施中」に関心を示す人など見当たらない。

原発事故の風化を如実に知らされた「安積PA」の風景でした。

                                                    2014.10.19

 

 

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風の行方(31) 故郷は荒れた やっぱり放射能が不安

2013-06-12 21:07:58 | 風の行方・原発

故郷は荒れた やっぱり放射能が不安

風の行方(31) 第2部(20)「仮の町構想」(15)  帰らない人々(4)

  帰還意向で、判断がつかない(帰還するかどうかわからない)と回答した人の割合は、表のようになっている。

 

大熊町

浪江町

双葉町

冨岡町

判断がつかない

43.5%

29.4%

26.9%

43.3%

 平均で35.8%の人が、帰還の意志を明確に明示できないでいる。

その理由として、最も多いのが、「放射線量に対する不安があるから」(70~80%)、

そして「原子力発電所の安全性に不安があるから」を理由に挙げている人も多い。

かけがえのない故郷であるけれども、

安全神話が崩壊し、帰還困難区域に指定され、全員避難を余儀なくされた人にとって、

避難指示区域再編で解除準備区域に指定されても、

放射線量や原子力発電所への恐怖や不安はおいそれとぬぐい去ることはできない。

 当然のことだろう。

津波に襲われ、かけがえのないものを奪われた。

追い打ちをかけるように、原発事故による放射能汚染が、

見えないカーテンのように人びとを被(おお)った。

生まれて初めての死の恐怖と生への限りない不安。

 本当に故郷の家に帰れるのか。

傷んだ家 カビ ネズミのふん 空き巣に荒らされた部屋 乱雑に家具の散らばった部屋を見れば、

あの日の恐怖が、辛く悲しい記憶となって蘇ってくる。

  帰還困難区域から解除準備区域に再編されたとはいえ、

二年数か月も無人のまま放置せざるを得なかった家は、人が住めるような状態ではない。

自然の脅威は、無人となった「人間の町」を、驚くべき早さで元の自然に還そうと、

家や畑や田んぼを2年数カ月の間に駆逐してしまった。

 

  とりあえず除染により、

放射性物質の軽減を計り、地域住民の帰宅を推進する、という意図は理解できる。

 しかし、仮に早く帰ることができても、

行政やライフライン、日常生活に必要な店、病院、学校、介護システムなどが機能しない限り、

生活するのは難しい。

 だから、帰還することに、不安を感じてしまうのだ。

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風の行方(30) 「仮の町構想」(14) 帰らない人びと(3)

2013-04-18 22:52:15 | 風の行方・原発

風の行方(30) 「仮の町構想」(14)

  帰らない人々(3)

 

 今後4年間は帰町しないことを打ち出した4町は、

放射性物質の汚染が激しく、全住民が町外に避難を余儀なくされている。

政府は、避難住民の生活立て直しを「仮の町構想=町外コミュニティ」によって推進する政策を打ち出した。

 

 しかし、復興庁の「住民意向調査」の結果、

町外コミュニティの基盤となる災害公営住宅への入居希望者は、

少ない現実が浮かび上がった[風の行方(29)参照]。

 

 

 『いつ帰れるかわからない故郷』、4年後には帰還できるのか。

本当のところは誰にもわからない(一概に比較はできないが、チェリノブイリ原発事故により消えた村は、

26年経った現在でも立入禁止となっている)[風の行方(17)参照]。

 帰還意向

 

帰還意向あり

判断がつかない

帰還意向なし

大熊町

11.3%

43.5%

42.3%

浪江町

39.2%

29.4%

27.6%

双葉町

38.7%

26.9%

30.4%

        富岡町

15.6%

43.3%

40.0%

 

※ 無回答の項目はカット

 

  表から推測されることは、「捨てがたき故郷」とはいえ、

ざ帰還となると、これを断念せざるを得ない理由があるのだろう。

大熊町や冨岡町では「帰還の意向あり」と答えた人はわずかに1割強(4町平均で26.2%)である。

仮設住宅や借上げ住宅で不自由な避難生活に耐えながら、

災害公営住宅の設置を待ち、

「仮の町(町外コミュニティ)」で故郷への帰還の時期を待つ姿が見えてくる。

 

 「帰還意向なし」の回答からは、

一刻も早く生活の立ち直りを計り、

自立への道を検討する若い人たちの姿が推測される。

「判断がつかない」と回答した人の割合が4町とも多い。

次回では、どんな思いが「判断がつかない」を選んだのか、この人たちの心の内を考えてみたい。

                                                        (つづく)

 

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風の行方(29) 「仮の町構想」(13) 帰らない人びと(2)

2013-04-06 22:01:02 | 風の行方・原発

 

 東日本大震災  帰らない人々(2) 

前回は「仮の町構想」に基づく災害公営住宅の入居希望について

福島第一原発立地自治体の4町の住民意向という視点で述べてみた。

今回は災害公営住宅の場所について、意向調査から調べてみた。

 

  「仮の町」の設置を希望する自治体

 

第1希望

第2希望

第3希望

大熊町

いわき市

郡山市

会津若松市

浪江町

いわき市

南相馬市

福島市

双葉町

いわき市

郡山市

南相馬市

      ※ 富岡町

いわき市

福島県外

郡山市

 富岡町のデータ「今の住居で暮らしたい」又は「今の住居から引っ越したい」と「移動希望自治体(複数回答)」を合算して作成(復興庁)。ちなみに、このデータは現在の避難先と完全に一致している。(現住所から動きたくないという希望の表れなのか)。

 なぜ「いわき市」なのか。

いわき市は浜 通り南部に位置し、

中核市に指定されており、人口(約33万人)、面積ともに県内最大である。

東北地方内では年間日照時間が最も長く、1日の平均気温が最も高い。

年間を通して寒暖の差が少なく、気候が安定していると言われる。

雪は山間部を除いてほとんど降らず、快晴の日が多い。

東北地方で最も工業製品出荷額が多い(約1兆900億円)工業都市でもある。

 

 原発に依存し、見せかけの経済活性化と、

気付いてみれば途方もない危険なもの(原発)を抱えてしまった住民にとって、

追われた地が故郷とはいえ、

気候温暖と都市の便利性を兼ね備えた避難所に2年以上も暮らしてしまえば、

いつ帰れるか分からない故郷に執着するよりも、

新しい土地で、生活の立て直しをはかろうとするのは、ごく自然な感情の流れではないか。

特に若い世代にとっては「帰らない」志向が強い。

 住み慣れた土地、

気心の知れた隣人との生活を望む高齢者の志向とは対極をなすものである。    (つづく)

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風の彼方 (28) 「仮の町構想」(12) 帰らない人びと(1)

2013-04-01 21:41:44 | 風の行方・原発

   東日本大震災 帰らない人びと (1)

 

  復興庁が取りまとめた「住民意向調査」の第2回目が公表されたので、

調査結果を見ながら、避難した住民の意向を探ってみたい。

 原発周辺の福島県の自治体は避難の長期化を見越し、

住居や学校、医療機関などを建設し集約する「仮の町構想」を描いてきた。

国が土地を用意し、暮らしの機能を丸ごと移す。

各地に散らばった住民がそこに集まって一緒に生活する。

長期間避難者のほとんどを占める大熊、双葉、浪江、富岡の4町が計画した。

   集団移住する仮の街の災害公営住宅の入居意向(復興庁調べ)

                                                              『仮の町構想・町外コミュニティ・風の行方(19)参照』

 

入居希望

入居しない

判断できない

大熊町

24.7%

36.6%

37.2%

浪江町

19.5%

30.3%

47.6%

双葉町

6.7%

42.8%

45.5%

富岡町

24.0%

24.4%

48.3%

 

 少なくとも事故から6年、今後4年は帰還できない町は

 

「仮の街構想(町外コミュニティ)」に基づいて、

 

他の町に生活の場を築こうとしている。

 

 しかし、3月に復興庁がまとめた住民意向調査では、

 

災害公営住宅への入居希望者は、極めて少ない(上図)。

 

 国や自治体の計画とは裏腹に、

 

現時点では入居希望よりも希望しない人が多く、

 

更に判断できない人の比率が各町とも最も高い。

 

 

 見通しの立たない先行き不安な住民の立場が、

 

「判断できない」と回答せざるを得なかったのだろう。

 

 

 入居を希望し、故郷に帰れるだろう6年後を待つ人。

 

入居しないで他の町に転出し帰郷の日を待つ人。

 

故郷には帰らない選択をし、生活の立て直しをする人。

 

事故から6年後の故郷の状態は誰にも想像できない。

 

土地は荒れ、家屋は朽ちる。

 

それでも希望の種をまいて、

 

双葉が目を出し本葉が伸びるころには、

 

被災地にも新しい春が訪れることを祈る。

 

 

 

 

 

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風の行方(27) 「仮の町構想」(11) 住民の心は……

2013-03-23 22:09:07 | 風の行方・原発

風の行方(27) 「仮の町構想」(11)

 住民の心は……  

 原発被害でいち早く「帰村宣言」を出した、川内村の様子を追いかけてみた。

浮かび上がってきたのは、放射性物質による汚染の不安と、

生活基盤(医療、教育、福祉、雇用、商業)の弱体化である。

生まれ育ち、気の置けない仲間たちのいる故郷ではあるが、

「帰れる人から帰ろう」と呼びかけても、帰村を躊躇させる問題の多さに住民は戸惑っている。

 

  さて、全村避難を余儀なくされ、2年経過した現在の自治体の現状を追ってみたい。

 少なくとも、今後4年(事故から6年)は帰還できない住民は約5万4千人に上る。

(事故後に避難対象となった人が約8万4千人であるから、

事故後2年が経過してもいまだに6割超の人が避難を余儀なくされている。

放射性物質で汚染された大地がいかに回復困難かを表している)

 このうち原発立地自治体である大熊、双葉町だけで約1万7千人を占め、

両町とも町全体で今後4年は帰らない方針である。

これに隣接する浪江、富岡町も今後4年間は帰らない方針を打ち出している。

4年以内の帰還が見通せる「避難指示解除準備区域」と「居住制限区域」も含めて

、町全体で4年間は帰らない方針である。 

帰れる時期(除染等により放射線量が低くなった時)が来ても、今後4年は帰らない。

 

 これには次のような理由がある。

 区域の違いで東電による損害賠償額が異なるので、

賠償の違いで住民コミュニティが分断するのを避けようとする狙いがある。

帰還時期を揃え、どの区域も賠償で同じ扱いにする方針である。

一方、自治体の方針に関わらず、

「故郷には帰らない」と「転出」をする人もいる。

                                     (つづく)

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風の行方(26) 「仮の町構想」(10)  川内村讃歌

2013-03-13 13:39:24 | 風の行方・原発

 川内村讃歌

 東日本大震災から2年が過ぎた。

故郷を追われ、異郷の地に暮らす人々にとっては2年の歳月は長過ぎたのだろう。

生まれた子供も2歳になれば歩き始める。

若い人たちにとって、先の見えない不安定な生活は、将来の希望を託す設計を立てることができない。

高齢者に「仮設の生活」は、辛く厳しい現実を突き付け、生活再建の目途(めど)も立たず、

運動不足やストレスで、日増しに体力の衰えを感じざるを得ない。

こんな環境にあっても、子どもたちは避難先の学校に通い、新しい友達を作っていく。

だからこそ、大人たちは子どもたちの健全な成長を願い、

将来を担って立つ子どもたちに安全な環境を提供しなければならない責任と義務がある、と考える。

故郷は、その地で暮らした人々には、強い絆で結ばれたかけがえのない心の支えになっている。

 

 「震災から2年近くが経ち、新しい土地で生活する気持ちも強くなり、容易に戻れない状況がある。

避難を続ける村民のサポートを続け、新たな住民も受け入れて5千人の村を目指す」と、

遠藤雄幸川内村村長の視点は村民に優しく、ぶれることがない。

「5千人の村を目指す」と遠藤村長は、ビジョンを語るがこれは大変なことです。

 住民基本台帳によれば、今年3月1日の人口は2787人である。

過疎化の傾向は少子高齢化によって、一層の人口減を招き、

3.11の原発事故以降、転出する者も多く、人口減少に拍車がかかっている。

それでも、「魅力ある村づくり」を推進し、人口5000人の村を目指す姿勢は敬服に値する。

 

復興計画も具体的で現実性がある。

村民の「帰村」を促す一方、村民以外の住民の呼び込みも図る。

誘致した企業の募集対象を、4月の新年度からは村民以外にも拡大。

村で初めての賃貸アパート棟も建設中である。

特別養護老人ホームは村民以外の利用も認める。

ほかの避難自治体の住民に入居してもらうための復興住宅の建設も進めている。

 頑張れ ! 川内村。  

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